跳んで火に入る野良兎
街の港は、一ヶ月ほど前から封鎖されている。
それはこの街に来てすぐのころに商人ギルド支部で聞いた話だ。
なんでも港付近の海域に、大型の魔獣が住み着いたらしい。
よって魔獣が自然と生息域を移すか、もしくは有志により討伐されて安全が確保されるまで、港は無期限封鎖なのだと。
ギルドの面々が「なんのための私兵団だよ」「さっさと討伐してみせろよ」「銀皿崩れがよぉ」と、支部でくだ巻きついでに腐していたのを覚えている。
余談だが、あの私兵団は主に傭兵ギルドから引き抜かれた面々で構成されているとかで、商人達はそういった元傭兵ギルド員を『銀皿崩れ』と呼んでいるようだ。
じゃあヴェスも銀皿崩れか、と一瞬思ったがいまだに除籍手続きとかしてなさそうだから、一応ギルド員のままではあるのだろう。
とすると音沙汰無しの幽霊部員みたいな扱いなのか、はたまた消息不明からの死亡扱いで自動除籍されてるのかといったところだが……いや、今はそんなことより。
「明日だぁ……?」
周囲に人影が無いのが明らかな見晴らしの良い海辺にいるのをいいことに、美少年らしさの欠片もない声を上げる。
三日後面会の約束がバカ正直に守られるとは元より思っていなかったが、それにしても明日の夜。
しかも『船で出荷』ときた。
この一年でひしひしと感じたことだが、ヴェスペルティリオという男の群としての性質は狼──いやあえてこう言おう──犬、それもかなり忠犬ヴェス公なのだが、個としての性質はどこまでも虎だ。
要するにあの男は群れの仲間である俺に対してはだいぶ寛容かつ、こちらの意思を極力尊重しようとする姿勢を見せるが、それはそれとして根本的には倫理観ゼロの猛獣のままなのである。
私にだけ優しい殺人鬼がどうのこうのという話題を前世で見かけたが、実際似たような状況になると、自宅のリビングに“ご自由にどうぞ”と書かれた大量殺戮兵器のスイッチがポンと置かれている気分だった。
頼もしさよりかは、『これ俺に魔が差したら終わるな』という理性を試されている感覚がギリ勝る。いや頼もしいは頼もしいんだけど、社会的な終了と隣り合わせなので言うほど素敵なもんではないと思う。
唸れ俺のなけなしの正気度。閑話休題。
つまりヴェスはたとえ船に乗せられようとも俺と約束した三日間はギリ大人しくしているだろうが、それを過ぎたらやはり船だろうと何だろうと全部ぶち壊して戻ってくるに違いない、ということだ。あいつ泳げるんかな。知らんけどなんか力業で戻ってきそうな気はしている。
いっそ、それが海難事故として処理されることを祈って放置するか。
いやしかし中世じみたローテクの真横に、SFじみた謎のハイテク技術が使用されていたりする異世界である。科学捜査に代わって、特定個人のマナだのなんだのを追跡する技術があってもおかしくない。
一旦ララワグの言葉を信じて情報を整理するのであれば、まずひとつ。
海路の封鎖は、港を管理している商会長の根回しによるものであり、大型の魔獣云々についても虚言もしくは“管理可能な災害”である可能性が高い。
雷の件もだが、このタイミングでたまたま全部解決しました船出せます、は無理があるだろう。
わざわざ夜に出航するのも、積み荷もしくはそもそも“船を出せる”という事実そのものを隠したいのかもしれない。
次にもうひとつ。
『出荷』という言葉選びが比喩でないのなら、ヴェスは“商品”にされるために捕まった、ということだ。
商会長側が真犯人を承知でヴェスに冤罪を被せてきた件を思うと、おそらくそれで正しいのだろう。やはりあれは、ヴェスの身柄を押さえる、という結果ありきの茶番だったわけだ。
何のために、というのもララワグとのやりとりで大体分かった気がする。
商会長、および施設側は何かを狙っていた。
それはおそらく特定個人ではなく、不特定多数……もしくは特定多数の“何か”だろう。
ヴェスは何処ぞの界隈では有名人らしいのでヴェス個人を狙った可能性についても少し考えたが、名前すらろくに把握していない様子で“セリヌンティウス君”を捕獲していった商会長の様子を見るに、その線は薄そうだ。
ミネラウヴァがわざわざ商会長側にヴェスとの関係性を伏せて振る舞っていたのも、現状そこの繋がりがまだ割れていないからこそと思うべきだろう。どうして伏せたかったのかまでは分からないが。
狙いはヴェスだったが、ヴェス個人ではなかった。
ここからはもう憶測でしかないが、その狙いとはエルフ類などの一部の特定種族なのではないだろうか。捕獲リスクの高いダークエルフをあえて捕まえるのだから、そうでなければならない理由があるはずだ。
