紅の書斎
壁一面を覆っていたカーテンが外れたことで、本棚に囲まれた室内は光が満ちていた。
有り余るくらいの本棚に囲まれているにもかかわらず圧迫感が少ないのは、単純に高い天井と広さのおかげだろう。
部屋の中で一際目を引くのはカーテンに隠されていた巨大なステンドグラスだ。
五色の光の中、天から舞い降りた天使が白い指先で地上を指し示している。
「すごい……」
床に置かれた本の山や散らばった書類さえなければ、文句のつけようもない立派な書斎だった。
テーブルの上に積み上げられた本をどかしていた彼は、私が漏らした感想に顔を上げる。
「ここは学校ができる前からあったそうだ。その窓も年代物だろうな」
「学校ができる前から、ですか?」
「ああ。もともとこの一帯は教会の土地だったんだ。戦争が終わったときに、王家が建物ごと買い取ったらしい」
(ここの本、かなり古そうだとは思ったけど戦前のものだったんだ)
感心する私を他所に、経年劣化によって触れることもままならないと思しき本を、彼は無造作に床に積み上げた。
「ちょっ、そんな乱暴に扱ったらダメですよ! それに、所かまわず床に積み上げるのもダメです! 歩きにくいし危ないでしょう?」
慌てて本を取り上げて、とりあえず本棚の隙間へ適当に本を差し込んでいく。
本来なら分類されているはずだが、この部屋の様子から彼がそんなことにこだわりを持っている人物とは思えない。
案の定、テーブルの上の本をすべて本棚に仕舞い終えても、彼が文句を言うことは無かった。
「本の整理が得意ようだ」
むしろ、感心されてしまって閉口する。
「そういうあなたは整理整頓が苦手みたいですね」
「こういった些事は使用人の仕事だ。私の性には合わない」
そんなことを言いつつも別の部屋からポットとティーカップを持ってやってきた彼は、空いたテーブルの上にそれらを並べると椅子を勧めてきた。
「それで、君の名前は?」
「リヒト・フェルトナーです」
「なるほど、君が転校生か。名前は聞いてる」
紅茶を注いだカップを私の前に置いて、彼は紅い瞳を真っすぐに向けてくる。
「私はライムント・スティルフリード。ここを書斎にしている監督生だ」
「……え?」
監督生とは最高学年の中から選ばれる、文字通り生徒たちの模範となって生徒を内側から監督する役目を担った存在を指す。
生徒にとって最高学年は最も敬わなければならない相手だが、更にその上の階層にいるのが監督生だと言える。
(よりにもよって監督生にバレたってこと? 本当にツイてなさすぎる!!)
「あ、あの! 勝手にここへ入ったことは謝ります。カーテンが落ちたのも僕の責任ですから、ちゃんと片付けます。そのうえで……貴方にお願いがあるんです、ライムント先輩!」
私が何を言おうとしているか見当がついているのか、彼は落ち着いた態度で紅茶を口に運ぶ。
「……あの言葉については?」
「はい?」
「初対面の相手への言葉としては、いささか過激だったと思うが」
「あっ!」
きっと出会い頭に『変態』と叫ばれたことを言っているのだろう。
「女性からあんな言葉を向けられたのは初めてだ。……こんなにも気分が滅入るものなのか」
遠目からでも彼の容姿が整っていることは明白で、こうして間近で見てもその印象が覆ることは無い。
現に溜息を吐いて悩まし気に眉根を寄せる様は、それこそ女子生徒たちが卒倒しそうな色香が漂っている。
けれど、そんなことよりも私は彼の一言に耳を疑った。
「い、今なんて?」
思わず上ずる声に、憂鬱そうだったライムント先輩の瞳がエサに喰いついた獲物を見るように細められる。
「もちろん、その男装も似合っている。まさに、あどけない少年といったところだ」
(やっぱり、女だってバレてる……!)
