41話「似たもの同士、夏の終わりに」
もう夏も終わりを迎えた8月後半。
あたし、真白台冬香はいつも通り、市民センターに来ていた。
市民センターの地下にある広場は、いつも以上に混雑している。
いつもなら子供とお年寄りがほとんどのこの広場だが、今日はほぼ学生で占められていた。
それぞれがテーブルでまとまって参考書や教科書を開いている。
どうやら夏休みの終盤になって、慌てて宿題を片付けようとしているようだった。
これがここ2、3日で見慣れた光景だ。
自分には関係のない話だが、それだけ彼らの夏休みが充実していたということだろう。
それはそれで羨ましくは思う。
でも、今年の夏休みに関してはあたし自身、かなり充実した日々を過ごすことが出来た。
そしてそれは今目の前で勉強を教えてくれている、この人のお陰なのだけれどーー
「センパイ、終わりました。……センパイ?」
「…ん?あ、終わったか。ごめんごめん」
――当の本人、四宮先輩はどこか上の空だったようだ。
最近、センパイの様子がどこかおかしい。
8月の上旬、少しセンパイと会えない日々が続いたのだが、その間に何かあったのだろうか。
それからセンパイはどこか覇気がないような、悩みを抱えているような様子なのだ。
一応、妹の桃園先輩にもそれとなく聞いてみたが、彼女も同じことを思っていたが理由は分からないようだった。
もどかしい。
もどかしいけれど、無理矢理聞くわけにもいかず、あたしはただセンパイを心配することしか出来ないでいた。
いきなり聞くのも図々しいし、そもそもあたし達はただの先輩後輩。
あまり踏み込んだ話をするべきではない。
もしセンパイに嫌われたら。
そう思うと怖くて聞けずにいた。
そうやって気が付けば、もう夏も終わりに近付いてきていたのだった。
「――よし、キリも良いしここら辺で昼にしようか」
「はい、センパイ」
いつものように2人分のお弁当箱を取り出して、机の上に並べる。
もう1ヶ月以上も続けている日常だった。
それだけあたしがこの夏、センパイと一緒の時間を過ごしたという事だ。
「うん、本当に真白台の弁当はいつ食べても美味いな」
「あはは、そうやって言って貰えると作りがいがあります」
センパイは本当に美味しそうにあたしのお弁当を食べてくれる。
それが嬉しくて、毎回張り切って作ってしまうのだ。
いつも通り、センパイはすごい速さでお弁当を食べる。
それを見て、あたしもようやく自分の弁当を食べ始めるのだった。
「…なあ、真白台。ちょっと聞いてもいいか」
「なんですかセンパイ、改まって」
「あー、ちょっと聞きづらいことなんだけどさ…」
頭を掻きながら、センパイはバツの悪そうな顔をしている。
「えっとな…。やっぱりやめておくわ」
「……センパイ」
「いや、聞いたら絶対真白台を困らせると思うし」
「そんな言い方されて、はいそうですかって、納得出来るとでも思いますか」
「そう、だよな…」
「別に何を聞かれても困りませんから、どうぞ?」
「……もしだけどさ、もしもの話な」
「はい」
「今まで友達だと思っていた異性から、急に貴方とは友達じゃない、なんて言われたら、真白台だったら……どうする?」
「……はい?」
全く予想していなかった質問に思わず聞き返すあたしを、センパイは真剣な眼差しで見つめている。
どうやら茶化してはいけない質問のようだ。
一体どうしたと言うのだろう。
「……状況によると思いますけど。例えばその友達が嫌がることをしたとかなら、単に嫌われただけだと思いますし」
「…した、のかな、やっぱり」
「これってもしも、の話ですよね、センパイ」
「あ、ああ。そう。勿論だ」
「ふーん……」
「な、なんだよ…」
とても分かり易い反応。
四宮先輩は、普段は頼りがいがあるのだがたまにこういう子供っぽいところがある。
まあ、それはそれでこの人のチャームポイントだと思うのだが。
「…まあ、いいです。そうじゃない場合も、あると思いますよ」
「それは、どんな場合だよ」
「そうですね、例えばですけど、友達扱いされるのが嫌な場合とか、ですかね。もっと先の関係になりたいのに、相手が分かってくれないから、意思表示したとか」
「先の関係…?」
「言わないと分かりませんか?恋人ってことですよ。異性なんですよね。仲が良ければ、余計言い出せなくて、そういう言い方になるんじゃないですか」
「……やっぱり、そうだよな」
「…センパイ?」
「でも急にそんなこと言われてもな…」
「もしもーし」
「あ、悪い…」
「で、答えにはなりましたか、センパイ」
「……ああ、ありがとうな真白台」
「あ、ちょっとーー」
少し動揺しながらも、優しい笑顔であたしの頭を撫でてくる。
こうやって鈍感なくせにたまに見せる年上なところが、あたしを困らせる。
「…そういうところが、原因なんじゃないですか」
「ん?何か言ったか、真白台」
