第2話 昼休みと彼女の二つ名
―――私立霊峰院学園。霊峰院グループ財閥が管理・運営する有名校で、かつて約十年前までは勉学やスポーツ以外にも上品で丁寧な言葉遣いや品位のあるマナー・知識を身に付けるために多くの淑女が在籍する長い歴史を持つ栄光ある名門女学院だった。
現にこの高校の卒業生は政界に進出している者や凄腕企業家として活躍する著名人が多い。
しかし時代の流れと共に様々な学校は男女共学化の傾向に移り変わりつつあった。このまま一貫して女学院として残すよう声も上がったが、現理事長である霊峰院之ノ助が『万象万物、移り変わるのは世の必定。早急に改革を推し進めよ』という英断を下し、早急に共学化への準備に着手。今の私立霊峰院高等学校に至るというわけだ。
現在では男女比率7:3と徐々に入学する男子が増えつつあり、多くの生徒が在籍している。
◇
「う、うぅ……っ」
昼休み。俺は机の上にべったりと頬を付けながら窓から見える空を見ていた。きっと傍から見たら今の俺は魂が口から出ているように見えることだろう。
あぁ、何個も青空にぷかぷかと浮かぶ白い雲がシュークリームに見える……。
「つ、疲れた……」
「あはは……ホームルームが終わったら否やみんなから怒涛の質問攻めだったからね。お疲れさま」
「おー、サンキューなー。……で、お前って名前なんて言うんだ?」
「あぁそっか、編入してきたばかりだしみんなの名前なんてまだわからないよね……。僕の名前は茂武田洋翔っていうんだ。御子柴君の席の丁度前の席に座っているよ。よろしくね」
「おう、よろしくな。これからはモブって呼ぶことにするわ」
「キミもかい!? やっぱりキミも僕のあだ名でそう呼んじゃうのかい!?」
大仰に天井を仰ぎながら頭を抱えるモブ。やっぱり、ということはやはりクラスメイトからはそう呼ばれているのだろう。
……うん、しょうがない。見た目からして普通・平凡・凡庸と言っていいほどザ・ノーマルな容姿をしているのだからこればかりはしょうがない。
俺は内心そう納得しながらうんうんと頷いた。
「これは改革か? とうとう僕の見た目改革をせねばならなぬのかぁぁぁ!?」と小さな声でしばらく呻いていたモブだったけど、ハッとした表情を浮かべる。ん、どうした?
「あぁごめんごめん……。それよりもどう? 編入してきたばかりで言うのもなんだけど、上手くやっていけそう?」
「うーんそうだな……。はじめは緊張したり不安だったけど……、いや今もだけどさ、 多分うまくやっていけるんじゃねぇかな? 俺が質問に答えるのに辟易したのに気付くと、みんな優しくてこうして気を使って一人の時間を作ってくれるし……。あぁ! あとあの金髪の女の子の言うことに素直に従ってたし」
俺はそのときの状況を思い出す。
クラスのみんなから囲まれて今までどこにいたのかとか質問攻めにされて少しだけ疲れたと思っていると、編入してきた俺に一切の関心が無いのか唯一机に座っていた例の金髪ツインテ縦ロールの女の子が髪を優雅に手を払いながらこちらの方を振り返ったのだ。
そして―――、
『みなさん、まずは我が校の生徒として彼に模範となる姿を見せるのが先ではありませんの? 編入されてきたばかりなのですから、質問という形であまり心労を掛けるのはいかがなものかと思いますわ』
まるで凍えるような鋭利な視線と薄く上げた口角をクラスメイトへ向けると、冷たくも綺麗な声で彼女はそう言い放った。
なぜ彼女がそのような態度で接するのか良く分からない。しかしその直後、みんなは申し訳なさそうに取り繕うな笑みを浮かべると、俺へ謝りながら各自自分の席に戻って行った。
それからというものの、クラスメイトの彼らからは話し掛けられていない。
何はともあれ、この学校にまだ不慣れな俺にとって彼女のあの言葉はありがたいものだった。なかなかタイミングを掴めずに授業の合間の休憩時間に話しかけることが出来なかったが、俺が困っていることに気が付いて注意を促してくれたことへ感謝を伝えなければいけないだろう
……それと、不用意に俺が不躾な言葉を呟いてしまったことへの謝罪も、な。
今は教室にいない、前方の金髪縦ロールの少女の席をちらりと見る。……友達と一緒に食堂にでも行ってんのかな?
