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46話「親子」


「じゃあ、今週末で。おう、わざわざありがとな」

 

 電話を切って、そのままベットに倒れ込む。

 電話越しの真白台は結構緊張していたようだ。

 いつもはクールな後輩の、意外な一面をまた発見してしまったーー


「……どうしたもんかな」

 

 ――なんて誤魔化しても、やっぱり胸のモヤモヤは晴れることはなかった。

 どうしようもなく自分が情けなくなるが、現にどうすれば良いのか分からずにもう2週間近く経ってしまっている。


「情けない、よな…」

 

 夏休みの終わり。

 幼馴染である青ねえと喧嘩してから、俺はそのことばかり考えてしまっていた。

 あれを喧嘩と呼べれば、なのだが。


『私は、お姉ちゃんなんかじゃ、ないんだよ』

「……はぁ」

 

 そんなことは、ずっと前から分かっていたはずだった。

 彼女は、俺に少なからず好意を寄せてくれていることも。

 青ねえは、変わったと思う。

 以前のような怖さは全く感じることはなくなったし、今の方が正直接しやすい。

 雰囲気も柔らかくなったと思うし、本当に自分を変えようとしているのが伝わってくる。

 だからこそ、そんな彼女の気持ちに気が付いた以上、俺ははぐらかさずに答えを出さなければならない。

 そのはずなのだがーー


「何て言えば良いんだよ…」

 

 彼女を傷付けない方法が、全く思い付かない。

 どうすれば良いのか。

 そこまで考えて、俺は改めて自分が死に戻りするまでの間、一度もそんな状況になったことがないことを思い知らされるのだった。

 春菜が死んでから、俺は逃げるように家族の元を離れた。

 大学生になっても元々の性格もあって、周りに馴染めず大学と家を行き来する日々を送るだけの4年間だった。


「情けないよな、本当に…」

 

 そして塾講師として社会人生活を続けて5、6年ほど。

 サービス業ということもあり、昔よりは人慣れし、コミュニケーションも取れるようになったと勝手に自負していた。

 だけど、どうだ今の状況は。

 結局俺は、塾講師という肩書きがなければ昔と変わらず、臆病なままの自分に逆戻りしてしまっている。

 あの高校生の日から、俺は何も成長していなかったのだ。

 それをこの半年余りの死に戻り生活で、やっと学んだ。

 それが、俺という人間なのだ。


「何か飲もう…」

 

 考えても浮かぶのはマイナスなことばかりで。

 まるで死に戻りする前の自分に、すっかり戻ってしまったようだった。

 気を紛らわそうと、一階に降りてリビングに入るともう深夜なのに人影があった。


「……あら、薫くん。どうしたの、こんな時間に」

「明子さん……」

 

 明子さんは空いたグラスにビールを注ごうとしているところだった。

 どうやら、深夜の一人酒盛りをしていたようだ。

 邪魔してしまったかなと思ったが、手招きされているところを見ると俺の考えすぎだったみたいだ。


「こんな時間に一人で飲み会ですか」

「司さんは今日は夜勤だしねぇ。寂しい日は、こうやって一人で飲んだりしてるの。意外と楽しいものよ」

「親父、夜勤多いですもんね」

「……こんな母親で、ガッカリした?」

「いや、そんなことないですよ。明子さんにはいつもお世話になってますし、俺も一人でやりたい時がありますから」

「……薫くん?」

「あ、想像の話ですよ、想像の。大人になったら、俺もこうやって一人で飲んだりしてるだろうなって、あはは…」

「ふふ、そうよね。急に大人びたこと言うから、びっくりしちゃった」

 

