猫が笑えば肝が冷える
アルテアを抱えて宿の外に出ると、二週間あれだけひっきりなしに轟いていた雷は、すっかり鳴りを潜めていた。
正直、天候が操作されている云々は、自分でも陰謀論くさいなと半信半疑以下くらいの気持ちで言っていたのだが。
「どんなからくりなんだか」
フードの下から曇天を仰ぎながらそう独りごちれば、話しかけられたと思ったのか、腕の中のアルテアが「う?」ときらきらした青い瞳でこちらを見上げてくる。
なんでもないと伝える代わりにぽんぽんと緩く背中を叩いてやると、子供は心地よさそうに目を細めながらひとつあくびをした。寝てるところを起こして連れてきたのでまだ眠いのだろう。
「寝てていいですよ」
「ん~……」
ぎゅっとしがみついてくる体を抱き直しながら、俺は雷鳴の止んだ街の中へと歩き出した。
“追っ手らしくない追っ手”の居場所を、具体的に知っているわけではない。
だが、ここ最近ずっと接触を図ろうとしていたその相手が見つかるとすれば、それは今日なのではないかと思った。
俺は元々、勘を本気で信じるタイプではない。
だがいつぞやのヴェスとの、主観にまつわる会話の中で少し認識を改めた。
結局のところ『勘』とは、生き物がそれまでに蓄積した情報を元に、脳が無意識にはじき出す“経験則”なのだ。
結果として合っているにしろ外れているにしろ、“そんな気がする”ということは、何かしら己の中にそう判断するだけの材料があったということだろう。
なら大きくデメリットの発生しない状況であれば、俺の百年少々の経験則をたまには判断材料に入れてみてもいいと思った。それだけの話である。
よってこれは半分ほど勘としか言いようのない博打であり、しかしもう半分は『俺が相手の立場であればそうする』という推測に基づいた結論でもあった。
当たるか外れるかは、今から確かめる。
通行人の姿が増え始めた街を、眠り込んだアルテアを腕に練り歩く。
どうでもいいが子供ひとり抱え続けるのって結構きついんだなと、日々重くなる体重と共にひしひしと感じている。
タリタならばここで成長を感じて喜んだりするのかもしれないが、特に子供好きでもなく、どれだけウエイトトレーニングしようとバルクアップしない種族としては、「子泣きじじいってこんな感じなのかな」の一言に尽きた。重。
俺がエルフらしく魔法を使えれば、腕力を使わずに浮かせて運ぶなりなんなりできるのだろうが、まぁ無いもんは無いので根性で持ち続けるしかない。
アルテアがもう少し育って、自力で長距離を歩けるようになるまでの我慢か。というか俺は本当にいつまで面倒を見続ければいいのだろう。
そんなことを考えながら歩いて、歩いて、やっぱ勘なんか当てにならんなと俺が再び考えを改めかけたころ。
港にほど近い海辺に立つ木造りの物見台で、ようやく“それ”は見つかった。
五、六メートルある物見台の上から、だらりと垂れ下がった赤茶色の尻尾の先が、海風に吹かれてゆらゆらと揺れている。
ちらと見える背中の様子からして、どうやら上で丸まって眠っているらしい。朝っぱらから街中練り歩く羽目になった俺とは対照的なくつろぎ具合である。
溜息を吐く代わりに吸い込んだ息で、俺はその垂れた尻尾に向かって声をかけた。
「お久しぶりです。“旅する天才技術者”のララワグさん」
尻尾の先が小さく跳ねる。だがそれ以上の動きは無い。いや起きろよ。
寝汚くまたゆるゆると垂れ下がろうとする尾を見上げて、再び声を張った。
「……ラァラさん! コルです! 少しお話ししたいことがあるのですが!」
すると今度はごそりと身じろぐ気配がして、尻尾と背中が奥へ引っ込んで見えなくなる。
そして間もなく、尻尾の持ち主がひょいと頭を覗かせた。
「ん? んん~?」
寝起きなことがありありと分かる顔でこちらを見下ろしてくるのは、右目に片眼鏡をつけたオレンジ色の髪の女だ。
髪の合間からぴんと立って周囲の音を拾っているのは、尾と同じ赤茶色をした猫の耳。
その猫獣人の女……ララワグはまだ眠たげな様子でまじまじと俺を眺めたかと思うと、三秒ほどの間のあと、鼠を前にした猫のごとくきらりと目を輝かせた。
「美少年じゃん久しぶりぃ! 会いたかったよぉ~!!」
「僕も本当にお会いしたかったですよ。具体的に言うと十四日間ほど。一人で延々と街をさまよい歩くくらいには。というか、それならもっと早く接触してきてくださいよ、そっちから」
「ララワグと接触したかったの? いいよぉ! はいギュ~」
物見台の上から猫らしくクルッと回って目の前に飛び降りてきたララワグが、胸元に抱え込むようにして俺の頭を抱きしめてくる。その勢いで被っていたフードがぱさりと落ちた。
