55話「責任と選択」
校庭の中心には大きな木材が組まれていて、真っ赤な炎の周りに生徒たちが集まっている。
陵南高校後夜祭名物、キャンプファイヤー。
今のご時世にバチバチと燃える炎とは珍しいものだ。
もう何十年と続いている、この学校の伝統的な行事。
火元を見ると依田ちゃんが腕組みをしながら満足そうに燃え上がる炎を眺めていた。
あの人が監督しているなら問題はないだろう。
生徒たちは大きな炎を見ながら思いも思いに過ごしている。
「…こんなところで何してるのかな、薫くん」
「会長…」
ぼーっと炎を眺めていたせいか、声を掛けられるまで会長の存在に気が付かなかった。
会長は両手にペットボトルを抱えていて、その一本を俺に差し出した。
「はい、お裾分け」
「えっと、良いんですか」
「うん。屋台での売れ残りでねー。焼き鳥は完売だったんだけど、飲み物の方はイマイチで。色んな人に配ってるから気にしないで?」
「それじゃあ、有り難く頂きます」
「ふふっ、どういたしまして」
受け取ったペットボトルは少し生温かった。
会長はそのままその場に座り込んで隣を指差す。
特に断る理由もないので、俺は素直に会長に倣ってその場に座り込んだ。
遠くからもバチバチと火の弾ける音が聞こえてくる。
真っ暗な夜空を、真っ赤な炎だけが照らしていた。
「薫くんはてっきりライブの方にいるかと思ったのに」
「本当はそのつもりだったんですけどね。ちょっと気分が乗らなくて」
今頃、体育館では有志のバンドによる演奏が始まっている頃だろう。
これもウチの学校の恒例行事。
ダンス部や有志のバンドによる演奏を聴きに、多くの生徒が集まっているだろう。
校庭の生徒の数が若干まばらなのも、多くが体育館に流れているからだった。
「確か薫くんの友達、出てるんじゃなかったっけ?」
「詳しいですね。2人出てるんで、それを観に行くつもりだったんですけど…」
会長の言う友達とは、海斗と佐藤のことだ。
あの二人は趣味でバンドをやっていて、確か毎年後夜祭で演奏していたような気がする。
昨日も海斗に念押しで観に来るように言われていた。
でも今俺はこうしてここに座って呑気にキャンプファイヤーなんて見ている。
「……悩み事ならお姉さんが聞いてあげるよ?」
「…気持ちだけ、受け取っておきます。相談出来そうにないんで」
「そうやって言われると、余計に気になるなぁ」
会長はじっとこちらを見つめてくるが、言えるわけもない。
脳裏に浮かぶのは真白台の顔と、さっき言われた言葉。
こんなこと、誰にも相談なんて出来るはずもないよな。
「……分かった!恋の悩みでしょ?」
「ち、違いますよ」
「今ちょっと動揺したねー?怪しいなぁ。私の女の勘がそう告げているんだけど?」
恐るべし女の勘。
そんなピンポイントに当てられるものなのだろうか。
あまりにもストレートな質問につい動揺してしまった俺もどうかと思うが。
「やっぱり図星でしょ!」
「……まあ、そんなものです」
俺の言葉を聞いて、会長は嬉しそうにガッツポーズをしていた。
これ以上抵抗しても無駄なのようなので早々に白旗を挙げたが、彼女の無邪気さに少し救われた気もした。
よく考えればこんな話、こうやって踏み込まれでもしない限り自分から話せない。
だから今は会長の存在が、有り難かった。
「いつからそんなにモテるようになったの、薫くん」
「あー、モテるとかじゃないんですけど…」
「うわぁ、その余裕っぷり。他の男子が見たら間違いなくぶっ飛ばされるねぇ」
「いや、そんなんじゃないですって…!」
「あはは、そんなに慌てなくても冗談だって!もう、本当に薫くんはからかいがいのある後輩だなー」
「勘弁してくださいよ、もう…」
「ごめんごめん。機嫌直してよ、ね?」
「別に謝らなくて良いですけど…」
「うん、ありがとう。こういう話って中々聞かないじゃない?だから興味津々になっちゃうんだよね」
その気持ちは分からなくも無いが、今は遠慮願いたい。
まあ会長がからかってくるのはいつものことなのであまり気にしても仕方がないのだが。
生温いペットボトルのお茶を一気に流し込む。
校庭では何組かカップルらしき生徒たちが、手を繋いだりしていた。
「…あー、今年も出来てるね。後夜祭でカップルになる子たち」
「まあ、こういうお祭りはそういう雰囲気になりやすいですもんね」
つまりはそういうことなのだろうか。
真白台も、そういう雰囲気だからあんなことを俺に言ったのだろうか。
でも俺には真白台がそんな流される奴には見えない。
じゃあ何で、彼女はあんなことを言ったのだろうか。
「……なんか嬉しそうじゃないね、告白されたのに」
「こ、告白って…!」
「あれ、違うの?」
「い、いや…そうかもしれないですけど…」
「普通告白されたら、もっと喜ぶものなのかなって。今の薫くん、なんだか浮かない顔してるからさ」
「…正直、自分でもよく分からないんですよ」