 明子さんは優しく笑いながら、俺に麦茶を出してくれた。

 飲み会みたいなノリになって、つい素の自分が出てしまいそうになる。

 少し顔を赤くしながらちびちびとお酒を飲む明子さん。

 そういえば、俺はこの人と二人きりで話をしたことは、なかった気がする。

 俺はずっと家族を避けてきたし、大人になってからは余計に両親と向き合うことなんて、なかった。

 だから俺は、自分の母親のことをあまり知らないのだ。


「……あの、明子さん」

「んー?どうしたの」

「一つ聞いても良いですか?」

「どうしたの、改まっちゃって」

「……どうして、親父と結婚したんですか」

「ええっ…すごい急な質問ね。何かあったの?あ、好きな子とか出来た?」

「い、いや…そういえば聞いたことなかったなって。すいません、変なこと聞いて…」

 

 自分でも質問してからやってしまったと後悔した。

 一体急に何を聞いているのだろう、俺は。

 でも俺は、親父と明子さんの馴れ初めや、どうして二人が再婚したのか。

 全く知らない。

 いや、正確には知ろうともしなかった。

 当時の俺はとにかく親父に反抗して、ほぼ家の会話なんてなかった。

 それに春菜が来ても、彼女のことなんて構ってもいなかった。

 だから俺が家族について知っていることは、本当に数えるくらいしかない。

 明子さんは少し考えた後、恥ずかしそうに、でもしっかりと言葉を紡ぎ始めた。


「……司さんとはね、大学時代の友達だったのよ。二人とも同じサークルの同期でね。昔の司さんは、今よりももっとおしゃべりで元気な人だったわ。でも当時から警察官になって、困ってる人を助けたいって言っていて。本当に警察官になった彼を見て、心から尊敬してたの」

「親父、一度決めたら頑固ですからね」

「ふふ、そうなのよ。でね、私は前の夫と離婚したんだけど……色々あってその時に、司さんに相談して助けてもらったのよ」

 

 少し言葉を濁した明子さんが言う、色々。

 おそらくそれは俺が春菜から聞いた、前の父親の家庭内暴力のことだろう。

 親父は警察官だったわけだし、友達として相談に乗っていたのかもしれない。

 そういえば親父はよく色んな人の相談に乗っていて、死んだ母さんがそれをよく誇らしげに話していたっけ。


「親父は、お節介焼きだってよく言われてましたから」

「そう。でもそのお節介のおかげで、私と春菜はこうして生活できているの。だからね、数年ぶりに彼に会った時、薫くんのお母さんの話を聞いてね」

「母さんの…事故のこと、知ってたんですね」

「うん、しばらくしてね。それから二人きりになった司さんが、仕事をしながら薫くんを育ててるのを聞いて……なんとかしなくちゃって、そう思ったのよ」

「……親父、苦労してましたからね」

「……司さんはね、いつでも貴方のことを心配してたのよ、薫くん」

「お、俺ですか」

「そうよ。中学生で母親を亡くした貴方を家で一人きりすることも多くて、本当に苦労を掛けたって。でもなんて話し掛ければいいか分からなくて、いつも悩んでいたわ」

「……そう、ですか」

 

 知らなかった。

 親父がそんなことを思っていたなんて、全く。

 いつも親父は寡黙で無愛想で。

 母親が言っていたお節介焼きの話だって、俺は嘘半分で聞いていた。

 物心ついてからまともに親父と話したことなんてなかったし、仕事上あまり家にいることもなかった。

 仕事一筋で、俺のことなんて興味なんかない。

 それが、俺が親父に対して抱いていたイメージだった。


「……本当はね、再婚も、司さんには何度も断られてたの」

「それはなんで…」

「自分の息子すら満足に育てられない自分に、また家族を持つ資格なんてない、って…そう言われてね。本当、薫くんの言う通り、頑固な人で困ったわ」

 

 くすっと笑う明子さんは、どこか遠い目をしている。

 きっと明子さんが言っていることに嘘はない。

 俺は、今まで親父に嫌われていると思ってた。

 母さんが死んでから、俺と親父が会話をすることは一切なかった。

 親父が愛しているのは母さんで、俺じゃない。

 俺は捻くれてそれで余計に親父に反抗して。

 だから、親父がそんなことを思っているなんて全く考えもしなかった。


「……薫くんは、まだ高校生だから分からないかもしれないけど、司さんは、家族を守るために一生懸命働いてくれてるわ。そして、薫くんのことだって、愛してる。今はまだ分からないかもしれないけど、そうなのよ」