「なんでもありません。さ、お弁当食べましょう」
その場は誤魔化して、あたしはお弁当を食べる。
でも先程と違い、味はよく分からなかった。
今の質問は一体誰のことなのだろう。
それを質問する程、あたしは勇気がなくて黙ってお弁当を食べることしか出来なかった。
「――で、結局プールには一緒に行ったんですか」
「うん、それはね。冬香ちゃんの言う通り、思い切って誘ったら大丈夫だったよ」
センパイと市民センターでの勉強会を終えたあと、夕焼けに染まる駅前のカフェテラスにあたしはいた。
最近のもう一つの習慣、真夏川青子先輩との恋愛相談のためだった。
恋愛相談と言っても、初めはあたしが頼んで話を聞いてもらうだけのものだった。
目の前にいる青子さんは、あたしが通う桜陽附属高校のエスカレーター先である、桜陽学院大学の2年生だ。
現役モデルでもある青子さんは、あたし達高等部でも知らない人はいないくらいの有名人。
ひょんな偶然から知り合いになったあたし達は、こうやって時間があるときに集まって話をする仲になっていた。
「おお、大成功じゃないですか。だから言いましたよね、青子さんがちゃんと伝えれば、断る男性はそうそういないって」
「そうなんだけど、ね…」
途端に泣き出しそうな顔をする青子さん。
――これだ。
あたしが彼女とこの会を重ねて初めて知った意外な一面。
容姿端麗、才色兼備。
向かう所敵無し、振った男は星の数程と噂されるミス桜陽。
そんな彼女の意外な弱点――
「…どうか、したんですか」
「多分…ううん、絶対嫌われた。冬香ちゃん、どうしよう…」
それは恋愛方面に滅法弱い、ウブな女の子だということだった。
モテ女子の日本代表みたいな顔して、実際はこんな弱気な現役モデルの女子大生を、あたしは他に知らない。
「嫌われたって、デートしたんですよね。しかも水着になって」
「…うん。冬香ちゃんにオススメされた通り、勇気を振り絞ってビ、ビキニも着て、お弁当も作った。ちょっと失敗したかもしれないけど、一応教えてもらった通り作ったよ」
「それなら問題ないじゃないですか。相手の人も、喜んでくれたんですよね?」
目の前の青子さんは慌てたり、顔が赤くなったり、落ち込んだり。
自分の気持ちに素直な人だ。
この素直さを、その彼の前でもちゃんと出せれば、絶対に上手く行くと思うのだが。
「……でも、最後の最後で言っちゃったの」
「何をですか」
「前話したでしょ。私と彼の関係」
「年下の幼馴染、ですよね。こんな美人な幼馴染がいるなんて、本当羨ましい限りです」
「ちゃ、茶化さないで!」
「別に茶化してないですけど…それで?」
「……‘お姉ちゃん’って言われたの。姉弟だって。それで、私はお姉ちゃんなんかじゃないって。そう言って…走って逃げ出した…」
「そう、ですか…」
なんかどこかで聞いたことあるような話だった。
最近、こういうシチュエーションが世間では流行っているのだろうか。
まあ、青子さんの性格上、おそらくそれが勇気を出して言える限界だったに違いない。
「どうしよう。もう、あれから半月以上経つのに、メールの一つも出来ない。絶対に、嫌われた…」
「青子さん…」
目に涙を溜めて、落ち込む青子さん。
私が男だったらこんな美人を泣かせることなんて、絶対ないのだけれど。
こんな美女の女子大生のアプローチを躱す男の顔が見てみたいと、素直に思うのだった。
「…でも、これで相手の人も、青子さんのことを意識せざるを得ないと思いますよ。むしろこれからが勝負です」
「……そうかな」
「はい、そうです」
「…うん、ありがとね冬香ちゃん。いつもごめんね、こんな情けない先輩で」
「いいえ、あたしは楽しいですよ。青子さんと話すの」
これは本当の気持ちだ。
青子さんは良い意味でも悪い意味でも純粋だった。
きっと今まで誰かを好きになったことなんて、なかったのだろう。
それゆえの苦悩。
でも、そうやって心から好きになれる相手がいることは、羨ましいなと思う。
「あの、もう少し話してもいい?ここ、奢るから…」
「別に、奢らなくてもいいですよ。あたしももう少し話したいですから」
こうして、夕焼けのお茶会はまだまだ続いていく。
「お兄ちゃんー、ご飯だよー」
「はーい。今行くからー」
天井を見ても答えは出ない。
そんなことは分かっているのに、俺はぼーっと天井を眺めていた。
あの夢が、頭から離れない。
あまりにもリアルな夢。
こんなこと、今までに一度もなかった。
これは何かの予兆なのだろうか。
それとも、青ねえとのデートが影響しているのだろうか。
「はぁ……」
真白台の言う通り、青ねえは俺に好意を抱いてくれている。
俺がそれに応えれば、あの夢のような未来も待っているのかもしれない。
なんとなくしか思い出せないが、幸せそうな彼女の笑顔が、頭から離れない。
「真夏川青子、か……」
夏の終わりに、俺は無視できない問題に直面するのだった。




