5「推し自給自足」
静かな森に歌声が響く。再会を願う歌詞だ。モニカは17歳、リズは19歳だろう。伴侶が、もしかしたらもう子供ができたかも知れない。色々なまじないをかけたから、悪い男に引っかかることもなく、素敵な人を見つけていると思うけど。それに、彼女らは賢くて、優しくて、しっかりしてるしね。
「その歌、好き」
「わ!」
びっくりした。気がつくと椅子を持ってきてヴァイスが座っていた。この世界に馴染まない歌を、子供に聞かせるつもりじゃなかったんだけど…。ヴァイスは不思議な子だ。まるで空気のようにふらっと現れていつの間にかそばにいる。かと思ったら、探してもいなくて、途方に暮れたとき探したはずの部屋からちゃっかり出て来たりする。この子は妖精かなにかだろうか?なんて思ったりして。
「もっかい歌って」
「言ったでしょ。この旋律を覚えると、森の外に出たとき危ないんだから」
ヴァイスは表情のあまり変わらない目で、私を見つめた。
「ヴァイスはずっと森にいる」
「暇じゃない?アイだって私ありきだけど外に出ることがあるのに。興味とか、無いの?」
15年間、彼は一度たりとも巣立たとうとしなかった。外に恐れを持つどころか、アイと3人で沐浴に出たとき、目を話した隙に何処からか花をつんでくる堂々ぷりだ。
「メロディアはずっと森にいる」
「私?私はそうだけど」
「ヴァイスもずっと森にいる」
「…」
すごい義母っ子だな、と思わず閉口した。アイもそうだ。でも、アイは見捨てられ不安の反動の甘えん坊、って感じだけど、ヴァイスはなんかこう、義母居るとこに我ありみたいな。ケアしなければいけないような不安定さを感じない、生まれながらの性質みたいな要素を感じさせる。
「ふたりとも、ご飯できた…よ?」
アイが香ばしい匂いとともにドアを開けた。21歳になって、もう家事は何でもできるようになった。『この道』に引っ張りたくないから魔術はさせないけど、教えたことを努力してこなすから、本当にすごいと思う。
「何話してたの?」
また不安そうにアイが呟いた。安心させるためにおどけてみる。
「ヴァイスが親の系譜を次いで引きニートになりたがっている件について」
「…?」
不思議そうにアイが私を見つけるから、可愛くて少し吹き出してしまった。リビングへ向かいながら、とっくに私を追い越してしまったアイを見上げる。
「ニートっていうのはね」
「働きもしない、学びもしない、就職活動もしないこと」
代わりにヴァイスが答えてしまった。違和感を覚えて振り向いた。はて、こんな事、教えたことがあっただろうか?ヴァイスは椅子から立ち上がって、私を見下ろし、軽く自慢気に笑った。
「ヴァイスは魔女の手伝いをするつもりだ」
一度決めたら曲げないヴァイスの発言に、私は思わずヒクリと顔を震わせた。
「ふー」
ヴァイスを撒いて、息をついた。散らかった工房は安心する。扉には魔術と鍵をかけているから、流石にここに入ってくる事は出来ない筈だ。
「しかし…久々に工房になんて来るな」
食事を作るのには魔術を使ったが、無限に砂糖が湧くポットや、卵を生む鶏のぬいぐるみ達、魔法具があれば、わざわざ奥まった工房にまで来なくても生活できる。何十年経っても埃の貯まらない工房は、赤紫や水色の光がちらちらと射す、好きにカスタマイズした場所だ。絶えることのない、優しい甘さのお香に、うっとりする。
「メロディア」
「ぎゃあっ!?」
思わずズッコケてしまった。腰が抜けた私を、四つん這いになったヴァイスが追い詰めてくる。
「なななななな」
「ん?」
「なぜここに…っ」
白い髪に部屋の色が映る。あ、綺麗だ、とどこかで思っている自分が、遠くにいた。
「メロディアを手伝いに」
「そうじゃないっ!どういう手段でここに…」
ヴァイスはこてり、と首を傾げた。ぴこん、跳ねた髪の毛が揺れる。
「メロディアの居るところは、ヴァイスの居るところ。そう決まっている」
「…」
頭が痛くなってきた。本当にこれ大丈夫か?私、過保護にしすぎただろうか。子供が成長し自立していくのが親の楽しみの一つだが、永久に叶わない気がしてきた。深層心理に傷を負った上身体にハンディキャップを持つアイと比べて、ヴァイスは自信に満ち溢れているし運動能力が高いし妙に器用だ。とにかくここに残る理由がわからないのだ。反抗期も無かったし、やっぱり過干渉だったのだろうか。
「ヴァイス、魔女の手伝いする」
「…外では魔女は迫害されるって、何度も言った気が…」
ヴァイスの赤い目は依然として、私を捉えている。…ああ、そういえば、ヴァイスは特徴的な見た目をしていたな。森に引きこもって外に出ないし、毎日一緒にいるので忘れていた。
「…ごめん、配慮が足りなかったね」
私は繊細なアイばかり心配してしまっていたけど、ヴァイスはもう、人間界を諦めてしまっているのかもしれない。そうだ、なんとなく義兄弟にも馴染めていなかったし。やっぱりフォローすればよかったんだ…今更遅いけど。本当、子育てってどうしても失敗するみたいだ。後悔ばっかり。
「ごめんね…ヴァイス…私が悪かったね…ごめんね」
泣きたくなくて、歯を食いしばって俯いた。ヴァイスはそんな私の頭を撫でて、
「わかったならいい」
と毅然とした態度で私を慰めた。あれ?なんか、なにかの勝負にヴァイスが勝ったような?
