エルフと権威は直ぐには立たぬ
「我らは雷鳴の私兵団。雷鳴の街を治める商会長のもと、この街の治安維持に務めている」
早朝、荒いノックと共に俺たちが泊まっている宿の一室を突然訪ねてきたのは、揃いの銀鎧を纏った一団だった。
いや、ヴェスがノックの前どころか宿に突入してくる少し前から人の気配に勘づいていたため、作戦会議する時間は十分にあったのだが。
そうして黒ローブのフードをきっちり目深に被り直した俺が扉を開けると、宿の狭い廊下に厳めしい表情で立ち並んでいた彼らが何の御用でしょうかと尋ねるより早く突きつけてきたのが、ヴェスへの逮捕令状……ならぬ逮捕宣告であった。
「ええっと、人違い……ダークエルフ違いではないですか?」
「その男で間違いはない」
一応、育児のストレスに耐えかねたヴェスが俺の知らぬ間に暴れていた可能性も考えてちらりと視線で問いかけると、心外そうな半眼でじとりと見返される。いや念のためだって。ごめんて。
「でも彼は、この街に来てからはずっと宿を出ていないと思うのですが」
何せ俺がひたすら留守番とアルテアの子守りをぶん投げていたので。
「宿の受付の方に確認してもらえれば……」
「くどい。庇い立てするようならお前も同罪となるぞ。何ならこの場で斬り捨てることも出来る」
そう言って私兵団の面々が腰元の剣に手を伸ばせば、隣に立つヴェスのほうからひやりとした気配が漂ってくる。
おいやめろ、こんなどうやっても社会的に不利になる状況でひねり潰す(物理)なよ。やめろよ。フリじゃないぞ。
(とはいえ、……こーれは)
事の流れに俺もまた、フードの下で気づかれないように目を細めた、そのとき。
「こらこら。そのような乱暴なやり方では、分かり合えるものも分かり合えなくなるだろう」
武装した私兵団員たちの後方から、穏やかそうな男の声が響いてきた。
すると示し合わせたようにざっと左右に分かれた団員たちの間から、悠々と歩を進めて現れたのは、いかにも好々爺といった雰囲気の小柄な男だった。
どこにでも居そうな平凡な顔つきをしているが、身につけているものはどれも質の良い品々で揃えられており、確かな地位にあるのだろうことを伺わせてくる。
「初めまして、旅の方。部下が失礼をしたね」
「いえ、そんな……僕も急なことに驚いて、失礼な態度を取ってしまいました。申し訳ありません」
フードで相手から表情が見えない分を補うため、声に目一杯の殊勝さを込めて謝罪する。
私兵団の連中が大人しく控えたところを見るに、この場にやってきた面々の中では一番“長いもの”のようなので、全力で下手に出たい所存だ。
「私のほうから改めて説明させてもらえるかな?」
男は笑いじわの残る目元を緩めて、幼子に手を差し伸べるような声色で言う。
「挨拶が遅れたが、私は雷鳴の街の商会長を務めている者だ」
「商会長さん……ですか」
「いやなに、この街の一切を取り仕切っているなどと言うと偉そうだが、実際はみんなの雑用係のようなものだよ」
ほっほ、と朗らかそうに笑う男の顔を静かに窺い見てから、俺は一度目を伏せ、己の顔を隠していたフードをすとんと後ろに落とす。
するとその場に居る人々が、ざわめくことすら出来ずに息を飲むのが分かった。
「僕はコルと言います。商人ギルドに所属しています。この街には旅の途中で立ち寄りました」
思考力を吹き飛ばされているであろう頭にもなるべく情報が入りやすいように、端的に自己紹介をする。
何度でも言うが、たとえエルフ界隈では並中の並であっても、人里においてこの顔面は年齢や性別の壁すら超越して視覚をぶち抜くレベルの“美”だ。これはいわば天然の自白剤みたいなものである。
なおここで言う自白剤とは、摂取したら真実をベラベラ話してしまう魔法のお薬ではなく、『判断力の低下を促す』という程度の効果しかもたらさない現実的な自白剤のほうをイメージして頂きたい。
大抵のリアル自白剤は、言ってしまえば泥酔したような状態を意図的に作り出すものだ。
確かに理性と口は緩むかもしれないが、だからといってべろんべろんになった人間の証言にどれほどの信憑性があるのかという話で、うまい具合に正確な情報を吐いてくれるとは限らない。現実はそう都合良くいかないという話だ。閑話休題。
そんなわけで交渉を有利に進めたいときや、相手の油断を誘いたいとき、便利に使えるのがこのエルフ顔面である。
そう、俺は今、これをやるためだけにフードを被っていたのだ。
全くバカみてぇとお思いになるかもしれないが、前述の通りこの『いないいない美少年』は老若男女問わずよく効くのでやらない手は無い。
たとえ好感まで至らずとも頭の中を緩くする効果は十分にあるし、それに、まったく興味が無いなら無いで。
「ほう、……商人ギルドの」
──相手がそれ以上に気を取られている事柄を、浮き彫りにすることも出来る。
俺の左手の中指に光る、金色の指輪。
他の私兵団員たちがエルフ顔に注目する中で、一人そこへ視線を落とした商会長の目が、すっと冷たい色を帯びるのを見た。
しかし瞬きほどの間にその冷ややかな気配を好々爺の表情で覆い隠した商会長が、改めて口を開く。
「きみが彼のことを信じている気持ちはよく分かる。私だって同じ気持ちだ。きみのような良い子が慕っている彼が、そんなことをする輩だとは思えない。しかし私兵団の彼らも、街の安全のために疑わしい者を放置しておくわけにはいかないんだよ。だから一旦、身柄だけ預からせてもらいたいんだ。ちゃんと真実を明らかにするためにもね」
