佐藤紅姫の正義
アタシの名前は佐藤紅姫だ。
高校一年生になってからしばらく経つ。
アタシの家は富豪とまではいわないまでも、不自由がないくらいには裕福な家庭だった。
それもこれも、バカみたいに真面目な親父とお袋が働き続けた結果だ。
佐藤なんてありふれた何でもない苗字に、紅姫なんて頭がハッピーな名前を付けるくらいには双方ネーミングセンスが壊滅的だが、アタシがここまで生きてこられたのもその両親のお陰だ。感謝している。
だが、アタシの親父はバカだ。バカ真面目であり、その真面目さを貫き通すがゆえに損をし続けるバカだ。
親父は警察官だった。堅物で真面目な親父にぴったりな職業だと今でも思う。
アタシが通う中学校の前の交番に勤務していて、帰り道の安全をいつも守っている町のおまわりさんだった。
学校のみんなも親父を知っているし、アタシもそんな真面目な親父は堅物すぎるきらいはあったが、好きだった。
だが、そんな時に事件が起きてしまった。
それは不幸としかいいようがないし、誰にどうしようもない出来事だったが、親父には許せないことだったのだろう。
アタシが中学3年生の半ばだった頃の話だ。
親父はその日はいつも通り、中学校前の交番で警察官としての仕事をしていたらしい。
日が落ちるのが早くなりはじめてきた季節、辺りが暗くなり、部活動で残っている中学生も下校を始めている時間帯の出来事だった。
中学生徒が数人、車道へ跳び出して轢かれてしまったそうだ。
中学校の前は見通しもよく、警察官である父が交通整備をしている場所でもある。
そんな場所で、跳び出しによる交通事故なんて、起きるわけがないと思っていた。
事情聴取等を終えて夜遅く帰ってきた親父は、怯えながら幽霊が出たとバカげたことを言っていた。
幽霊。真面目が服を着て歩いているような親父からそんな言葉が出るなんて、思ってもみなかった。
聞くところによると、その場にいた生徒も、車を運転していた人も、その幽霊を見たという。
幽霊が出てパニックになった生徒は車道へ跳び出し、車を運転していた人はアクセルを踏み続けてしまったらしい。
そんな中、親父は警察官としての業務を放棄して逃げ出したと言い出した。
親父が逃げ出す?ありえない。たかだか幽霊なんて眉唾のものに怯え、責務を放棄するなんて、アタシの知っている親父のすることではない。
仮に幽霊なんてものがいたとしても、親父程人々の安全を守ってる奴をアタシは知らない。
何かの間違いだと思い、それからは色んな人に聞いて回ったが、聞けば聞くほど事実だと固めることになっただけだった。
アタシはショックだった。
親父は、町を守る正義の味方だった。
なのに、親父は、守るべき人を見捨てて逃げだした。
皆がパニックになろうが、幽霊が本当だろうが関係なかった。
アタシは、親父にはヒーローでいて欲しかった。
その後親父は、責任を取って警察官の仕事を辞めた。
責任感の強い親父にとって、自身の犯した行動が許せるものでもなく、また、市民を見捨てた警察官というのも外聞が悪かったのだろう。
上から勧告されるがままに自主退職という形で、親父はヒーローの肩書を捨てた。
馬鹿らしかった。
あれだけ真面目であった親父が、それを貫き通した結果貰ったのが、市民を見捨てた警察官なんて不名誉なレッテルか。
この世の中はふざけている。
アタシだって幽霊なんてガキの妄想を信じてなんていなかったし、逃げ出した親父に軽蔑の念も抱いた。
だが、その一度の失敗で何もかも失うようなものなんだろうか。親父がしてきたものは、その程度のことだったんだろうか。
苛立ちが募り、親父とは会話もめっきりなくなり、アタシは夜な夜な家を出るようになった。
いつまでもうじうじと悩み続け、恐怖を振り払うように酒を飲み続ける親父の姿など、目に入れたくなどなかった。
親父と同じように真面目なお袋も、世間からの当たりに肩身を狭くしていった。
そんな折に、『ワンダラー』なんて存在が報道された。
黒い粘液のような身体をしている、幽霊みたいな化け物だと。ソイツの近くだと気分が悪くなったり、錯乱したりするのだと。
親父が見たのは確実にコイツだろう。
テレビでその姿が映る度に、親父は嫌な事を忘れるように酒へ逃げて行った。
親父の言っていたことが事実だとは分かった。しかし、テレビ越しに見る幽霊は恐怖など感じることもなく、こんなものに親父は怯えているのかとアタシは失望するばかりだった。
高校生になっても、アタシは家での時間は寝るための宿のような扱いをして、外に出歩くことを続けていた。
別段何をしたいでもなく、とにかくぶらぶらと出歩いて時間を潰していた。
その日だって、何ら変わらないいつも通りの日だった。
目の前に突然、幽霊が現れた。
意味が分からなかった。
何の前兆もなく、何の違和感もなく、気づいたら目の前には、自分の数倍はある黒い粘液が存在していた。
アタシは、それを見て恐怖した。
鳥肌が立ち、身体の中をかき回されているような気味の悪い感覚が収まらない。
気分が悪い。
とにかく逃げなければいけないのに足がすくみ、全力を出しているはずなのに背後の粘液が遠ざからない。
立ち向かおうなんて気はまったく起きなかった。
どうすればいいか、あれはなんなのか。とにかく頭の中はパニックになってしまい、ぐちゃぐちゃでまとまらない。
死の恐怖というものを感じたその時、目の前にこの場には不釣り合いなピンク色をしたまるで桜餅みたいな物体が現れた。
桜餅は強く変身と願えば助かると、ただそれだけ言った。
意味が分からない。突然の幽霊、突然の桜餅、そして変身?
