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14話 魔術師の憂い


 * * * * * *


 

「今夜は少し冷える」


「いえ、わたしはとっても温かいです!」


 べっとりとしがみ付いて離れてくれないチケを横目に、シャンカイは溜息を落とした。

 ここは彼が持つ拠点の一つ。山奥にひっそりと建つ木製の小屋で、魔法により常に清潔さと安全が保たれている。


「ボクは薪に火を焚べてくるから、チケさんはそこに座っておいてくれるかい」


「そ、そんな、どこにも行かないでください、シャンカイ様!」


 なんと女々しいことか。わずか数メートルも離れることを許されないとは。シャンカイはいよいよ面倒な気持ちを隠せなくなり、少し言葉を強くする。


「チケさん、いい加減にしないか。このままでは、その、ボクが小用を足しにいく際にも着いてくる気かい?」


 あまりに強く言って彼女を傷つけないように、慣れない冗談も挟んでみる。しかし、やや下品な冗談を口にしてしまい後悔する。

 だが、チケには上手く伝わっていないらしい。彼女はきょとんと目を丸くした。


「小用……?」


 純粋なのか、天然なのか。

 シャンカイは自分の下品な言葉を説明しなければいけなくなる。

 

「…………その、便所のことだよ」


「着いていっても良いんですか!」


 何故そうなる。シャンカイは額に手を当てて、小さく首を振った。どうやら目の前の少女が自分に惚れ込んでいるらしいことは理解している。しているつもりだが、


「ここまでとは」


 度が過ぎている。

 そもそも知り合って間もない男女が恋に落ちるという感覚が、シャンカイには理解できない。そういうものをはもっとお互いを知ってから、ゆっくりと育むものであると考えているからだ。

 つまり、目の前の少女は雰囲気に飲まれて、自分を好きであると勘違いしている状態にある。そういう解釈を脳の中で組み上げている。


「ではお姫様、ボクはあなたが風邪をひいてしまわないか心配なんだ。だから火を付けるまで、少しの間待っていてくれるかい?」


「――ッ! シャンカイ様……分かりました!」


 なんだ、案外扱いやすいではないか。

 シャンカイは実のところ、そんなに異性の扱いに慣れているわけではない。ゆえにチケの扱い方にも困っていたが、それが少しずつ見えてきた気がする。

  シャンカイは一歩一歩、肌寒い空気の張り詰めた小屋の奥へと歩を進めた。重ねられた薪の山から乾いたものを選び出すと、暖炉の灰を軽くかき分け、そこに木片を丁寧に組み上げていく。指先が静かに魔法の印を描くと、小さな火種が瞬き、薪の隙間に宿った。

 やがて火は柔らかな呼吸のように膨らみ、乾いた木を舐めるように燃え上がった。

 小屋の中が、じわじわと橙色に染まりはじめる。冷たい夜気に縮こまっていた空気が、まるで目を覚ましたように揺らぎ、暖かな吐息となって満ちていく。


「さあ、こっちへ」


 シャンカイは椅子を一つ、暖炉の前へと引き寄せた。もう一つの椅子には、いつの間にかチケがちょこんと腰掛けている。彼女は火の灯りに照らされ、頬をほんのりと染めていた。先ほどまでの必死な様子とは打って変わって、どこか落ち着きのある眼差しで炎を見つめている。


「それでお姫様は、どこから来たんだい?」


 薪がぱちりと爆ぜた音が、沈黙を切り裂いた。チケはびくりと肩を震わせ、何かを躊躇うように視線を落とした。やがて唇を少しだけ噛み、火を見つめたまま静かに言葉を紡ぎ始める。


「……秘密にしないといけないことなんです。本当は」


「ほう」


「でも、シャンカイ様なら……たぶん、大丈夫だと思うんです。信じられるって、そう思ったから」


 その言葉に、シャンカイは眉をわずかに動かした。だが何も言わず、彼女の語りをただ待った。


「わたしは、未来から来ました。

 この時代より、そう遠くはない八十年後の世界から」


 炎がその瞬間、静かに揺れた気がした。シャンカイの目がわずかに見開かれる。


「わたし達の時代では、『厄災』と呼ばれる大きな災いが起きて、世界が壊れかけています。空は灰に閉ざされ、資源は尽き、みんなが生きるために苦しんでいるんです」


 チケの声が震えた。だがその目は、真剣な光を帯びていた。


「そんな未来を変えるために、わたし達は立ち上がったんです。過去へ戻り、災いの始まりを調べて、それを止める。そういう計画――『T-Vector計画』が始まりました」


「T-Vector……それが君をこの時代に運んだものかい?」


 チケは頷いた。


「はい。わたしはその調査員のひとりで、もう一人、先輩のカリスタさんと一緒に来たはずだったんです。

 でも……着いたときには、わたし一人で。たぶん、機械の故障だと思うんですが……気づけばこの時代に、一人きりで」


 言葉の端に寂しさが滲んだ。シャンカイは無言で彼女の横顔を見る。

 まぁ、その機械の故障というのは、彼女が『T-Vector』の排熱部に炭酸飲料をぶっかけたことが原因なのだが。それはシャンカイの知るところではない。


「それで……彷徨っていたら、昼間、あの少女に会ったんです。最初は優しそうに見えたのに、突然襲われて。魔力反応があまりにも大きくて、わたし、直感したんです。彼女が『厄災』に関係してるかもしれないって」


