走らないエルフ
ヴェスのほうが人間の居る場所で喋ろうとしないのはいつものこととして、このミネラウヴァのスルーっぷりはどうしたことか。
「いや~、昨晩は勘違いで絡んでしもうて悪かったのう! わしとしたことが、この世で一番嫌みで高慢で陰険で底意地の悪いモンと見間違うとは、おぬしもさぞ気を悪くしたことじゃろうて」
「いえいえそんな全然」
弟に気づいていない、わけではないだろう。
正面にいた俺達くらいしか分からない程度だったが、部屋へ入ってきたあの一瞬、ミネラウヴァは確かにヴェスを見た。
そうして何やら意外そうに目を丸くしたのだ。あれは見知らぬ相手に対する反応ではない。
とくれば、エルフ類のスタンダード価値観である『血縁だからと取り立てて接点を持つわけではない』という性質を加味しても、今まで見たかぎりのミネラウヴァの性質を考えると、ここまで見事に無反応というのはいささか不自然に思えた。
実はヴェスが話していないか当人すら認識していないだけで、ミネラウヴァ側からしたら一言も話したくないくらいに不仲だった、という可能性もなくはないけれど。
(……そういう雰囲気でもないんだよなぁ)
嫌いな相手と接するときには、多かれ少なかれ違和感が生まれる。
表情。仕草。言葉の選び方。声のトーン。視線。通常と比べて何かしらの反応が少なくなったり、逆に過剰に好意的に取り繕おうとしてみせたり。
どれだけ演技が上手かろうとごまかしきれない無意識の体の反射というものが、大抵はどこかしらに現れるものだ。
「おや、幻日殿のお知り合いでしたか」
「わはは! 酒場をぶっ壊したときにな、其処な坊主がちょうどそのへんにおったのよ!」
「それはそれは、彼も驚いたでしょうなぁ」
商会長もミネラウヴァも、やはり事件の真犯人を隠す気もないらしい。
その上でヴェスを犯人として引っ立てるのは確定事項といった様子だ。まったく見事な茶番である。
まぁ別にそれはいい。いやよくはないが、この街に来てからの俺たちが何かしらの意図の中にいる、というのはヴェスと話していたとおり、ある程度察しをつけていたことだ。
二週間の膠着状態と比べれば、むしろ相手が明確になっただけ話は前進したとも言える。
だからここで優先して推察すべきは商会長のほうではなく、ミネラウヴァの意図についてだろう。
俺はそもそもミネラウヴァと関わった時間が短く、比較対象となる平常時をあまり知らない以上、さほど確信があるわけでもない。
だが多少の勘も加えて彼女から受けた印象を述べていいならば、今、ミネラウヴァは確かに隠したように見えた。
それは好悪などの感情を取り繕ったというよりも、もっとシンプルに。
「で? わしは其処なダークエルフの首根っこを引っ張っていけばよいのか?」
ヴェスとの関係性そのものを、だ。
姉弟仲どうこう以前に、そもそもヴェスと姉弟であること自体を隠そうとしている。
その理由が何であれ手札を伏せるということは、当然ながら相手にとってそれが大なり小なり開かれないほうが都合がいい情報だということだ。
そしてミネラウヴァが情報を伏せているのは誰に対してか。
──おそらく商会長側。
その結論に至った理由は色々あるが、一番簡単に言うならば、俺たちに対してそこの繋がりの伏せる意味があまり無いからだ。
昨日しれっと関係を明かしてきたヴェスの様子からしても、姉弟間での取り決めや暗黙の了解があった様子でも無い。
当事者および、後にしろ先にしろその当事者から情報を開示される可能性が高い同行者に、こんなところでいらぬ小芝居を挟む必要もないだろう。ミラネウヴァがそういった先延ばしを好むタイプだというなら話は別だが。
どちらにせよ、今重要なのはそこじゃない。
現状で決めるべきはただひとつ。
(この小芝居に乗るか、反るか)