子供たちがワイワイしていた日々に比べれば、今なんてあまりに暇なもので、私は毎日暇つぶしを探していた。アイとヴァイスの為にも、一緒にジャムを作ったり、窓辺でハーブを育てたり、色々考えるけど、やっぱりマンネリ化してくる。そこで、最近の楽しみはおでかけだった。森の中の範囲だけど、泉に行ったり、きのこを取りに行ったり、花をつんでみたり。引きこもるのが吉と言っても、いい加減何十年も我慢した。そこで、夜の人間界視察だ。いいかげん外の状況も気になるし、アイも外を気にしているみたいだから。
「え…森の外にいくの?」
「うん」
じゃーん、とアイに見せたのは、眼帯と、布をたくさん使った脛までのマントルと、太ももまで覆う皮のブーツ。ちょっとこのブーツは焼かれる以前見た事のない、前世の知識的なアイテムだけど、まあマントルで隠せばいいだろう。これを今着ている服とセットにして…。ベルトでゆるく締めたチュニックは目立たなく庶民的、かつ薄めで動きやすいウール生地風。分厚くぴっちりとした、鮮やかタイツのような下衣と、濃い茶色の俗称ニーハイブーツを合わせれば…!
ちら、ちらりと隙間が花のように香る…これ香ってる…!
「うわあ!眩しいチラリズム…!」
思わず口に出た。
「ちら…?」
アイが困惑してるけど、言えない!チラリズムなんて言葉知らない方がいいんだ!そう、これは邪な魔女言葉だ…!
21歳、眩しすぎる。ハッ、やばいのでは?となったけど、よく考えたらこの感情は欲情や恋情ではない。
「アイドル…!」
「あいど…?」
そうだ!アイは愛じゃなくて、いや愛の結晶だけど、アイドルのアイだったんだ!?長らく忘れていた「推したい」という感覚を思い出した。この溢れ出る我が推しを皆に見てもらいたい、知ってもらいたい情熱…!眼帯とマントルを付ければ、もう、もう…!
「推す…」
「雄…?」
いや、アイは雄とか雌とか超越した天使なんだよ。なんて月並な言葉を吐きそうだ。お出かけ着ってこんなにいいのか…!ていうか眼帯!眼帯×ミニスカJKより禁欲的な、殆ど見えない絶対領域…!自分のプロデュース才能が怖い。確実にアイの繊細さから、色気というか、妖しさを引き出している。もともと線が細く、髪も細くてサラサラだから、この格好は本当に似合いすぎる。やばい。やばい。語彙しぬ。
「メロディア、ヴァイスのは?」
「え?一応あるけど…人間の村いくの?確かに夜に行くけど…」
ヴァイスは、表情が乏しいながら、軽く眉を釣り上げて「何を言っているんだ」と言いたげな顔をした。うーん、赤い目でも、夜なら茶色に見えるか。行きたいなんていうと思わなかった。仲間外れにしたいわけじゃないので、用意はしてたけど。
髪を隠すために、ヴァイスには申し訳ないけど女装してもらうことにした。頭にはヴェールを巻いて、チュニック、アンダーチュニックを重ねて、踝までの丈で…。髪を隠したことで、ヴァイスの作り物めいた顔が際立ち、また、ガウンを着ているので、身体のラインを隠した服から細い首や手首が見えているのがなんともよろしい。よろしい。
「メロディア、これすき?」
「ずぎぃ゛…」
そんな小首かしげて聞かれたら堪りませんわな。今15だよね?なんでこんなに美少女に見えるんだ?本当すごい。美しい。
「め、メロディア、僕は?」
「ア゛イ゛も゛ずぎぃ゛」
ぱああっと効果音がつきそうな笑顔になるアイ。本当に…本当に…。
「メロディア…?どうして僕らを見て両手を合わせてるの?」
「拝んでる」
「なんで…?」
魔女って神と仲が悪いはずでは…?と呟くアイと、女装しているのに何故か満足げなヴァイスが眩しくて、目を瞑る。本当眩しくて、涙が出そうだよ…。
「ヴァイス、メロディアの『推し』になっていいよ」
「…?」
頭の熱が消えていった。平然とニンマリしているヴァイスだけど、私の文脈から推測するには、賢すぎないか?流石うちの末っ子か?というか、たまに感じる、ヴァイスに頭の中でも覗かれているような感覚。なにか、通り過ぎてはいけない違和感が、あるような…。
「ぼ、僕もその『推し』になる!」
アイの必死な声にはっとした。そうだ!我が子は推し!わしがそのプロデューサーじゃい!
「みんな私の推しだよ!大好き!すっごく見せびらかしたい!」
はあ、とアイは赤面した。この美しい二人を侍らせて、いざゆかん、人間の界隈!わが推しを知れい!
…とと、目立っては行けないんだったな。とにかくGO!