プロローグ
屋敷の中で一番日当たりの良い部屋にドレスを着た少女が、お気に入りの白うさぎのぬいぐるみを抱いて、金縁のある一人用のソファーに座っている。
窓から差し込む陽光は少女の可愛らしさを引き立ていた。
陶器のような白い肌。
ウェーブがかかった長い髪に大きな碧眼の瞳。
桜色のふっくらした唇。
フリルがついた純白のドレスを着せれば、女神も歯切りして嫉妬するだろう愛らしい少女。
「完成しました。いかがでしょうか」
目の前の可愛らしい少女の肖像画を描いた画家は、ふうと息を吐いて筆とパレットを置いた。
肖像画の大きさは上下左右、大人が両腕を広げなければ持ち上げられないほど。
下書きから、絵の具用の筆をとってここまで完成するのに要した時間は二月。
依頼主はこの可愛らしい少女の姿を生き写しのように描き写すことに強いこだわりをもっている。
蛹が蝶へと成長していくように、子供から大人の女性へと変化していく、嬉しくもあり寂しいこの時間を後世に残すのだ、と意気込んでいる。
「いいな。素晴らしい!」
依頼主はやはりあなたは国一番の画家だ、見事に可愛い妹を再現している、と喜んだ。
出来に満足して深く頷いている。
「本日、十四歳になられたとお聞きしました。おめでとうございます」
画家が可愛らしい少女への祝いの言葉を送ると、依頼主は笑顔でありがとうと返す。
「あなたに任せて良かった! この絵は玄関に飾らせてもらう!」
「ありがとうございます」
歓喜している依頼主を見て、画家はほっとした。
「こちらをどうぞ」
依頼主の家の執事が銀盤に乗せた硬貨の入った革袋をすっと画家に差し出す。
「ありがとう。来年も頼むよ」
満足顔の依頼主に、画家は革袋を手に慇懃に一礼して退出した。
「リリアーヌできたよ、ほら」
この屋敷の当主である俺は、できたばかりの肖像画を妹のリリアーヌに見せる。
「まあ素敵!」
リリアーヌは顔を綻ばせた。
「ずっと座りっぱなしで疲れていないかい?」
「大丈夫ですわ。今日は調子がいいの。お天気が良いからお散歩したい気分なの」
リリアーヌはいいですか、と幼さが残る声で俺に許可を求める。
「体調が良いならいいけれど、長時間はだめだよ。お前は体が弱いんだ。あまり無理してはいけないよ」
俺がリリアーヌの体を心配すると、妹は素直にはいと返事をした。
許可がもらえたから早速散歩をしに行きたいようで、白い兎のぬいぐるみを抱きしめたままソファーから降りようとする。
「待って。これを」
俺は執事に目配りする。
執事は布で隠したものを銀盤に乗せてリリアーヌの傍まで持っていく。
「なあに?」
首をかしげたリリアーヌに、執事はかぶせられた布をすっと引く。
あらわれたのは赤地にいくらかの宝石が縫い付けられた小箱だ。
「リリアーヌ。誕生日おめでとう。開けてごらん」
リリアーヌは箱を膝の上に乗せて蓋を開ける。
「小物入れ?」
「化粧箱だよ。もう少し体力がついたらダンスの練習をしていいと医者が言っていたよ。そうしたら社交界デビューできる。今から使いたいものを選んでおくといい」
「ありがとう、お兄さま!」
リリアーヌの笑顔が花のようにぱっと咲いて、化粧箱をぎゅっと抱きしめた。
病弱なリリアーヌは寝台で過ごす時間が多い。いつも外の世界に憧れている。
最近は社交界デビューできないんじゃないかとふさぎ込んでいる。
兄としては愛情をもって応援したい。
そのための化粧箱だ。
俺の愛情はちゃんと届いたようだ。よかった。
やはり、可愛い妹は笑顔が一番だ!
「少しずつ練習しようね」
俺が優しい声で言うと、リリアーヌははいと頷く。
「お兄さま。舞踏会に行ったら私と踊ってくださる?」
「もちろん」
「約束よ!」
リリアーヌは笑顔で言って、侍女に連れられて部屋を出ていった。
たわいのない会話。
ささやかな日常と幸福。
そんな俺とリリアーヌの日常が、あの日を境に崩壊した。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
今後もよろしくお願いします。
2023年4月2日に修正をいれております。