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1人目の客人

 ジェシカ・ライゼルの鋭い視線は先輩の姿を視界に捉えた途端に、大きく見開かれた。

 

「あなたが……ロード・ライムント!」

 

 ロードとは貴族子息へ使われる一般的な敬称で、敬意と親しみを込めてライムント先輩のことをそう呼ぶ生徒は少なくはない。

 

「ジェシカ嬢、先生のお引き立てとはいえ、お会いできて光栄です」

 

 真紅の瞳が蜂蜜色の日差しの中で穏やかな笑顔を作る。

 対するジェシカの頬は血色を帯びて、笑顔に心奪われたかのように差し出された手に自分のそれを添えた。

 見目麗しい男女が見つめ合う姿は正しく絵になる光景で、私も思わず見とれてしまった。

 

「学校にサロンができるというから、どんなものかと思っていたけれど……これは推せます!!!!」

 

 室内の調度品を目にしてから段々と高まっていた彼女の興奮が、どうやら先輩を目にしたことで最高潮に達したらしい。

 

「お堅そうなマグノリア先生のことだから正直、期待していなかったの。だけど、こういうことなら話は別っ!! ……学園の端、木立を抜けた先にある瀟洒な書斎は温かくも歴史ある装飾品で飾られ、そこで客人を迎えるのは『リーデルベルク寄宿学校』の監督生がひとり、白皙の美貌と名高いロード・ライムント!」

 

 一息にそこまで言い終えると、ジェシカは先ほどよりも紅潮した顔で再び先輩を頭から足の先まで観察する。

 

「噂には聞いていましたけど、ここまで魅力的な方だとは思わなくて……ああ、こんな夢のようなサロン、女子は全員来たいに決まってるじゃない!! ほら、貴方もそう思うでしょ!?」

「は、はいっ!?」

 

 いきなり話を振られ、脊髄反射で同意する。

 そんな客人を前に、さすがの先輩も困ったように首を振ってみせた。

 

「弱りましたね。褒め言葉もそこまでいくと素直に受け取っていいものかどうか……」

 

 そう言う口元には、なぜか先ほどよりも濃い笑みが刻まれている。

 

(そ、そっちの困惑!? この人、絶対に自分の顔が良いことをわかってる……!)

 

「立ち話もなんです。こちらへ」

 

 先輩は涼しい顔で窓際のソファに腰掛けた。

 白枠の窓から差し込む柔らかな陽光がその顔にほんのりと陰影を与えている。

 紅い瞳が一瞬気だるげに伏せられたかと思うと、おもむろに脚を組む。

 そして、客人へ向けて穏やかな声で「どうぞ」と手招きした。

 

 その仕草全てが無駄のない洗練された動きで、もしここが本物の社交場であったなら貴婦人のひとりやふたり卒倒していたかもしれない。

 

(やっぱり、自分の見せ方わかってる!!)

 

 同時にジェシカの誉め言葉に気をよくしているのがありありと伝わってきて、本当にこの人は女性からのおだてに弱すぎると思う。

 けれど、今の私は監督生の補佐。

 色々と突っ込みたいことをぐっと我慢し、すっかり先輩に見惚れているジェシカと当の監督生へ紅茶を注いだ。 

 

「この香りはヴァローナ茶……王室御用達の高級品ね。このティーセットは独特な金彩からしてアルダーン窯の物……。なるほど、これだけの書斎なら立派な陶器を多数保管していても不思議ではないわ」

 

(こっちもこっちで、一瞬で茶葉と陶器を見破ってる……!)