「……はい」

 

 俺は結局それに気が付かなかったわけで。

 そして社会人になった今、やっと少しだけその苦労が分かるのだ。

 自分一人の暮らしですらやっていくのに精一杯の俺が、親父の偉大さをやっとほんの少しだけ、自覚することが出来たのだった。


「えーと、なんで司さんと結婚したか、だっけ?」

「あ…はい、そうです」

「それはね、いつでも誰かのために頑張る彼を、一番近くで支えたいって、そう思ったからよ」

 

 そうやって言う明子さんの顔は、いつものおちゃらけた表情ではない、真剣なものだった。

 明子さんがどれだけ本気なのか、何も知らない俺にも伝わってくるようだった。


「何度も断られて、それでも絶対に諦めなかったわ。だから、こうして今があるのよ」

「凄いですね。何度も断られたのに…」

「ううん、すごいのは司さんよ。きっと誰かの想いを断るのって、本当はとても辛いことのはずなのに、あの人はちゃんと毎回、向き合ってくれたんだから」

「向き合う…」

「そう。人間ね、誰でも逃げたくなるものなのよ。特に辛いことからはね。だけど、司さんは決して逃げないでいつも私の気持ちに正直に答えてくれた。まあ、それで余計に好きになっちゃったんだけどね…」

 

 それは今の俺には、胸に刺さる話だった。

 俺は、今不実を働いている。

 青ねえの気持ちから逃げて、何とか誤魔化そうとしている。

 でもそれじゃ駄目だ。

 俺も親父のように、向き合わなければならないのだ。


「……答えには、なったかな、薫くん?」

「……はい、ありがとうございます。俺、頑張ってみます」

「ふふ、その真っ直ぐな目、お父さんにそっくりよ」

「そう、ですかね……」

「薫くんにはね、感謝してるの。貴方のおかげで、春菜はとっても楽しそうだから」

「いや、俺は別に…」

「そういう無自覚なところも、そっくり。これからも、春菜をよろしくね」

「……はい、勿論です」

「あはは、何か余計なことまで色々言っちゃったかも。お酒って怖いわねー。今日のことは、司さんには内緒だからね?私が怒られちゃうから」

「はは、分かってますよ。それじゃ、おやすみなさい」

「ええ、おやすみ」

 

 俺はリビングを後にする。

 今日初めて知った、親父のことや明子さんのこと。

 今まであまりにも知らな過ぎた、俺の幼稚さ。

 もう二度と後悔しないために、妹のために俺はこの人生をやり直そうとしていた。

 でも俺が今ここにいられるのは色んな人の支えがあったからで。

 未熟な俺はそんなこともすっかり忘れて、自分のことで頭が一杯になっていた。

 もうあの社会人には戻ることは出来ない。

 でも、そこで俺が犯したはずの数々の親不孝を、俺は精算したい。

 俺たち4人はどこまでいっても家族だ。

 そんな当たり前のこと、両親の偉大さを、こんな歳にもなって俺はようやく理解するのだった。





































「それじゃあ、行ってきまーす」

「行ってきます」

「はーい。二人とも気をつけてねー。あ、お帰りなさい司さん」

 

 翌日の朝。

 いつも通りの登校風景。

 親父がちょうど夜勤から帰ってきて俺たちとすれ違う。

 春菜は親父にも挨拶をして、そのまま外に出て行く。

 俺もいつも通りそれに倣ってーー


「……親父」

「ん、なんだ」

「……ありがとう」

「……どうした、急に」

「なんでもない。じゃあ、行ってくる」

「……ああ、いってらっしゃい」

 

 恥ずかしくて、顔はまともに見ずにそのまま玄関を飛び出す。

 何も変わらない、いつもと同じ日常。

 でも俺は、親父に恥じない息子になれるように、静かにある決意をした。



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