 その言葉に、シャンカイは静かに目を閉じた。そして、炎を見つめながら口を開いた。


「……彼女は確かに、並の者ではない。膨大な魔力の持ち主であることは、ボクも認める」


 言葉の切れ目で薪がくすぶる音が重なった。


「でも、それだけじゃない。ボクは彼女に匹敵する、あるいはそれを超えるほどの力を持つ者を他にも知っている。だから、彼女だけが特別とは思わない」


「え……?」


「強い力を持つ者がすべて、厄災の源であるとは限らない。逆に、その力が世界を救うことだってある。君には、それを見極める目が必要だ」


 炎の光が、彼の横顔を照らす。そこには、静かな信念と、長い時を生きた者だけが持つ諦観とが、確かに宿っていた。


「……すみません。わたし、焦ってたのかもしれません」


 チケは俯き、小さく呟いた。その肩に、シャンカイがそっと毛布をかける。


「夜は長いよ、お姫様。急がなくても、道は見えてくる」


 彼の言葉は、まるで火にくべられた薪のように、じんわりとチケの胸を温めていった。

 シャンカイは思案する。確かにあの昼間の少女は異様なほど強い力の持ち主であった。そして恐ろしいほどまでに、弱い者を痛ぶることに躊躇いがなかった。どう考えても悪役そのものなのだが……


(綺麗な魔力の持ち主だった。あれほどまでの輝きを秘めた魔力の持ち主が、悪い人であってほしくない)


 それが彼の本音だった。

 さて、それよりも今は一つ気になることがある。


「チケさん、未来では『鬼』と呼ばれるものが確認されたことはなかったかい?」


「え、鬼……ですか?」


 チケが首を傾げる。聞き慣れない単語に戸惑っている様子だ。

 それを見て、シャンカイは静かに頷く。彼はまるで昔話を語るように、ゆっくりと口を開いた。


「そう。鬼――人の形をしてはいるが、もはや人ではない。己の欲望と呪いによって魔物と化し、飽くことなく人を喰らい、魂を穢し、世界に災いをもたらす存在だよ」


 チケは一瞬言葉を失ったように瞳を見開いた。だが、やがてごくりと喉を鳴らし、そっと問いかける。


「その……そんな存在が、この世界に本当にいるんですか?」


「いるとも。そうでなければ、ボクの旅には意味がないからね」


 そう言って、シャンカイは背もたれに身を沈め、窓の外を見やった。夜の帳が森を覆い、星のまたたきさえかき消されるほどの深い静寂が小屋の周囲を包んでいる。


「ボクは、魔術師として生きてきた。生まれた村には、昔から一つの役割があったんだ。

 それは、世界中に点在する封印を維持すること。鬼たちを眠らせ、再び世に出ぬよう見張り続けることだよ」


「封印……?」


「そう。鬼は完全に滅ぼせる存在ではない。一度世に出てしまえば、力を増して『黒鬼』へと変貌し、街を、国を、文明そのものを喰らい尽くす。過去にそれが実際に起きた……伝承ではそう記録されている」


 チケは小さく息を呑んだ。


「黒鬼……」


「強大な魔力を持ち、封印を突き破って蘇った鬼が、人の世に姿を現す。それを『厄災』と呼ぶ者もいる。……だから、君の時代に起きたという悲劇が、もし鬼に起因するものだとすれば――」


「……それが『厄災』と同じものかどうか、わたしには分かりません」


 チケは俯きながら答えた。その声には悔しさが滲んでいた。


「わたし、任務には就いてますけど、階級でいえば一番下っ端なんです。『T-Vector計画』がどうやって過去へ飛ぶのかも詳しくは知らないし、厄災についても、大雑把な情報しか聞かされていません」


「……そうか」


「でも、もしそれが鬼のことなら……知りたい。詳しく知って、今できることがあるなら、ちゃんと考えたいです」


 その目に、迷いはなかった。

 シャンカイは静かに微笑み、立ち上がった。暖炉の前に立ち、チケを見下ろすようにして言う。


「なら、決まりだね。ボクの故郷へ戻るとしよう。

 そこには鬼に関する記録が眠っている。古い魔術の書、口伝で継がれた伝承、封印の仕組み……すべてが揃っている」


「……いいんですか?」


「君が知るべき時が来たということだろう。なにより、こらはボクの使命にも関わる重要な案件だからね。

 鬼を封印し続けることが使命だけれど、その本質は世界の平穏を守り続けること。『厄災』の正体がなんであれ、ボクはそれを放置することができない」

 

 再び、炎がぱちりと爆ぜた。

 チケは立ち上がり、まっすぐにシャンカイの目を見た。


「ありがとうございます、シャンカイ様。わたし、ちゃんと見極めてみせます。何が正しいのか、どこまでが許されるのか……自分の目で、ちゃんと」


 その言葉に、シャンカイは頷いた。

 外では風が鳴き、夜が深まっていく。だが、小屋の中の空気はどこまでも静かで、どこまでも温かかった。

 そして、二人の旅は新たな段階へと進み出そうとしていた。

 

 


 

 


 

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