18話 勇者、再び
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魔法の練習を始めてから3日ほど経過した。
日曜日の夜は酷かった。あまりに没頭してしまったため、課題を終わらせていないことに気付いたのが夜中。そこから徹夜で課題を終わらせたため、睡眠不足となり講義中にうたた寝をしてしまった。
無論、そんな事情など知らない教授から、皆の前でこっ酷く叱られたものだから、これじゃ何のために課題を頑張ったのか分からない。
そんな恥ずかしい思いをしながらも、なんとかその日を乗り切り、家に帰っては魔法の練習に励み――数日経って、本日に至る。
「はぁ……」
つい溜息が溢れでるのも仕方ないだろう。
そんな私に、ふいに語りかける声が届いた。
「そんな顔してると、余計に幸が逃げていくわよ」
肩越しに振り返ると、そこには渡代園香の姿があった。変わらぬ優美な立ち姿に、目元にはどこか余裕のある笑みを浮かべている。
あれから、私は彼女を意識して避け続けていた。いや、正確に言えば、怖気づいていたのだ。あの不可解な力、あの存在感、あの――圧に。
その彼女が、なぜ今、私のところへ?
怯えながら「何のようですか」と、丁寧を装って問う。
すると渡代さんは、私の机にそっとチョコレート菓子を一つ置いた。
「語ちゃんにご褒美よ。私の言いつけを守って、私のことを誰にも話さないでいたから」
そう言って、にこりと笑う彼女。その笑顔の中に込められた意味を、私は図りかねる。
「……というか、友達がいないのね、あなた。私の心配は杞憂だったかな」
さらりと放たれた一言に、心臓が跳ねる。なんとも酷いことをあっさり言いのける渡代さん。
だが、それは彼女にとって悪意などではなく、純粋な観察結果の提示なのだろう。無邪気な残酷さというのは、時として悪意よりも鋭く人を傷つける。
私は少し戸惑いながらも、机の上のチョコレート菓子を手に取り、小さく礼を言った。
「あ……ありがとう、ございます……」
そして思い出す。渡代さんには、神フラダリの力により、私に関する全ての情報が改竄されている状態で伝播しているということを。
つまり、彼女は本気で私を『監視』しているつもりなのだ。いったい、どのように情報が伝わっているのかは定かでないが、彼女の発言から考えるに『ぼっち生活を満喫する語』の姿が送り届けられていることは想像に難くない。
(まぁ、どっちにしても、本当に話す相手がいないんだけど)
私は自嘲気味に笑った。その空虚な笑みに、渡代さんは少し眉をひそめて、それから呆れたような口調で言った。
「良かったら、私と友達になってみる?」
「え……?」
一瞬、耳を疑った。まさか彼女の口から「友達」という言葉が出てくるとは。あまりにも予想外すぎて、言葉が喉につかえる。
友達は多ければ多いほど良い、という話を聞いたことがある。でも一方で、深く狭い付き合いの方が尊い、という意見もまた耳にしたことがある。
そこで思い起こされるのはピンク髪ツインテールの少女だ。先日、ミミアという異世界から来た少女と友達になったばかりだ。だから、私はもう“ひとりぼっち”ではない。無理して、渡代さんと友達になる必要なんて――ない。……はずなのに。
いや、怖い。あまりにこの人が怖すぎて、断る勇気が出なかった。
渋々、「うん」と小さく頷くと、彼女は満足そうに微笑んだ。
その笑みの裏に、何を抱えているのか。いったい何を考えて、彼女はこんな私に「友達になろう」と言ったのか。検討もつかない。それゆえに、余計に不安が募る。
――ふと、思い出す。
私はまだ、彼女の“役力”を見ていなかった。少しだけ視線を上げて、こちらを見下ろす彼女の姿をしっかりと捉える。冷静に、静かに、その内側を探る。
私の視界に、彼女の情報が明確に浮かび上がった。
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渡代園香
【勇者】50rp
:全ての能力において大きなプラス補正
※聖剣保持者
【ヒロイン】30rp
:ヒロインとしての行動と運命にプラス補正。
【巻き込まれ体質】20rp
:様々な物語に巻き込まれやすくなる体質
【カリスマ】15rp