 

 ジェシカ・ライゼル――先輩によるとライゼル商会という小さな商会の令嬢らしい。

 ライゼル家はかつて四大貴族のうちのひとつと取引があり、その縁で爵位を得たという。

 実家の事業の影響か、その審美眼は確かなもののようだ。

  

「お気に召していただけましたか?」

「ええ、もちろんです! ロード・ライムント、どうかこちらのサロンに投資させてください!!」

「と、投資!?」

 

 先程から予想もつかないことばかり起こっているけれど、さすがに叫んでしまった。

 貴族というものは基本的に商売を嫌う。

 貴族にとって重要なのは歴史ある血筋と守るべき領地――これらは、あらゆる行動の対価に金銭を求める“商い”という営みとは正反対で、だからこそ商人を卑しき者として軽蔑する傾向がある。

 それにも関わらず、貴族であるジェシカの口から出た「投資」という単語は私に少なからぬ衝撃を与えた。

 

(ということは、さっきのライムント先輩への熱い視線も投資価値が見込めそうで興奮してたってこと!?)

 

「随分と性急ですね」

 

 しかし、革張りのソファにゆったりと腰掛けたままの先輩は眉一つ動かすことなく落ち着き払っていた。

 

「貴女は我がサロンの最初のお客人。このサロンが今後どうなるか、判断するのは時期尚早では?」

「始まったばかりというなら好都合です。ライバルがいない今こそ商機と見ました」

「ふっ……いいでしょう。ただし」

 

 先輩はそこで言葉を切った。

 窓の向こうでは新緑と木漏れ日とが踊る様に揺れている。

 

「まずは貴女のご相談を聴かせてください。先生は貴女を心配しておられます」

 

 マグノリア先生は彼女について多くは語らなかったけれど、こうしてライムント先輩と引き合わせたということは、それなりに気にしているのは間違いない。

 そして、先輩なら何とかしてくれるだろうと信じているのではないだろうか。

 

(ジェシカの悩みを解決することと、マグノリア先生からの信頼に応えること……補佐としてしっかり手伝わなきゃ!)

 

 できなければライムント先輩とアイザック先輩は書斎の使用権を奪われるかもしれないし、監督生としての評価にも傷がつく。

 成り行きで補佐を引き受けたとはいえ、それだけは避けたい。 

 ライムント先輩の幾分真面目な声にジェシカもはっとして、恥じるように肩をすくめる。

 

「し、失礼しました! つい気が急いて恥知らずなことを……。どうかご容赦くださいロード・ライムント」

「畏まる必要はありません。それと、私のことはライムントと」

「……ありがとうございます、ライムント様」

 

 落ち着きを取り戻したジェシカは、どこから話したものかと視線を彷徨わせる。

 

「私の相談は……ありきたりですが友人について、です」

 

 ようやく相談の本題が始まり、彼女の話をしっかり聞き留めようと私も先輩の隣に腰掛けた。

 

「ご友人との関係に何か心配事が?」 

「はい……友人ができると、なぜかすぐに疎遠になってしまうのです。特に仲違いをしたわけでもないのに……」

 

 ポツリと零れた呟きは、同年代の学生たちが集まる学校ではありがちな悩みではある。

 けれど、言葉を絞り出したジェシカの表情からは普通とは違った深刻さが伝わってきた。

 女子特有の微妙な距離感を思って、自然と心が痛む。

 

「あの、ゆっくりでいいので、お話しいただけますか……? ここでの会話を外部に漏らすことはありませんから」

 

 先輩も黙って首肯して見せる。

 

「私の家は元々、四大貴族の一角――ラスマズルド家お抱えの商会として爵位を賜りました」

 

 ラスマズルド家はかつて隆盛を誇った一族だが不運な事故によって断絶してしまい、今は継ぐ者のいない空位となっている。

 当時、御用達商会であったライゼル商会は突然の訃報にあらゆる意味で衝撃を受けたという。

 そして、訃報に悲しむ間もなく、商魂たくましい他の商会によってあっという間に勢力図が塗り替えられていっただろうことは想像に難くない。

 

「そうして、父が商会を継ぐ頃には、すっかり財政難に陥っていたのです」

「ラスマズルド家のことは国中に影響が及びましたからね。しかし、最近ではライゼル商会の話もよく聞くようになりました。現在の事業は安定しているのでは?」

 

