TargeT.6 同居
戦闘の気配は完全に消え、トンネルを満たしていた緊張が徐々に薄れていく。
それでもセイチェは身を低く構えたまま、疑念の視線を拓未に向け続けていた。この軽率な男に気を許してはいけないと、自分に言い聞かせて。
「……ま、まぁ、惚れてもらうのはもう少しあとで良いけれど、とりあえずはその警戒を一旦解いてくれよ。俺は敵じゃない、それは分かっただろう?」
肩を竦めながら、拓未が穏やかに言う。その声音には先ほどの挑発めいたものはなく、真摯さと、いつもの軽口だけがあった。
ミミアが小さく首を傾げ、セイチェの方を見やる。
「ふむ……言葉に嘘は感じられぬな。そなた、もしや本当に我らを守るつもりなのか?」
「ああ。少なくとも、今のところはな」
拓未は苦笑しながらも、目の奥に真剣さを宿していた。
「無論、おたくらがその力で悪さをしようってもんなら、俺は敵になるが。まぁ、そんな悪い奴らだとは思えねーし。だとしたら、俺にとってはか弱い女性二人に過ぎないわけよ」
そこで一拍置いて、言葉を選ぶように続ける。
「身寄りもなく、戦力も心許なし。いつ迫るか分からない危険を前に、こんな暗がりに逃げ惑う日々。どうだ、客観的に聞いているだけでも、力になりたいと思うだろう?」
「なるほどの、それは一理あるのじゃ」
ミミアが腕を組みながら深く頷く。
しかし、依然としてセイチェは眉を寄せたまま。それは疑念というよりも、意地のようなもの。己の主は、己で守り抜くという固い意志が邪魔をして、協力を受け入れることができないでいた。
「異界の王女を匿うことが、どれほどの危険を伴うか。あなたに理解できるのですか?」
尤もらしい反論。しかし、拓未に今更そのような言葉は刺さらない。
「さぁな、さっきの話を聞いただけじゃ、分からない。
ここではっきりした事実といえば、俺が強いってことくらいだろ?」
拓未がニヤリと歯を見せる。そして――自分の目を覆っていたサングラスを、ゆっくりと外した。
その素顔には軽薄さはなく、むしろ苦みを含んだ誠実さが浮かんでいる。優しい目つき、少し照れくさそうに笑む口元。セイチェは嫌でも理解させられる。この男は嘘を吐いていないと。
「――放っておけないんだよ。目の前で困ってる奴を見過ごすのは、どうにも性に合わなくてな」
その言葉に、セイチェの瞳がわずかに揺れた。彼女自身が忠義を尽くす者だからこそ、彼の誠意を虚言とは切り捨てられない。その言葉がゆっくりと心に染み込んで、次第に目の前の男がとても頼もしく見えてくる。
「……お嬢様」
「うむ。惚れたのじゃな」
「――ちっ、違いますッ!」
違う。惚れたとか、そんな話では断じてない。だが、この男であれば共に歩んでいけるのではないか、という淡い期待が生まれたことは間違いなかった。
事実、彼は強い。そんな彼が味方になり、ミミアを共に支えてくれるならば。これほど心強い味方がいるだろうか。
「お嬢様をお守りするには、私では役不足です。真鍋拓未様……いかなる時であっても、お嬢様の命を最優先に考えられますか?」
セイチェの問いかけ。あともう一つ、信じるために誓いの言葉がほしい。懇願するかのような眼差しが、拓未に向けられる。
しかし、彼は「いいや」と首を振って、
「馬鹿言うなよ。俺が守りたいのは、おたくら二人だ。一方を優先? ふざけた話だ。俺の力は誰かの命を選ぶためにあるんじゃない。全員を救って、丸く収めるためにあるんだよ」
あろうことか、そんな理想を述べた。
だが、その理想を簡単に叶えてしまいそうな、確かな力強さを感じて。セイチェが深く息を吐く。
「なるほど……従者としては失格ですが、共に戦う味方として考えたならば、悪くない答えです」
「うむ。我もその考えが気に入ったのじゃ」
セイチェに同意する形で、ミミアがゆるりと頷く。それから拓未を真っ直ぐに見据えた。
