49話「嘘つき・2」
その公園は、俺の実家から近いところにあった。
小さい頃はよく遊びに行って、近所の奴らと一緒に色んなことをしたっけ。
そして俺の側には常に、青ねえがいた。
青ねえはいつも皆の中心で、キラキラしていて…。
俺は、そんな青ねえの幼馴染だってことが、とても誇らしかった。
自慢のお姉ちゃん。
それが俺の、青ねえの全てだった。
いつまでもこうやって仲の良い姉弟みたく過ごしていく。
当時の俺は、それを疑うことなんて全くなかった。
「……あ」
「……来てくれたんだね、薫」
夕陽に照らされた青ねえは、いつもよりも綺麗に見えた。
栗色のショートボブも夕陽に照らされて、輝いている。
以前は長かった、俺のせいで短くなった彼女の髪。
今更、逃げることなんて許されないことを、改めて俺に教えているようだった。
「青ねえ……」
「懐かしいね、ここ。昔はよく一緒に遊んだっけ」
「……うん、俺も同じこと、考えてた」
「ふふ。私の家はさ、両親が共働きで、いつも家でひとりぼっち。だから薫がいてくれて、本当に嬉しかったよ」
「俺もだよ、青ねえ。青ねえのおかげで俺も楽しかった。それに、青ねえは俺の憧れだったよ。皆に自慢出来る、お姉ちゃんだった」
「お姉ちゃん、か」
「えっと……」
「ううん、良いの。私、変に気にし過ぎてたんだと思う。薫が私のことを‘青ねえ’って呼んでくれることは、私と薫の幼い時からの絆の証なのにね。目先の事ばっかり見てて、そんな簡単なことも忘れてたなんて、幼馴染失格だよ」
「違う。違うんだよ。俺が逃げてただけなんだ。青ねえは、前だって今日だってこんなにも俺に向き合おうとしてくれていたのに。俺は、怖かったんだ。この関係が変わってしまうことが、怖かったんだ…」
自分が震えていることが分かる。
こんな本心を、俺は誰かに言ったことがあっただろうか。
青ねえは黙って俺の隣で話を聞いてくれていた。
臆病な俺の話を。
「俺は、青ねえが怖かった。あの夏の日から、変わってしまった青ねえが恐ろしくて、逃げ出した。そして俺の中学生時代を無茶苦茶にした青ねえを、恨んだ」
「うん…」
「だけどさ、本当はそうすべきじゃなかったんだ。青ねえを一番近くで見ていた幼馴染の俺が、青ねえのことを理解すべきだったんだよ。俺には偶然かもしれないけど、その資格もあったんだ」
以前に青ねえが言っていた、彼女だけの‘世界’。
俺はその世界に入ることが出来る可能性がある奴だった。
なのに俺はーー
「でも俺は逃げ出した。目の前の幼馴染の変貌に耐えられなくて、自分を守るために俺は……」
「もう、良いんだよ薫」
「よくない。よくないんだよ、青ねえ。俺はそんな当たり前のことに、ずっと気が付かなかった。本当の意味で、他人のことを考えてなんかいなかったんだ。それが、どうしようもなく卑怯な俺っていう人間だったんだ」
きっと違う未来があった。
俺がもう少し強かったら。
自分の心に負けなかったら。
ずっと一緒だった幼馴染を、最後まで信じることが出来たのなら、彼女は暴走することはなかったに違いない。
青ねえの一番の理解者に、俺はなれたのかもしれない。
だけど現実にはそうはならなかった。
そして青ねえはずっと独りぼっちで、俺は彼女を恐れて、全てから逃げ出した。
「本当に、ごめん。俺がもっとーー」
「違うよ、薫。悪いのは、全部私なの。結局やったのは私なんだから。薫の中学生時代を滅茶苦茶にしたのも、今まで他人を物みたく扱っていたのも、全部私なんだよ。それが事実なんだから」
「青ねえ…」
「だから謝らないで。私の一番大切な人を、これ以上傷付けないで…」
青ねえはそう言って、俺を優しく抱きしめた。
以前とは違って、恐怖を感じることは全くなかった。
彼女の温かい体温が伝わってくる。
とても懐かしい気持ちになった。
やっとあの頃の、俺が憧れていたあの青ねえに出会えた気がした。
もっと早く俺が気がつく事が出来れば、俺たちの関係は大きく変わっていったのかもしれない。
「……ありがとう、青ねえ。今日の講演会、聞いたよ。本当に無茶するなって思った。正直聞いててヒヤヒヤしてた」
「あはは、元々あんなこと話すつもりなんて、なかったんだけどね。見つけちゃったんだもの、薫を。だから全部薫のせいなんだからね?」
「ええっ、俺のせいかよ」
「ふふ、そうだよ」
こうやって冗談を言い合っていると、本当に昔に戻ったようだった。
でも決してそんなことはないわけで。
彼女の気持ちに、俺は向き合わないとならないんだ。
「青ねえ、俺さ…その……」