「あの、今更ですけど、罪状の具体的な内容をお聞きしてもいいですか? 何が起きたとか」
「昨夜、海沿いにある酒場で乱闘騒ぎがあってね。そのときに男が一人殴り飛ばされて重傷。店の入り口もろとも顔の骨を粉砕されたというわけさ。いやはや、ダークエルフでもなければ出来ない荒技だろう?」
「確かにそうですね。ところで、昨夜は僕も少し出かけていまして、おそらくちょうどその騒ぎのころ、近くを通りかかったんです。だからもしかしたら、何か調査のお役に立てることをお話し出来るかもしれません。彼を連れて行くなら同行させてもらってもよろしいでしょうか?」
「すまないね、例えそれが事実だとしても、こちらとしては当人と親しい者の証言を参考にするわけにはいかないんだ。……ああ、もちろん、きみが共謀したとか、彼の罪を庇い立てするとか言っているわけじゃないよ。ただこれは決まりなんだ。協力したいというその心だけ、ありがたく受け取らせて欲しい」
「……そうですか」
「なに、悪いようにはしないさ。あとは私に任せなさい」
なるほど。
なるほど、なるほど。
身に覚えのない罪状。
こちらの話には耳を貸さずに恫喝する私兵団。
そこへ絶妙なタイミングで介入してきて、温かな言葉をかける商会長。
まったく見事な『良い警官と悪い警官』である。
否定的な態度を取る者と、同情的な態度を示す者。仲間内で役割を分けて対象者を揺さぶり、意図的に“良い”ほうへと好感を抱かせることで協力的な態度を引き出す、シンプルでありながらも効果のある心理誘導。
先ほどは薬剤としての自白剤の話をしたが、これは心理的な自白剤といえる手法だ。
小柄でいかにも好々爺然とした商会長の周囲を固める私兵団の男たちが、揃って大柄で厳つい風貌をしているのは、“良い商会長”と“悪い私兵団”をより効果的に演出するためだろう。
先に私兵団員たちに必要以上に高圧的に振る舞わせ、それから満を持して現れた商会長がやさしげに寄り添えば、動揺でもろくなった精神は、簡単に偽りの温もりに揺らぐ。
そもそも俺の経験から言わせてもらえば、悪人ぶった悪人のほうがよほど即物的で分かりやすく、御しやすいのだ。
こうして善人の顔で寄ってくるやつが一番タチが悪い……などと口にすれば、ヴェスなんかは俺の顔を真っ直ぐに見ながら「そうだな」と言いそうだが。
例の施設時代も、明らかなマッドサイエンティストより初手で人情家みたいな雰囲気出してくる研究者のほうが実験内容がえげつないみたいなことは度々あった。いやまぁ前者も別に全然えぐかったけど。スプラッタホラーかサイコスリラーかくらいの差だけど、と実験体思い出トークはさておき。
美少年顔をフル活用して物憂げに俯いてみせながら、さてどうしたものかと考える。
ヴェスに頼めば物理で退けることはいくらでも可能だろうが、しつこく言わせてもらうと仮にそれでこの場をどうにかしたとして、“じゃあその後どうする?”という話なのだ。
敵と定めた相手を力でねじ伏せるのはそりゃあスカッとするだろう。爽快だろう。
しかし俺が生きているのは一話完結の後腐れない勧善懲悪の世界ではなく、罪状も評判も一生付きまとう地続きのリアルである。
この後も当たり前に生活は続くし、悪評は尾を引くし、商売にも響くのだ。うかつなことはしたくない。
いや容疑が掛かってる段階ですでにアレだが、任意同行くらいなら俺があとで渾身の同情大特価エピソードを練り上げてどうにかしてみせよう。
しかし今ここで、事実無根の建造物破壊と傷害(容疑)が、建造物破壊と傷害(事実)になられては、ちょっと、さすがに俺の口車にも限界がある。相手が行政側となればなおさら言い訳も立たない。
とはいえ言い訳ではなく実際に俺は昨夜、建造物を破壊して傷害事件を起こしていた、ヴェスではないダークエルフを知っている。
素直に推理するのであれば、これはミネラウヴァが起こした事件をヴェスの犯行と誤解されているということになるだろう。
少しひねくれた考え方をするのであれば、ミネラウヴァ自身が面倒をヴェスに押しつけたという線も無くは無い。
「もうよろしいですか、商会長」
「そうだね。連れて行きなさい」
「はい。……おい、出番だぞ。早くこのダークエルフを連行しろ」
しかし俺は知っている。
私兵団は「この男で間違いは無い」と言った。
けれどミネラウヴァはあのとき、たとえ遠目に見ようともその髪の短さで男に見間違えることすら不可能なほど、ボディラインどころかボディがほぼ全開、布面積が極小の服装をしていたと。
そう、俺は知っている。
ダークエルフは効率よく戦いをおかわりするための工夫として頭を使うことはあれど、自分が巻き起こした戦いの結果を、己の意思で他者に押しつけるような小ずるさは、基本的には持ち合わせていないと。
「おっようやく仕事じゃな。待ちくたびれたぞ」
──つまりこれは、最初から出来レースなのだ。
私兵団員に呼ばれてまた新たに現れた人影を見て、俺は宙を仰ぎたい気分になった。
千客万来だ。これが商い中であれば望むところだったのだが。
黒髪短髪。褐色の肌。異様に少ない布面積で、傷跡だらけの肢体を惜しげも無くさらしたその女は、はたと俺たちのほうへ視線を向けると、場違いなほどのんきに目を丸くした。
そうして、そのダークエルフ……ミネラウヴァは。
「おお! なんじゃ、昨夜の小僧ではないか!!」
弟の存在を、完全スルーしたのであった。




