優しいと言われても
妙に静かな朝だったと、記憶している。
母のスマホが鳴って、私は布団の中で体を強ばらせていた。
その連絡はお婆ちゃんの訃報で、普段は冷静な母がキッチンで取り乱して泣いるのを、私は訝しながら、ベッドの中で聞いていた。
母が感情的になっているのが何故か煩わしくて、耳を塞いだのを覚えている。
何故か私は、母が悲しみで泣いているとは思えなかった。ただ、そういう時だから、泣かなければいけない状況だから、悲しむフリをして泣いているのだと思っていた。
お婆ちゃんとは、入院中に一度だけ面会に行ったのが、私にとっては最後だった。
お婆ちゃん子でなかった私にとってはどうでもいいことだった。お婆ちゃんの死は。
それでもお婆ちゃんは私に会いたがって、面会の時には、登校拒否して中学に行ってなかった私に、優しい子やね、と目を細めて優しく言葉をかけてくれた。
私は金髪に染めて、長く伸びた前髪に隠れた視線を落として、何もしらないくせに。と毒づいた。
反抗期で、何かと家族に当たり散らして、両親とは喧嘩ばかりする悪い娘だ。
おまけに死にかけのお婆ちゃんを目の前にしても同情もわかない。
冷たい人間。優しさなんて欠片もない。
私は心の中で、死に際になってもそんなことも見抜けないお婆ちゃんを嘲笑っていた。
そんな最低な人間だった。
「優しい子って言われてん」
私はベッドの中で、恋人の蓮也に腕枕をしてもらっている。蓮也は2つ年下の24歳。痩せていて、金髪の短髪、耳にピアスをしている。知り合いのバーで働く、不真面目な男だ。仕事もよくサボる。
「誰に?」
興味もなさげに蓮也が聞き返した。
「中学の時、死にかけのお婆ちゃんに」
「まぁ和美は優しいから、おうてるんちゃう?」
「中学の時の私やで。しょっちゅう誰かにキレまくってた」
「知らんがな。中学の和美のことなんか」
「話してなかったっけ?」
私は体を起こして、仰向けに寝ている蓮也を見下ろした。
「知らんな。興味もないわ」
「持ってよ、興味。私登校拒否とかして、髪も金髪にして、荒れてたんよ」
「想像つかへんわ。今は真面目に、よう働くやん」
今の私は、髪は黒に戻して、肩まで髪を伸ばしている。仕事は、蓮也と同じバーで働いてる。いや、働いていた。昨日まで。
「あ、言い忘れてたけど、私昨日で辞めたからな、あそこ」
「ああー??なんでー??」
「私が真面目に働いてたら、あんたずっとそのままやん。私嫌やで、将来あんたのこと養うの。やから先に辞めたった」
「マジでぇ?ほんなら今日から俺が和美養うん?」
「せやで。頑張ってな。私も専業主婦のつもりで応援するから」
「専業主婦って、結婚もまだやんけ」
「あ、今は結婚なんてする気ないから」
「なら何の為に俺は和美養うねん」
半笑いで、蓮也は言うと、体を起こして、私と向き合った。
「不真面目な俺が嫌なら、ほんなら別れた方がええやろ」
「なにそれ、薄情過ぎ。今はって言うたやん」
「今だけでも、俺は誰かの人生背負って生きれるような男じゃないから」
「本気で言うてんの?」
「本気の本気や」
「じゃあ、私はどうしたらええの?」
「知らん。実家にでも帰れ」
「はあー?」
私はこうして恋人に捨てられて、蓮也の言葉通り、実家に帰るはめになった。
「真面目に改心してくれると思ってん」
2日後、実家の居間で、私は座卓に頬杖をついて、ふてくされていた。
「甘かったね。考えが」
半ば呆れた様子で母の知枝が、溜息を吐いて言う。
「ほんであんたどうするの?26で無職になって。大人になってやっとまともになったと思ったのに」
「仕事はすぐ見つけるから、落ち着くまでここにいさせてよ」
「まぁ、放り出すようなことはしませんけど、ちゃんと働きや」
「わかってる」
私は子供のように返事して、それから箪笥の上に置いてあるお婆ちゃんの写真に目をやった。