「ただ、個人的には先ほどの髪を下ろした姿の方が好みではある。どうかな? 私にもう一度、その帽子を取って見せてくれないか」
「お断りします!」
予想済みの返答だったのか、彼の顔色は変わらない。
むしろ、口元には不敵な笑みが浮かぶ。
「監督生の頼みでも?」
「誰の頼みでも、です。……ここにいるのは、何の変哲もないただの男子生徒です!」
「なるほど。あくまでも、そういうことにしてほしいというわけか」
「…………」
淀みのない返しに私は黙って視線だけを向ける。
(素直に事情を話して協力してもらう手もあるけれど……)
いきなり叫び声を上げられて、大人しく部屋の外で待っていた彼ならば説得できるかもと思ったが、どうやらそう単純にはいかないらしい。
(どういう相手なのかわからない以上、こちらから情報を差し出すのは危ないかも)
一年後の死を回避するため、巻き戻しの謎を解くため、ここでしなければならないことがある。
そのためにも、少しでも有利に話を運ぶべきだ。
(相手は監督生……なるべく穏便にいきたいな)
視線の先で薄い唇から楽しそうな声が囁かれる。
「君は今、必死で考えているな。リヒト・フェルトナーの正体が女子であると口外されないために、どんな条件を出せばいいのか、と」
(うっ……!)
「せいぜい、私が飛びつくような素晴らしい条件を出すことだ。期待している」
「い、いちいち思考を読まないでもらえますか……!」
スティルフリードという姓に聞き覚えは無いが、きっとそこそこ名のある貴族なのだろう。
でなければ、成人前の青年がこんなにも相手の心を見透かした話し方ができるとは思えない。
(交渉術の知識はないけど、ここで調子を崩したら相手の思うツボ。冷静にならなきゃ……!)
気持ちを落ち受けるため、私もまた目の前に置かれていたカップに手を伸ばす。
湯気の向こうに余裕たっぷりの紅い目があったが、それには気付かぬ素振りで紅茶を一口飲んだ。
「…………あの、ひとつ言っていいですか?」
「どうぞ」
「一体全体、どこをどうしたらこんなにマズい紅茶を淹れられるんですか! もう少しで吹き出すところでしたよ!?」
茶葉の香りはほぼ無く、紅茶の渋さを前面に押し出した味。
口に含めば渋味と苦みの二重奏が瞬く間に広がっていき、嚥下することを本能が拒否する代物だった。
それを理性の力でなんとか飲み下したものの、切実に水が欲しい。
胃の中で紅茶を装った何かを中和させなくてはと、脳裏に警鐘が鳴り響いた。
「言っただろう? 些事は使用人の仕事で、私には性に合わないんだ。私だって味に問題があることはわかっているさ」
「我慢して飲んでいるんですか? 失礼ですけど、これは健康に悪そうな味ですよ」
指摘に気を悪くするふうでもなく、ライムント先輩は頷く。
「実際のところ、健康にはやや問題がある。あまり飲むと夜眠れなくなるからな」
なぜか自信満々でそう言う彼の眼の下には、薄っすらとだが確かにクマがあった。
まだまだ文句を言ってやりたいところだったが、なぜかこの相手には効果がなさそうだと感じる。
(茶葉の量が馬鹿みたいに多いか、抽出時間がアホみたいに長いか、あるいは両方か……。あと、事前にカップが温まっていないのも気になる!)
呆れるのは後回しにして、私は居ても立っても居られず立ち上がった。
「少し時間をください。僕が淹れ直します!」
◇◇◇◇
玄関ホールを経由した北側の部屋で紅茶を用意して戻ってきた私は、砂時計で蒸らしの時間を計ってティーカップに紅茶を注ぐ。
その途端、さきほどとは打って変わって芳醇な香りが辺りに広がった。
「どうぞ」
ライムント先輩へカップを差し出すと、彼は黙ってそれを飲んだ。
「これは……悪くないな」
悪くないどころか、飲み物として成立している時点で雲泥の差だと思うが、それは胸の中に閉まっておく。
「それはどうも」
「君の家では紅茶の淹れ方まで習うのか?」
彼の不思議そうな表情に思わず吹き出しそうになる。
確かに、部屋の片付けや紅茶の準備といったことは貴族ならばしないだろう。
ただ、私の実家は特別裕福でもなければ使用人の数も少ない。
部屋の整理整頓や紅茶くらいは自分でなんとかしなければ、立ち行かないのだ。
(でも、今はリヒトとして答えないと……!)