何にせよ俺達の現状は、ある魚の群れを狙って仕掛けた網に、たまたま引っかかってしまっただけの魚、なのではないかと思う。イワシ漁の網に偶然かかった研究用タグ付きのイワシみたいなものだ。
網の主……商会長側はただ指定通りのイワシを捕まえたかっただけで、タグ付きの個体をわざわざ狙ったわけではない。
そしてララワグの態度からして施設側はタグ付きが一匹捕まったことを知ったとて、わざわざ申し立てて助け出すほどではない、もしくは捕まっても問題がないと判断している。
それは結局アルテアさえ無事なら俺達はどうなってもいいという話なのか、はたまた出荷先というのが……いや、今はその先を考えても仕方がない。
ここまで情報を整理して、はじき出される結論としては。
「さようなら一般商人生活、ハロー社会の最底辺……」
「はぉー?」
海に反射する光のまぶしさに目を細めて、美少年フェイスで微笑む。
いや明日。明日の夜は無理だろ。
ぶっちゃけ三日あってもどうにか出来るか怪しかったのに。
もうどうせ社会死が確定してるなら、陸にいるうちに脱獄させて勢いで逃げるか、と夜逃げの覚悟を決め始めていた俺の耳に、ふと足音が近づいてくるのが聞こえた。
不規則に水たまりを跳ね上げる乱れた足音。大人のものではない、軽くて間隔の短いそれ。
まだ距離があると思っていたそれは、俺が音のほうへ振り返ろうとした瞬間には、あっという間に真後ろまで迫っていた。
そして勢いのままに黒ローブの裾がぐいっと引かれる。
思いきり引かれたせいでぐらついた体勢をどうにか立て直しつつ、それを為した人物を視界に収めた。
こちらを睨み付ける、鮮やかな桃色の瞳。
その瞳の上でちょこんと存在を主張する、愛嬌のあるまろ眉。
「……っおまえ!! おまえだ!」
「え」
長く垂れた土色の兎耳をびびびっと震わせた十歳前後の子供は、俺の顔を見て食ってかかるように叫んだ。
昨日の今日で忘れるはずもない。
それは昨夜パン泥棒をして追われていたところを、なりゆきで助ける羽目になった兎獣人の子供だった。
小さな体を目いっぱい伸ばして俺の胸ぐらを掴まんとする子供の姿に、お礼参りの可能性が脳裏をよぎる。
いや、いくら貧弱エルフな俺といえど、栄養失調でガリガリの女児に物理で負けるほど弱くはない……と思いたい。鈍器とか持ち出されるとちょっと負けるかもしれない。
どちらにせよ美少年イメージ戦略的に都合がよろしくないので、抵抗するより被害者側に回って周囲の同情を買い叩くほうを選ぶが。
もしここから暴力担当の仲間をぞろぞろ呼ばれたとしても、自動回復もあるし、エルフの体は早々死にはしないだろう。
上手いこと誘導してアルテアの安全さえ確保出来れば、俺単体への暴力ならまぁ、と受け入れ体勢を整えかけていたところで、目の前の子供の表情がぐしゃりと歪んだ。
「おまえ、治せんしょう! きのう、おまえ、さわりよったら、足、いたくないなった!」
「ちょっ、と、あの、落ち着いて、もらって……」
ローブの胸元を掴まれて渾身の力で揺さぶられてしまうと、俺にはもはやアルテアを落とさないように腕に力を込めるくらいしか出来ない。
「だけんっ、ピピリマも治してくりゃれ!! できるがやろ! ×××! なあ!」
とりあえずお礼参りではないらしい、ということは分かった。
子供の様子はいかにも必死であり、その顔は焦燥感に満ちている。
だが喋り方に何種類かの方言がぐちゃぐちゃになったみたいな癖と、おそらくは無教養ゆえの誤用と、あとスラングらしき単語が入り交じっており、まくし立てられるとだいぶ聞き取りづらい。
エルフの里でたっぷり百年を過ごしたといえど、やはり俺にとって異世界語はどこまでも第二言語なので、異世界ネイティブスピーカーとの会話では時々こうした事態が起こる。
そもそも同じ異世界語にしても、エルフ達の発音や話し言葉は教科書じみて整っていた。
そこを基準に生きてきたものだから、人里でのスラングや方言、若者言葉などの口語はまだ分からないものが多いというか、絶賛学習中である。それでも施設にいた見張りの兵士などの雑談でだいぶ覚えたのだが。
しかし多少聞き取れなくても、拾えた単語や相手の表情から意図を察することは出来る。
そんなわけで今回も、“ピピリマ”とやらが怪我か病気をしていて、それを俺に治して欲しいのだろう、という流れは汲み取れた。どうやらこれは救援要請らしいと理解する。
とはいえ。
(そんなことしてる場合でもないんだよなぁ)
