賢者転生に失敗した神
ひとりの男が不慮の事故で死んだ。突然崩れ落ちてきた鉄パイプの下敷きになりそうな親子を助けて身代わりになったのだ。
そんな善良な彼の行いを異世界の神が見ていた。そしてポンと手を打ち呟いた。
『彼を私の世界に転生させよう』
そんなこんなで若くして亡くなってしまった彼を不憫に思った神は、彼に賢者と古の術である魔法のスキルを与え転生させた。
彼が成人の儀式を終え、洗礼を受けると前世での記憶と共にスキルが目覚めるようにし、神は彼を自らの世界に転生させたのだった。
しかし神はすっかり忘れていた。
彼を一体どんな場所のどんな家に転生させるか決めるのを―
それから十六年。彼は無事に転生を果たし、自分が前世何者であったかを思い出すこともなく健やかに育った。前世と同じく真面目で優しいひとりの男として。
そして遂に、何も問題なく数日前に成人をした。はずだった。
「なにかおかしくない?」
「どうかなさいましたか」
下界の映る水鏡を眺めながら呟くと秘書も兼ねている知恵の女神が返事をした。
「元異世界人の彼。成人したよね?」
「はい。されました」
「賢者と魔法のスキルあげたよね?」
「はい。お持ちです」
「…そのわりになんか世界が静かすぎない?」
賢者。そう賢者だ。魔王なんて世界の秩序を乱すような存在がいないこの世では勇者は存在しない。しかし賢者はこの世界の発展の為に必要不可欠。賢者のスキル持ちは国の宰相や研究者として必ず重要なポジションに就く。しかも彼は今や使えるものが少なくなった古の術である魔法まで使える。こんなに素晴らしい人材は他にいない。
なのにどうして。どーしてこんなにも下界が静かなのか?賢者の誕生だと世界中が彼を取り合ってもおかしくないのに?
「…恐れ入りますが、彼がどこのどんな立場に転生したかご存知でございますか?」
「帝国の一般家庭に転生したくらいは知っている」
貴族や王族への転生を嫌がったので一般家庭への転生をした。うーん真面目なだけでなく謙虚。さすが私が選んだ異世界人。
「辺境の地の農家の長男に転生しております」
「あ。そうなんだ」
ざっくりとしたことは把握していたがそこまでは知らなかった。これでも立場は最高神。忙しいのだ。
「で?それが何か?」
「お分かりになりませんか?」
はて一体なんだろうか?
「彼は読み書きが出来ず洗礼も受けておりません」
「は?」
はあああああああああ!?
「はぁ!?なにそれなんで?!読み書き出来ないって義務教育は!??」
「辺境の地…簡単に言えばド田舎に学校はございませんし農家にとって子供とは大事な労働力です。両親ともに読み書きは出来ませんので教育は一切受けていません」
「せ、洗礼は!!?稀に神託もしてるし神の存在は周知されているでしょう!」
「村に教会がないので神の存在はいたらいいなーレベル、洗礼の儀式はありません。成人した場合あの村では普段よりちょっといいご飯を食べるのが精々でしょう」
ま、まさかそんなことが…っ!
