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ドライブデートと腎臓結石



 町田天満宮は大通りから少し入った住宅街にあったが、思ったよりも大きい神社で、大和田は愛車のコンパクトハイブリッド車をすうっと、駐車場入り口に立っていた美女の横に着けた。


 助手席に乗り込んできた成瀬は、モスグリーン襟付きのカジュアルシャツワンピにスニーカーという出で立ちで、化粧は普段より濃いのか、大和田の胸中に「綺麗だ」という言葉が弾む。


 成瀬のナビに合わせて車を走らせながら、城の攻略に外堀を埋めていくような遠回りな質問をした。


「成瀬課長とはよくドライブしたんですか?」


「私たち、一緒に居られたのはたった5年半よ。結婚前に1年も付き合ってないし、ドライブもしてくれたけど、絶対的にデートの回数が足りないわ」


「そうなんですか……」


 回数は少なくても、その一度一度を隣の女性は大切な思い出として心に仕舞っているのがわかる。


 ワンピースの襟の間の胸元にちらりと見えたペンダントは丸かった。

 ああ、結婚指輪じゃないか、と大和田が悟った瞬間、ぐいっと自分の心臓をそのリングで締め付けられた気がした。


 目的地は同じ町田市内でも思ったより距離があるらしく、成瀬はなかなか「もうすぐよ」とは言ってくれない。


 黙って車を走らせるのが苦痛で、大和田は次の話題を探した。


「どうして指輪外したんですか?」

「指が太くなっちゃったから」

「それだけ?」

「ええ、それだけ」


 それならサイズを直せばいいだけのことで、首に掛けている意味が分からない。

 指輪を外したのはいいひとができたから、という言葉を成瀬は隠していると大和田は危ぶんだ。


「最近成瀬さん、前より笑顔が増えた気がするんですけど、いいことあったんですか?」


「あったんじゃない?」


「えっ?」


 進行方向から目を離した大和田を、成瀬は前向いてねとからかった。


「大和田君とデートだなんていいこと過ぎて、誰かに見られたらまた噂になっちゃうわ」


 なんだ軽口かと大和田は口を尖らせながら、いや、これは真相を聞くチャンスだと思い直した。


「成瀬さん、噂になりがちですよね。生島部長がお相手だそうで」


「そうよ」


「へっ? そうってよく噂になること? それとも相手が?」

 ハンドルを握る大和田の手に思わず力が入る。


「両方かしら?」

 成瀬は肩をすくめて口角を上げた。

「その噂広めたの私だから」


 セミロングの髪の向こうで動く口紅が、大和田には急に紅過ぎるように思えた。


「そこ右折で坂を上がって。駐車場に停めてくれたら話すわ」



 ー◇◇◇◇◇◇◇ー



 車が止まると成瀬は「運転お疲れ様」と、ほがらかにトートバッグからお弁当箱をふたつ取り出して、大きい方を大和田に差し出した。


 大和田はそれどころではない。

 受け取る手が震えてしまっていた。


「生島部長と付き合ってる……?」


「付き合ってはないわ。相手はさせたけど?」


 相手?

 は、させた?


 子どもの頃精巣が上がってしまったときのような気持ち悪さが大和田の下腹部に広がる。

 これが「気さくで綺麗な成瀬さん」の口から出た言葉なのか?


「もう少し暗くなってからのほうが夜景は綺麗だから、先に食べたら?」


 成瀬の言葉は、大和田の耳を抜けていく。

 細かな震えを全身に共鳴させて。


「私が最近明るくなったとしたら、智也の復讐方法がわかったからよ。智也が殺されて最初の2年は私も自分の精神状態のほうが怪しかったし、やっとね」


 自作の弁当に箸をつけながら楽しそうに話す助手席の女を、大和田はUMAを見るような思いで眺め、何とか声を出した。


「あれは無差別通り魔事件だって警察は……」


「表向きはね。犯人が特定できなかった言い訳よ。横浜駅構内の雑踏に紛れて刺して返り血も浴びなければ」


 陰惨な話でも、理路整然とした成瀬は大和田を少しだけ安心させた。まだこの女に言葉が通じると。


「成瀬課長はどうして抵抗もせずに刺されて?」


「エスカレーターじゃないかな。ベルトの下辺りを後ろからずぶっと。よく突き通したわよね」


 事件は7月だった、上着は脱いでいたろう。

 課長がよく着ていたチャコールグレーのスラックスは滲み出る血の色を隠してしまったのか。


 自分たちは襲われることはないという暗黙の了解のうちに、日常的にエスカレーターに並んで乗っているのだと再認識し、大和田は愕然とした。

 後ろを取られているにも拘わらず、皆能天気に近距離で。


 大和田の気分と裏腹に、成瀬は軽く言葉を続ける。


「あのひとね、腎臓に小さな結石があったの。刺された痛みを、石が尿道に降りたせいだと思ったんでしょうね。帰宅するんじゃなかったら、夜間急病センターにでも行こうとしてたかも。ヘンに我慢強いひとだったから、自分で救急車呼ぶなんて選択肢は頭になかっただろうし、ズボンの中で血が出てるって気付いた時には倒れちゃった……」


「それなら、課長の腎臓結石を知ってた人を警察は疑うでしょうに……」

 大和田は自分の声の震えを抑えられない。


「ええ。定期健診も人間ドックも、結果は嘱託医しか知らない。買収されてもいない。となると、私以外に知っていたとしたら、智也本人が洩らした、としか思えない」


 成瀬は美味しそうに卵焼きをひと切れ頬張った。


「凶器は見つかっていない。犯人も疑われてなければどこで始末してもいい。駅周辺の幸川さいわいがわやみなとみらいへ出て港のどこで捨てても発見は困難」


 成瀬が苦笑を浮かべた。


「警察の言い方は、襲われた時すぐに必要な処置を取らずに歩き回り、出血多量で死に至った不幸な事件。犯人に殺意があったかどうかも不明」


「そんな!」


「なかったと思うわよ、殺意。腎臓ひとつぐらい潰してやろう、って感じだったかも」


「信じられない……」

 大和田は唸ったが、隣の成瀬は至って上機嫌。


「これ以上のことはまだ私からは話せないわ。大和田君の人生を左右しちゃうし。知らぬが仏ってね」








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― 新着の感想 ―
[一言] かなり衝撃の展開です(^^;) ドキドキ
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