1話 妹が『海の乙女』に選ばれた
「リリアーヌ嬢は水竜へ捧げる『海の乙女』に選ばれた。これは大変名誉なことである」
たった今、俺は大切な妹を権力によって奪われた。
玉座が鎮座する謁見の間で高らかに告げられた言葉を耳にした俺は、一瞬何を言われているのか理解できずに顔が固まった。
正確には理解するのに時間がかかった。
一昨日から体調を崩しているリリアーヌは、俺の隣で木製の車椅子に座って話を聞いていた。
俺と同様に固まっている。
兄妹そろって固まっているのを、国王と宰相と大臣たちは見下ろして返答を待っていた。
(なぜ……俺の妹なんだ? 『海の乙女』は王女の役割じゃないか)
石のように固まった俺が思ったのは純粋な疑問だった。
「すでに第六王女セリーナ姫が選ばれている。しかし、占術師ネラから予言がでたのだ。セリーナ姫だけでは男神アドロリウスの怒りを鎮めることはできぬと。このままではわが国は水竜に滅ぼされる。そう未来が見えたと。――これは大変名誉なことである」
質問する前に親切に答えてくれたのは宰相。
玉座から少し離れた位置に王女が沈痛な表情で立っていた。察するに第六王女セリーナ姫だろう。
占術師ネラはもともと王都の路上で占いをしていた。
的中率がとても高いと評判になり、それを聞きつけた第一王妃が国王に紹介し、占術師として宮廷に召し上げられた。
なにが、大変名誉だ。
そんな名誉なんていらない。
「発言の許可をいただけますでしょうか」
「許す」
「国を想う陛下の深慮を、臣下として理解すべきところであるのは十分に承知しております。ですが、私の妹は小さい頃より病弱で薬がないと生きてはいない身です。セリーナ姫と共に、この国の未来を背負う『海の乙女』など到底務まりません。どうかもう一度ご検討をお願い申し上げます」
今の俺が言えるのは、リリアーヌが相応しくないということだけ。
頼む。考え直すと言ってくれ。
「レスターク男爵よ。気持ちはわかる。しかし、これは決定事項なのだ」
国王が感情もなしに言い渡す。
懇願すらも届かなかった。
微かな希望は打ち砕かれた。
「レスターク男爵。これは、大変名誉なことである」
宰相からでた言葉の圧力。
素直に聞かない臣下を黙らせるほどの眼力でさらに圧力をかけてきた。
いらない。
そんなもの、いらない。
俺が願うのは、この決定事項を取り消してほしいことだけだ。
表情が抜け落ちて頭が回らない。
だが、取り巻く状況は変わっていく。
「お兄さま!」
「リリアーヌ!」
振り向けば、リリアーヌは騎士たちに囲まれ、無理やり引き離されていた。
「残りの時間は『海の乙女』として相応しくなるよう王宮で大事に扱う。案ずるな」
何が案ずるなだ。納得できるわけ、ないだろう。
そう怒鳴りたかった。
だが、今の俺は騎士で国に仕える身だ。
感情よりも、頭が冷静になれと出かかった言葉を止める。
「お兄さま!」
リリアーヌは今にも泣きそうな顔と声で、俺に腕を伸ばしている。
その手を今すぐに取りたい。
でも、できない……。
リリアーヌ…………ごめん。
俺はぎゅっと目を閉じた。
「くっ……」
俺は歯を食いしばって、拳を握り、陛下に首を垂れ続けた。
こんなに辛くて悔しい思いをしたのは、生まれて始めてだった。