TargeT.4 挑発
まさか、断られるとは。
――いや、想定はしていた。だが、これほどまでにあっさりと退けられるとは、さすがに面食らう。
拓未は唖然とした息を吐き、すぐに平静を取り繕うと、少女らに問いかけた。
「おいおい、これから先も、こんなジメジメしたトンネルとかで過ごすつもりか? なんで断る? 断るにしても、もう少しくらい考えたらどうなんだ?」
湿った空気の中、灯りに照らされた少女が、小さく「ふむ」と呟く。その隣で、金髪のメイドがゆるやかに視線を落とした。憂いを孕んだ沈黙が、わずかに二人を包み込む。
「真鍋とやら、そなたの心遣いには感謝するが、我らが同行するわけにはいかないのじゃ」
澄んだ声。だが、その響きはどこか遠く、閉ざされた壁の向こうから届くような距離感があった。
「――だから、なんで」
「そなたに聞かせるべき内容ではない。
すまぬが、話は以上じゃ」
小柄な肩に、そっと添えられるセイチェの手。
それは慰めか、それとも戒めか――。
セイチェは拓未の方を見やり、ゆるく首を振った。これ以上踏み込むな、という無言の警告。
だが、拓未はその意図を理解しながらも、引き下がれる男ではない。
どんな事情であれ、女性二人がこんな湿気と寒気の満ちた場所で夜を明かす理由に正当性などない。ならば、踏み込むしかないだろう。
「ひょっとして、その内容ってのは、お姫様から溢れ出ている“魔力”と関係あったりする?」
「――なっ!」
水面に石を投げ入れたように、空気が一瞬で波立った。
露骨なまでの動揺が、二人の身体を走る。想定外の衝撃に、彼女らは反射的に半歩後退し、腰を低く構えた。
部外者と見なしていた男の口から、不用意にして核心を突く単語――“魔力”。
それは、彼女らの秘匿すべき世界そのものを示す響きであった。
「あなた、やはり追手でしたか……」
セイチェの声は、冷え切った刃のように鋭く、即断の色を帯びていた。
だが、少女がすぐにそれを制する。
「ま、まて。セイチェよ。この世界の人間にだって、魔力を持つ者がおるのやもしれぬ」
灯りが揺れ、薄闇の中で二人の影が壁に揺れる。
「で、ですがお嬢様。そんな稀な存在が、偶然にも我々の前に現れたと仰るのですか?」
セイチェの疑念は当然だ。だが――まさにその“偶然”こそが、ここでの出会いを導いたのだと拓未は思う。問題は、この誤解をどう解くかだった。
「まぁ、待ってくれ。俺がおたくらの敵ならさ、態々こんなこと言わないっしょ」
軽く両手を広げてそう告げると、少女とメイドが視線を交わした。緊張は完全には解けていないが、わずかに力が抜けたのがわかる。とはいえ、目の奥に残る警戒の色はまだ鋭い。少女が一歩前に出て、問いを放った。
「では真鍋とやら、そなたが魔力の存在について知っている理由を問おうか。
――いや、魔力を“感知”できている理由じゃな。そなた、魔法を使えるのかの?」
踏み込まれたからには、踏み込み返す――そんな意思がその声には宿っていた。問いかけの勢いは容赦ないが、拓未は微塵もたじろがず、口角をわずかに吊り上げて答えた。
「そんなもん、決まってんだろ? 確かにこの世界じゃ珍しいもんだろうが、魔法使いは正体を隠しているだけで、実はそれなりに居るんだぜ?」
