第47話、桃太郎、心の中
寒い。冷たい。凍えるようだ。
暗い。闇だ。何かが僕の周りをぐるぐる回っている。ぐるぐる、ぐるぐる、ぐるぐる。
寒気がする。体が震える。怖い。
ドロドロしている。ゾワゾワする。触れていないのに、ゾクリとするたびに、熱を奪われているような気がする。
ここはどこだ? 何がどうなっているんだ?
闇の中、僕は浮いている。足が地面についているようで、でもその地面もはっきり見えない。
ぐるぐる回っている。回っているのは僕なのか、周りが回っているのかわからない。振り回されるように回っている。
頭の中が揺さぶられている。気持ち悪い。でも止まらない。怖い……怖い……怖い。
――おいおい、しっかりしろよ、お前。
ふっと聞こえたのは男の声。
――大丈夫だ。お前はこの程度でくだばるようなヤツじゃない。
聞き覚えがない。どこか高圧的で、自信たっぷりな声だ。いったい誰?
――オレか? オレはオレだよ。お前でありオレだよ。
ひょっとして前世の僕?
――前世? ああ、そうかもしれねえな。
自信たっぷりなその声の主は笑った。感じていた冷気が遠ざかった気がした。
――ほーら、落ち着け。足を止めろ。もう回らなくていいぞ……。
男の声で、回転が緩やかになっていく。そこでようやく僕がぐるぐると回っていたことに気づく。どうして?
――鬼の気に触れちまったんだよ。
男がどこか呆れの混じった声で言った。
――思い出せるか? お前は見た。そうだな?
見た。何を――? 思い出してみる。
シドユウ・テジンのオーガのアジト。鶴ママがいて、オウロさんがいて、ク・マさんがいた。皆、見張りだったり、手入れだったりで時間を潰している中、僕は手持ち無沙汰だった。ふだん、付き合ってくれるイッヌさんやサルが出かけているでもあるんだけど。
そこで、声が聞こえた気がした。女の声、っぽかったけど、はっきりしない。周りは聞こえていないようだった。何か物凄くよくないものを感じた。
ただ、何かわからないのに騒ぐわけにはいかない。見てわかるほどの異変があれば、すぐそれが何なのかわからなくても大人を呼べばいい。こういう、嫌な予感がした時の放置が一番危険なんだ。
ということで、さほど離れていないようなので、様子見をする。オウロさんが僕に気づいた。
『どうした?』
『ちょっとそこまで』
見える位置の範囲で行動。これ大事。少しでも離れる時は、仲間に知らせる。完璧だ。
と、自画自賛しつつ、少し移動して、地面のくぼみに、黒い靄のようなものがわずかに漂っているのが見えた。
危険だ――本能的に悟ったその時、視界が暗転した。
あれは何だったんだろう?
――それが鬼の気ってやつだ。オーガじゃねえ。本物の鬼だ。
上位オーガ、否、鬼の気。何故それがあの場に……。
――イバラって、鬼がいたろ? あいつの気だろうよ。
声が教えてくれた。あの鬼女の……。
『あらぁ、わかったぁ?』
イバラの声がどこからともなく響いた。そんな、死んだはずじゃあ……!
『うふふ、オーガどもならともかく、鬼がそう簡単に死ぬものか。たとえ首を切られようとも、ね……!』
ゾッとした。ネットリ絡み付くような嫌な気配。
『タロウちゃんに取り憑いたと思ったのだけれどね……。何かいるのよねぇ。タロウちゃんの中にィ……!』
どす黒い何かが向かってくる気配を感じた。とっさに身構える。
――大丈夫だ。この程度の鬼の気なんざ、オレたちには効かねえよ。
あの声が背中を押したような気がした。正面のどす黒いものが通過した。だけど男の言葉どおり、そよ風が吹いた程度で、それ以外には何も感じなかった。
――オレ様に手を出すとはいい度胸だなァ、三下ァ……!
嫌な気配が逃げ回る。そう、逃げている。どうしてかわからない。でも近くをぐるぐる回っている。まるで逃げ場を探しているように。
――下っ端の鬼如きで、オレ様に叶うわけないだろう……?
『助けて! タスケテ、タロウちゃん――!』
イバラと思われる気が悲痛な声を出した。何が起きているのかよくわからない。だけど前世?の僕が、あの鬼女の気を圧倒している!
――今は太郎って呼ばれているんだよな、オレであるお前。
あの男の声は言った。
――お前には、こんな鬼如きに負けねえ力があるんだ。実践しろ。すぐ物にできる。
声の主が、イバラと思われる気を拘束しながら、僕の周りを回る。
――まあ、それでも不安って言うなら、オレに呼びかけろ。代わりにオレがやってやる。
いいの?
――オレとお前は、同じ存在だからな。オレはお前、お前はオレだ。
どうやれば、呼びかけられる? 名前は……。
――名前なんていらねえ。お前とオレは同じだって言っただろう? まあ、どうしてもすぐに代わりたいっていうなら、酒を一口舐めとけ。
お酒……?
――おっと、なんかヤベェもん流し込まれたぞ。お前のママさんら過激だなぁ。
何のことだろう? 僕にはわからなかった。
――んじゃ、またな。
声が消えた。そして闇もまた消えて、僕は目覚めた。
・ ・ ・
「太郎!」
うなされるように呻いている太郎に、聖杯に入れた水を飲ませた。オレ、カグヤ、お鶴さんの見守る中、憑き物が落ちたように、太郎から嫌な気が消える。そして目覚めた。
「よかった……」
カグヤ、そしてお鶴さんも安堵する。
「大丈夫か、太郎?」
「桃さん……」
ボンヤリした顔の太郎。周りを確認するように目を動かす。
「僕……」
「倒れたんだよ。何か凄く苦しそうだったって……」
「鬼の気に……」
「鬼?」
「ううん、何でもない。夢だったかもしれない」
うなされているみたいだったし、もしかしたら意識が半分とんでいたのかもしれねえな。聞くのは、もう少し落ち着いてからのほうがいいだろうな。
「そうか。聖杯の水が効いたかな?」
俺が言えば、カグヤも苦笑した。ぶっちゃっけ、水は魔法で作り出したただの水。ただ太郎を成長させた不思議な力のある聖杯を器にしただけだ。本当に効果があるかなんて保証はなかったが、何かあるだろうと思って使ったら、どうやら厄介な『気』は祓われたようだ。さすが聖杯だ。
しかし、鬼の気ねぇ……。前々世でも鬼と戦ったから、そういう邪悪な気があるのは知っているが、こっちの世界のオーガの中にも、日本の鬼のような力があるものがいるのかもしれないな。




