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エルフの早逃げ八手の得


 よし撤退しよう。


 物理的なスピードにはさっきから一つもついて行けていない俺だが、保身のための判断の早さにかけてはヴェスをも遙かに上回る。

 決断と同時に、あからさまになりすぎない程度に素早く身を翻した。


 あのウサギ獣人の子供の時と違い、これはどう見ても当事者になるメリットゼロの案件だ。


 そもそも二重……三重……いや、五重ぐらいの意味で、(エルフ)がダークエルフと関わって良いことなど欠片もない。

 旅の途中で何度かヴェス以外のダークエルフを遠目に見かける機会があったが、九割八分くらいの確率で乱闘沙汰を起こしていた。


 宿などの施設利用の際にヴェスがいると渋い顔をされることが度々あったのだが、それというのもダークエルフが結構な確率でそういった騒ぎの発端になるかららしい。差別かと思って話を聞けば至って順当な店側のリスクヘッジであった。

 なお、そのつど俺が媚びを売ったり同情を大安売りしたりして乗り切っているため、三人旅を始めてからは今のところ利用を断られたことはないが、その前はお断りされるケースも多かったという。


 そのヴェスによれば、対エルフもしくは仕事以外でダークエルフ側から手を出すことはまずないそうだ。

 しかしそれは温厚だからなどではなく、後の社会的な面倒を避けるために、相手側から絡んできたという大義名分を得るのにそうしているだけで、心持ちとしてはいつでもフリーハグならぬフリーバトル状態らしい。根っから蛮族のくせにそういうとこ妙に計算尽くなのほんと厄介で嫌だ。

