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猫が笑えば肝が冷える(2)


 肩ほどまでのオレンジの髪。赤茶色をした猫の耳と尻尾。

 実験動物に対する好奇はあれど、俺個人への興味は欠片もなさそうな色を宿した金の瞳。そしてその右目を覆う片眼鏡(モノクル)


 服装は、旅人らしい服としか表現しようのない、やや薄汚れたシンプルなもの。本人のクセの強さとは裏腹に、身につけているものはなんとも没個性な品ばかりだった。

 口を閉ざし、唯一目を引く特徴的な片眼鏡さえ外してしまえば、あっという間に“普通の猫獣人”として街に溶け込めてしまえるだろう。


 年の頃は二十代半ばほどに見えるが、正直この世界では見た目の年齢は当てにならない。エルフ類ほどではないにしろ、様々な理由で外見に比例しない年月を生きる者はそれなりに存在するからだ。

 ただ俺の受ける感覚だけの話をするのであれば、その瞬間ごとに、ものを知らない子供に見えるときも、無邪気な少女みたいに思うときも、ふいに老獪な魔女のごとく映るときもあった。


 どれもが真実のようでもあり、どれもが虚構のようでもある。

 それが現時点での俺にとっての“ララワグ”という女の印象であった。



 今の自供がすべて嘘で、本当は別の思惑があって……という説ももちろんあり得るが、疑い続けるだけではきりがない。

 良かれ悪しかれ、せっかく事態が動いているのだ。可能性だけ頭に残して、ひとまず目の前の線を引っ掴んでみるべきだろう。


「でも実際のところ、ラァラさんの役割って追っ手と言うより僕達の監視──も少し違うか、そうだな、()()()()()って感じなんじゃないですか?」


「それも大当たりぃ。なになに、どこで分かっちゃった感じ?」


「なんというか、音沙汰なさすぎたと言いますか」


 暗躍する追っ手らしい追っ手の姿もなく、堂々と街道などに検問が張られるでもなく、適当な罪をでっち上げての手配書が出回るでもない。

 俺達が今の今までのんきに旅をしてきた現状そのものが、泳がされていると判断するには十分すぎる状況証拠だ。


「とっくに見つかっていた上で接触がなかったということは、施設(そちら)側は僕の雇用主とはまた別の目的があって僕達を放置していたんだと思うんですが、そのあたりの説明は頂けますか?」


「んーふふ。そうネェ。どうしよっかナァ。ララワグは別にいいんだけど、下手なこと言うとうるさいのに怒られちゃうからナァ」


「ではあなた方の目的ではなく、僕個人の役割の話ならどうです? 業務内容の確認、みたいな」


「そ~~~~、んくらいならいいか! いいっしょ! 多分! 聞いてみて聞いてみて」


 知りたいことは色々あるが、下手に欲張って「やっぱ無し」なんてゼロにされてもたまらない。

 ほとんど言葉遊びじみた屁理屈で話を聞き出している以上、ここは本当に業務の確認をしてみることにしよう。


「僕はこのまま旅を続けたほうがいいんですか? それとも一つところに留まっていたほうが?」


「どっちでもいいよ。キミが、そのアルテアちゃんと一緒に居てさえくれれば」


 アルテア。

 やはりスラファトにとっても、ララワグ側にとっても、重要なのはこの子供か。


 稀少といえど俺達はどこまでいっても実験動物の一つでしかないが、アルテアはもっと重要な“なにか”であるらしい。

 アルテアと血縁らしきスラファトが、例の施設では『スラファト様』と呼ばれ、明らかに看守たちより上の立場にあったこと等から考えても、そこに疑いの余地はない。


 そしてそんなアルテアと、護衛として武力に秀でているわけでも庇護者として慈愛に満ちあふれているわけでもない俺が、ただ共にあることに意味があるとすれば。


「それは“僕が”ではなく、“エルフが”近くに居ればいい、という話なのでは?」


「『人間の子供をずーっと傍に置いといてくれるエルフ』がキミしかいないんだから、もう“キミが”でいいでしょ」


 そんなことない、とは言うまい。

 他種族を見下しまくっているエルフ達はまず間違いなく拒否するだろう。


 ただ物理的に近くに置いておくだけでいいならば、例の手錠をつけて牢屋に放り込んだ上で隣室でアルテアの面倒を見る、という手もあるだろうが、ララワグの様子からしてその状態のエルフでは意味が無い、もしくはコスパが大変に悪いのかもしれない。

 となればなおのこと、普通のエルフには実現不可能だ。絶対。血液の半分を賭けてもいい。


 そしてアルテアの傍にエルフがいるメリットについては、思い当たる節がある。

 タリタのところに居た時に発生した、俺が二、三日近くに居ないと熱を出していた件だ。あれ以降、丸一日以上傍を離れたことがないので、一年経った今も同じことが起こるのかは分からないが。