パニックが頂点に達していたが、アタシは死にたくなかった。
よく分からないまま、言われるがままに変身と叫ぶと、不快な気分は消え去り、しかし、パニックは深まる一方だった。
魔法少女。存在は知っている。
『ワンダラー』なんて奇怪な存在が現れてしばらくした後、その怪物を倒すべく現れた正義の味方らしい。
その魔法少女に、アタシが?
現状を正確に理解できていなかったが、目の前の幽霊は待ってくれない。
危機を打開する為の力を願っていると、炎のように赤い光が手に集まり、刀となって現れた。
無我夢中で使ったこともない武器を振り回し、とにかく消えろと幽霊に願いながら攻撃していると、気づいたら炎が巻き起こって目の前の幽霊は消えていた。
幽霊を倒すことが出来た、自分は生きている。
死という恐怖から逃れることができ、安心感が生まれてくるが、パニックは一向に収まらない。
魔法少女ってなんだ。アタシはこれからどうすればいいんだ。
手に持つ刀は純粋な凶器であり、燃える炎は人なんて容易く灰にしてしまうだろう。
新たな恐怖が芽吹いてきて、この現場を見られていないか周囲を確認すると、真っ黒な少女がこちらを見下ろしているのを見つけた。
こんな夜遅くに、あんな高い位置から見下ろしているなんて確実に一般人ではないだろう。現状を理解するためにも、逃すわけにはいかない。
手に入れた超人的な力を使って真っ黒な少女を問い詰めると、自身が魔法少女であることが間違いないと分かった。
そして、よく分からないまま魔法少女学校なんてところへ行く羽目になり、ガキ共と一緒に魔法や倫理について学ぶことになった。
なんで、アタシが魔法少女なんだ。
アタシより相応しい人間なんて、世の中に山ほどいる。少なくとも、アタシよりも相応しいヒーローが他にいることを知っている。
なんで、今なんだ。
もっと早くに魔法少女になれていたら、親父を助けることだってできたはずなのに。
アタシは、魔法少女なんて続けたくなかった。
真面目に誰かを助けていようとも、一度失敗すれば手のひらが返され、見捨てたなんて蔑まれる。
そんな親父の姿を見てきたアタシにとって、正義の味方なんて呪いのようなものだ。
だが、ガキ共はそんな現実が見えていない。
誰かを助けたいと、自分がヒーローになるのだと、信じて疑っていなかった。
それが滑稽でもあり、そして、アタシを苦しめる。
アタシは力を持ったものはそれ相応の義務があるなんて言葉を、欠片も思ってはいない。
だから、魔法少女にしか倒せない『ワンダラー』の討伐に義務なんてないと思っているし、このまま魔法少女を辞めてしまっても構わないとだって思っている。
でももし、ガキ共が親父のように失敗をし、そして心が折れてしまったらと思うと、アタシは後悔せずにはいられないだろう。
今なら、アタシは力を持っている。持ってしまっている。
その力を振るわずにただ見ていることなんて、出来るはずがない。
真面目に誰かを助けるガキ共が馬鹿をみるなんてこと、許すことができない。
親父のように手のひらを返す市民を守るようなバカみたいな仕事なんて真っ平御免だが、親父のように誰かを助けている奴を支えるくらいなら、罰は当たらないだろう。
ただひたすらに頑張っているだけのガキ共を守るために、アタシはこの力を使う。
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