外伝4 【交差する時間】
話し合いを終え、ガンマの言う渓谷に向かいだしてから数十分。
魔物がいるかもしれない以上、慎重に進まざるを得ないのだが、せめてもう少し視界が良ければこんなにノロノロ行かなくて済むのに......
そんなことを思っても、この霧は当分晴れてくれそうにない。
「すみません。私が道をハッキリと覚えていればこんなに遅くなることはありませんでした」
「あなたがハッキリ覚えていたとしても、魔物がいる時点でこんなに遅くなるのは確定事項よ。気に病む必要はないわ」
「そう言って頂けるとありがたい」
ガンマは、元々こんな性格だったが、ここまで下手に回ることなどなかった。一体、ここで過ごした10日間の間に何があったのだろうか?
何回か聞こうとしたのだが、聞く度に自然と別の話題に切り替えられ、聞くことができないでいる。
それにしても、本当に濃い霧だ。一寸先も見えないほど、視界を覆い尽くしている。
こころなしか、風も少し強くなってきたような?いや、風というよりも、生き物の鼻息のような......鼻息?
「あの、ミューエさんーー」
「しっ、デルシア、私も分かっているわ」
ミューエが口に人差し指を立てて静かにするようジェスチャーしてくる。
「完全に、囲まれてしまいましたか......」
イグシロナが暗器を構える。
どこから来る?
恐らく、四方八方を囲まれている今、全方位からやって来られたら勝ち目がない。
「......来ない......わね」
待てど暮らせど、魔物達が襲ってくる気配はない。
気のせいだったのだろうか。そもそも、魔物達の姿は見えていない。ただ、鼻息らしきものが聞こえただけ。
「大丈夫......そうですね」
イグシロナが武器を戻してそう言う。
「ッ......危ない!」
魔物がイグシロナに向けて襲いかかる様子が見えた。
間に合わないと思いながらもイグシロナの前に飛び出した。
「グルルルルル......」
間に合わない。間に合うはずがないと思っていた。
でも、剣は届いていた。魔物の体を突き刺していた。
「ッ......デルシア様!お怪我はございませんか!」
「大丈夫です。なんともありません」
駆けつけてきたイグシロナには一切の傷がない。
さっき見ていた限りでは、魔物に首を噛まれていたように見えたのに。不思議なことだ。
「デルシア、大丈夫?」
「デルシア様......」
みんなして怪我はないかと寄ってくる。
そんなに心配しなくても、かすり傷1つありはしない。
「大丈夫そうですね」
「全く、心配かけさせないでよ」
その言葉は私ではなくイグシロナにかけるべきではないのか?
そう思ったが、当のイグシロナも私を心配してくる。もしかしたら、魔物に食い殺されていたかもしれないというのに、この人達はいつだって自分のことは後回しで考える。
まあ、だからずっと一緒にいたいと思ったのだけれど。
「大丈夫そうなら先を急ぎましょう。ここは少しでも早く出た方がいい世界だから」
「そうですね......」
さっき見えたイグシロナが噛みつかれる映像が頭から離れないが、まあ、夢か幻だと思うし、気にしないでいこう。
「......ここ、例の渓谷です」
辺りを見渡していたガンマがそう言った。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
飛び込んだ先は視界を覆い尽くす闇。
まるで、この世とあの世を繋いでいるトンネルのように思える。といっても、あの世を見たことはないのだが。
時間が飛んで、止まって、逆戻りして、そしてまた動き出して......
時間の流れがめちゃくちゃになっている場所。この渓谷に一体何があると言うのか......