 先輩の言葉には気遣うような響きがあり、ジェシカにもそれが伝わったのか彼女は少しだけ顔を上げた。

 

「はい。父は家の為にも大陸から資産家の母を迎え入れました。そのおかげでなんとか。……もっとも、そのことが私の悩みの種でもあるわけですが」

 

 そう言ってジェシカは長い髪を耳にかけて小さく溜息を吐く。

 最初は気の強そうな人だと思っていたけれど、微かに震える指先を見るに、意外と繊細な神経の持ち主なのかも知れない。

 

「今お話したようにライゼル家は歴史も浅く、お金のために大陸から嫁を迎えた……謂わば新興貴族です。だからこそ、私は幼い頃より貴族の令嬢としての立ち居振る舞いを学んできました。この学校に入ったのも、旧来貴族の皆様との交流を深め、貴族としての教養を身に着けるため」

 

(同じ貴族の中でも新興貴族は成金貴族なんて呼ばれて差別されることもあるくらいだから、この人も苦労しているんだろうな……)

 

 様々な条件はあるものの、爵位をお金で買えるようになったことで最近では貴族の中でも新興貴族の台頭が目覚ましい。

 それに対して旧来の貴族は彼らのことを「お金はあるが歴史も誇りもない貴族」だと見下すことがあった。

 商いを行う新興貴族となれば、他の貴族からのやっかみや嫌がらせなど、枚挙に暇がないことだろう。

 

(万年財政難のうちの実家に比べれば、ちゃんとお金を稼げる新興貴族のほうが立派なんだけど……)

 

 いくら旧来貴族であっても、貧乏であれば体裁を取り繕うのにとても苦労するのだ。

 

「……貴族の端くれとして、耳の痛い話です」

 

 先輩の表情は薄衣のような微かな憂いを帯びていた。

 この場で最も高貴な身分の彼は、ジェシカのように不当な差別を受けたこともないはずだ。

 それでも、無関心で突き放したり過度に憐れんだりすることもなく、寄り添おうとする意志が感じられる。

 

「この学校は身分に捉われない教育を理念に掲げてはいますが、生徒の中の階級意識は根深い。貴女のような方が前向きに学校生活を送ってくだされば、それはきっと同じ境遇の方々の希望になることでしょう」

「はい、私もそうなることを願って頑張ってきました。でも、次々に友人が離れて行くなんて……家柄とは別に私自身に致命的な欠点があるのではないかと思ってしまい……」

 

 私は震える声にすかさずハンカチを差し出す。

 けれど、ジェシカは小さく首を振った。

 

「ありがとう。でも、結構よ」

 

 それは強がりではなく、ましてや平民の監督生補佐を嫌ったわけでもないとすぐにわかった。

 彼女は深く呼吸すると気持ちを整えて、再び背筋を伸ばす。

 

 ――どんなときでも取り乱すことのない鉄の自制は貴族の品位を示し、それがその人の威厳となる。

 これは私が幼い頃から教えられてきた貴族の在り方だ。

 ジェシカの志は正しく貴族そのもので、そこまで自分を律している彼女に心底感心する。

 

(こんな人に友人が離れて行くほどの欠点があるのかな。もしかしたら、何か他の理由がある……?)

 

 ライムント先輩のほうをうかがうと、いつかのように目を閉じて記憶を探っているようだった。

   

「……あなたの友人というのは三名おられませんでしたか?」

「っ! まさか、ご存じなんですか……!?」

「いえ、校内で貴女と一緒にいるのを見たことがあるだけですよ。最初はミレナ嬢、次はリシェル嬢、そして先日見かけたのはフレイヤ嬢だ」

 

 ここ数日の空模様を思い出すくらい軽い調子で話す先輩に、正面に座るジェシカは驚ききった表情で固まる。

  

「その通りです。ある日突然ミレナから避けられるようになって、落ち込んでいたときに声をかけてくれたのがリシェルでした。ですが、すぐに彼女も私から離れるようになって……。今、私が友人と呼べるのはフレイヤだけ。……本当に情けない話です」

