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PAGE.1.5 脇役


 * * * * * *

 

 ロイエル・セリアルネ。僕の名前。

 僕の人生は、不満の連続だった。


 第一の不満は、現在の領主――トゥレイヤの弟として生を受けたこと。

 

 第二の不満は、魔法に富んだ家系でありながら、僕にはその才が芽吹かなかったこと。

 

 第三の不満は、人民が僕を見向きもせず、誰もが兄を慕ったこと。

 

 そして第四の不満は、僕の恋焦がれたリリアが、兄に奪われてしまったこと。


 今でも彼女らの“婚姻の儀式”を、はっきりと思い出せる。森の神前で、祝詞を捧げる巫女の声。神樹の枝に結びつけられる、純白の布と金糸の房。

 リリアは、誓いの儀にふさわしく美しかった。桃色の髪を風に揺らし、精霊のように柔らかな表情で笑っていた。

 だが、その隣に立っていたのは、自分ではなかった。兄のトゥレイヤが、穏やかに向かい合っている。

 僕は列席者の一人として、拍手を求められた。笑顔で祝福せよと義務を課された。そんな僕の手のひらは、なぜか冷たく濡れていた。

 

 なぜ、自分ではなかったのか。

 なぜ、兄だったのか。

 

 その答えを得ることはなかったが、理解はしていた。

 兄は優秀だった。容姿、力、魔法、そして徳。どれを取っても一級で、文句の付け所がない。それを民は知っていたし、僕も知っていた。リリアもきっと、知っていたのだろう。


 ――だから自分は、選ばれなかったのだ。


 心が、真綿で絞め殺されるように沈んでいった。

 誓いの口付けを交わす二人。夢見た光景を、舞台の外側から見ている自分。思い出すのはリリアと出会ったあの日のこと。今も胸の奥に残っている。


 * * *

 

 あれは、森のはずれにある霊樹の下だった。

 訓練で成果を出せずに一人でうずくまっていたとき、彼女が声をかけてきたのだ。


「大丈夫ですか? 手を、怪我しています……」


 その瞬間だけは、救われた気がした。

 いつも気分が沈んだ時は、“誰にも見つからない“この場所で、一人で、心の安らぎを求めて霊樹に身体を預けていた。そこに迷い込んできたのは、美しい桃色の髪を持つ少女。


「君は……?」


「ごめんなさい、名乗りもせずに。

 私はリリア。あなたのお名前は?」


「僕は……僕は、ロイエルだ」


「ロイエル様……古代セリアルネ語で“花“を意味する言葉ですね。素敵なお名前です。

 でも、なんだか“花“には、清らかなお水が足りていないようにお見受けいたしました。ロイエル様さえ良ければ、どうか、あなたのお話をお聞かせください……」

 

 心の優しい少女だった。涙が出るほど嬉しかった。誰も僕を見ていなかったのに、リリアだけが見つけてくれた。彼女の声は、森の光のように柔らかかった。

 その日から、僕は変わった。変わろうとした。魔力の訓練を重ね、兄に追いつこうと努力した。いつかリリアにふさわしい男になって、告白しようと心に決めた。


 ――けれど、運命は残酷だった。


 彼女は兄に見初められ、王命で嫁がされた。

 誰のせいでもなかった。ただ世界が、僕を“脇役”に据えたのだ。


 ――その日から、僕の胸には闇が灯った。


 兄を憎んだ。

 リリアを奪ったこと以上に、全てにおいて自分を圧倒したその存在が憎かった。

 民の声が、兄の名を讃えるたびに、自分が透明になっていく気がした。


 * * *


 そんなある日。

 セリアルネの森に、ひとりの異邦人が現れた。

 美しい青髪で、その髪色と同じく宝石のような瞳。だが、その瞳に漆のような闇を持つ男。厳かな黒衣を風に揺らしながら、口元だけ笑みを浮かべている。

 彼はその名を、セスと名乗った。知っている。新しい魔王――ティリム・コルペリオンの“弟“だ。


「弟同士、気が合いそうだと思ってね」


 そう言って、僕の前に腰を下ろしたセスは、杯を交わしながらある話を持ちかけてきた。


「君がトゥレイヤを殺せば、君がこの地の領主になれる。

 僕が兄さんに頼めば、間違いない。兄さんの(めい)があれば、正統な長に任命できるよ?」


 最初は冗談だと思った。

 だがセスの目は笑っていなかった。


「君は選ばれなかった。だが、勝ち取ることはできる」


 その言葉が、胸に突き刺さった。

 だが、そんな甘い誘惑の裏には、僕を傀儡にするためのセスの策略があるに違いない。簡単に話に乗っかってやるものかと、思考を振り払う日々。僕はいつしか、すっかり笑わなくなった。

 森の木々が揺れても、鳥が囀っても、心は一向に晴れなかった。

 昼は兵としての訓練に打ち込み、夜はひとり黙々と魔法の式をなぞる。努力を重ねても才能は開かず、兄には及ばないことを思い知らされるばかりだった。

 民はこんな僕に一瞥もくれない。広場に現れると皆が目を逸らし、笑顔の会話は途切れる。幼い子どもですら、兄を見つけると駆け寄っていくのに、自分の姿を見れば怯えて母の後ろに隠れる。

 

「……なぜだ。何がいけなかった」

 