「お母さんさぁ、お婆ちゃんが死んだ時、めっちゃ泣いてたやん?」
「何?急に」
「あれってホンマに悲しくて泣いてたん?」
「当たり前でしょ」
「なんか私、お母さんが演技してるんやと思ってた。悲しんでるフリ」
「捻くれた子やったもんな。あんたにはそう見えてたん」
「だってお婆ちゃんとお母さんて、親子やのに、そんなに仲良くなかった気がして。お父さんがお婆ちゃん慕ってたのは、覚えてるけど」
「あんたには見えてないことがあったんよ、色々と」
「色々って何?」
「色々。話すの面倒やから、聞かんといて」
「じゃあ、悲しくて泣いてたんは、ホンマなん?」
「そんなんきまってるでしょ。何言うてんの」
「ごめん。やっぱり私、あの時おかしかってんな」
「反抗期で、捻くれてただけよ」
そうやな、と私は頷いて、少し間をあけてから、言った。
「覚えてる?病院にお見舞い行った時」
「ああー、うん。何?」
「お婆ちゃん、私のこと、優しい子っていったの」
「ああ、それは。まぁその通りやったと思うよ」
「金髪で登校拒否してたのに?」
「でも、人を傷つけるようなことは、せんかったよね?」
「そうやけど、喧嘩は山ほどしたやん」
「そんなの、どうってことなかったわ」
「そうなん?」
「子供がキーキー喚くことに、親がいちいち動じると思ってるの?」
「えー、そんな余裕やったん」
「何とも思ってなかったわよ。お父さんもお母さんも」
「強がってない?」
「本当に。なんとも思ってませんでした」
「へー。じゃあ私の中の罪悪感はもう捨ててええんかなぁ」
「そんなんとっとと捨ててまい」
母はそう言ってから立ち上がった。
「晩ご飯の買い物行くわ。あんたは?一緒にくる?」
「仕事探すからいかんとく」
私は言って、スマホで求人サイトを開いた。
「そう」
母が居間から出ていくのを横目に、私は求人を見続けた。
翌日、ホールスタッフを募集していた蕎麦屋の下見がてらに、その蕎麦屋で昼食を食べていると、男性店員が私に話しかけてきた。
「あの、竹下さんですよね?」
私はざる蕎麦を啜っていたので、視線だけ店員に向けて、左手で口を抑えて蕎麦を噛みながら、頷いた。
私には、話しかけてきた男性が誰かはわからなかった。
私の様子から、店員は察して自分の名を名乗った。
「僕、小野です。高校、一緒のクラスやった」
名乗られても、私は思い出すことが出来なかった。
私は蕎麦を飲み込んでから、口を開いた。
「ごめん。思い出されへん。ほんまにごめんな」
「あー、やっぱ覚えてへんか。あのクラスで真面目やった俺のことなんか」
私は中学を登校拒否していたから、当然成績も悪くて、高校は地元のどんなアホでも、試験さえ真面目に受ければ誰でも入れるアホや不良の集まる高校に進学した。
「あー、おったな。それは覚えてる。真面目なヤツ1人おったんは」
「それ、そいつが俺や」
「えー、ここで働いてんのや」
「まぁ一応、店長やらせていただいてます」
自慢げに小野は言うと、ニヤッと笑った。
「へー、あのアホ高校出て、店長とかなれるんや」
「真面目やったからな、俺は」
「まぁそうやったなぁ。1人だけホンマに授業真面目に聞いてたもんな」
「あっ、でも竹下さんも」
何かを思い出したように、小野が言った。
「3年の夏休みの後、急に髪黒く染めて、真面目に授業受け出してたよな?」
「変なこと覚えてんなぁ。私も将来のこと考えててん。まぁ就職の面接は全滅やったけどな」
「まぁあの高校出てたら、現実は厳しいな。ほんなら今まで何してたん?」
「色々バイトして、最近まではバーで働いてた。今は辞めて実家」
「ほんじゃ、今はプーか」
「やからバイトの下見がてら、今日ここに来てん」
「え?ここ応募する気なん?」
「いや、やめとく。雰囲気が何となく私に合わへんし、あんたもおるし」