俺がここでそれを商会長に開示するのと、伏せるのとでは、どちらがメリットが大きいだろうか。
いや、この状況だ。どちらのほうがリスクが少ないか、を優先するべきだろう。
であれば。
ふう、と俺は困り果てた顔で小さく息を吐いた。
「この場で無実を証明することは難しそうですね。すみません。セリヌンティウス」
「────…………」
ヴェスはぴくりと眉根を寄せたものの、何も言わずにひとつ溜息を吐いただけだった。
するとその様子を見ていたミネラウヴァが、さっきの比ではないほど目をかっぴらいて唖然とした顔になってしまったので、商会長の意識が彼女のほうへ向かないように率先して口を開く。何だか知らないが誤魔化したいならしっかりやってくれ。
「セリヌンティウス。大丈夫です。僕も僕なりに色々調べてみますので、気を落とさないでくださいね。何も無くとも三日後には一度、面会に行きますから。……いいですよね? 商会長さん」
「ああ、もちろんだとも。我々も引き続き調査をする。そうして彼への聞き取りと併せた結果、本当にヒト違いであったと分かれば、即座に解放すると約束しようじゃないか」
「寛大なご配慮、感謝致します」
別人の罪をスライドさせてまで捕縛しようとしているのだからどう考えても調査なんぞしないだろうし、解放なんてされるはずもない。
それをお互い理解した上での会話は白々しいことこの上ないが、社会には無意味を承知で交わさねばならない定型文がごまんと存在する。そしてそれは無意味であるくせに、無視すればあらゆるデメリットを生むのだからまったくもってタチが悪い。おまじないのようなもんだと割り切ってやるしかないのだ。
「では移送は頼みましたよ幻日殿。我々のような普通の人間では、ダークエルフに暴れられると取り押さえることも難しいですからなぁ」
「うむ、任せよ。わしが確と見張っておくでな。まったく、随分と待たされたせいで腕が鈍るところじゃったわい」
「そっちが寄り道して暴れてなきゃ昨夜のうちに来れたんだよ……!」
やれやれとばかりに嘆息するミネラウヴァに、私兵団員の一人がどことなく疲れた様子で吐き捨てる。
「仕事前に酒場で一杯やっちゃいかんとは契約になかったからのぉ。まぁ暴れた件については後処理の手間をかけて悪かったが、あれはダークエルフの名を気安く呼んだあの愚か者が悪いじゃろ。正当防衛じゃ、正当防衛」
「正当の欠片もねぇんだわ!!!」
私兵団のほうもミネラウヴァの扱いに苦労してそうなのが幸いといえば幸いであるが、だからといってこちらが有利になるというわけでもない。
ちらりと視線をやればヴェスはそれはもう心底忌々しげな顔をしつつも、大人しく手錠をつけさせている。
「…………」
そうして手錠付きのまま緩く手のひらを開いて閉じたヴェスが、俺に視線を返してすいと目を細めた。
……なるほど、なるほど。
「ではゆくぞ! 連行じゃ連行!」
手錠から伸びた図太い綱の先を持ったミネラウヴァが、普通だったらどかどかと盛大な音がしそうな歩き方でヴェスを引き連れて部屋を出て行く。
あのフォームで足音ほぼ無音なのどうかしてるだろ。効果音入れ忘れた映画見てるみたいで脳がバグりそうになる。
ヴェスの気配のなさといい、ダークエルフって揃いもそろってこういう暗殺者みたいな身のこなしなんだろうか。
ダークエルフ達が完全に部屋から離れたところで、商会長が改めて俺に向き直る。
「彼……セリヌンティウス君のことは責任を持ってお預かりさせて頂くよ。では、ご協力ありがとう、金穴の坊や」
好々爺然とした笑顔の中に、もはや隠す気もなくこちらを見下す色を宿した瞳でそう言うと、商会長は私兵団員たちを引き連れて去って行った。
すっかりひと気の失せた室内で開きっぱなしの扉を眺めていた俺は、確実に彼らが宿を離れただろうと思えるだけの時間が経ったところで、ひとつ息を吐きながら部屋の入り口に歩み寄る。
