missing2.私の人生
「寒い……。」
顔にフィットしていて、耳紐が平たく太いタイプのマスクで覆われた顔。
下半分は自分の吐息で暖かいが、段々と外気の冷たさに負けてマスクが濡れる。
私は凍った歩道に少し立ち止まってマスクをはずし、すぐに透明なジッパー付きバッグから同じマスクを取り出して着けた。
肩に下げているグレーのショルダーバッグの中には、現金と保険証、図書カードやポイントカードの入った財布……それから、ジッパー付きバッグがパンパンになるまで押し込んである。
背中に背負う大きなリュックサックには、自分名義の通帳と判子と少量の着替え。それに、小さなアルバムが一冊。
以上。
リュックサックに空きはあるが、これから物が増えるだろうからこれしか持ってこなかった。
それにしても……。
「寒い。」
そりゃあそうだ……自分に心の中でツッコむ。
厚手のコートとニット帽、マフラーと手袋にマスクという完全装備でも、昼過ぎのこの町では気温が氷点下になる。
滑る道をヒールのないブーツで早歩きできるのは、長くこの町に住んでいるからなのか。
流石に走ると転ぶかもしれないし、なによりちらほらだが人の歩く通りでは目立つ。
今の私は公共交通機関を使えない。
かといってタクシーはお金がかかる。
お金がない訳ではないけれど、無駄遣いは禁物だ。
なんとなく、はぁ……とため息をついてみた。
ため息をついた所で何も変わらないが、ふと反対側の歩道に目がいって……全速力で走り出す。
反対側の歩道を歩いていた黒いスーツの男は、幸い私には気が付かなかった様で、小道を暫く走って大通りに出る。
古いアパートやガラスの割れた住宅が並んでいた小道とは違い、大通りには管理人が駐在するマンションや洒落たレストランが並んでいて、車通りと人通りも多い。
雪道で傘を差した人に当たらぬ様に気を付けながらコンクリートの歩道を歩けば、今時の女子が惹かれそうなカフェもあり、そこから美味しそうな珈琲の香りが漂ってくる。
だが、こんな店で珈琲を頼むなんてお金の無駄。
少し先にコンビニの看板が見えるので、そこで温かい飲み物とパンでも買う事にした。
昨夜までの食事に比べると、かなり質素になりそうだが、こっちの方が幸福ではある。
ウィーンと締まりのない音を鳴らしながらコンビニの自動ドアが開き、私はレジ横の肉まんケースに目を奪われた。
その横にはフランクフルトに焼き鳥……惹かれない訳ではないけれど、寒い日に肉まんを見て食べたくならない人間ではない。
500ml入った水のペットボトル二本と300mlの温かい緑茶を手に取り、レジで肉まんも注文。
水二本はバーコード部分にシールを貼ってもらいリュックサックへ、緑茶と肉まんは一番小さなレジ袋に入れてもらってコンビニ内の小さなフードコートで食べる事にした。
レジ袋はショルダーバッグの隙間にねじ込み、必要になったらいつでも使える様にしておく。
「ごちそうさまでした。」
肉まんという食べ物は、なんてあっという間に無くなってしまうのだろうか。
フードコートの入り口に背を向けて椅子に座り、顔を見られない間に早く食べなければ!……とスピードをかける間もなく胃袋へと消えたのだ。
そして、肉まん一個を食べ終わった後に来る独特な感情に襲われる。
『もう一つ、食べたい。』
だが、ここで食べてしまえば『コンビニの肉まん』という特別感が無くなってしまう。
今まで中華料理店の肉まんは食べても、コンビニの肉まんを食べる事は少なかった。
だからこそ、特別なままでいてほしい。
肉まんを包んでいた紙と緑茶のペットボトルをゴミ箱に捨てて、私はコンビニ店内から雪が降り続ける冬の街へと戻った。
「……おい、アレ。」
「怪しいな……。」
現在PM7;20。
すっかり日が暮れて、街灯と店の灯りが無ければ凍っている歩道というハンデもあるので転びそうだ。
コンビニを出てから時々見つける公園のベンチ等で休憩を取りながら歩き続け、段々ペースは落ちたものの隣町の駅周辺まで来れた。
交番や警察署を避けながら来たので、予定よりも時間はかかったのだが……ここまで来て、駅周辺にいる見回り隊に目を付けられたらしい。
今歩いている場所は駅ビルから少し離れた所で、学生には手が届きにくいフレンチ・イタリアンが楽しめそうな店が並んでいる。
「あっ、君! 待つんだ!!」
見守り隊が近づいてくる前に、私は走った。
洒落た通りを抜けて、一方通行の道に全速力で走る。
もうこの際、滑るとか転ぶとかどうでもいい。
捕まる訳にはいかないんだから!!
「はぁっはっはっ……っはぁあ~。」
見守り隊の奴ら、かなり私を怪しんだのか仲間と警察まで呼んで追いかけてきた。
これを撒くのはかなり大変だったけど、私の執念が勝ち無事に逃げきれて一安心。
しかし、当初の計画では、ネカフェかカプセルホテルを渡り歩き、元居た場所から離れた町で学歴と年齢を偽装して住み込みのバイトをするつもり……だったのに。
駅からはかなり離れた場所に来てしまっている。
ここから戻るのもリスクが高い、かといって明らかに高校生……もしくは中学生にみえるかもしれないこの容姿でラブホに一人で一泊というのもな……出来たとしても金銭的にキツい。
ホテル系は既に手を回されている可能性だって十分にあるし。
「……あっ。」
私の目に留まったのは、灯り。
少し先に、とても明るい場所がある。
近づいてみると、その正体が分かった。
大人の街だ。
勿論、迷わず足を運んだ。