第7話 『麗氷姫』からの提案
霊峰院さんはスタイルが良い。たゆんとその大きな胸を強調するような仕草に対し目のやり場に困っていると、構わず彼女は言葉を続ける。
「部活や用事があるのなら兎も角、何もないのでしたら早く帰りなさいな。これはクラス委員長としての言葉ですわ」
「あ、あぁ……すまない」
「そういえば貴方、先程から何を見てますの……?」
「ちょ、ちょっと……!」
いつの間にか俺の机の側に来ていた霊峰院さん。彼女は疑問の声をあげながらも俺の机に広げてあったテスト用紙の一枚を摘んだ。
彼女はそこにある点数を見つめると、噴き出すようにして口角を上げた。
「ぷっ、貴方、この学園に編入してきた割りには頭が悪いんですのね。なんですの、この点数は?」
「くっ……!」
「国語46点、数学38点、理科30点、社会42点、英語32点……! どれもこれも我が霊峰院学園に相応しくない平均点以下の点数ですわね。ふん、いつもお元気な割にはのんびりしていらっしゃること」
「…………ッ!」
彼女の含みのある言葉に思わず俺は下を向きながら押し黙る。事実だからこそ、何も言えない。でも次の瞬間、彼女はこんな言葉を言い放った。
「こんな点数では貴方のご家族もどう思うのかしらねぇ? おーっほほほ!」
「――――――」
そう言って彼女はとても面白そうに甲高く笑う。そのいつもと違う様子を振る舞うのは、霊峰院さんにとってこれまでの俺に対する意趣返しのようなものなのだろう。事実、俺はそうされても仕方のないことを彼女に言い放ってしまった。
だけど、俺にとって霊峰院さんのその言葉は大きく胸を抉るものだった。
「うっ、ひっぐ……! うぅぅぅぅっ、じゃあ、どうすればいいんだよぉ……ッ!」
「なっ……!?」
「ひっぐ、えっぐ……、だいたい、そこまで言わなくても……っ! ―――うぇぇぇぇぇぇぇんッ!!!!」
「え……? ちょ、ちょっと……!?」
泣いた。それはもうみっともなくぼろぼろ泣いた。世間で言う名の『ガチ泣き』というヤツである。
まさに外聞も恥も無い。しかし涙で視界が良く霞んで見えないが、目の前にいる霊峰院さんはどうしたら良いのか分からずに視線を泳がしながらおろおろしているように見えた。
なんだかいつも冷たい表情をしているクールな霊峰院さんには珍しいとは思ったが、それに構わず俺は泣き続けた。
「と、とにかくこれで涙をお拭きなさいな……!」
「うぅ……! ありがとぅ……! ちーんッ!! 今度洗って返す……!」
「い、いえ……、差し上げますので結構ですわ……」
俺は霊峰院さんから渡されたレースの蒼いハンカチで涙を拭きながら鼻をかむ。彼女はハンカチも持っていない俺を憐れんだのか、返さずに持っていて良いと言ってくれた。
何故かその声が引き気味だったのは気になるが……、やはり彼女はなんだかんだいって優しい。
俺は涙を拭きながら霊峰院さんを見ると、心なしかあのときのようにしゅんとしているように見えた。そのしおらしい姿はとても新鮮で、不覚にも可愛く見える。
やがて霊峰院さんは申し訳なさそうに口を開く。
「そ、その……以前の仕返しとはいえわたくしも言い過ぎましたわ。ごめんなさいですの」
「ひっぐ、別に大丈夫だ……俺が頭悪いのは事実だから」
「……そういえば貴方は編入特待生ですわよね。よろしければ、事情をお聞かせ下さいません?」
「うん、わかった……」
霊峰院さんから事情を訊ねられた俺は素直に打ち明ける。
成績が悪いこと。主に家族に経済面で負担を掛けたくないから以前の高校ではバイトをしていたこと。そしてこれからもバイトをすること。運動や勉強の成績が悪いと編入特待生枠の制度である授業料無償化等を利用できなくなること。それらのことを考えると勉強とバイトの両立が難しく、どうすれば良いのか分からないこと。
思いのほか、俺は不器用ながらも霊峰院さんに自分の事情を素直に打ち明けることが出来た。俺が話をしている間にも霊峰院さんは冷たい表情ながらも柔らかい瞳を向けて俺の話に耳を傾けてくれたのだ。
出逢って時があまり経っていない霊峰院さんに話すことが出来たのは、それはきっと、彼女がどこまでも澄んだ蒼い瞳で俺を見てくれたから。
やがて最後まで話し終わった俺は深く息を吐く。
「……っていうわけなんだ。だから、どうすればいいのか上手く整理できなくて……」
「なるほど、貴方の事情は理解出来ましたわ。確かに編入特待生である貴方にとって、成績の悪化はそのまま経済面での困窮に直結しますものね……。それに三カ月後には体育祭、夏季休暇前には定期テストが待ち構えていますし、夏季休暇後後は霊峰院祭がありますの……。学園のイベントは目白押しですわ」
「そうなのか……」
彼女の言葉に俺は力無く項垂れる。
―――学校で勉強や運動、イベントに取り組みつつ放課後や休日にバイトを行なう。以前の学校ではバイトをしながらもなんとか成績を維持して高校生活を送れていたが、偏差値の高い霊峰院学園ではその両立が危うい。
編入してから今日まで、受けてきた授業で薄々と感じていたレベルの高さ。今回の定期テストの結果でそれが如実に表れたのだ。
バイトの時間を減らして勉強に費やすか、身体に鞭を打ってバイトと勉強を長時間こなすか……。困った俺は深く溜息を吐きながらどうすれば良いのか考える。
どうしよう、どうしよう、どうしよう……。
思わず顔を顰めた俺。すると次の瞬間、今まで椅子に座って静かに話を聞いていた彼女はゆっくりと綺麗な唇を動かした。
「―――このわたくしが、教えて差し上げましょうか」
「え……?」
「鈍い男ですわね。勉強や運動を手取り足取り教えて差し上げましょうか、とそう訊いているのです」
「な、なんで……!?」
俺は霊峰院さんの言葉に思わず赤面する。手取り足取りという言葉もそうだし、なによりあの一件から今まで無視をしていた霊峰院さんが何故そんなことを提案してきたのかと思ったからだ。
彼女は豪奢な赤い扇をばさっと広げると、切れ長な瞳で俺を射抜いた。
「はっきり言いましょう。貴方はこの霊峰院学園に相応しくありません」
「な……!?」
「体育の授業の際に視界に入ってしまいましたが貴方、勉強の他に運動もさっぱり出来ないのではなくて? 所謂『運動音痴』というものですわ」
「うぐっ!?」
「勉強もできないし、運動もできない。図々しい上に厚顔無恥の身の程知らず。……あぁ、ついでにデリカシーもありませんでしたわね」
「かはっ!?」
「無い無い尽くしでどこまでも失礼な貴方ですが―――それでも変わることは出来ます。その意思はありますか?」
霊峰院さんは扇で口元を隠しながらも俺を真っ直ぐに見つめた。どこまでも綺麗に透き通った、ガラス細工のようなその惹き込まれる瞳で。
そんな彼女の確かな問い掛けに、俺ははっきりと頷いた。
「あぁ、俺は変わりたい。上位の成績を維持するだけの力を、身に付けたい!」
「良いでしょう。ならば、成績トップのこのわたくしが直々に貴方を鍛えて差し上げますわ―――!」
パシッと扇を閉じると、霊峰院さんはそう言って微笑んだ。……ような気がした。
おそらくこの話が物語のターニングポイントです。
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