俺が心優しい慈善家なら、一も二も無く子供の言葉に頷いてみせるのだろうが、あいにくこっちはこっちで社会的地位を失うまで秒読みの段階である。
余裕があるときなら好感度ばら撒きついでに付き合っても良かったが、この状況では。
……いや。
(──もしくは)
「なあって! どうなんよっ!!」
返事をしない俺に焦れたらしい子供が伸び上がって、こちらの長ったらしい片目隠しの前髪に手を伸ばす。
この体勢では払うにも身を引くにも間に合わないからと、力いっぱい髪を引かれる一瞬先の痛みを受け入れようとした俺の視界の端で、何かが。
小さな光が、強く煌めいた。
「あっ、つ!!」
光とほぼ同時に声を上げた子供が、素早く手を引いて後ろに下がる。
そのまま手のひらを胸元に抱えて立ち尽くす子供と、事態が理解できずに固まる俺が見つめ合った。
なんだ。今。何が。
早急に状況を把握しようと頭を回す俺の腕の中から、今度は別の手が伸びてくる。
兎獣人の子供のものよりもっとずっと小さい手。アルテアの手だった。
「…………め」
「アルテア?」
抱き上げられたままのアルテアが、その手でぐいと俺を引き寄せて、逆にこちらを抱きしめようとでもいうように強くしがみついてくる。
首元に埋められた顔を伺おうと俺が身を離すより早く、ぱっと上体をよじって子供のほうを顧みたアルテアが、叫んだ。
「こう、いたいすーの、めっ!!!」
響き渡ったその声に、言葉に、目を丸くする。
アルテアは赤ん坊のころからとにかく肝が太く、人見知りはおろか何かを警戒することもほとんど無かった。
いわんや、敵意をあらわにする、なんてことは今まで一度もなかったのだ。
だというのに今のアルテアは、猫だったら毛を逆立てて唸り声を上げていそうな剣幕で、目の前の子兎を睨み付けている。
俺は半ば呆然とその姿を眺めていたが、対面で同じく呆然とこちらを眺めていた子供が「まほう」と呟く声にはっとしてそちらを見やった。
「いまの、魔法だ。おまえ、やっぱし、つかえるんしょう。わっちらと同じみたいに」
確かに俺は魔法を使えるが、今“何か”をしたのは俺ではない。
ではない、が。
「……そうだとしたら?」
「わっちの足を治したのも、魔法なんしょう。治す魔法なんて、そんなんないって、みんな、わろうたけど。でも、でも、わっちは」
子供の言葉を聞きながら、警戒で固くなっているアルテアの背をぽんぽんと叩いて宥めつつ、俺はひとつ息を吐く。
ご存じの通り、回復魔法は存在する。
しかしそれは魔法を使える人々にとってすら一般的なものではなく、特定種族の固有技能といっていいものだった。正直、魔法というより特性に分類したほうが良さそうな能力である。
よってたとえ実在する技術だとしても、それがまず手の届かないものであるならば、一般的な人々にとっては“ない”ものなのだ。
だからこの子供の言葉を信じなかった相手の気持ちもよく分かる。学校の池にシーラカンスいたよと言われてそんなわけあるかと返すようなもんだ。ちょっと違うか。
エルフであることを隠している俺がこっそりといえど子供の怪我を治すのをよしとしたのには、そのへんの打算もあった。
ただでさえ疑わしい話である上に、仮に誰かに話されたとしても、子供の証言であればそれを信じない者は多いからだ。同じ子供同士ですら。
同じ状況でも相手が大人なら、俺は回復魔法までは使わなかっただろう。
さて、常であればこのまま優しげな顔で言いくるめ、薬草のひとつも持たせて適当に追い返すか、もしくは心の隙に入り込む温かい言葉をかけて、じっくりと信用を得るところだが。
「お嬢さん」
なにせ時間がないもので。
「────“偽善者”が、何の見返りもなく人助けをすると思うか?」
「…………えっ」
人の良さそうな美少年の顔ではなく、性格最悪な俺の顔で、晴れ晴れと笑ってみせる。
何を言われたか分からないという様子でぽかんとこちらを見る子供に歩み寄り、目の前で膝をついて、子供の手のひらをすくい上げる。
元からぼろぼろだったのだろう土まみれの小さな手は今、先ほどの“何か”による火傷のせいで真っ赤に腫れていた。
絵本に出てくる王子の真似事が如く、その手の甲に口元を寄せる。
実際に口づけてはいないが、そうやってもし人が通りかかっても見られないように、己の身と相手の体で手元を隠しながら回復魔法を発動させれば、淡い光がお互いの間でほのかに浮かび上がり、手のひらの火傷がじわじわと治っていく。
「それでは兎のお嬢さん、僕と商談しましょうか」
俺はそのまま上目遣いに子供の顔を見上げて、人を堕落させる悪魔のように微笑んだ。




