6「アイの興味」
アイは目を輝かせて、夜の町を見渡した。
「ここが…」
レジェロを連れてきた当時は必死であんまり景色なんか見ていなかったが、その時より少し家がきれいになった気がする。少々重ね方が歪だが、煉瓦の家がぽちぽち並んでいる。ファンタジー映画な感じがしてきた。魔女焼きされた私が育った村はボロボロの藁の家ばかりだったので、ここが町なのを加味しても、日々進歩しているんだなぁと感心させられた。
点置きされた松明が照らす町並みの奥から、この世界の音楽が聞こえる。特徴的なバグパイプ、あとフルート…弦楽器はなんだろう?人々の賑やかな声も聞こえる。酒場だ。
「いらっしゃい…ん?」
しん、と酒場内が鎮まってしまった。な、なに?魔女バレ?まさか、そんな直ぐに?
集まった視線に狼狽える。不自然にはなるけど回れ右して帰るか?でもでも、ここで不審な行動をしたら二度と来れなくなるかもしれないし、いやいや安全第一…。背中に汗をかきながら立ち尽くしていると、ヴァイスがすっと前に出て、振り返った。
「メロディア、ここに入りたかったんじゃないの?」
その堂々っぷりたるや…。酒場内をちら、と見ると、慌てておじ様連中みんな目を逸らした。うーん、魔女扱いはされていない…?というか魔女文化あるのか?今も。とりあえず入り口直ぐの席に座って、周りを見渡した。うん、正直庶民的というか、生活感、リアル感溢れるというか、食べるところにしては若干汚いかも。汚いけど、いい雰囲気だ。壁にはボロボロのいかりが飾ってあったりして、ここの店主は船乗りでも兼任しているのかな?と伺わせる。ビールや葡萄酒の匂い…それから羊肉の匂いだろうか?ハーブも少し香る。
「お嬢ちゃん…駆け落ちかい?」
「へ?」
演奏が控えめに再開されたのを後ろに、隣の席のおじ様が声を潜めて話しかけてきた。おじ様、寒さからかお酒のせいか、鼻が赤い。
「侍女まで引き連れて…苦労するぜ。今のうちに帰って父上に謝りな」
「はぁ…」
侍女って、ヴァイスのことか。それで、駆け落ち…アイと?年下すぎない?あ、見た目年齢的には私が年下だから、丁度良く釣り合って見えるのか。
「ち、違います!僕達は普通の村人で…」
お、アイが珍しく特攻いった。おじ様は上を向いて笑って、手に持っていた木のジョッキをドンっと机に下ろした。
「お前さんたち、服が新品じゃねえか!」
「あ」
やってしまったうっかり魔女!泥で汚して裾を軽く切っておくんだった!そしたら完璧に擬態できたのに!頭を抱えた私を、おじ様は世間知らずだな、と笑った。ガハハっと豪快に。ちょ、唾飛んでますってば。おじ様の圧に疲れた私達は、ちびちびとお酒を飲み始めた。あ!この世界ではこの年で飲酒OKだけど、飲んじゃいけない世界で未成年飲酒は駄目だよ!
「お嬢ちゃん、いくら親元を離れたからって酒は早いだろう」
あっ私も駄目だった!?しょうがないからお肉を食べる。かたい…。
「アイ、どう?」
人間の世界は。そう省略して聞くと、アイは別の方向を見ていた。赤くなった頬に、ぼうっとした眼。あ、これ酔ってるな。お酒弱いんだ。視線の先には、楽器を演奏する人たち…。お、真ん中で歌っている女の人美人だ。お?お?気になる?
見惚れているアイはそっとしておくとして、ヴァイスを見ると。
「ん゛っ?」
凄く飲んでる。すごい量飲んでる。いや、お金は一応銀持ってきたから大丈夫だとは思うんだけど、真っ白な肌が真っ白なままで、酔っている様子が見当たらない。
「ヴ、ヴァイス…?」
「メロディア。これ飲むと気持ちよくなるらしいが、どうにも変わらない。それにこれは特異な香りがする」
「おう…」
酒豪、というか水でも飲んでいるレベルでアルコールが効いていない。もっと飲めばいいのだろうか、と特大ジョッキをあおり始めたヴァイスを慌てて止める。効いていなくてもきっと飲み過ぎは体に毒だよ!