 ちなみにエルフは普段冷静なインテリぶってるくせに妙なとこで合理性皆無の激情家だから、厄介さはどっこいである。閑話休題。


 巻き込まれミンチになるより遠回りして帰るほうが百倍お得なので、元来た道を戻ってダークエルフ出没地点を迂回することにした。


 知らぬ街とて二週間も滞在させられれば多少地理にも明るくなる。

 一つ角を曲がり二つ路地を抜け、ここまで来ればもう大丈夫だろう、とそこで気を抜いてしまったのは、今にして思えばあまりにもフラグ仕草であった。


「あー、ちょおっとよいかの」


 かけられた声の穏やかさに反して、ダァン!とすさまじい音とともに目の前を遮り、行く手を阻んだ腕。

 その手のひらが突かれたレンガの壁には、蜘蛛の巣状の大きなひびが広がっていた。


 手から腕、肩、顔へと糸をたどるように、俺はゆっくりと視線を上げていく。

 そこには臙脂色の瞳をぎらぎらと輝かせてこちらを見下ろす、先ほどのダークエルフの姿があった。


 気配はゼロだった。だがそこに驚きはない。なにせ旅の仲間にも、同じくアサシン並に気配のないやつがいる。

 だから問題は、そんなことじゃない。


「あの……僕に何かご用でしょうか?」


「んー? いやなに、少しなぁ」


 獰猛な笑みを浮かべた女は、俺の退路を全て塞ぐようにもう片方の腕も壁についた。

 絵面としてはいわゆる壁ドンというやつだろうが、されているほうの気分は完全に袋の鼠だ。ときめきもクソもない。


 俺の問いには答えず女はさらに距離を詰めると、そのまま壁際に挟み込むように体を寄せた。

 そしてこちらの足の間に膝を割り入れ、完全に俺の体を固定してから壁についていた手を片方浮かせると、その手でスッと俺の顎をすくい上げた。壁ドンからの顎クイである。


「ん~~~~?」


 そしてまじまじと顔を眺められる。

 この状況で俺に出来ることといえば、もう大人しくされるがままにされることだけだ。クソ雑魚エルフvsダークエルフでは抵抗が無意味にも程がある。


 めでたく袋の鼠からまな板の上の鯉に転職した俺は、改めて目の前のダークエルフを眺めた。


 今の俺に出来ることは、思考と観察。それだけだ。それしか出来ない。だからこそ、それを怠るべきではない。

 媚びを売るにもへつらうにも、まずは相手の様子を伺うところから全ては始まるのだから。


 先ほどは距離があったので分からなかったが、だいぶ背が高い。

 ヴェスと並んでもそう差は出ないだろうというくらいには高身長だ。ダークエルフの特徴なんだろうか。


 エルフも平均身長はそこそこお高めのはずなのだが、俺は諸事情により非常に美少年らしいコンパクトサイズに収まっている。

 おかげでさっきから上に向けられた首が痛い。無理な体勢で、壁と背中の荷物と眼前の胸にサンドされているから二倍痛い。首死ぬ。


 女の艶やかな黒髪は、いつも自分で適当に切り落としているんだろうなということが(うかが)える、ざんばらのショートヘア。

 確かヴェスも最初こんな感じだった気がするから、これもダークエルフあるあるなのかもしれない。


 そのエルフ類らしく整った顔や体の至る所には、見るからに闘いで負ったものと分かる古傷の跡。よく見れば右耳の先端は歪に欠けていた。

 ダークエルフも回復力の高い種族ではあるが、たとえ傷はふさげても抉れた肉は戻ってこない。つまりどれもこれも跡が残るだけの深い傷だったのだろう。


 そしてまぁ、そうして体も含めて至る所に傷跡があることがぱっと見で分かるくらいには、露出の多い服。

 服というかもう布だ。局部だけ隠しゃいいだろ的な思考が透けて見えるほどに。


 そんな扇情的な格好の女に密着されて、俺がさぞドキドキしていると思うかもしれないが、前述した通り実情は袋の鼠。蛇に睨まれたカエル。捕食者と被食者。標本のために採集された昆虫。そういったものだ。ドキドキの意味が天と地ほどに違う。

 この状況で無邪気にセクシーおねえさんで興奮出来るような考え無しなら、とっくの昔に牢屋の中で死んでいたことだろう。


 そうこうしているうちに顎から離れた手が頬に添えられたかと思うと、そのまま女の親指が無遠慮に口の中に突っ込まれる。いやほんと何。

 ここに色事めいた空気が伴っていれば、俺だって媚び売りついでに頬でも染めて対応してみせるのだが、そんな気配はまるでない。

 視線の動きや表情などを伺うかぎり、これ自体に意味があるというよりは、この行為を通して俺の反応を観察しているように見えた。


 やがて二本、三本と増やされた指で俺の口内をぐちゃぐちゃと好き放題にかき回しておきながら、女は怪訝そうな顔でどんどん首を傾げていく。


ふぁお(あの)……?」


 そのまま考え事ついでの手遊びみたいな動きで戯れに舌を掴まれたところで、さすがに引っこ抜かれてはかなわんと声を上げる。

 ご機嫌伺いがてら美少年らしく困った笑顔のひとつも浮かべてみせると、女はひとつ大きく目を瞬かせた後で、何やら納得したようにあっさりと口内から指先を撤退させた。


「いやーすまんすまん! なんぞいけ好かない気配を感じた気がしてのぉ。つい反射で追いかけてきてしもうたが、どうやらわしの勘違いだったようじゃ」


 酒場の前で見せていた絶対零度の獣っぷりはどこへやら、からりとした笑顔を浮かべた女は、頭をかきながら数歩後ろに下がって俺の体を解放する。

 げほ、と小さく咳き込みながら身なりを整えつつ、俺もまた無害な美少年スマイルを返した。


「えっと、よく分かりませんが、誤解が解けたなら良かったです」


「うむうむ。()()()であればダークエルフにここまで好き勝手されて大人しくしておるはずもないし、こぉんなヒトに媚びきった犬コロのような顔で笑えるはずもなし。よく見れば髪も短いし、完全に思い違いじゃった。改めてすまんことをしたのぉ、坊主」