 

 悲しそうなジェシカの話に、そういえば私にも特別仲の良い生徒はいなと思う。

 目的があってこの学校へ入学したけれど、それとは別に友人のひとりやふたり作ったところでバチは当たらないはずだ。

 

(本当なら寮の同室相手と仲良くなるものだけど)

 

 ルーデンス伯の取り計らいなのか、男装している秘密を守るため、私は男子寮の一人部屋である屋根裏部屋をあてがわれている。

 何年も使われていなかった部屋は埃だらけで掃除をしなければ満足に生活できない有様だ。

 書斎でも掃除、自室でも掃除。

 このままでは掃除するために入学したことになってしまいそうだった。

  

「そういえば、同室の方はどなたなんですか? せっかく一緒の部屋なんですから、その方と友人になってみては?」

 

 瞬間、ジェシカの纏う空気が一層重くなる。

 

「私の同室者は……由緒正しい名門貴族の方で……」

「まさか、その方から嫌がらせをされているとか?」

「いえ! そういう方じゃないの。いつも、気軽に話してほしいと言ってくださっていて……!」

「だったら、お言葉に甘えてみればいいじゃないですか」

 

(名門貴族と仲良くなれればジェシカの立場も安泰なはず……って、それは私もか)

 

 もしジェシカがそういった形ではなく、あくまでも自分自身の力で周囲に認められたいと願っているのなら同室相手の申し出を受け入れることは難しいのだろう。

  

「正直な話、何度も相談しようと思ったわ。でも、あの方を前にするとその……気圧されてしまうというか……」

「貴女のような真っすぐな方が尻込みするような女子生徒ですか。一体どんな方でしょう?」

 

 興味深そうに膝上で指を組んだ先輩に問われ、ジェシカは観念したようだった。

 

「エノーラ・リーズベリーです。あの、城塞都市リーズベルトを領地に持つ」

「…………え」

 

 聞き覚えのありすぎる名前に、今度は私が固まる番だった。

 そんな私とは反対にライムント先輩は合点がいったというふうに微笑む。

 

「奇遇ですね。エノーラも先日ここを訪れたばかりです。しかし、彼女と貴女が同室だったとは……。エノーラのことはよく知っていますが、何かと話の分かる人物です。頭も切れるし、敵に回さない限りは頼りになる女性ですよ。リヒトもそう思わないか?」

「そ、そうですね! 僕にも気を遣ってくださるとても優しい方だと思います」

 

(アイザック先輩が女子寮の敷地に入ったと分かったときは、笑顔でどす黒いオーラ出してたけど、あれは間違いなくアイザック先輩が悪かったし)

 

 不意打ちで聞かされたエノーラの実家に衝撃を受けつつ、今はジェシカの相談に解決策がないか考えることに集中する。

 

「エノーラと一緒にお茶でもしてみたらどうでしょうか。あっさり打ち解けられるかもしれませんよ」

「それはいい案だ。もし不安なら、私たちも同席しましょう。場所もここをお使いになればいい。まさしく、秘密サロンのように」

 

 冗談めかした言い回しにジェシカは少し安心したように口元を緩めた。

 入学から現在まで、親しくなれたと思った友人が次々に離れて行く孤独に耐えてきたのなら、さぞ辛かったことだろう。

 最初から友人を作らないのと、ある日突然友人から避けられてしまうというのとでは全く話が違う。

 

「そうですよ! できる限りの協力はさせてください。昼食を一緒に取るくらいなら僕でもできますから」

「ありがとう……あの、先ほどから思っていたけど」

 

 ジェシカは書斎に足を踏み入れたときのように、私をじっと見つめる。

 そして、美術品の真贋を見極めるように目を細めた。

 

「あなた、なんだか男性っぽくないわね?」

 

 その言葉に、時が止まったかのように私は固まった。

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