第103話、桃太郎、竜宮都市を見る
美しい海底への道中だったが、楽しめたのは最初の方だけだった。
もともと殺風景ってのもあったんだけど、それより深刻な問題として、深くなるほど太陽の光が届かず、夜より暗くなっていったからだ。
これは、万が一、甲羅から離れたら、そのまま右も左もわからなくなって迷子になるぞ……。
オレは太郎が落ちないよう、きっちりホールドした。ここで落としたら、ほんと見つけるのは無理だろうな。
どこまで潜るのか。オオウミリクガメが潜る海底都市につくまでは、待つしかねえ。
これだけ真っ暗だと、他の生き物がいても見えない。やべえ、海の化け物とかいねえよな? 遭遇したら、どう対処したらいいんだ?
不安が込み上げる。敵が見えれば戦いようもあるが、こうも視界ゼロだとな。亀は見えているんだろうけど、こいつらオレらには何も言わねえからな。
太郎は胸の中で大人しい。神経図太いっつーか、こういう状況で大人しいのは助かるぜ。下手に動かれて、バランスを崩して落ちるのは洒落にならねえ。
周りが見えないせいで、どれくらいスピードが出ているかわからねえけど、割と早いぞ。
見えないが見えないなりに視線を動かして周囲を警戒。敵意のようなものは感じない。ただ時より、黒の中に別の何かが動いたような気配が見えた。
どれくらい深いかわからねえが、やっぱ何かはいる……。
オオウミリクガメが無言で泳ぎ、どんどん深く潜っている中、やがて底のほうが、ぼぅっと深い青に変わった。
光が届かないはずなのに、心持ち周囲が黒から紺碧色に変わったような。青さは時間と共に増していく。
ほとんど間近の太郎以外のもの、オオウミリクガメの後頭部も見えるくらいになってきた。
海の底に近づいたら明るくなるって、例の竜宮って海底都市が近いのか? それとも、もうすでに現世と異界の狭間を越えたとか?
わからぬまま、亀に任せて移動することしばし、後続するカグヤたちやイッヌ、浦島氏の亀も見えるようになった。サルも、しっかりついてきていた。あいつ何気に泳げるのな……。
そして、完全に明るさを取り戻した海底が見えてきた。いや、普通は太陽光が届かないから明るいなんてあり得ないんだけど……。
「遺跡か……?」
巨大な白い半球――ドームのようなものが見えてきた。貝殻型? 真珠じゃないのは確かだが、巨大なそれは、なるほど海底都市、そのなれの果てのようだった。
「これが音に聞く竜宮城ってか?」
想像していたのと違うな。海底遺跡じゃねーか。乙姫様はどこだ? タイやヒラメはどこだ?
近づくほど、遺跡間が増す。ドーム状の天井にはいくつか穴が空き、廃墟であることを物語る。
「何があったんだ……?」
浦島太郎のお伽話でも、彼が離れた後の竜宮城がどうなったかの顛末はなかったが……あれどうなったんだろうな。
オオウミリクガメは、空いた穴から海底遺跡に侵入した。中は、なるほど都市が広がっていた。ただし、すべて水の中で、石造りの建物は遺跡の一部と化していた。
人はおろか、生き物も小魚くらいで、後は珊瑚がいたるところにあるくらいか。
……この魚って海底魚じゃねえよな……?
専門家ではないからよく知らないんだが、海底魚って、もっとグロテスクな見た目な印象があった。
おっと、着地! オオウミリクガメの足が地面について、ふわっと、細かな海底の砂を小さく舞わせた。
振り返れば、浦島氏、カグヤらを乗せたオオウミリクガメも着地した。
「で、ここからどこへ行けばいいんだ?」
声を出しているつもりだけど、聞こえているか?
『こっちだ』
浦島氏が先導する。声は聞こえた。地上とは全然感覚が違ったけど。オレたちを乗せたオオウミリクガメもそれに続いた。
……なんで、この亀たち、それについていくんだ?
まるで浦島氏が言っているのを理解しているというか、彼の言わんとしていることを理解して動いているような。
仙人だから、か? お鶴さんも指摘していたけど、浦島氏の振る舞いやその姿、仙人って言われれば確かにって見た目だもんな。
海底都市を進むオオウミリクガメ。陸上と違って、弾むように歩くのは、一応水の中で、浮力が働いているんだろうか? よくわかんねえけど。
都市の中央の大きな建物は、例えるなら竜宮城みたいなものだったのかな。オレたちはそこへ向かっているようだが。
廃墟の街並みは、魚礁のようで、魚やカニもどきが、ちらと見かけた。足長っ、蜘蛛みてぇ。
やがて、中央の廃墟に辿り着いた。浦島氏がオオウミリクガメから飛び降りると、『少し待っていなさい』と声をかけた。そしてオレたちを見やる。
『蓬莱へ行くのだろう。ついてきなさい。……亀は大丈夫。ここで待たしておく』
浦島氏、やっぱ只者じゃねえな。
オレたちも甲羅から滑るように降りて、着地。ぼふっ、て海の底の泥のような砂のようなものが舞った。
「なあ、浦島氏。ここって――」
『蓬莱じゃよ。わしが、姫君に誘われて過ごした、な』
少し寂しそうに仙人のような御老人は言った。彼が歩き出すので、オレたちも続く。
「ここで何があったんだい?」
3年間、楽しく過ごした場所だっただろうに。
『さあて、わしが再びここへ戻ってきた時にはこの有様じゃよ。何者かに攻撃された、と見るのが正しいかもしれない。海の魔物か、あるいはサハギンのような他生物を攻撃する種族とか』
「サハギンが海底に?」
あの超好戦的な半魚人ども。遭遇したら問答無用で襲ってくるイカれた種族だ。
『あやつらは、海の生き物じゃからのぅ。深さにも耐える体を持っておる』
浦島氏は、ゆっくりと歩いた。
『時々、わしもここへ来ることがある。……まあ、同郷のよしみだ、案内はしてやる』
そう言って、彼は建物の中、廃墟のそれからとある床に触れた。
『さあ、覚悟はよいかな? 蓬莱じゃ!』
光が弾けた。突然起きた眩い光に目を閉じると、体が急に軽くなった。いやまとわりついていた海の水が消えたというべきだろう。
目を開けると、そこには地上であって地上ではない世界が広がっていた。




