第117話、桃太郎一味 対 三鬼将軍
『よもや、わしの相手は、狼とは……』
邪鬼は、向かってくる狼型の魔物を睨めつけた。
『ただの狼ではなさそうだが……所詮は獣よ。我が祟りを喰らうがよい』
体は小柄な鬼である邪鬼だが、その本質は怨霊であり、物の怪である。得意とするのは祟り、呪い、そして他者を惑わすことにある。
黒い負の壁をぶつける。触れればたちまち力を奪われ、視覚、嗅覚、聴覚が低下する闇の塊である。
『力しか能力のない獣など、邪鬼様の敵ではないのだ。カッカッカッ!』
直接触れることなく、相手を弱体化させるのが得意な邪鬼である。哀れ狼は立つこともままならず、腰を折ることになるだろう。
しかし――
『温いな』
『むっ!?』
ふっと聞こえた声に、邪鬼は目を見張る。負の壁に押さえ込まれたように見えた狼が、闇の力を押しながらゆっくりと、しかし確実に前進してくるではないか!
『な、何とっ! 祟りを受けて、まだ動けるのか!?』
『この程度の呪術が、某に通用すると思っておるのか? 以前の瘴気に比べれば温いっ!』
狼は、邪鬼の祟りをものともしない。
『某を封じたければ、グレイプニルでも用意するのだな』
『こやつ、ただの獣ではない!?』
ズンズンと近づく狼は、しかしどんどんその体が大きくなっていくような――邪鬼は自身の目を疑った。
どういうことなのか。これは目の錯覚か。そしてハタとなる。先ほどから狼らしい相手の言葉が届いていたことに。
ただの獣ではない知性を持ち合わせている存在だ。
『き、貴様っ! いったい何者だ!?』
『よく覚えておくがよい、小鬼よ! 某の名はフェンリル! 神をも恐れさせ、主神さえ噛み殺した魔狼であるっ!!』
その巨大な口には、地獄もかくやの炎が渦巻き、一つの世界が広がっているようだった。邪鬼は本能的に恐れた。身の危険、恐怖。
だがそこで邪鬼は思い出す。フェンリルが何かは知らない。狼の怪物か何かだろう。その歯は、いかなる敵も噛み砕くかもしれないが、体が怨霊に近い邪鬼に触れることは、神の力でもない限り、不可能だった。
――こやつは、自ら神に敵対したと言った。ならば、わしにその牙も爪も届かな……。
言いかけた邪鬼は強烈な力で踏みつけられた。
『ふげっ!』
これは神に踏まれた時以来の屈辱だ。フェンリルを名乗る魔狼に、邪鬼は踏まれたのだ。
『ば、バカな! 何故、わしに触れられる!?』
『知らぬ』
足で押さえつけられた邪鬼に、フェンリルは噛みついた。
『母上の敵は、某の敵だ!』
『ぬあああああっ!』
邪鬼はフェンリルに噛みつかれ、引き裂かれ、そして飲み込まれた。炎と激痛にのたうち、そして、灰色じみた世界に落ちた。
『こ、ここは……どこじゃ?』
キョロキョロと辺りを見渡す。とても寒々とした場所だった。死と虚無。邪鬼は震えた。
『おや、これはこれは珍しいお客だ』
ゾッとする女の声がした。見れば、そこに巨大な椅子があり、銀色の長い髪の美女が座っていた。顔の左半分がその銀髪で覆われていて、片目で、邪鬼を見下ろしている。
――これは、ここの支配者だ……!
邪鬼の勘が、そう囁いた。この女に逆らってはいけない。それを本能で嗅ぎとった。見た目は清楚に見えて、とても冷たく、また得体の知れない力を持っている。これはさぞ有力な、この界隈では名の知れたレベルの人物に違いない。
『貴様は、我が庭に送り込まれた。……いったい何をしたのだ?』
声音は優しいのに、しかし何故恐怖を感じるのか。邪鬼にはわからなかった。
『わ、わしは、邪鬼と申す者。霊鬼様に仕える霊にございますれば……』
『ほう。すでに死人だったか……、それで、貴様は何故、食われたのだ?』
食われた――あの魔狼フェンリルに。邪鬼は頭を下げたまま答えた。
『霊鬼様の怨敵、桃太郎の一味と戦っておりました。その一味の中に――』
『あぁ、モモタロウ、モモか。兄上が『母』と敬う女子であったな。なるほどなるほど、では貴様は「敵」なのだな?』
銀髪女はすっと席を立った。
『ようこそ、邪鬼とやら。ようこそ、我が領域ヘルヘイムへ!」
ニィィと嫌な笑みを浮かべる。
『ようこそ極寒の地獄へ。――あぁ、わらわの名を名乗っていなかったな。わらわはヘル。冥界の支配者にして女神。父は欺瞞の破壊神ロキ、母は巨人アングルボザ。兄にフェンリル、ヨルムンガンド。わらわはその末っ子だ』
――女神ぃ……!?
邪鬼は理解した。フェンリルが霊体である邪鬼に触れることができた理由が。ヘルが女神で、フェンリルがその兄というなら、あの魔狼も神性を持った存在ということだ。
・ ・ ・
『恨めしいや……恨めしや!』
般若は、包丁を手に飛びかかる。しかし相手はメカニカル・ゴーレムのサルである。肉を抉る包丁の刃も、金属ボディには弾かれる。
『いい加減、諦めませんか?』
サルは、無感動な頭を動かし、機械的な目で、鬼女を見つめた。
『恨み辛みを赤の他人に向けたところで、何かが変わるとは思えないのですが?』
『お前に何がわかる! 私の苦しみが! 痛みが! 恨みが!』
ヒステリックに喚く般若。しかしサルは首をかしげるばかりである。
『ええ、わかりません。あなたはただ凶器を振るうばかりで、何も言いません。他人に理解して欲しければ、まずその態度を改めるべきでは?』
『恨めしい……怨めしい! キィエエエエ!』
『またですか。機械であるワタシとも話せないとは、これは相当コミュニケーション能力に問題を抱えていらっしゃいますね』
サルのメカニカルアームが、般若へと伸びる。バッと後ろへ下がる般若。
『また! また私に攻撃してきた! 男はみんなそう! すぐ暴力で私を黙らせようとするっ』
『まずあなたが凶器を捨てるところから始めるべきでは?』
サルは突っ込んだ。
『これは正当防衛というものですよ』
『すぐそうやって、女を馬鹿にして! 難しいことを言えば、どうせわからないと思っているんでしょう!』
『絶望的な会話能力だ。主語ばかり大きくしても中身が空っぽだ。これでは通訳できるだけ動物のほうがマシです!』
『私を、馬鹿にしたっー!』
飛びかかる般若。サルは腕をストーンハンマーに変えて叩きつけた。
『ワタシはあなたを馬鹿になどしていませんよ。あなたが馬鹿だっただけです』