「ま、まことか! ならば我の魔力を感じ取る者が、少なからず存在するやもしれんのじゃな……」
少女が声を弾ませたその横で、メイド――セイチェが鋭い声を差し挟んだ。
「お嬢様、まだ彼の言葉を信じるべきではございませんよ。自分に都合の良いように話しているだけでは?」
その疑念を真正面から受け止め、拓未は小さく首を振る。ため息交じりに、しかし語気を強める。
「おいおい、いったいどうすれば信じてくれるんだ?」
再び視線を交わす二人。そのやり取りの末、少女がふと顔を綻ばせた。何か思いついたとき特有の、あの自信に満ちた表情だ。
「では真鍋とやら。そなた、好きなおにぎりの具はなんじゃ?」
「は?」
「おにぎり。まさかこの世界の住民ともあろう者が、おにぎりを知らぬわけあるまいな?」
突拍子もない質問に、拓未はしばし呆然とする。何を基準にして信用の可否を決めようとしているのか、まるで見当がつかない。
だが、この場の空気から察するに――どうやら回答結果が今後の自分の扱いを左右するらしい。そう理解した拓未は、ほんの数秒思案し、結局は素直に答えることにした。
「よく分からんが。俺は“わかめご飯のおにぎり”が一番好きだ。……これで何が分かるんだ?」
「ほう? わかめ……まだ知らぬ味じゃな。なるほど、セイチェよ。真鍋拓未、こやつはこの世界の住民で間違いあるまい!」
少女の満足げな言葉に、セイチェが反論するかと思いきや――意外にも深く頷いた。
「左様でございますね」
拓未は頭をかきながら、状況を飲み込めずにいた。
「いや、納得してくれたのはありがたいんだけど、俺には何がなにやら……」
「お嬢様はこう考えておられます。
この世界にしかない食べ物――おにぎりの中で、好きな具を即答できるということ。それ即ち、この世界の住民であるという証拠。私も同意見です」
セイチェが誇らしげに説明するのを聞き、拓未は心の中で「正気か?」と呟く。それでも、とりあえず警戒が解けたのなら、それに越したことはない。
「お、おう……それじゃ、俺を信じてくれた上で。もう一度、自己紹介をさせてくれ」
気を取り直して、ひとつ、歩み寄る。
「俺は真鍋拓未、魔法使いの家系に生まれながら、魔法を碌に扱えず、超能力なんてもんに目覚めて、今はある組織に所属している。おたくらのような特殊な存在を護るための組織だ」
そう言いながら、拓未は二人の反応を静かにうかがった。
すると、少女が腕を組みながら――その仕草は小柄な体に似合わぬほど堂々としていて、まるでこの空間すべてを掌握するかのようだった。冷たい石壁に反響する声が、ただの少女ではないことを印象づける。
「そこまで言われたからには、我も名乗らぬわけにはいかないのじゃ。よく聞け、真鍋とやら」
そう告げた彼女は胸を張り、大きく息を吸い込む。ひときわ澄んだ空気が彼女の肺に満ち、言葉となって迸る。
「我はミミア・コルペリオン!
アルトリネアの王族。先代ダームェラの実子、第三の娘」
声は闇を震わせる鐘のように、廃トンネルの奥へと響いていった。小さな体からは想像もつかぬほどの覇気。王族と名乗るだけの矜持が、その一言ごとに宿っていた。
そして、さらに一歩踏み込み、両の瞳を強く輝かせながら続ける。
「宝剣を受け継ぎし、正当なる王位継承者!
