第105話、桃太郎、桃を食する
桃を食う。ああ、この世界にきて初めての桃。
亡き魔法の鏡曰く、今世には存在していない。異界にしかないと言われた桃。
一口。瑞々しさが口いっぱいに広がる。柔らかな歯ごたえは、優しく、体の中に染み渡る。
何でここまでこれを食べずに過ごせたのか……。前世の記憶が蘇らなかったら、ミリッシュはこの味を知らずに生きて、そして死んでいったんだろう。
勿体ない。知らなきゃ勿体なくないってか。
「桃ちゃん……?」
カグヤが何か言ったようだが、オレはこの余韻をしばし味わいたいんだ。しゃくしゃくと、粛々と。果汁が手についたがこれもまた一興。瑞々しさの証明だ。
「うまい」
それ以外の言葉は不要だった。語彙力など必要か? いらない。その美味を表現する必要などあるか? いやない。食え。美味い。それ以外に必要な情報はない。
浦島氏に案内され、そして食べた仙境の桃。一つじゃ足りないが、腹を満たすのが好物の味わい方だろうか? いや、それは人それぞれだ。
だがオレは、前世では大人だった。意地汚く、見境なく食べて、腹を満たそうとするのは子供のすることだ。ある限りのものを平らげることは、美しくない。
いくら食べても飽きないなんて言葉は、比喩表現に過ぎない。どんな美味なるものでも、食べ続ければ飽きる。人間は慣れる生き物だからだ。
限られているからこそ、尊いということもある。
「あぁ、しかし、次はいつ食べられるものか……」
滅多に来られる場所ではない。東の海の底なんてのは。少なくともオレ一人ではな。
「浦島氏……」
「何じゃ?」
同じく桃を食べている浦島氏が振り返った。
「オレは、桃の木があるのは知ってるけど、元の世界で育てられねえかな?」
蓬莱に来なくても、地上で作れば解決じゃね? ……誰が育てるの、ってあるけれども。
「桃は病気にかかりやすいし、害虫にも案外弱いからのぅ」
浦島爺さんは小首を傾げる。
「お前さんが専門家でないなら、やめておけ。まず失敗する」
「……」
「桃ちゃんさん」
お鶴さんが言った。
「現状は難しくても、ダンジョンとかで、そういう植物や木を増やせるアイテムとかあるかもしれないですし、諦めるのは早いと思いますよ」
「ダンジョン!」
そういえば、魔法の鏡さんも、今の時点ではないが、将来、ダンジョンドロップに桃が入る可能性も皆無ではないと言っていた。もしかしたら異世界漂流物として、桃が回収できる日が来るかもしれない。……一応、種も回収しておこう。
さて、カグヤもお鶴さん、太郎も桃を食べ終わった。ここでの用は終わったな……うん?
「太郎、桃はうまかったか?」
「うん!」
やけに楽しそうな顔をしている太郎が気になった。とても機嫌がよさそうで、ここ最近暗い表情も多かったから、嬉しい気分になれたのはいいけどよ。
仙境の桃は、ただの桃ではなく、人を幸せにするとか、何かしらの効果があるのかもしれない。仙人たちも食べるって話だったし。
それはいいんだけど、太郎の顔、ただ美味いものを食べたってだけの顔じゃねえような気がする……。
「お前、何か企んでない?」
「たくらむ? え、何?」
ビクリとする太郎。うんまあ、オレも変なことを聞いたな。想定していない言葉に吃驚するのは、よくあることだ。
「……」
「……」
すっと、太郎は目を逸らした。……何か考えているな、こいつ。ガキの癖に、あれこれ考えるのは、あまり感心しないな。
いや、しっかり考えることができて、大人になっていくのは、むしろ望ましいことではあるんだが。ただ、この年頃で、小狡さを磨かれても困るわけだ。
まあ、オレの考えすぎかもしれないけど。何だかんだ、太郎も最初はでっかい桃に入って流されてきて、昔話に聞く桃太郎みたいだったわけで、何かしら桃と因果があるかもしれない。
つーか、あのデカい桃の入れ物は何だったんだ? それを知ろうにも、魔法の鏡はもうないしな。
人様の過去とか経緯ってのは知るもんじゃないってものだけど、普通に考えたら、川に流されているって捨てられた率が高いんだよなぁ……。知ってもいい話じゃなさそうだから、深く考えないようにしていたけど。
まあ、いいや。太郎が何か考えていてもそのうちわかるだろう。少なくとも、悪いことは考えていない……と思う。
・ ・ ・
名残惜しいが、オレたちは蓬莱を後にすることにした。
蓬莱は異界の一つということで、時間の流れが違うっぽいから長居できない。3年遊んでいたら300年らしいもんな。数日だけでも、やべぇ月日流れている。
かつての竜宮も、何があったか知らないが今や廃墟。かつてここで過ごした浦島氏も知らないという。お姫様は、どこで何をしているのかねぇ……。
環境適応魔法を再度かけてから、竜宮遺跡に戻る。海底探検――をすることなく帰還。どこまで時間の経過が違うかわからねえからな。ここもまだ異界の範囲かもしれねえし。
しっかり待っていたオオウミリクガメの甲羅に乗って、島へと戻る。でっかい亀の甲羅の上に乗っている姿を見て、まんま昔話の絵本の浦島太郎だって思った。
えんやこら、どうたらこうたら。行きとは逆を行き、上へ上へ。
というか、これ重量のせいで竜宮まで連れてこられたけど、元の重量じゃ、戻れないんじゃね?
そうは思ったが、後の祭り。しかしまあ、順調に戻っているようでよしとしよう。オレたちが降りてもオオウミリクガメたちは帰られなかったら、ひょっとしたら浦島氏が何かやったのかもしれない。
そしてオレたちは、海上に出た。照りつける太陽が眩しい!
「帰ってきたぞ!」
「何を言ってるの桃ちゃん」
と、カグヤ。
「私たち、すぐ戻ってきたじゃない」
「だといいけどな。地上じゃどれくらい日にちが経っているやら」
浦島太郎の昔話の怖いところだぞ。……それはそれとして、浦島氏にご挨拶。
「ありがとうよ、浦島氏。おかげで目的を果たすことができた」
「本当にありがとう」
ペコリとカグヤが頭を下げた。浦島の爺さんは仙人じみた長い顎髭を撫でる。
「いやいや、まあたまには遠出するのもいいものじゃよ。久しぶりに人と話せてよかったよ。……それじゃあの」
浦島氏はオオウミリクガメに乗って、島の奥へと入った。それを見送り、オレたちもスキーズブラズニルに移動する。
「飯にすっか」
腹も空いてきたし、海底と蓬莱探検で動いたし。ということで食事だが、太郎が並べた料理に一点にオレの目が吸い込まれた。それはお土産で持ってきた以上の数の桃。
「なんで桃がこんなにあるんだ?」
ちょっと面食らった。こんなに早く桃が食べられるとは思ってなかったから。