「僕は平民ですから、これくらいは習わなくても身に付きます」
「平民か……果たして、理事長が特例で平民を入学させるかな」
「そ、それは……!」
私が声を上げたのと、玄関ホールの方から誰かの声が響いたのとは同時だった。
「ライムント様、いらっしゃいますか?」
穏やかな女性の声に心当たりがあるのか、ライムント先輩は「今行く」と返すと一気に紅茶を飲み干した。
「君はここにいてくれ。……まだ素晴らしい条件も聞けていないしな」
そう言ってライムント先輩が書斎のドアを開けると、誰かが駆け寄る足音がした。
「急に申し訳ございません。少しお話したいことがございまして……」
私の存在を知らない女性生徒は、何か相談事でもあるのか困ったように声を潜める。
「エノーラ、何かあったのか」
「それが、男子生徒が私たちの寮の庭に立ち入ったようなのです」
「女子寮の敷地に?」
「はい。その生徒がここへ逃げ込んだと話す目撃者がおりまして……。もちろん、ライムント様のことではありませんわ。あなたほどの有名人でしたら、すぐに分かりますもの」
漏れ聞こえてくる会話に内心で同意する。
こんなにも人目を惹く容姿なら学校一の有名人でも納得だ。
「女子寮の敷地は男子禁制ですから、女子生徒たちが騒いでしまって。大勢でこちらへ伺うのも失礼ですから、代表してわたくしが伺った次第です」
優しそうな声はゆったりとした口調ではあるけれど、困り果てている気持ちは伝わってくる。
(ん? 女子寮の敷地……?)
ふと、ここを訪れるまでに様々な場所を走り抜けたことを思い出す。
まだ学園内の構造を把握しきれていないが、確かに途中で女子生徒の叫び声を聞いたような気がしなくもない。
男子の制服を着た私を見て、覗きだと勘違いしていたとしてもおかしくなかった。
そして何より、ここへ立ち入ったのは私以外にいないはず。
(そんな騒ぎになってたなんて……!)
「あの、もしかすると、それは僕のこともしれません……」
とんでもないことをしてしまったと、恐々と声をかける。
すると、ドアの前に立っていたライムント先輩がちらりと一瞥を向けてきた。
その眼差しから、微かな意図を感じる。
彼が「ここには自分以外は誰もいない」とシラを切り通せば、見間違いだったのだろうと来訪者を追い返すこともできるだろう。
ありがたいことではあるけれど、それではこちらの気が済まない。
視線に応えるように小さく頷くと、私を隠すように立っていたライムント先輩は黙って後ろに下がった。
玄関ホールに立ってライムント先輩と言葉を交わしていた女子生徒は、いきなり現れた私を見て目を丸くする。
「あらあら、ライムント様以外にもいらしたのね。てっきり、勘違いではないかと思っていたところだったのだけれど」
そこにいたのは金髪を肩まで伸ばした、どこかおっとりとした雰囲気をまとった女子生徒だった。
「わたくしはエノーラ・リーズベリーですわ」
「リヒト・フェルトナーです」
エノーラは私とライムント先輩の顔を交互に見た。
「ライムント様が書斎に人を入れるなんて珍しいですわね?」
「そんなことはない。ここを使っているのはもうひとりいるし、図書室にない本を探して尋ねて来る者もいる」
「まあ……ご本人がそう思っておられるなら、そういうことにしておきましょう」
ふたりの和やかな会話からは、古い知り合いのように感じられた。
だとすると、エノーラはライムント先輩と同じくらいの格を持つ貴族の令嬢と考えるのが自然だ。
(リーズベリーって、どこかで聞いた気もするけど……)
言葉遣いや落ち着いた態度は裕福な生まれを感じさせ、その口元には常に優し気な笑みが湛えられている。
女子寮の敷地に侵入した犯人を捜しに来たという割に、怒気は感じられない。
「すみません。今日転校してきたばかりで、女子寮の敷地のことは知らなかったんです」
「ヘルメスにやられたそうだ。盗まれたものを取り返そうと走り回っていて、偶然ここへ辿り着いたらしい」
ライムント先輩がため息交じりに部屋の奥へ視線を送る。
すると、自分の名前だとわかったのか猫――ヘルメスが眠たそうな声で鳴き声を上げる。
落ちたカーテンに包まれて、今度こそ日向ぼっこを開始したらしい。
「まあ、ヘルメスったら。あなたも災難でしたわね。人の物を盗るのはあの子の悪い癖だから」
困ったように微笑まれ、なんとか穏便に話を進められそうだと安堵したとき――。
「でも残念ね。わたくし、在校生の顔をすべて覚えているわけではありません。あなたが本当に転校生かどうか判断できませんのよ」
眉一つ動かさないまま、歌うように優しい声で続ける。
「もしあなたが転校生だと偽っているなら、女子寮の敷地に無断で立ち入った罰で退学処分、ということになりますけれど……」
「た、退学!?」
すでに女だとバレたことで転校初日に退学という危機に瀕している私でも、まさかそれが二重で襲ってくるとは思ってもみなかった。
「そうならないためにも、あなたが転校生であると証明していただきたいのです」
最初と変わらない微笑みを浮かべたエノーラは、淡々と私を追い詰めてくる。
わざとなのかどうかわからないくらい優しい声音に、薄絹で包まれた剃刀のような恐怖を感じた。
(私の入学って、どうしてこんなに難易度高いの……!?)