「…ほら、しっかりして?そのために来たんでしょ」
俺は、ゆっくり深呼吸をして彼女を見つめる。
彼女は本気だ。
きっとこの返答次第で、俺の運命は大きく左右される気がする。
ここは慎重に言葉を選ばなければならない。
それが、俺が彼女に出来る精一杯の誠意なのだから。
「……青ねえの気持ちは、本当に嬉しかった。でも、ごめん。やっぱり俺にとって青ねえは、幼馴染のお姉ちゃんなんだ」
「……うん」
「だから、ごめん。今はもっと大事にしたい人が、俺にはいるんだ。その為に、俺は今生きてる。だから、青ねえの気持ちには応えられない」
「大事な人、か…」
「青ねえ?」
「ううん、素敵だなって。薫もそう思える人に、出会う事が出来たんだね。流石、私の大事な人、だよ…」
「……面と向かってそう言われると、照れる」
「ふふ、今更何照れてるのよ。もっと照れる場面だってあったでしょ?」
「はは、確かにそうかもな」
夕陽に照らされた公園で、俺たちの笑い声だけが響く。
あの頃と変わらないように笑う、俺と青ねえ。
でももう俺たちはあの時のままではいられない。
でもそれは決して悪いことばっかりじゃないんだ。
前に進む為に、俺たちはこうして今ここにいるのだから。
「……今日はごめんね。わざわざこんなところに呼び出して」
「俺の方こそ、ごめん。今まで俺がハッキリしないせいでーー」
そこまで言った俺の口を、青ねえは人差し指でそっと抑えた。
「もう、薫は今日は謝りすぎ。……嬉しかったよ、本当に。私の気持ちに正直に答えてくれて、本当に嬉しかった」
「俺も、嬉しかったよ青ねえ。あの頃の青ねえにまた会えた気がして、嬉しかった」
「でもね、私は諦めないからね。今は大事にしたい人が私じゃなくても、将来的には分からないんだから。覚悟しておいてよね」
不敵な笑みを浮かべて青ねえは改めて俺にそう宣言した。
きっと俺は一生この人に勝つ事が出来ないに違いない。
「じゃあ、私明日も仕事あるから、もう行くね」
「うん、今日は本当にありがとう」
「私の方こそありがとう。……春菜ちゃんのこと、大事にしなきゃ許さないんだからね」
「な、なんで…」
「ふふ、私は貴方のことなら何でも知ってるんだからね?」
そう言って俺にウインクをしてから、青ねえは公園から去って行った。
俺は図星を突かれてそのまま彼女の後ろ姿を見ることしか出来なかった。
真夏川青子は、本当に逞しい人だった。
俺が憧れたお姉ちゃんは、やっぱり変わってなんかいなかった。
「……ありがとうな、青子」
きっと青ねえには聞こえてはいないけれど、俺はそう言って夕焼けの空を仰いだ。
あの夏の日に、もっと俺に勇気があったら。
俺たちの関係は変わっていたのかもしれない。
だけど俺たちは今こうして幼馴染でいる。
きっとそうじゃない未来もあったのかもしれない。
俺たちがもっと深い関係にあった未来もあったのかもしれない。
全ては俺の弱さのせいだ。
それを忘れてはいけない。
そして青ねえの気持ちを無駄にしない為にも、俺に出来ることをする。
妹の為に、俺が出来ることを精一杯しようと、そう決意した。
「冬香―?あれ、どこ行っちゃったのよ…」
「……ふぅ」
暗くなった教室で、あたしは何とか真理亜をやり過ごした。
そのまま教室の隅に座って、ぼーっと真っ暗な空を眺める。
キラキラと輝く星空は、あたしだけを照らしてくれているようで、少しだけ救われる気持ちになる。
「何やってんだろ、あたし…」
今頃、センパイと青子さんは何をしているのだろうか。
それを考えるだけで、何故かあたしの心は少しだけ痛む。
考えるたびに痛みは増して、今真理亜にあってもどんな顔をしたら良いのか、あたしには分からない。
「嫉妬なんて、馬鹿みたい…」
自分の心に嘘までついて、センパイを送り出したんだ。
上手く行ってくれなきゃ困る。
上手く行ってなければ、今度センパイに文句を言わなくちゃならない。
壇上の青子さんは本当に真っ直ぐで、他人のあたしでもすぐに本気の想いが伝わって来たくらいだ。
一体青子さんが誰のことをあたしに相談していたのか、すぐに理解した。
あたしには無理だ。
あんなに純粋で一途な気持ち、あたしには無理。
だからこの気持ちはそっとしまっておかないといけない。
これからもあたしは嘘をつく。
だってあたしにはあんなこと、出来ない。
「これ以上、あたしには望めないよ。これで、十分だよ」
何度も繰り返して、あたしを上書きしていく。
決して忘れることの出来ない脳味噌に、上書きしないとーー