「いえ、お気になさらず」


「詫びにもし肉塊にしたい相手がいるならわしが代わりにやってやるぞ。どうじゃ?」


「大丈夫です今のところ」


 間に合ってます。蛮族。


「そうか? なら気が変わったら……そうじゃな、傭兵ギルドに指名で依頼を出すといい。一回だけ優先で請け負うぞ」


「傭兵ギルドの方なんですか?」


「まぁのう。ほれ」


 全体的に布面積の少ない衣服の中、気持ちばかりに巻かれている腰布の一部を女がぺらりとめくる。

 そこには留め具代わりに使われている銀のブローチこと、傭兵ギルドのギルド証が確かに輝いていた。


「ギルドの者に伝えておくでの。おぬしの名を聞いておこうか」


「コルといいます」


 うむ分かった、と鷹揚に頷いた女はくるりと身を翻しながら、肩越しにこちらを振り返って言った。


「わしの名はミネラウヴァ。ギルドでは“幻日(げんじつ)”と呼ばれておる名付(なつ)きの傭兵じゃ。なるべく荒事を依頼してくれると嬉しいのぉ」


「はい、善処します」


 にこにこと微笑みながら答えると、ダークエルフの女──ミネラウヴァは満足げに頷いて、今度こそ背を向けて去って行った。

 地面はこの雨で水たまりだらけのはずなのに、足音はまるで聞こえなかった。


 その背中が雷雨の向こうに消えるまで、笑顔を保ったままで目を離さずに見送った俺は、完全に一人になったのを可能なかぎり確認してから、深く深く息を吐く。


「………………あっっっっっぶな……」


 そして小雨の音に紛れて消える程度の小声で、冷や汗とともに心からの本音が零れた。





「ダークエルフってエルフを探知できる能力とかあったりします?」


「帰ってきて早々なんだ。それよりこの幼体をさっさとどうにかしろ」


「正直めちゃくちゃ愉快なんでもうちょっと眺めてたいですけど、引き際は大事ですもんね。分かりました」


 命からがら宿に戻った俺は、顔面にアルテアを張り付かせたまま椅子に座るヴェスを眺めつつ荷物を机に置く。

 がっちりと(おの)が両腕を組んだまま微動だにしないその姿勢は、苛立ち任せにうっかり幼児を肉塊にしないようにという自制の結果か。


「あ! こう!!」


「はいはいコルですよー。コルのとこ来ましょうかアルテア」


「ん!」


 俺が帰ってきたことに気づいたアルテアが、ぱっと青い瞳を輝かせてこちらへ手を伸ばす。

 ヴェスの顔から引き剥がして抱き上げれば、幼児は満足げに俺の肩にぐりぐりと顔を押しつけながらしがみついてくる。


「留守番お疲れ様です、ヴェス」


「……はー………………」


 眉間に渓谷より深い皺を寄せたヴェスが、様々な感情を全部乗せした重々しい溜息を吐く。


 いやぁ、色々あって思ったより時間かかったんでアルテア起きてるかもなとは思ったが、案の定だったらしい。

 ヴェスに子供をあやせというのが無理筋なのは分かりきっていたので、基本的に俺がいないときのアルテアの扱いについて頼んであるのは、『とりあえず死なないように見ててくれ』の一つだ。これが簡単そうでいて、結構油断できない問題である。なにせ子供すぐ死ぬ。日常の中で。


 その点、ヴェスは(情緒面はともかくとして)物理面では申し分ない能力を備えている。

 日常の事故から作為的な危機まで、持ち前の反射神経と戦闘力で大抵のことはどうにかしてくれるだろうと思えばこそ、俺も安心して出かけられるというものだ。決して最凶蛮族が幼児に振り回される図を面白がっているわけではない。面白いけど。


「頑張ってもらったお礼に……というかまぁ普通にただの食糧ですけど、いっぱい調達してきたんでどうぞ」


 机の上に置かれた食糧の包みをちらりと見たヴェスが、気を取り直した様子で淡々とそれを広げて食べ始めるのを見ながら、俺もアルテアを抱えたまま向かいの椅子に腰を下ろす。


「ごあん!」


「アルテアのごはんはこっちですよ」


 広げられた食糧の中から果物をひとつ手に取って、指先に纏わせた風魔法による簡易ナイフでその皮を剥いていく。

 普通のエルフなら手なんか使わず、宙に浮かせたまま一瞬で皮をむきつつ食べごろサイズに切ることも出来たのだろうが、俺にはこれが精一杯だ。

 しかしそんな俺の地味でちゃちな魔法でも、アルテアは嬉しそうにきゃっきゃと笑っていた。


 ちなみにだがこの果物、見た目がジャガイモなのに味がリンゴでくそほど脳がバグる。

 他にも明らかにリンゴの外見なのに食べられない有毒な木の実があったり、かと思えば桃みたいな果物は見た目のままで完全に桃だったり、当然のように見た目も味もわけわからん異世界果物もあったりと、この世界で俺だけが無用な混乱を強いられる羽目になっていた。これだから。これだから嫌なんだ異世界は。


「で?」


「はい?」


「ダークエルフが何だとか言っていただろう」


「あー。まぁ話せば長く……もないんですが、さっき街中でダークエルフに会いまして。幻日のミネラウヴァさんて傭兵ギルドの方なんですけど、聞き覚えとかありますかね」


「姉だ」


「弟さんにいつもお世話になってますって挨拶すべきでした?」


 急な情報の渋滞事故やめてほしい。


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