俺は考えを巡らせながらも視線を戻すと、何故だかモブは視線を横に向けて歯切れが悪そうな表情をしていた。
「あ、あー。そ、それはー……」
「? ……どうかしたのか? なんで視線泳いでんの?」
「な、なんでもないよ!? ほ、ほらっ、昼食食べようっ!!」
「あ、あぁ……」
俺は不思議に思いながらモブの反応に首を傾げる。話もほどほどに机の横のフックから弁当袋を机の上に置くと、その中から弁当が入った弁当包みを取り出すその結び目をほどくと、今朝弁当箱に詰めた食べ物が姿を現した。
でーん。豚の生姜焼きウインナー、炒り卵、ほうれん草の御浸し、ふりかけの掛かったご飯といった、簡単ながらもバランスの良いお弁当だ。
「わぁ、健康のことを考えた美味しそうなお弁当だね! お母さんが作ったの?」
「……いんや、俺が作ったんだよ。こう見えても家事が好きでな。毎日節約しながらも頑張って考えて料理してる」
「えっ、これ御子柴君が作ったの!? すごくない?」
「小さい頃から毎日作ってるからもう慣れたもんだよ。……食べるか?」
「いいの!? 食べる食べる! ありがとっ!」
モブの弁当の白飯の上におかずを載せると、次に俺は豚の生姜焼きを口に入れる。……うん、味付けもバッチリだな。美味い。
もぐもぐと咀嚼し飲み込むと、俺は気になることがあったので彼にあることを訊ねた。
「なぁモブ、そういえばここの勉強って難しいか?」
「え、勉強? んー……、まぁほどほどに? なんでそんなことを訊いて……ってあぁ、御子柴君って"編入特待生枠"でこの学園に編入したんだもんね」
「あぁ、上位の成績を修めると、学費が免除になるってヤツ」
編入特待生枠、というのは家が裕福ではない家庭の子どもを対象としたこの高校の救済措置制度だ。稼いだバイト代の半分を家にいれているとしても、あまり親に経済面で負担を掛けたくなかったので俺はこの制度を利用して編入したんだが……。
「編入前は勉強超頑張ったから合格できたんだけど、それをバイトしながら維持し続けるって実際はどうなのかなと思ってさ。ほら、さっき言った通りこの高校では上位の成績をとらないと学費が免除にならないだろ?」
「うーん、確かにここは偏差値が少し高めだけど、真面目に勉強してれば大丈夫じゃないかな? 部活に入らずに放課後バイトしている人だっているし、それでいて成績もキープしているし。……あっ、そういえばバイトするときは先生に申請書出さないといけないから、早めに出しておいた方が良いよ」
「そうなのか、教えてくれてありがとな」
そうして俺とモブはこの高校のことや他愛無い話をしながら弁当を全部食べ終わった。弁当箱を仕舞いながら先程の金髪縦ロールの女子が早く教室に帰ってこないかと思い何気なく呟く。
「あーあ、あの金髪縦ロールの女の子早く教室に戻ってこねぇかなー?」
「えっ……!? ど、どうして……!?」
「いやー俺さ、自己紹介のあとこの席まで歩いているときびっくりして思わずあの子に『すっげぇ髪型してる』って呟いちゃったんだよな……。それを謝りたいのと、さっき彼女は俺の身のこと案じてくれただろ? それに対して一言感謝を伝えたいと思ったんだ」
クラスメイト全員に向ける彼女の零氷の如き蔑んだあの冷たい表情が気になったが、その言葉自体は明らかに俺のことを案じてくれたものだった。
編入してきたばかりだし、謝罪や感謝という名目でこちらから話し掛けても減るモノではないだろうと思っていた俺だったが……。
モブは俺の言葉を訊くと何故かわたわたと忙しなく慌て出した。バッと教室の扉を見てホッとした表情を浮かべると、やがてこう言い放つ。
「ダ、ダメだよ御子柴君……ッ!? あの『麗氷姫』には極力関わらない方が良い!!」