そして分かっててやってそうだからわざわざ口に出してツッコんだりはしないが、接触違いである。相変わらず距離感が近い。
「どうせずっと近場には居たんでしょう? なんで来なかったんですか」
「だってララワグ、雨も雷もキライなんだもん。だから止んだら様子見に来ようと思ったのに、もー全然止まないから。だからずーっとゴロゴロしてた」
この二週間の俺の徘徊は完全に徒労だったらしい。
まぁ正直ダメ元だったし、今こうして接触できた以上は別にそれでいいが。
「こっちも雷のせいで動きがとれなくて、生活費尽きるところでしたよ」
「体売ればよかったのに」
「どういった方向で?」
「細切れとかぶつ切りとか」
「量り売りは最終手段にしたいですね。……で、」
ララワグの胸元に押しつけられた耳から伝わる、本人の表面上のテンションとは裏腹に終始落ち着き払った心音を聞きながら、目を細める。
「僕と『お取り引き』はしてもらえますか? あの施設からの……“追っ手らしくない追っ手”の、ララワグさん」
俺の頭を抱え込んでいた腕が離れ、密着していた体が遠ざかる。
届かなくなった心音の代わりに、物見台の向こうから響く絶え間ない波音が俺たちの間に横たわった。
「えー、どうしてそう思ったのかナァ?」
そう言って笑う女の心音は、きっと、今も変わらず平坦に脈打っているのだろう。
初めに出会ったときと変わらない、好奇の滲む表層の奥に冴え冴えとした光を湛えた金の瞳が、それを物語っていた。
「わりと初手から胡散臭い人だとは思ってましたけど、本格的にそのへんの可能性を考慮に入れたのは、二回目に会ったからですね」
「会ってから、じゃなくて『会ったから』なんだ?」
「一度のことならぎりぎり偶然で信じましたけど、二度目があれば必然を疑いますよ。ましてや逃亡者の身の上ですから」
これで俺が何のしがらみもない一般人で、相手と生活圏が被っているというなら、二度でも三度でも“やあ偶然ですね”で済んだかもしれないが、今の立場でそれを素直に信じられるほど楽観的に生きちゃいない。
「さらにたまたま銃という希少な武器を手に入れたばかりの僕が、たまたま行った村で、たまたま銃の解説書をくれる人と出会うなんて、さすがに都合が良すぎるじゃないですか」
「疑り深いナァ。そこはヤッタァ! 幸運! でいいじゃん。で、どお? あれからシュパパンくんバンバン使った?」
「そんな使う機会ないですよ。大抵の荒事なら弊社の頼もしい蛮族が秒でアレしますし。それに弾も火薬も、安くない以前にろくに売ってませんから。無駄遣い出来ませんので動作確認がてら時々試射してる程度です」
ララワグの正体に早々に気付いてましたよという体でしれっと語ってはいるが、正直ララワグとの一度目の邂逅も、二度目も再会も、確信に至るほどの情報はなかった。
当時はあくまで“その可能性を考慮に入れた”というだけだ。ララワグがただ胡散臭いだけの一般市民である可能性も、全く別の脅威である可能性も、十分にあった。
「なんで気付いたかって話に戻しますけど。どう考えても胡散臭い貴女の存在と合わせて、僕は赤ん坊……アルテアを託されたとき、『奪われず、損なわず、逃げ続けろ』と言われました。あれは確かに“追ってくる者”がいることを想定した言葉だった」
思い浮かぶ全ての線を平行に並べたあと、時間をかけてひとつひとつに重み付けをしていき、特に確率が高そうなものを一段上に置いて、あとはひとつまみの勘を信じた。
その途中経過として、俺は今ここに立っている。
「にも関わらず一年経っても、僕たちを捕獲しようとしたり、力づくで処分しようとする輩は現れなかった。であれば考えられる可能性としては、『追っ手なんて本当はいなかった』か、『追っ手から上手く逃げおおせている』か、もしくは」
「──『すでに追っ手に出会っている』?」
チェシャ猫のようなにやにやとした笑みを浮かべながら、ララワグが俺の言葉を引き継いだ。
追っ手が存在しない、なら俺達にとっては好都合だが、この線を第一にするのは楽観が過ぎる。
追っ手から上手く逃げおおせている、とするには俺達が目立ちすぎる。アルテアの世話の都合上、定期的に人里に立ち寄らなければいけないのもあり、どう見積もっても一年間も見つからないでいられる理由が無い。
とくれば、あとは当然の帰結だ。
「そっかぁ……そこまで分かってるなら、もういいや」
俺達はもう見つかっている。
「その通り! 実はララワグちゃんは例の施設からの追っ手だったのだー!」
両手をわきわきとさせながら「フシャー!」とまたゼロ距離近くまで顔を寄せてきたララワグ。
その近さを真っ向から受け止めるようにして、俺は今のうち少しでも情報を得るべく、改めて目の前の猫獣人を見つめた。