:周囲のものを導き魅力する力を持つ。
【サディスト】10rp
:他人に苦痛や屈辱を与えることに快感を感じる。
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目を凝らすほど、背筋に冷たいものが走る。
(勇者……やっぱり渡代さんは、勇者だったんだ……いや、勇者って何のことか分からないけど)
その響きに神々しさを感じるのは、きっと、私たち人間に『勇者』はある種の正義の味方であるという、漠然としたイメージが根付いていることが原因だろう。
しかし、そんな勇者の役力の最下段――『サディスト』という単語の異質さ。その落差に、私は一瞬、目眩を覚えた。
こんなにも相反する特性を一人の人間が持ち合わせているという事実が、私の理解を超えていた。
渡代さんは、ただの優等生などではなかった。“何かを背負った存在”なのだ。そしてサディストでもある。……意味が分からない。
(ほんと、何なんだろう、渡代さんって……)
私はチョコレートをぎゅっと握りしめた。まだその甘さに触れたことのない小さなお菓子は、きっと少しだけ苦いに違いない。
渡代さんが、ふと考える素振りを見せる。長いまつげが伏せられ、静かに思案するその姿は、一見すれば優雅で繊細な少女のものだ。
「そうだ」
唐突に手を叩く。
小さな音なのに、なぜか鼓膜の奥にまで響いてくるような強制力を孕んだ音だった。
「せっかく友達になれたんだし。ほら、ゴールデンウィークが近いでしょう? 仕方ないから、私が里帰りするのにつき合わせてあげるわ。どうせ暇でしょ?」
――え?
耳にした言葉の意味が分からず、思考が止まる。何を言っているのか理解できなかった。理解したくなかった。
しかし脳が意味を把握するより早く、彼女の中ではもうすべてが既定路線として成立していた。渡代さんは、まるで私の都合など眼中にないというふうに、すでに次の行動に移ったのだ。
「決まりね。また詳細は連絡するから、スマホ出してくれる? 私のアカウントを登録しておくから」
有無を言わせぬ口調。選択肢など最初から存在していない。というか渡した覚えのない私のスマホが、彼女の手の中にあった。
「え、いや、その、私は……ゴールデンウィークは、親との約束で実家に帰らないと……」
それは本当だった。
今年度からの一人暮らし。その条件として、ゴールデンウィークには一度家に帰り、しっかりと家族で過ごすこと。それが両親から言い渡されたものの一つだ。
それを言い終えるか終えないかのうちに、渡代さんの顔がふっと変わった。
「ふーん、私との約束より、親を取るんだ? 友達である私より、ね。へえ?」
挑戦的な笑みが、すぐ目の前にあった。冗談か本気か、判別不能な絶妙な温度。だがその目の奥に宿る光は、冗談では済まされない気迫を孕んでいた。
(ずるい……)
私は唇を噛む。この人は、私の弱さを知っている。人との距離感に戸惑い、断る勇気のない性格を、何となく嗅ぎ取っているのだ。だからこうして、無理やり巻き込んでくる。
だが、それに反論できるだけの言葉は、やはり私の中には見つからなかった。心が小さく音を立てて崩れる。私は首をぶんぶんと振りながら、屈服するように口を開いた。
「いえ! 親には連絡しておきます! 友達と遊びに行くからって!」
自分でも、情けない声だと思った。けれど、渡代さんは満足そうに頷いた。
「良い心がけね。楽しみにしているわ!」
にっこりと笑う彼女。その笑みの裏側に、どこまでが冗談で、どこまでが本気なのか。私は見抜けなかった。
そのまま渡代さんは、自分のスマホを取り出し、画面をこちらに見せながら操作を始めた。
「はい、これが私の連絡先。もう登録しているけれど。ちゃんとこの場で覚えてね。既読スルーは許さないから」
どこまでも強気な物言いに、私はただ頷くしかなかった。まぁ、覚えるも何も、連絡先の登録情報は現在、両親とアパートのオーナー、そして渡代さんしかいない。
こうして私は、ゴールデンウィークの予定を、渡代園香の里帰りに同行するという、不可解で不穏な旅へと書き換えられてしまったのだった。
それが後に、私の運命をさらに深く歪めていくことになるとは、この時の私は知る由もない。