扉に手をかけてゆっくりと閉じながら、その裏側を覗き込んで声をかけた。
「アルテア」
「ん~~、んぃ……」
扉が開いているときだけ死角になるその位置で、床に敷いた毛布に包まって眠っていた子供は、俺の呼びかけにむずがるように一度身を縮こめたあと、ほとんど目を開けないままこちらに両腕を伸ばしてくる。
それに応える形で小さな体を抱き上げると、アルテアは満足げにくふんと笑ってしがみついてきた。
「お客さんが来てる間、静かに寝ててくれて偉かったですね、アルテア」
「えあぅ~」
万が一アルテア目当てだった場合備えて、やらないよりまし程度の小細工としてどこかに隠しておこうとしたのだが、このいかにも安宿らしい殺風景なワンルームにはろくな収納場所がない。
時間も限られていたし、じゃあもういっそこれでよくね?とこんな視覚のトリックみたいな隠し方になったわけだが、実際ほぼ誰も気づかなかったようなのでよしとしよう。
ほぼ、と言ったのはおそらくミネラウヴァには気づかれていただろうなと思うからだ。気配だの殺気だのの察知能力にかけてはダークエルフはわけわからんほど抜きん出ているので。
そして気付いた上でミネラウヴァが言及しなかった理由については今は保留にするが、しかしこれで、やはりこの件は俺たちの“追っ手らしい追っ手”が直接指示しての犯行ではない可能性が高い、と分かったわけだ。
「アル。アルテア。ちょっとお出かけしましょうか」
「んー……、んぅ? べーすぺおー……?」
「ヴェスはちょっとセリヌンティウス中です。後で会いに行きましょうね、行けたら」
先ほど『三日後』と再会の期日を指定したが、商会長側にそれを守る義理は無いし、正直期待もしていない。
だから俺があの場でああ言ったのは、冤罪で捕まった仲間が心配でたまらないのでせめて様子を見に行きたいといういじらしい嘆願……などではなく、『三日ほど大人しくしていろ』というヴェスへの業務連絡だった。
手錠をつけられたときのヴェスの目配せいわく、あれは俺たちがかつて使われていたようなマナを阻害する特別仕様ではなく、至って普通の手錠であったそうだ。
であればヴェスにとって、あんなものは拘束具どころか糸こんにゃく以下の何かだ。
だからこの場合、三日でことが解決しなかったときに終わるのは、ヴェスの命運ではない。
私兵団および商会長の命(と俺の社会的地位)である。
とはいえ俺としてもそれ以上の期間をこちらの都合で耐えろとは言い難いので、タイムオーバーしたときにはどうにか逃げ切ってまた潔く社会の最底辺からスタートすることにしよう。
もちろん極力回避するが。全力で世間体を維持したい気持ち満々だが。俺達の立場は対等であるがゆえに、ヴェスが本気で否となったときにそれを抑えつける権利が俺にはないというだけの話だ。
しかし俺が三日と言ったからには、あの男はおそらく三日は辛抱してくれるだろう。そして逆を言えばたぶん三日経ったら出てくる。物理で。一週間とか言っときゃよかったかな。
今後も無害な一般商人としてやっていくためには、それまでにどうにか事態を収束させなければならない。
さてヴェスにはこの街でこそ子守りを任せきりだったが、普段は買い出しやら何やらで別行動することもよくあるので、アルテアは今回もそういうものだと納得したらしい。
「ん!」と元気よく頷いたアルテアを一度ベッドに座らせてから手早く出かける準備を整えていると、ぱたぱたと両足を揺らしながら俺の様子を眺めていたアルテアが、不思議そうに首を傾げた。
「どー?」
「ん? ああ。どこに行くか、ですか?」
それはもちろん大急ぎで妹の結婚式に──ではなく。
「追っ手らしくない追っ手に、会いに行こうかと」
まぁ弊社のセリヌンティウスは頑強なので、せいぜい、ゆっくり歩いて行こうじゃないか。