「よく分からない、ねぇ…」
「急なことで頭がついていかないっていうか…。今までそういう対象として考えたこともなかったので、どうしたら良いのかなって…」
「うんうん、よく分かるよその気持ち。私もなんでか知らないけど、たまに告白されたりするんだよねー。しかも名前も知らないような人から。いきなり好きですって言われたって、困っちゃうよね」
この人と俺とではだいぶ立場が違う気がするが、それでも彼女は話を聞いてくれた。
会長の場合はきっと告白される事はそこまで非日常ではないのかもしれない。
彼女はどちらかと言うと青ねえのような、少し特殊なタイプなのだと思った。
「困るというか、どうすれば良いのかなって、考えちゃう感じですかね…」
「うーん…」
「本当、情けないですよ」
「…好きなようにすれば良いんじゃないかな?」
「好きなように、ですか」
「うん。素直に気持ちを伝えても良いし、嘘をついても、逃げちゃっても良いんじゃないかな。きっとね、正解なんてないんだよ」
真っ赤な炎を眺めながら、会長ははっきりとそう言った。
「だから面白いんじゃないかな、人生はさ。迷って悩んで、それで出した答えならきっとそれで良いんじゃないかな。きっとそれが、薫くんにとっての正解なんだよ」
「俺にとっての正解、ですか」
「だって、先の分かってる人生ほど、つまらないものはないでしょ。予想が出来ないから、精一杯頑張ろうとするんだよ。私には、よく分からないけど…」
そう言った会長の横顔は、なぜか少し寂しそうだった。
バチバチと弾ける火花を、俺たちはじっと見つめる。
俺はどうしたいんだろう。
真白台と、どういう関係になりたいんだろう。
考えてもすぐに答えは出そうになかった。
思えば真白台と出会ってから、もう半年近く経つ。
決して少なくない時間を、俺たちは一緒に過ごしてきた。
だから彼女が俺に対して特別な感情を抱くのも、不思議ではないのかもしれない。
「……正直、怖いんですよ、俺は」
「怖い?」
「自分の答えが、相手を傷付けてしまわないかって。俺はただ、今の関係がなくなってしまうのが、怖いんですよ。情けない、ですよね」
「…情けなくなんか、ないよ。誰だって責任を負う事は、怖いから。でも自分の意思で選択したことには、必ず責任を取らないといけない。それからは、逃げられないんだよ」
「そう、ですよね」
俺の選択。
偉そうに言っているが、結局俺はただの意気地なしなわけだ。
あの場ですぐに答えを出せたなら、俺も真白台も余計に悩むことなんてなかっただろうに。
でも俺には即決出来るほどの度胸も、甲斐性もない。
俺の中では少なくともあの時までは、真白台は俺にとって‘可愛い後輩’でしかなかったのだから。
「…それにしても、いつの間にモテるようになったのかな、薫くんは」
「いや、自分でも正直驚いてます。今までこんなこと全然なかったんで」
「あはは、もう否定しないんだね」
「会長には隠しても無駄みたいですから」
「そうそう、無駄なんだよ?」
会長は笑顔のまま、すっと俺の頬に手を当てた。
いきなりのことに固まる俺をじっと見つめながら、数秒そうしていた。
「……やっぱり、駄目かぁ」
「な、何なんですか、今のは」
「うーん、おまじない?薫くんのこれからを占うおまじないみたいなもの、かな?」
「なんで疑問形なんですか…」
また会長の悪戯が始まったらしい。
一瞬だけドキッとして損した気分だ。
「でもやっぱり何にも見えないんだよね、薫くんは。もしかしたら今ならいけるかなーって思ったのに」
「なんか、すいません」
「ううん、だから薫くんに興味があるんだし問題ないよ。あ、少しは役に立ったかな?」
「えっと…」
「お姉さんの相談」
「…ああ、はい。話を聞いてくれてありがとうございました。少し、楽になった気がします。もう一度自分自身で、ちゃんと考えてみようと思います」
「うん、そうした方が良いよ。それじゃあ、私は失礼しようかなー。差入れの旅がまだ残ってるから」
またペットボトルを両手に抱えて、会長は立ち上がった。
「あ、俺も手伝いますよ、会長」
「ああ、別に気にしないで。好きでやってるだけだから」
「でもーー」
「それよりも、ちゃんと体育館に行ってお友達のライブを観た方が良いんじゃない?約束、してるんでしょ」
「…そう、ですね。すいません」
「ううん、だから気にしないで。それじゃあ、またね薫くん」
会長は笑顔で立ち去っていった。
本当に嵐のような人だなと、改めて思う。
でも今はそんな会長のお節介も有り難かった。
どの道、俺は返事をしなければならない。
ふと青ねえのことを思い浮かべる。
青ねえのことを俺は散々傷つけてしまった。
だからこそ、同じ過ちを繰り返すわけにはいかない。
ちゃんと考えて、答えを出す。
それが俺に出来る最大限なのだから。
「真白台冬香、か」
真っ赤に燃える炎を眺めながら、俺はしばらくその場に立ち尽くしていた。