身の潔白を証明するためには、入学手続きを行った事務員に証言してもらうか、手続きの書類を見せる必要があるだろう。
しかし、手続きが終わってすぐにヘルメスとの追いかけっこが始まったため、書類も荷物も事務室に置きっぱなしになっていた。
(ふたりにはここで待っててもらって、その間に書類を取りに行くとか……でも、ここに戻ってこられる自信がないな。まだ場所が全然わからないし……。むしろ、どちらかひとりに一緒に来てもらったほうが早い気も……)
「ふっ、ははは……!」
場違いな笑い声に私の思考が停止する。
驚いて見ると、ライムント先輩がおかしそうにこちらを見ていた。
「失礼。君の百面相が面白くてつい、な」
「百面相って、こっちは退学がかかっているんですよ!?」
思わず声を上げると彼は首を振った。
「それは一大事だが、君が在校生ではないことの証明はこの場ですぐにできる。そうだろう、エノーラ?」
水を向けられてエノーラは肩をすくめる。
「やはり、自信がおありのようですね。わかりました。あなたの記憶力なら他の生徒も信用するでしょう」
エノーラの笑顔がすっと消え、ライムント先輩へ向き直る。
「教えていただけますか、ライムント様。この方は在校生ではないのですか?」
この学校の生徒数は約400名。
その半分、200名ほどいるであろう男子生徒の顔を全て憶えていなければ、この問いには答えられない。
(いくらなんでも、そんなこと……)
教師であっても全校生徒の名簿と睨めっこして、場合によっては丸一日以上の時間をかけなくてはならないはずだった。
そんな難問を前に、紅い目の監督生は瞬き一つしただけで口を開いた。
「ああ、在校生ではないな。それは間違いない」
私とエノーラの視線の先に立つ彼は、なんのことはないと言いたげだった。
「まさか、憶えているんですか……全校生徒の顔を?」
「憶えたくて憶えたわけじゃないがな」
私たちの話を聞いて、エノーラは考えるように小首を傾げる。
「ライムント様の瞬間記憶能力のこともご存じないと……。でしたら、本当に転校生ということになりますわね」
(瞬間記憶能力……?)
初めて聴く単語に理解が追い付かずにいると、それを察したのかエノーラが説明してくれる。
「ライムント様は一度見たものをすっかり記憶されてしまうのです。ですから、生徒の顔も記憶済みということですわ」
「そ、そんな能力が!?」
目を丸くして当人を見ると、彼は軽く首を振るだけ。
そんな私を見て完全に疑いが解けたのか、再びエノーラの口元に微笑みが浮かぶ。
「リヒト様、疑ってしまってごめんなさいね。わたくしも他の女子生徒のために事実を確かめなくてはならなかったの」
「それはもちろんです。知らなかったとはいえ、女子寮に立ち入ってしまったのは僕の落ち度ですから」
取り戻したポーチを握り締め、中にあるふたつの感触を確かめる。
「……このポーチには大切な人の形見が入っていて、それを取り返すのに必死でここまで迷い込んでしまったんです。本当にすみませんでした」
「まあ、そうでしたの……。そういうことでしたら、今回は何もなかったことにいたしましょう。いかがです、ライムント様?」
「貴女が構わないなら、異論はない」
今度こそ退学の危機を退けたことに胸を撫で下ろす。
(あとは、この厄介な監督生をどうするか……)
ふと、視線を感じて顔を上げると紅い瞳がじっとこちらを見つめていた。
「異論はないが……もしかすると、女子寮に侵入した犯人は別にいるかもしれないな」
「え?」
すっかり自分の過失だと思っていたため、突然言われた言葉に目を見張る。
問題が解決したと判断し、帰るつもりだったであろうエノーラも私と同じように驚いて発言の主を見た。
「……つまり、心当たりがおありに?」
その言葉の奥に、初めて冷え冷えとした犯人への怒りのようなものを感じ取り、私はぞくりと肩を震わせた。
ここへ来たときからずっと、エノーラは犯人に対して怒りを表すことは無かった。
けれど、それは彼女の穏やかな笑顔の下に隠されていただけだったと今分かった。
故意に敷地に侵入し、逃亡のうえ隠れ続けている犯人がいると示唆されたことで、彼女の穏やかな仮面から冷淡な怒りが滲み出ている。
ライムント先輩は落ち着き払った態度で頷き返す。
