藤山楓の正義
私が覚えている限りで一番古い記憶は、ボロボロのアパートの中たった一人でいたことだけだ。
それ以前の事は全く記憶がなく、その後の記憶も正しいのかどうか断言できないくらいには曖昧で、まるで微睡みの中にでもいたかのような感覚だったことは覚えている。
ここで何をしているのか、自分は何をすればいいのか分からず、ただ宙を見つめてぼーっと過ごしていたのだろうと、曖昧な記憶の欠片からは読み取れたが、その次の記憶はじいじが私を抱えてる所だった。
両親が蒸発した。後からじいじに聞いた時、そういった事を言われた。
どうやら数日前に、この近辺で正体不明の怪物としか言えないような影――のちに『ワンダラー』と名付けられることとなった、が出現したらしく、私を置いて逃げた後、何処に行ったのかも分からないらしい。
後ろめたさからか、それとも別の理由があったのかは不明だが、それから両親が私の前に姿を現すことはなかった。
水が煙のようになる事を『蒸発』と、そう呼ぶのだとは知っていた。
なるほど。私の両親と呼べるだろう人は、煙のように消えてしまい、私の記憶も、まるで煙のようにうまく掴むことが出来ず、空気の中へ溶けてしまったのだろう。
顔も覚えておらず、どころか、何があったのか、何をしてくれていたのか、何もかもが分からなかった私にとって、覚えているのは孤独だった事だけだ。
圧迫感があり、窮屈であり、陰鬱であり、そして何もない。
そんな空虚だった私を埋めてくれたのは、私を助けてくれたじいじと、そしてゲームだった。
じいじに孤独の世界から助けられてしばらくした後、お医者さんや色々な人達のおかげで体調や精神は安定させることができ、前までの無味無臭な感覚とは無縁の生活を送ることが出来ていた。
『ワンダラー』の放つ悪意に触れたせいで記憶の障害が酷く、治療法などもまったくの不明の為元に戻す事は絶望的だと言われたが、特に必要だと思う事はなかった。
このまま順調に回復すれば万々歳だったのだが、長時間一人でいると不安が込み上げ、過呼吸や嘔吐といった症状はいつまでも収まる事がなく、睡眠もままならず私を蝕むこととなった。
どれだけ頑張っても、落ち着かせようとしても、自分は必要とされていないのではないかといった不安は消えることがなく、なまじまともな感覚が戻ってきた事で、より孤独を強く感じるようになってしまった。そしてその時からだろう。心の弱い『私』は蒸発して空気に紛れ、代わりに、自分を助けてくれたじいじのように心の強い『ワシ』が表に立つ事となった。
ワシが私の代わりに表に立つこととなってからは快調の方向へと一気に傾き、不思議そうにしていたお医者さんにも退院の許可を得ることが出来た。
本来ならばまだ病院に入院し、そこで様子を見続けてもらった方がよいのだろうが、ある程度精神が安定してからは知らない人達の中に取り残される不安の方が強かったので、自宅での様子見という形となった。
例え一人で過ごしていても、じいじの家であれば1日2日程度では精神を乱される事なく、孤独に襲われることも少なくなっており、じいじがどうしても傍にいられない時があったとしても少しくらいなら問題はなかったのだが、自身の真似事をするかのように口調の変わったワシを一人残す時間があるのは不安だったのか、いつも後ろ髪を引かれるかのように家から出ていくのが印象的だった。
そんなワシの孤独を紛らわすために買ってきてくれたのがゲームという物だった。
「子供騙しだろうが、こういうのを買ってみた」と笑いながら渡されたゲームであり、あまり興味が惹かれることなく、じいじの言う通り騙されたと思って遊び始めたのだが、ワシはそれにド嵌りしてしまった。
じいじのいない時間を常にゲームをし続け、帰ってきた事にも気づかないくらいに熱中し、『魔法少女メル2』というゲームをクリアした時には、自分の中に勇気と呼べるようなものが芽生えるのが分かった。
そして、今まで自分から何か行動を起こすことは少なく、何かをねだるようなこともしなかったのだが、抑えきれずに新しいゲームソフトをじいじに欲しがった時、一も二もなく頷いたじいじの顔は嬉しそうだった。
そこからは、いままで心の底にあった不安など気づいたらなくなっており、ワシだけではなく私も、平穏に過ごすことが出来ていた。
変化があったのは、妖精という存在が目の前に現れてからだ。
いつものように、じいじが外へ出掛けている間にゲームをしている時、ふと気づくと不思議な生物が目の前に現れた。