「よかろう。真鍋とやら、そなたの言葉を受け入れるのじゃ。ただし――」
声が一転して厳しくなる。
「無関係であるそなたを、我が事情に巻き込むことは、本来ならあってはならぬ。……それでもなお、我らに力を貸すと申すのか?」
後ろめたさと、どこか寂しさを滲ませた問い。
拓未は一瞬黙り込み、そして口元に笑みを浮かべる。
「俺は昔から、無関係なことに首を突っ込んで、ろくな目に遭ってない。……でも、それでいいと思ってる」
「なぜ、そこまで」
セイチェが思わず問いかける。
「理由は単純だ。
――俺は、正義の味方になりたいんだよ」
その言葉に、ミミアとセイチェはしばし沈黙した。
軽口にも似た宣言。だが、その奥底には確かな覚悟の匂いがあった。
「……ふむ、厄介な男に出会ってしまったものじゃな」
ミミアはため息をひとつ。けれどもその口元には、ほんのわずかな安堵の笑みが浮かんでいた。
* * *
「――で、仕事をほっぽり出して、女性二人を見事に誘拐してみせたと?」
リンケージの事務所にて。
厳つい顔でそう問いただすのは、所長の太刀房原二。恰幅のよい体躯に険しい目つき、敢えて子供っぽい例えで言うなら、まるで額に角を生やした鬼のような迫力であった。
対する拓未はというと、流石に怯えはしないものの、ばつの悪そうに肩を竦め、口を尖らせている。
「いやね、だってですよ所長。俺が現場に着いた頃にはもう日も暮れてて、連中はとっくに散り散りに逃げた後。俺のやれる仕事と言えば、せいぜい残された痕跡を探すか――あるいは、か弱い姫さん方に安全な場所を提供するくらいでして。俺は何度だって、迷わず後者を選びますよ!」
声を張り上げる拓未。熱意を込めての主張だったが、原二は一切動じることなく、その胸ぐらを掴み寄せる。
「……ほう。どうやら、私が何のためにお前を呼んだのか分かっていないようだな」
低く唸るような声。
「いいか、暗がりになってからじゃ夜目のきかない他の隊員どもには捜索は困難だ。だからこそ――お前の“目”を最大限に活かすために、わざわざ呼んだんだろうが。
お前なら僅かな光を増幅させて、暗がりでも昼間のように辺りを観察できる。自分でそう自慢してただろう」
「いやいや、そんなこと言ったって、結局は俺一人じゃ大した情報も得られませんよ! それに、彼女達を保護することだって立派なリンケージの仕事じゃないですか!」
「――今回の事件におけるターゲットの優先順位を無視したならば、その通りだ」
「彼女達の保護より……犯罪者の、あるかどうかも分からない痕跡の方が大事ってことですか」
「その“あるかどうか分からない”痕跡を見逃し、連中を野放しにすれば、お前の連れて来た二人よりも遥かに弱き者達に危害を加える可能性があるんだ。それをお前は理解しているのか?」
「それは……でも……」
反論の言葉を探しながら、拓未は視線を泳がせる。自分のしたことが誤りだったとは思わない。だが所長の言葉にも一理あるのは認めざるを得ない。
「なるほど。お前の主張は間違ってはいない。だが――やはり最善でもなかった」
原二は胸ぐらを放し、深く息を吐いた。
「せめて彼女らを保護する約束をしたあと、真っ直ぐ帰ってくるのではなく、捜査をもう暫く続けるべきだったろう。お前は彼女らを救ったことを武勇伝のように報告しに来たが、俺からすると仕事を放り出したとしか聞こえない」
「……はい」
ついに言い返せる言葉が見つからず、拓未が肩を落として黙り込む。
すると、今まで静かに聞いていたミミアが前に躍り出て、
「太刀房とやら、すまぬのじゃ。我らが押しかけたがために……大事な仕事を邪魔するつもりはなかったのじゃ」
「……いい。お前たちを保護することには私も同意見だ。その後のことについては真鍋が勝手に判断してのこと。君達が気に病むことはない」