「ちなみにアルテアの体の状態についての詳細は」


「ン~~~~~~~~~」


「ああはい分かりました、聞きません」


 面倒を見ろというなら詳細なカルテとまでいかずとも母子手帳くらいの情報は渡してほしいもんだが、何かしらの機密にあたるらしい。

 施設の傾向と胸の手術痕からしてある程度の察しはつくが、好奇心はエルフを殺すので。ここは知らぬ存ぜぬで潔く引いておくべき場面だろう。


「ところで美少年くんさぁ、なんかララワグにトゲトゲ対応じゃない? 他の人にはもっとキラキラ対応してたのに」


「あなたには意味がなさそうなので猫被らないだけです」


「えー、なんでぇ。一緒に猫になろうよ」


「必要とあらば猫でも泥でも被りますけど、必要が無いなら面倒なことはあまりしたくないんですよ」


 基本的に俺は美少年ムーブのほうが生きる上で得られるメリットが多いからそう振る舞っているだけだ。

 だから媚びを売ることが逆効果(デメリット)になりそうなタリタなどにはほとんど猫は被らなかったし、根本的に俺個人に興味ゼロなララワグに対しても然り。 

 それがプラスに働く状況や、行うことでデメリットを避けられる場面ならともかく、明らかに無駄と分かる状況でいらないシャドーボクシングをする余裕は俺にはないのだ。


 実際こちらが媚びを売ろうが反抗しようが、ララワグにとってはどうでもいいことなのだろう。

 「あ、トゲトゲ対応で思いだした」と女はころっと話を変えた。


「ダークエルフくんどしたのアレ。なんか捕まってるけど」


「思い出され方。ていうか捕まったの知ってるのに理由は把握してないんですね。そっちが手を回した可能性もゼロじゃないかなとは思ってたんですけど」


「だって別にララワグの指示とかじゃないし。……ん? あーいや……」


 ふいに黙ったララワグの視線が、何かを思い出すように左上に向く。

 そして、三秒ほどの間のあと。


「まぁ直接は指示してないし!!!」


「間接的には指示してたんですね」


「いやほんとほんと! 美少年たちを狙った指示じゃないし!!」


「他のなにかは狙ってたんですね」


 ちょっと話が見えかけてきたな。


 しかし俺は難事件を解決する名探偵でも、悪を暴く正義の味方でもない。

 そこらへんの究明はもっと主人公然としたどこかの誰かに任せて、さっさとこの街を出たいところだ。


「直接でも間接でも関わってるなら、どうにかヴェスを釈放させてくださいよ」


「ララワグはべつに困んないしナァ」


「荒事担当がいるといないじゃアルテアの生存率も変わってくるんですけど」


「でもダークエルフくんおっかないんだもん。むしろいないほうが気楽でよくない?」


「誰が?」


「キミに会いに来るララワグが」


 そう言って舌を出してウインクするララワグを白い目で見つめつつ、俺は前々から少し思っていたことを口にする。


「……ラァラさんってやっぱりヴェスのこと避けてますよね?」


 接触してくるのは俺が単独(+アルテア)で行動しているときばかりで、ヴェスが合流する前には姿を消していた気がした。

 だから今日にヤマを張った理由のひとつとして、ララワグに会えるとすればヴェスが確実に動けない今なのではと踏んだ部分もある。


「だってぇ、美少年と違って会話とかしてくれなさそう。どころか初手で首もぎにきそう」


「まぁ根回し無しだと十中二十くらいの確率で頭蓋が消し飛ぶんじゃないですか」


「ヤダァ、ララワグは頭脳労働担当なんだから、そういう野蛮なのやめてほしい! 暴力反対!」


「僕らにさんざん暴力どころじゃない陰惨実験しておいてどの口すぎるんですけど」


「直接は手ぇ出してないし! ララワグは企画立案と器材提供と経過観察とたまに()()()しかしてないし!」


「だいぶやってますね」


 それだけあればヴェスの虎の尾を踏むには十分すぎるだろう。


 というか本人の証言が事実なら、ララワグはあの施設に関わる者の中でもだいぶ重役なのではないか。

 俺がそう思い至ったことに気づいたのか、目前の猫はにんまりと笑った。


「ここでララワグを始末したら、自由になれると思う?」


「──いいえ?」


 一時的な時間稼ぎにはなるかもしれないが、それは俺達が解放されることとイコールではない。組織と対立するとはそういうことだ。

 仮に一旦退けたとしても永劫には続かない。武力をもって少数で多数を相手取れば、遠からず限界が来る。


 そんなもの大人しく従い続けたところで同じだ、と強者なら言うのだろうか。

 しかしそんなものを選ぶことすら許されないのが、弱者というやつなのだ。


 たとえ結果が変わらなくとも、遅いか早いかなら、遅いほうがいい。

 どうせ他人の玩具になるとしても、里のエルフ達のようにプライドを守って死ぬくらいなら、媚びへつらって一秒でも長く生き続けたい。


 それが弱者(おれ)という生き物だった。


「んん、む……、こぅ……?」


「おやぁ。アルテアちゃん起こしちゃったかナァ。眠る子猫はよく育つって言うし、たっぷり寝て、しっかり大きくなってもらわないと」


 腕組みをして満足げに頷きながら、ララワグがくるりと身を翻す。


 ここまでか。

 あわよくばララワグ経由で事態が解決しないかと思ったが、そう都合良くはいかないようだ。


 まぁ最低限の情報は得たし、少なくとも街の商会と施設の追っ手を同時に敵に回さずに済む、と分かっただけでもよしとしよう。

 そうひとつ息を吐こうとしたとき。


「あと明日の夜にはダークエルフくん船で()()されると思うから、回収するならお早めに」


「は」


「じゃあネェ、302番くん」


 最後にしれっと懐かしの実験体番号で俺を呼んで、ララワグは赤茶色の尻尾を上機嫌に揺らめかせながら、港のほうへと消えていった。

 雷鳴の止んだ海上を羽ばたく海鳥たちの声を聞きながらしばし立ち尽くした後、ひくりと口元を引きつらせる。


「はぁ~~~~~~~~…………?」


「は~?」


 ありとあらゆる感情を込めた俺の渾身の一声に返されたのは、アルテアの無邪気な復唱だけであった。



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