本当は生物なのかもよく分からないのだが、ワシのしているゲームに興味があったらしく、まるで『魔法勇者メル』に出てくる精霊のような存在に心が弾むような思いでしばらくおしゃべりをし、短い時間ながら一緒に過ごしていた。
そして、そろそろじいじが帰ってくるだろうといった時間になった時に、妖精から問いかけられた。
『勇者になりたくないか?』と。
初めは何の話か、何を言っているのかよく分からなかったが、再度問いかけられゆっくりと理解をした。
そんなもの、なりたいに決まっている。
まるで『魔法勇者メル』のように、私を救ってくれたじいじのように、強くかっこよく、頼りになる存在になりたくない訳がなかった。
願いは叶い、そしてワシは、勇者として、魔法少女として、強く生まれ変わる事が出来た。
まるで夢のような出来事に舞い上がっていたのだろう。
妖精という存在、無力な少女が契約する事で力を得る展開、自分が世界に必要とされている高揚感。まるで世界がゲームになったかのような錯覚を覚え、そしてそれを証明するかのように使う事の出来るようになった数々の魔法。
自身が魔法勇者メルのようになれると、そうあるのだと信じて疑うことはなく、あの勇者のように悪を滅ぼすのだと張り切った結果、気づけば目の前にあったのは、強烈な死の恐怖だった。
怖かった。
自分は勇者になったはずなのに、恐れるものはなくなったはずなのに、目の前の黒い魔人に掴まれた瞬間から何かがおかしくなっていた。
勇者なのに、敗北する。勇者なのに、立ち上がる事すら許されない。
身に張り付くのは恐怖、恐怖、恐怖。
頭にあるのは、死にたくないという懇願だけだった。
孤独であった時に、もしかしたら自分は死ぬのかもしれないと思った事はあったが、恐怖など感じてはいなかった。そしてこれから先も、死んでしまうのならばそれでもいいかもしれないと、そう思っていた。
しかし、目前に迫る死は、そんな甘い思いを消し去るのは十分な程に、辛い現実だった。
まるで死を具現化したかのように真っ黒な少女からの宣告は、自身の心をへし折るには十分だった。
次に気づいたときは、赤い女が傍にいて、ワシが目覚めるのを待っていた。
五体満足でいることが不思議だったが、あの魔人はどうやら本気でワシを殺すつもりなどなく、暴走していたのを止める為に演技をしていたらしい。
自分が生きている事に安心をし、たっぷりと目の前の女に怒られた後、あの少女の名前はなんだと聞いたら、笑いながら「魔王」だと言われた。
自分を止める為に演技をするなど、魔王にしてはちぐはぐな行動をしていると思ったが、手も足も出すことの許されないあの力を見せつけられれば納得せざるを得なかった。
次に会う時は謝らなければいけないと私は思ったのだが、どうやら彼女は組織に所属することなく一人で戦っているらしく、ガーネットどころか委員会ですら連絡が取れず途方に暮れていたが、謝罪の機会はすぐにやってきた。
ブラックローズと名乗った魔王は、とても優しかった。
私の謝罪を受け入れ、許してくれた。
再会するまでは、恐怖の感覚を思い返す度に動悸が酷くなっていたが、あの死の感覚を振り撒いていた時とは違い、まるでじいじのような目で見守り、たどたどしかったであろう私の言葉を受け入れてくれた。恐怖など一片もなく、動悸は胸の高鳴りへと変わった。
彼女は委員会に所属しないルール違反者だと言われていたが、本質はきっとこの優しさなのだろう。
しかし、それならどうして一人で戦っているのだろうか。孤独で寂しくないのか。
私は孤独の辛さを知っている。どれだけ強がっていても、いずれは心が破綻するものだということを理解している。
彼女はきっと、自分が魔法少女であることを親にも伝えていないし、誰にも相談する相手はいないのだろう。そうでなければ、いつまでも一人でいる事など出来ないし、居場所も特定できないなど不可能でしかない。
たまに言動から大人びて見えることもあるが、身長も私とあまり変わらず、委員長やガーネットからの話からも私と変わらない年齢か、もしくはそれより下くらいだと思われる。
そんな少女が、いつまでも一人で戦い続ける事などできるはずがない。
どれだけ強くても、孤独は冷たくて、寂しいものだ。
私は、ワシは、勇者だ。
誰かを導き、仲間を集めて、悪を滅ぼす勇者だ。
最早自分にとって彼女は仲間であり、恩人でもあり、孤独から守るべき少女だ。
一人で戦い続ける者を放っておくことなど出来ないし、それでも戦い続けるというのであれば、無理やりにでも自分が隣に立てるようになる。
それこそが、勇者である自分の正義だ。
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