飽くまでも拓未の判断力に対しての叱責であると主張する原二。そう言われてしまえば、ミミアから拓未に助け舟を出してやることも難しい。
「そう……じゃな……部下の教育に口を挟んでしまい、申し訳ないのじゃ」
「おい! ミミア! 助けてくれるんじゃないのかよ!」
思わず縋るような声を上げる拓未。
だがミミアは視線を泳がせ、気まずげに呟く。
「すまぬのじゃ、我も太刀房とやらの意見に納得してしもうたのじゃ。拓未には感謝しておるが、この場で味方することはできぬのじゃ」
ついにミミアまで敵に回り、拓未は更に項垂れる。そのまま横目でちらりとセイチェを見遣るが、
「……」
無言。彼女もまた、拓未の味方にはなってくれそうになかった。
そんな彼らのやり取りを見ながら、原二が一つ溜息を落とす。
「まぁ、今回の作戦に関しては、正直に言えば私の見積もりが甘かった。故に、現場を瓦解させてしまい、あまつさえ部下にその尻拭いを任せる始末。この事態を招いた私自身にも責任があると言えよう」
「所長……そんな、珍しく反省っスか? らしくないじゃないですか!」
戸惑う拓未。原二と出会ってからの日々を思い返しても、ここまで反省の色を濃く見せる――要するに失敗を語る彼の姿を見たことがない。
それほどまでに判断の難しい事件であった。その責任を他者に向けることなく、反省を述べる上司を前に。拓未がついに――恥を覚える。そして、
「…………」
暫しの沈黙。
目を閉じて悔しげに表情を歪める原二。
拓未はそっと息を呑み、
「……申し訳ございませんでした!」
深く、深く頭を下げた。
自分に嫌気がさす。少女二人を救っていい気になり、大局を見据えることなく嬉々として報告した自分に。
正義の味方を語りながら、何かを救った気になり。より大きな不穏分子を見逃して、その言い訳が「間に合わなかった」と。ならば間に合わなかったなりにできることはないかと探すのが自分の仕事であるし、その中で少しでも“善“を残すのが正義の味方であろう。
それを思えばこそ。自分のやったことと言えば、なるほど間違いなく『少女らの誘拐』である。
「所長、どうも、俺が間違ってたようです。それを、今、理解しました」
「良い。今のお前なりに、全力を尽くした結果ならば、これ以上は責めるつもりはない。次に活かせ」
「……はい! ありがとうございます!」
顔を上げると、穏やかな原二の眼差しと、目が合った。しかし、途端に原二は目を逸らして、何事もなかったかのように書類に目を落とす。
(知ってるぜ、所長――いや、親父……)
太刀房原二――真鍋拓未の育ての親。彼を拾い、ここまで育て上げてくれた恩師。そこには圧倒的なまでの優しさと温もりがある。
だから、拓未は彼の言葉に従う。彼の背中を見て、学び、追いかけて、その隣に並ぶために。彼にとっての正義の味方が、まさしく原二のことであった。
だが――
「熱い男達の物語なのじゃ……」
ミミアのその言葉に、場の空気は一気に冷え切ってしまったのだった。
* * *
「――そ、それで、誘拐してきた女性二人を、私の部屋に住まわせたいと言うんですか?」
リーナの声音には、氷のような棘が潜んでいた。
職員用高層マンション、その一室の前。扉を背に立つ彼女の細い肩を見て、拓未は気まずそうに目を泳がせる。
「いやぁ、本当は俺の部屋に――って思ったんだけど、所長に止められてなぁ。それに、事情があって、リーナちゃんが適任なんだよ!」
「む、む、む、無理……ですっ……!」
「え?」
「し、知らない人たちと、生活なんて、わ、私には、とても!」
バタン、と乾いた音を響かせて扉が閉じた。
廊下に取り残されたのは、気まずい顔の拓未と、その背後に控える二人の少女。
「……こりゃあ、あれだな」
咳払いひとつ、軽口を叩く拓未。
「諦めて俺と一緒に暮らそう!」