「リヒト、ここへ来たときのことをもう一度教えてくれ」
唐突に名前を呼ばれてはっとする。
まだ馴染みのない名前ということもあるけれど、それ以上にライムント先輩の口から呼ばれたことが不意打ちだった。
少なくとも、この場で私の正体について触れる気はないのだろう。
「ここへ来たとき……あの猫――ヘルメスでしたっけ? あの子を追っていたらここを見つけて、そのまま中へ入ったんです」
「カギはかかっていなかったのか?」
私は僅かに開いていた扉の隙間から中の様子をうかがったことを思い出す。
「かかっていませんでした。というか、扉が開きっぱなしになっていたんです。だから、てっきり使われていないんだと思ってしまって」
「そうか。君が最初に説明したときも扉は開いていたと言ったな。そこがずっと引っかかっていたんだ」
話しながら書斎から玄関ホールへ出て行くライムント先輩を追うように、私とエノーラも続く。
古いオーク材で作られているのか玄関扉は赤褐色の艶を帯びていて、木目が美しく整っていた。
両開きの扉の中央にドアノブがふたつ。よく見ると、近くに開錠するためのつまみがひとつあった。
外から見ると、そのつまみがある部分に鍵穴がある。
ドアノブも鍵穴も元々は金色の細工が施されていたらしいが、今は風雨にさらされて所々削られてしまっていた。
「少し整理させてください。まず、今日ここへ最初に訪れたのは先輩なんですよね?」
「ああ、恐らくそうなる」
「じゃあ、ここに来てからどこで何をされていたんですか?」
「南の部屋で本を読んでいた」
1階には南と北、そして東の3部屋がある。
東がステンドグラスの部屋で、北が紅茶を入れるために入った小さな台所がある部屋だ。
南の部屋には入ったことはないが、誰もいない静かな環境であれば玄関ホールの物音くらい気づくのではないだろうか。
「ずっと部屋にいたなら、何か物音は聞きませんでしたか?」
「……本を読みながら、少しうとうとしていたからな」
歯切れの悪さを感じていると、控えめな笑い声がした。
「ライムント様は眠っておられたので、ここの出入りには気づかなかった、というわけですわね」
「う……」
エノーラの意訳は的を射ていたようで、監督生は眉根を寄せて呻く。
「先輩、証言は正直にお願いします。曖昧なことを言われると迷走することになるので」
「……君は、会ったばかりの相手にも手厳しいな」
「会ったばかりの先輩が犯人が別にいると言い出したから、検証しようとしているんです。誠実な後輩だと思いますけど」
「誠実か……まあ、いい」
にやりと笑う顔からは、私が抱えている秘密を面白がっているのが伝わってきた。
けれど、それも一瞬ですぐに真面目な表情に戻る。
「私は玄関のカギを閉めて南の部屋で仮眠を取っていた。これは間違いない」
そう言って、私たちの前で玄関の扉を閉めてカギをかけて見せた。
「となると、やはりその後――僕が来る前に別の誰かがここへ来た可能性がありますね。その人物は慌てていて、扉をきちんと閉めずにここへ入った。カギまでかけ忘れている……」
「慌てた誰かですか。状況的に、女子寮の敷地に入り込んで逃げてきた人物とみるのが自然ですわね」
誰も反論はしなかった。
けれど、気になることがひとつ。
(いくら慌てていたとしても、逃げて来た、もしくは追われている自覚があるならカギはかけるのが自然なはず……)
「そもそも、ここのカギは誰が持っているんですか? 先輩の他に持っている人がいるなら、その人が一番怪しいですよね」
「……」
ライムント先輩は何かを思い出しているかのように、目を閉じて動かない。
「あの……?」
微動だにしない監督生に代わってエノーラが微笑んだ。
「書斎というのは、最高学年の生徒二人以上で使用が認められるのです。こちらの<紅の書斎>は、ライムント様ともうお一方の二名で使われていますわ」
「その方の名前は?」
「それは……」
それ以上は部外者である自分が口にするべきではないと思ったのか、黙り込むエノーラ。
そこでようやくライムント先輩がゆっくりと目を開く。
さらりと揺れる黒髪の下で、印象的な紅い目がすべてを見透かしたように細められた。
「いつもより原稿に時間がかかっていると思ったが……本当に困った奴だ」