賢者といっても学に触れねば知識を得ることは出来ない。魔法だってそうだ。賢者としての知恵を重ねるか、この世で数少ない魔法使いに師事しなければ使うことが出来ない。というかそもそもスキルが発現しないと使えない。
ダメじゃん。
「し、神託!今すぐ彼に神託で都へ行くように教えないと…!」
「はぁ…」
何この女神。なんでそんな深いため息をつくの。
「何か言いたいことでもあるのか?」
「仮に、仮にです。神がいるかどうかもわかっていない村で『俺神託を受けちゃった!賢者だから都会へ行けって言われた!』なんて言い出したらどう思われます?」
「…都会へ行きたい若者の苦しい言い訳だね?」
「はい。普通の親ならば大事な労働力をそんなことで逃がしません」
ダメじゃん。
え。ダメじゃん。
もう一度水鏡を覗くと彼はいい笑顔で鍬で畑を耕していた。
『最近は都へ行く!って村から出ていく奴等が多かったがうちはお前がいてくれて助かるよ』
『そうね。それに魔獣対策として考えてくれたワナ。あれは本当にすごいわぁ』
『ははは!父さんも母さんも大袈裟だな。俺は当たり前のことをしているだけだよ』
『兄さーん!お昼できたよー!今日は僕が作ったんだ!』
あらやだなんて幸せそうな家庭。
「幸せそうですし、放っておかれては?」
「いやいやいや!私は!彼に!この世界の生活水準をぐぐーっ!と上げてもらう為にこの世界に来てもらったの!賢者として覚醒してもらわないと困る!!」
「我が儘…」
「だって最高神だもん!!!」
美味しい料理も菓子も、一度戦争によって失われてしまった知恵や技術も賢者の彼によって甦り世界に広まる。そんな、そんな夢を見たっていいじゃないか!
こうなったらとりあえずふて寝だふて寝。ベッドに飛び込み布団を被ると女神がため息をつき部屋を出ていく気配がした。
…それからどれぐらいの時間が経ったのだろう。目を開けてみると外は暗いから夜なのだろう。
「はっ!」
閃いた!
そうだ神託が出来るような神官はこの国では高位の存在。だったら神官に神託を授け、神官が彼に接触すればいいじゃん!!
思い立ったなら即行動。
『我の声を聞きし者よ…辺境の地にこの世界を発展に導く存在が現れた。彼の者を保護し、知恵を授けるのだ』
『歳の頃は成人したばかり、性別は男。すぐに彼をこの教会へと連れてくるのだ』
これでよし。大きく欠伸をすると再びベッドに潜り込んだ。これで翌朝にはきっとあの男は保護されるだろうむにゃむにゃ…
「どうしてこうなった」
翌朝すっきりと目覚めルンルンと水鏡を覗くと国中に御触書が出回ったのが見えた。
『十四から十七までの歳の男を国から出ることを禁ずる』
「私これに似た事柄を異世界で見たことがあります。なんでも救世主が生誕された際にそれを恐れた王が該当する年齢の幼子達を皆殺しにしたそうです」
「だめじゃん」
ダメじゃん。いやいやもしかすると好意的に捉えているかもしれない。
『国中に御触書が出たらしい。成人したばかりの男を国から出してはいけないと…きっとお前達を王都に集め訓練をし、兵として戦争を仕掛ける気だ』
ですよねー!そう思いますよねー!
『アレス。お前はその年齢に引っ掛かる。幸いここは辺境の地、まだ国の者は来ないだろう早く逃げろ』
『私達はあなたを戦争で失いたくはありません。早く逃げなさい』
『ですが父さん、母さん…!』
『兄さん。僕はまだ十歳だから徴兵はされない、けど家の手伝いは出来るよ。兄さんはこの国が安全になったらまた帰ってきて』
『…っ!わか、った…今夜、ここを発ちます…』
ごめん。マジでごめん。
そっと水鏡のスイッチを切った。
「戦争なんてどこにもないんだよ…魔獣が出るくらいで平和そのものなんだよ…」
「ですね。文明が少々遅れている以外はよい世界でしょう」
「だよね…よし。賢者アレスに神託をしよう」
「出来ません」
「は」
「神を作り、人を作った際に決めたではありませんか。『神が私欲に溺れ人々に供物を集るようになってしまうかもしれない。情が移り干渉し過ぎてしまうかもしれない。よって神託は半年に一回とする』と」
「それ決めたわ」
ダメじゃん。
旅には出てくれるけどこのままだと賢者になってくれない可能性がある。
「よし!半年後なら彼は色々な場所を旅してもしかすると教会で洗礼を受けるかもだし!とりあえず親元は離れるから絶っっっ対に神託を賢者アレスにするからな!」
「あ。彼、深い森にほとぼりが冷めるまで隠れるようです。さすが覚醒していなくても賢いですね」
「文明に触れて賢者!!!!!!!」