「メロディア…」
「へっ?」
ムスッとした顔で、いつの間にかアイがこっちを見つめている。ゆっくり伸ばした指先で私の頬を軽く撫でて、のしかかるように抱きしめてきた。ほんのり葡萄酒の匂いがするけど、さてはあんまり飲んでいないな?もしかしてめちゃくちゃお酒に弱い?かわいい。
「なんでいっつもヴァイスばっかり…」
「そんなことないよ」
子供特有の親への攻撃、『兄弟のあの子ばっかりかまってる』。いやあ、これなかなか対応が難しいんだよね。私としてはみんな平等に接しているつもりなんだけど、本人が愛情不足を感じているならそんな事情関係ないもん。
「よしよし、アイもいいこいいこしようね」
「そんな歳じゃない…」
うーん…複雑だ。ヴァイスと違って反抗期はあったし、自我を確立させて、精神的には親と離れられる筈なんだけどなー。
「お、お嬢ちゃん…旦那、赤ん坊みたいだけどそれでいいのか…?」
ちょっと黙ってほしい…。見世物じゃないんだぞ、と睨むと、口笛を吹いてようやく目を離してくれた。とんだギャラリーだ。
「アイ、私はちゃんとアイを愛してるよ。不安に思うことないんだよ」
頭をなでていた手の首を掴み、アイはおでこを私の頭頂部にぐりぐりした。
「そうじゃないぃ…」
「そうじゃないの?」
会話スキル:オウム返ししておくと、アイは急に頭頂部を嗅ぎ始めた。
「ちょっ!ひゃはっくすぐったいし!恥ずかしいからやめて」
「ん゛〜」
「ちょっとほんとに!」
もがけばもがくほど匂い嗅ぎに遠慮が無くなってくる。首筋に冷たい鼻が当たって、空気の移動が感じられた。
「ひんっ首もくすぐったいって!」
「はぁ…メロディ…ぐっ!?」
ドスッ、と重い音が鳴り、アイは崩れていった。何事かと思えば、ヴァイスが凶器に使ったであろう特大ジョッキを手にしている。そして飲んだ。
「なにしてるの!ていうかもう飲んじゃだめだってば!」
「業の味がする」
またぐびっとあおり、ヴァイスは口の端に付いた泡をなめとる。息を吐いて、私には手に負えないと思った。
「何いってんの…もう帰ろう。アイが気絶しちゃった」
しかし親である以上、手綱を取らねばなるまい。まだ15歳だし。ヴァイスは、自分の背丈以上のアイをひょいと持ち上げておぶった。こちらを伺いつつやってきた店主に微笑みかける。
「ごめんなさい。この場を緊張させてしまって」
店主は手を降った。めくった長袖から、ガッチリした腕が見える。ははあ、やっぱり船乗りさんかな。
「とんでもねぇ!やんごとなき方が選んでくれたんじゃ、うちにも箔が付くってもんだ」
はは…と愛想笑いを浮かべる。そう勘違いしてくれたほうがやりやすいけど、騙して申し訳ない。
「あの、これ。通貨じゃなくてごめんなさい。質量を測る道具がないなら、このブローチとか。それとも金のほうがわかりやすいでしょうか」
「めっめっそうもない!じゃあ、銀で!それでも釣りが来るのに…!」
なんだか見た目の厳つさとは想像もできない、すごい腰が低い人だな。ああ、人間ってこんな人もいたんだよね、確か。この酒場はいい雰囲気だし、好かれているんだろうな、この町の人に。毎日大変だろうに、人に優しく出来る人は尊敬する。
「お邪魔しました。では」
ヴァイスが片手で開けたドアを通る。ドアが閉まると、静かな夜の町に放り出された気分になった。
「帰ろうか…」
こくり、とヴァイスは頷く。人のいない場所までは、徒歩じゃないと。それから箒で移動する。バイクのサイドカーのように、私の乗る箒に2本、左右にそれぞれ二人の乗る箒がくっついている。乗っているときは、なかなか面白い有様なんじゃないだろうか。一人でニンマリして、そして自然に表情筋がもとの位置へ戻っていった。ヴァイスは無口だから、帰りはただただ静かだ。革靴が石の混じった土を踏みしめる音が鳴る。
鼻歌が聞こえた。
「アイ?」
ヴァイスの背中から、メロディーが聞こえる。さっき酒場で聞いた旋律だ。
「起きたなら、自分で歩け」
「うぐ」
ドサ、と容赦なくヴァイスを下ろすから、アイは尻餅をついてしまった。今の結構痛かったんじゃないだろうか。
「アイ、大丈夫?」
アイは、ぼんやりと星空を見つめたままだ。
「アイ?」
「メロディア…」
ぽつり、といったふうに、掠れた声で愛は呟き始めた。甘い水色の目に星空が反射して、きらきらと瞬いた。…涙ぐんでいる?
「僕に歌を教えてはくれないんだね」
「…歌?」
誰にも教えたことは無いけど。あんまりにも悲しそうにアイが言うから、そのまま耳を傾けた。アイは続ける。
「メロディアが僕達の未来を配慮して、色々見せないようにしてるのはわかってる」
そう、レジェロもアイもモニカもリズも、…つまりヴァイス以外だけど、なにかを察して、小さい頃から私の異物ことには踏み入らないようにしていた。親としては子どもたちに気を使わせて情けない限りだけど、正直助かっていた。だけど、その甘えが彼らを傷つけていたのだろうか。
「けど、時折メロディアが遠くから歌う声が聞こえて、僕はずっと歌に憧れてきたんだ」
「歌に…」
憧れ。そうか、私のこぼす歌以外知らないけど、それは歌ってはいけないと思っていたから。みんな一切歌を歌えなかったんだ。また自己嫌悪してきた。そんな場面じゃないのに。
「なのに…どうしてヴァイスには歌をきかせてるの」
あっそっちにいくの!?また『ヴァイスいいな』になるの!?私を責めてもいいんだよ!!?
「聞かせてるんじゃなくて、ヴァイスがいつの間にかいるんだよ…」
「嘘だ。メロディアはヴァイスが特別なんだ…!」
く、と涙を流し始めたアイに、嘘じゃない、と言いかける私を遮って、ヴァイスが得意げに言った。
「そうだ。ヴァイスはメロディアとずっといるから」
「ちょっと今は静かにしてて!?」
拗れる!拗れるから!そんな誓い今立てなくていいから!
「わかったわかった!私のなんかでいいなら全然歌うよ!でも…」
人間の音楽を、今覚えて歌ったみたいに学んだほうがいいよ、と言おうかと思って、思い留まった。どこまで彼らの興味を制限するのか、どこまでが彼らのためか、もうわからなくなってくる。
「歌、は、好きだと思う。だけど、さっき酒場で聞いた歌より、メロディアの歌のほうが、好きだ」
私は思案しつつ軽く相槌を打った。アイもいい大人だ。努力家で、勤勉だ。うっかり魔女の様に歌を漏らすこともないだろう。じゃあ、これから毎日歌おう。そういった私に、アイは眩しい笑顔を見せた。
そうして、この時アイドルへの1歩を踏み出したアイであった…。