彩層を貫き、紅炎を顕し、竜の鱗を穿つ者!」
その声音は宣言であると同時に、世界そのものへ突きつけられた挑戦状のようだった。彼女が誰に向かって語っているのかは定かではない。ただ、己の存在を肯定し、未来に刻もうとする烈しい意志がそこにある。
「世界は我の手にあり! 我こそ王、我こそ魔導を統べるもの、我こそが――ミミア・コルペリオンじゃ!」
声が壁を伝い、低く重く反響する。まるでこの空間そのものが彼女の宣言に共鳴しているかのようだ。
すぐ横でセイチェが両手を合わせ、パチパチパチ……と熱のこもった拍手を送る。忠義を示すように、その瞳は涙ぐんでさえいた。
そんな荘厳な雰囲気の中で、拓未はずれかけたサングラスを指で押し上げる。だが、頭に入ってきた情報量があまりに過剰で、理解が追いつかない。
「――え、なんだって?」
結局、出てきたのはそれだけだった。
理解という回路を脳が拒否したのだ。あまりの堂々たる自己紹介に、むしろ情報が消化できなかった。
「なんじゃ、聞いておらんかったのか。仕方ないやつめ。いいか、よく聞くのじゃ。我はミミ――」
「――いや、それはもういい。聞いてなかったわけじゃい。聞いた上で何を言ってんのか分かんなかったの!」
あっけらかんとした反論が、荘厳な空気を一瞬で吹き飛ばす。拓未の言葉に少女――ミミアは目を丸くし、すぐに肩をすくめて呆れ顔を見せた。
「なんと。残念な頭の持ち主なのじゃな。これだけ丁寧な自己紹介をしてやったのに、理解できぬとは」
唇を尖らせて小馬鹿にするような声音。セイチェもそれに便乗し、鋭く言い放つ。
「お嬢様、暗がりであのような黒眼鏡をかけた男が、そもそも賢いはずがございません」
「ふむ、それもそうか」
二人して頷き合う様子に、拓未は思わず眉をひそめる。トンネルの冷気よりも冷たい無視感が、じわじわと心に染みてきた。
「二人で納得してんじゃねーよ。
そもそも、なんだ、おたくらはこの世界の住民ではないという理解でいいのか? まずはそこから説明してくれよ」
ようやく核心に迫る問いを投げかける。拓未の声は飄々としていながらも、探るような硬さを含んでいた。
ミミアは暫し考えたあと、意を決したのか、徐に語り始める。
* * *
「――と、いう訳なのじゃ」
誇らしげに腕を組みながら、しかし悲しみを含ませて言い放つミミア。その声音は幼さを含みながらも、確かに王族を自称する者のそれであった。
なるほど。
彼女の語ったことが真実であるならば――彼女たちは異世界『アルトリネア』の住民ということになる。
先王ダームェラという男が崩御し、その長兄ティリムが玉座を奪った。だが正当なる王位の証は、目の前の少女が受け継いでいると言う。
ゆえに王宮は分裂し、血で血を洗う抗争へ。彼女に味方した兄弟姉妹は次々と捕らえられ、あるいは粛清され……残されたミミアと、その傍らに立つ忠実なる従者セイチェ。彼女達が命からがら逃げ出した先は、異界――つまりは“この世界“であったと。
そして今もなお、兄であるティリムの手勢が追跡の手を伸ばしてきている可能性が高い、というわけだ。
「ほう……それって、随分と不味い状況じゃね?」
拓未が半ば冗談めかして呟いた刹那、冷ややかな声音がそれを切り捨てた。
「ええ。ですから、あなたごときに、ミミアお嬢様をお助けするなど不可能です」
セイチェの眼差しは鋭い刃のようだった。暗がりの中で金糸の髪が揺れ、その背筋には忠義ゆえの緊張がみなぎっている。
「我々の敵は文字通りの“魔王”です。あなたのことは深く存じませんが、魔法を碌に扱えないとご自身で仰ったばかりではございませんか。よって、我々があなたの保護を受けるという話は、物理的にあり得ないのです」
徹底的に排する言葉。しかし拓未は眉一つ動かさず、逆に肩を竦めて薄く笑った。
「なるほどねぇ。まぁ、確かにその部分だけ聞いてれば、俺は随分と頼りないだろうな。
けれども、俺は少なくともセイチェさん――あんたより強い自信はある。よかったら試してみるか?」
挑発めいた口調に、空気がさらに張り詰める。
セイチェの瞳が細められ、その両手にわずかな震えが走った。怒りか、戦意か、あるいはその両方か。
「……ほう? まさか異界の人間に挑戦状を突きつけられるとは。私も舐められたものです。もちろん、あなたのことを、地に埋めてしまっても構わないのですよね?」
低く響く声は、まるで死刑宣告のようで。
背筋を伸ばした彼女が一歩踏み出すと、足元の砂利がぱらりと音を立てた。
「やれるもんならな」
拓未の返答は飄々としていたが、その瞳には確かな光が宿っていた。いつもの軽口ではない――本気で言っている。
廃トンネルの中に、二人の気配が激しくぶつかり合い、火花のような緊張が散った。