「いや別に雰囲気は大丈夫やと思うけど。俺がおると嫌なんはなんで?」
「嫌や。同級生とか、なんか働きにくい。仲も良くなかったし」
「まぁ、そんなもんか?俺は平気やけど。面接来たら、採用したんで?」
「やめーや、コネみたいやん。そんなん嫌」
「真面目やなぁ。あの竹下が」
「生まれ変わったんよ、私は」
「まぁでも、気が変わったら、いつでも面接こいや」
そう言うと、小野はテーブルから離れていった。
私は小野が厨房に姿を消すと、天ざる蕎麦の海老の天ぷらを口に運んだ。美味しかったが、ここで働く気にはならなかった。
会計を済ませて、帰り際。また小野が厨房から出てきて声をかけてきた。
「そういえば竹下、北川って覚えてるか?」
私は少しドキリとした。高2の時、半年だけ付き合ったクラスメイトだ。
「覚えてるけど、何?」
「あいつ、この前なバイクの事故でーー」
そこで小野が言葉を切ったので、私はてっきり。
「死んだん?」
「え?いや、生きてるよ。足折っただけや」
「なんや。紛らわしい言い方せんといてよ!」
「あ?悪い。まぁあれや、見舞いにでも行ってやれや」
「なんで私が行かなあかんの。行く意味ないやん」
「いや、何か今は優しそうやし、竹下。嬉しいやろ誰でも、人に優しくされたら」
「知らんわ。元カレやねんで、あんたは知らんかったやろうけど」
「あっ、そうなん。でもまぁもう大人やし、気にせんやろお互い」
「気にせんけど、行かへんわ。面倒くさい。私はそんな優しくないよ」
「そうか。まぁ、気が向いたら行ったれよ。愛車が廃車になって、落ち込んでるから、北川」
「知らんわ、そんなん」
「じゃあな、またメシ食いに来いよ」
そう言い、小野は厨房に戻って行った。
お見舞いなんか絶対行かへん。私は心で呟きながら、蕎麦屋を出た。
「優しいって何なんやろ」
私は家の座卓で、また頬杖をついて言った。
「何がー?」
妹の七海が、スマホ見ながら聞き返してくる。七海は6つ歳が離れた妹で、今は大学生。真っ当な人生を歩んでいる。
「今日会った高校の同級生が、私のこと優しそうやって」
「あー、今のおねぇは、そう見えるかも」
「そうなん?」
「何かたまに母性の塊みたいなん出してる」
「何それ」
「私のことも、色々してくれるやん。ご飯連れてってくれたり」
「それが母性の塊なん?」
「なんか面倒見が良い感じ。やから、あかん男が寄ってくるねん」
「そんなつもりないねんけどなぁ。人にどう見られてるとか、ようわからへんわ」
「おねぇはもうちゃんとしてるんやから、ちゃんとした男選ばなあかんと思う」
「そうなん?まぁ参考にしとく」
「ちゃんとしてな。家族に迷惑かけへんように」
「はいはい。それにしても、死んだお婆ちゃんも、私が優しい言うてたし、何なんやろ。自分では優しいとは思わへんけど」
「自分で自分のこと優しいとか思ったら、それはアホや。やからおねぇは正常なの。だから、そのままでおってなぁ」
「よくわからへんけど、じゃあこのままでいるわ」
「ありのままのおねぇは優しいから、別に自分でわからんくても大丈夫やで」
「そう。褒めてんねんな?それ」
「まぁそうかな」
「んじゃ、まぁええわ。もう考えるのやめる」
私は言って、ごろんと畳に仰向けになった。
優しい?お婆ちゃんの死にも何も感じなかった、冷たい私が、優しい?
私は変な気持ちになりながら、頭を右手で掻いた。その時、スマホに着信があった。
蓮也からだった。
私はスマホを耳にあてた。
「あー、なぁ、やっぱりさぁ、俺たち、、、」
蓮也がその先、何を言うかはすぐわかったので、私は遮って言った。
「戻らへんで、もう。おしまい私達は。そっちが振ってんからな。ざまぁー」
辛辣に私は言い、一方的にスマホを切った。
これでも、私は優しい、、のか?