 問いは、夜の霧に溶けて消えるばかりだった。

 次第に、人が眠る時間を選んで街を歩くようになった。誰にも会いたくなかった。誰にも見られたくなかった。

 だが、ただひとつ、胸の奥に未練が燻り続けていた。


 ――リリア。


 兄に嫁いでからというもの、彼女と長く言葉を交わすことは叶わなかった。時折、彼女が子どもたちに絵本を読み聞かせている声を、廊下の陰から聞き耳を立てた。

 柔らかで、優しくて、変わらず美しい声だった。


 彼女は自分にとって、唯一の「希望」だったのだ。

 

 それを兄は奪った。力で、立場で、そして……運命の名のもとに。彼女の優しい声を独占したのだ。

 

(――兄さえいなければ)


 その言葉が、いつしか呪いとなった。

 眠る前に、目覚めの最初に、その言葉を胸の中で繰り返した。


 兄がいなければ、リリアは自分を見てくれた。

 兄がいなければ、民も自分を認めてくれた。

 兄がいなければ、自分の人生はもっと――まともだったはずだ。


 セスの言葉が、頭に響く。

 分かっている。ここで兄を殺したとしても、誰も自分を認めてはくれない。

 分かって、いるはず。だというのに、殺意が、衝動が、日に日に大きくなるばかり。兄さえいなければ、全てうまく、うまくいくはず……!


「――大丈夫、うまくいくさ」


「お前は……」


 夜の街に再び姿を現わしたのは、黒衣を纏ったあの男――セスだ。彼は不気味な笑みを顔に貼り付けて、やけに頭の奥に響く声でこう言った。


「僕の魔法はね、人の記憶をすこ〜しだけ、改竄することができるんだ。大人数は無理だけれど、君がうまく事を運べば、それを事故だと思わせることは可能だよ?」


 僕は、その言葉を聞き、思った。

 ああ、それなら、何も問題ないじゃないか。


 * * *


 そして――運命が巡る。

 

 兄のトゥレイヤが“門”の完成を宣言し、異界へ向かうその時。儀式の場に集まった長老たちと、整列する精鋭の兵達の前で、僕はひとつの『役』を与えられた。


「不在の間は、この地の長として、ロイエルに代理を任せる。皆、彼に従ってくれるように」


 その言葉に、一瞬だけ周囲の空気がざわついた。だが兄の眼差しは真っ直ぐで、民たちはやがて静かに首を縦に振る。何の疑念も抱かぬまま。


「兄上のご命令、謹んでお受けいたします。我が身、命尽きるまで森に捧げる所存」


 こんな僕を信じてくれるならば、都合がいい。

 いつだったか遠目に見たことのある、兄がこの地の長を引き継いだ時のことを思い出して、それを真似た。

 

「お前も、立派になったな」


 他の誰にも聞こえないくらいの小さな声で、兄が囁く。

 その一言に、胸が焼けた。

 

 なぜ、いまになって。

 なぜ、こんなにも優しい目で、僕を見るのだ。

 

 けれど、もう引き返せなかった。

 左袖に忍ばせた短剣の柄に、汗ばんだ指を這わせる。これは自分のための決断。人生を取り戻すための、正当な“奪還”だ。兄の背に歩み寄り、一瞬の隙をつく。胸元に狙いを定めて――あと、数歩!


(これで、終わる……!)


 握った短剣が、鋭く唸る。

 刃に宿した魔力が、対象の生命を喰らうため脈打つ。

 兄の背が、目前に迫る。

 今――この瞬間に、己の憎悪を全て込める。

 躊躇いなど必要ない。


 その刹那だった。


「トゥレイヤ様!」


 愛らしくて、美しい声。

 それが、すべてを狂わせた。

 兄の背中を見据えていたはずの目。その視界に映ったのは、桃色の髪の少女――リリアだった。

 刃は既に抜かれていた。もう引き戻すことなど叶わない。突き出した腕が、己の意志に関係なく進む。


 衝撃。

 刃が、柔らかな何かを貫いた感触。

 時間が、止まったようだった。


 ……紅。血。ぬっとりとした何かが手に絡み付く。

 そして僕の視界を、色濃く染める。


「リ……リリア……?」


 その名を呼んだ唇が、震える。

 リリアは、崩れ落ちるように地面に倒れ込み、その身を紅に染め上げた。

 自分はいったい、何を、してしまったのか。殺したかったのは兄だった、憎んでいたのも、奪われた想いの果てにあったのも、兄だった。


 けれど――なぜ、彼女が。


 足元が崩れ落ちるようだった。膝が砕け、地に伏した。

 その場に集まった者たちの声が、遠くで木霊している。


 「姫が……!」「なぜ……!」「リリア!」


 兄が何か叫んでいる。だが、その声がなんと言っているのか、まるで聞こえない。この場に自分が居ないかのような感覚。


 そして――“門”が開く。


 空間が歪み、咆哮のような音が鳴り響く。

 リリアの血が、陣に注がれるように流れ込み、儀式の意図を狂わせていく。

 その瞬間、兄の叫びが耳を貫いた。絶望に顔を歪めた表情。そんなものを見るのは初めてだった。これは間違いだ。自分は、間違ったのだ。けれど、もう遅い。


 “門”が、自分と、そして血に染まった愛おしい人を飲み込む。この世界から引き裂かれるような感覚。こんなのは間違いだ。間違い……いや、これが運命だとしたら。


 ――ああ、そうか。


 これで二人きりになれるじゃないか。




 


 


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