第25話、桃太郎、ウィリアムに出会う
「やあ、参ったね、イッヌさん」
僕はイッヌさんの背中から、霧に覆われた森を見回す。
迷子である。完全にはぐれた。ママさんたちともサルの姿はなく、そばにいたフェンリルのイッヌさんだけがいる。あぁ、何て頼もしい。僕は生まれてこの方三ヶ月程度の子供だからね。
『某がついていながら、申し訳ない』
イッヌさんが謝った。そんなことないよ。
「ううん、原因がわからないんだから、しょうがないよ、イッヌさん」
少なくとも、僕の足替わりをしてくれているイッヌさんに文句を言える立場じゃない。むしろ居てくれないと困るんだ。
僕は、太郎。桃さんたち曰く、川から流れてきた大きな桃に入っていた赤ん坊だったのだそうだ。
正直、自分でもわからないけれど、ママたちが言うところの『前世持ち』かもしれない。わずか三ヶ月で五歳児程度に成長するなんて有り得ないし、物心もついていれば、相当子供らしくない振る舞いをしていると思う。
教えてもらったわけでもないのに、色々理解しているのは、たぶん前世の記憶だと思われる。……思われる、というのは、僕には前世が誰だったのか、何をしていたのか、その記憶がまったくないからだ。
単に忘れているのか、実は転生ではなく、ダンジョンの宝である『聖杯』のせいで異常成長している、という説もある。聖杯の力で、急成長。思考の成長度合いも違う、というわけらしい。それなら前世の記憶がないのも、ある意味納得はできる。でも教えてもらっていないことまで、知っている理由には弱い。
あるいは……僕が『人』ではないという可能性。……あまり考えたくないけど、人ではないなら成長速度が違うということも充分あり得るんだよね。
閑話休題。
どうしたものか。僕らは、愚者の森の中で迷子である。
『タロウ、どうする? 母上らの気配もわからぬ』
イッヌさんが振り向いて横顔を向ける。イッヌさんはフェンリルなのに、桃さんのことを母上と呼んでいる。どうしてそうなのかと聞いたら『母上は母上。それ以外にはない』ときっぱり言われた。うん、わからん。
『あの光を追うか?』
霧の中、ゆらゆらと浮んでいる炎。松明の火っぽいんだけど、この森の悪い話を思えば素直に頷けない。
死者が彷徨う森と言われて、カグヤママから、あの光は人魂だから、ついていったら永遠に森から出られなくなるって言っていた。
「うーん、僕たち、あれを気にしているから迷ったのかもしれないよね」
火の玉が揺らめいている。霧の中だから誰かいそうに思えるけど、人魂とかだったら、普通に幽霊だから怖いよね……。ゴーストとかいう悪霊が、生き物を襲うって普通にあるって話だし。
『タロウ』
「なに、イッヌさん?」
『あの光、こっちへ近づいてくるぞ』
「え……?」
これにはビックリだ。確かに、青白い光が、ゆっくりとこっちへ近づいてきているような。えっとこの森の人魂って、光で誘って迷わせたり、危ない道へ行かせたりするって話だったような。……だから普通はこちら側が追いかける側、という話なんだけど、向こうから来る場合は聞いていない。
「ど、どうしよう……」
逃げればいいのか? でもこの霧の中、どこへ逃げればいい? 逃げた先が実は沼で、そこに落とそうとしているとか……。
ぐっとイッヌさんの毛を掴む。モフモフしているというのは気休めだけど、僕ひとりじゃないとわかって少し気分が落ち着く。そうとも、いざとなればイッヌさんは自分で判断できる。危険を感じれば逃げるだろうし、イッヌさんは伝説の魔狼だ。大抵の魔獣は敵ではない。……幽霊は対象かわからないけど。
すっ、と霧の中から、ボロボロのローブをまとった人が現れた。いや、人かどうかはわからない。フードを被って素顔は見えない。手には杖――松明を持っていて、先ほどからちらちらしていた青白い炎が燃えている。……人魂?
『お前から、死の臭いがする……』
おぞましい声がした。喋ったー、どころではない。心臓を鷲掴みにされたような、息が詰まるような。僕は言葉が出なかった。
イッヌさんが口を開いた。
『そういうおぬしは、死者か』
『左様。現世にて彷徨う者。名はウィリアム……』
人魂? 幽霊っぽいローブの男は、ウィリアムというらしい。
『お前は、地獄の番犬か?』
『ガルムではないぞ。フェンリルだ』
イッヌさん、堂々たる振る舞い。何だか凄く偉い人みたいだ。……モフモフなのに!
『そうか……』
ウィリアムは心なしか落胆したようだった。……どうしてそう思ったか僕にもわからないんだけど。
『おぬしは何故にここを彷徨っておるのだ? 死者なら死者らしく冥界に去るがよい。ここは、死者のおる場所ではない』
イッヌさんが、ウィリアムに説教するように言った。ただのモフモフではない。
『できないのだ。我は、天国にも地獄にもゆけぬ……。故に、永遠に彷徨っているのだ』
聞けば、このウィリアム。生前の行いがよろしくなく、地獄行きになりそうなのを、上手く回避して、現世に生まれ変わった。しかし、そこで再び悪いことした結果、死後、死者の門の前で、天国にも地獄にも行くことができないと宣告されたという。
結果、ウィリアムは人魂――イグニス・ファトゥウス、ウィルオウィスプとして、愚者の森を彷徨い続けているのだという。
『なるほど、おぬしは、そっちの世界の住人か』
イッヌさんはブンブンと首を振った。
『天国にも地獄にも逝けぬというなら、某が、別の死者の国を紹介してやろう』
『なんと……?』
『冥界というのだ。某の妹がおる。某の紹介といえば何とかしてくれるだろう。……ほれ、こっちへこい』
イッヌさんに言われて、ウィリアムが近づく。死者、霊体のせいか、凄く寒気がした。
次の瞬間、イッヌさんが大口を開けて、ウィリアムを頭から飲み込んだ。……えっ、ええーっ!?!?
「イッヌさん、イッヌさん大丈夫!?」
『問題ないよ、タロウ。……おや、霧が晴れてきたな』
本当だ。森が明るくなってきたような。
「……松明が落ちているね」
『置いていってしまったな。まあ、あやつにはもう必要ないだろう』
よいしょ、と。イッヌさんから下りて、松明を拾う。柄が杖のように長い。槍みたいだなー、なんて。
「燃えてるね……。でも周りに火はつかなかった」
草が燃えてしまうかと思ったけど。火事にならなくてよかった。
『タロウ。母上たちの気配を感じた。行くぞ』
うん。イッヌさんに乗せてもらい、僕たちは移動する。
「ところで、イッヌさん。妹がいたの?」
『うむ。某が長男。妹は末っ子でな。冥界で女神をしている』
「女神様なの!? 凄い!」
フェンリルって伝説の魔狼と言われているけれど、その家族も別格みたい。
ともあれ、僕たちは、探しにきた桃さんたちと無事、合流することができた。