「アホでございますか。あなたのような危険な男と、ミミアお嬢様をひとつ屋根の下になど……」
「だったらセイチェさんだけでも」
「……な、なりません!」
なぜか言い淀むセイチェ。頬を染めた彼女に視線を投げ、ミミアが唇の端を愉快そうに歪める。
「うむうむ、我のことは気にせんで良いのじゃ。我はリーナとやらの部屋に住まわせてもらうから、セイチェは拓未と一緒に暮らすがよい。リーナとやらも、我一人であれば受け入れてくれるやもしれぬ」
小悪魔めいた笑み。まるで拓未の軽口を真似るような口ぶりに、セイチェは慌てふためいて顔を真っ赤にし、言葉を探す。
その時――ガチャリと扉が僅かに開き、リーナの顔が覗いた。
「い、嫌です」
それだけ吐き捨て、再びバタンと閉ざされる。
一瞬のやり取りに、一同は顔を見合わせ、深い溜息を重ねるしかなかった。
『そもそも、私が適任って、どういうことですか! わ、私、誰かと一緒に暮らすなんて、一番不向きじゃないですか!』
扉の向こうから響く声。その怯えと苛立ちを含んだ訴えに、拓未はやれやれと首を振り、答える。
「リーナちゃん、隠してても仕方ないから言うけど。実はこいつら、超能力者じゃなくて――俺と同じ、魔法を使う奴らなんだ」
『……魔法? でしたら、どうやってリンケージの保護下に?』
「所長に誤魔化してもらった。ミミアは“剛力”の能力者、セイチェさんは“物体転移”の能力者として登録。正式な名簿に連ねてもらう方針だ。
……魔法の存在は、国にとって認めがたい事実だからな。所長の仕事を増やすのは心苦しいが、二人を守るためには必要な処置だ」
ガチャリ、と再び扉が開き、今度は半身だけ姿を覗かせるリーナ。その鋭い視線が、魔法使いの二人を射抜く。
咄嗟に、セイチェが半歩前へと進み、深く腰を折った。
「リーナ様、突如押しかけましたご無礼を、どうかお許しください」
「い、いえ……押しかけたのは拓未くんですし、私も話を聞かずに断ってしまい、ごめんなさい……」
不器用ながら真摯な応答。苦労人同士、どこか通じ合うものがあったのか、二人の視線が静かに交差する。
そんな空気を遮るように、拓未がまたも咳払い。
「それで、ここに居るちっこい方が――あまりに膨大な魔力を抱えててな。微弱ながら、常に魔力が滲み出てるんだ」
「それが、な、何か問題なんですか?」
「どうも、厄介な敵に追われているそうだ。その魔力を感知されれば、敵に位置を掴まれる恐れがある」
「つまり?」
「リーナちゃんには――こいつらの側にいて、その魔力を打ち消してほしいんだ」
その一言に、扉の隙間から覗くリーナの瞳が、深い揺らぎを帯びる。
「それって、四六時中、私の能力を使ってその子の魔力を打ち消し続けてほしいってことですか?」
「まぁ……その、なんだ。その通りなんだけど、やっぱり難しい?」
無茶な要求。拓未自身もそれは承知の上で、それでもリーナであれば叶えてくれるのではないかという僅かな期待。この同僚の底知れぬ力を知っているからこその、お願いであった。
リーナが息を呑み、それから深く溜息を落とす。
「……はぁ、分かりました。た、拓未くんは相変わらずお人好しですね。私も少しだけ、拓未を、み、見習ってみます」
「本当か! よっしゃ! さっすがリーナちゃん!」
まさかの同意に、拓未がつい嬉しくなってリーナの手を取る。すると彼女の顔がみるみるうちに赤く染まり、ついにはその場にへたり込んでしまった。
「あ、あれ、リーナちゃん? リーナちゃん?」
拓未の呼びかけにも答えず放心するリーナ。そんな彼女を見やり、ミミアが再び笑みを浮かべる。
「これは、セイチェに恋のライバル出現じゃな……」
誰にも聞こえないように、静かな呟きを溢した。
こうして、リーナとミミア、そしてセイチェの奇妙な同居生活が始まったのであった。