それでも、世界の表と裏を繋いでいることに変わりはない。
1150年8月1日に辿り着いた。
あの戦争が始まってから9ヶ月経っていた。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
獣人の里。
この場所がそう呼ばれるのは、世界に数少ない人種である獣人が集まる場所だからだ。
グラン大戦によって、亜人と呼ばれる種族は全て後退した。
獣人を始め、龍人や鬼族、魚人族にエルフ。
中でも、龍人に対する差別だけは何百年経った今でも無くならない。それは、人族から龍人族に対してだけではない。魚人族や鬼族など、亜人による龍人への差別も消えない。
それでも、獣人の里に住む者は誰に対しても平等に、優しく接する種族が住んでいる。
今日訪れた龍人の女性も、恐らく苦労はしていないと思う。
そんなことを考えながら、カイナは1人、帰路に就いていた。
毎日のように薪を割って、川で村のみんなの洗濯物を洗濯して、余裕があれば木の実や山菜などを採集してくる。
そんなこんなで1日が終わるのだが、今日ばかりは違う。
里に訪れた龍人さんと話したいことがたくさんあった。そのために、普段は採集活動で潰している時間を利用して、龍人さんとたくさん話そうと思っていた。
「ふんふんふふーん」
思わず、鼻歌も出てしまうほど、今日は機嫌が良かった。村のおじいさんに「今日は珍しくご機嫌だねぇ」と言われるほどなのだから、周りから見てもかなり感情が表に出ているのだろう。
「たっだいまー!待ったー?」
勢いよく自宅の扉を開け、中に入る。
「ありゃ?」
家の中はもぬけの殻だった。
「あれれー?待っててって言ってから10分も経ってないんだけどなぁ......?」
どこに行ったのだろうか?
今の彼女に行く宛てなどなかったはずだ。道端で行き倒れてて、それを偶然私が発見して、お腹を空かせてたからご飯も分けてあげたし......、まさか、挨拶無しで出ていったとか?
「うーん......どこ行ったのかなぁ?」
帰り道ですれ違うことはなかったし、かと言って里の中にもいなかった。誰かの家にお邪魔してる可能性もあるが、言っちゃ悪いけど、あんなコミュ障が他人の家に自ら行くとは思えない。
ーー まさか、誘拐!? ーー
なわけない。この里の人はそんなことをするような人じゃないし、そもそも彼女にそこまでの価値があるとは思えない。何せ、『龍人』だったからね。
それはそうと、本当にどこに行ったのだろうか。
「とりあえず、みんなに聞いて回るか......」
そうしよう。そうするのが1番手っ取り早い方法だ。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ......」
ようやく逃げ出せれてから10分、ようやく人里が見えない場所に来れた。
(何やってんだお嬢。逃げる必要なんてなかっただろ)
「そんなわけ、には、いきませ、んよ......。あの人、絶対、私に何かする、つもりですよ......。もしかしたら、恐ろしい実験とかーー」
(お嬢、あんたとんでもないアホだろ)
「いや、だって、絶対に、あの人里の人を集めて、私に何かしようって、感じでした、し......」
(お嬢は人間不信すぎんだよ。ちったァ信じてやれよ。あの子は純粋にお前と仲良くしてぇって顔だったぞ)
「じゃあ、なんで、出ていく必要があるんですか......」
(そりゃァ、なんかあの子にも色々あるんだろ。お嬢と違って働いてるっぽいし。つか、お嬢はいつまでも放浪の旅を続けんだよ)
息が上がってもう喋る気にはなれない。
ジークがどれだけ走ったとしても、私の体は成長することがない。少しくらいは体力がついてくれてもいいとは思うのだが、なぜかどれだけ走ろうが体力がついてくる気配はない。
獣人の里から離れたとは言っても、少し探せば見つかる範囲。まだまだ逃げなければ......
(お嬢、俺は力を貸さねえぞ)
「役立たず......」
(うるせぇ!今回はそんなに大事じゃねえだろ!)
違う違う、こんなことをしている場合じゃない。
今は、一刻も早くこの場から離れなければ......、里の方角ってどっちだったっけ?
あれ?このまま真っ直ぐ進んで離れることができたっけ?まあ、ちょっと動けば里があるかどうかなんてすぐに分かると思うのだが、近づいた拍子に見つかってしまっては意味がない。
ーー どうしよう...... ーー
「ジーク......」
(だから協力してやらねえよ。大人しくさっきの子に捕まっちまえ)
「いやだぁ!」
「あ、龍人さん発見!」
「あ......」
見つかった......。
頭の中で逃○中の例のBGMが例のナレーションと共に再生される。
逃げねば......
「あ、待ってよ龍人さーん!」
ハンターが木々の間を縫うようにして追いかけてくる。
あんなスピードで挑まれて勝てるわけがない。それに、向こうには土地勘もある。でも、逃げねば......
逃げる。それだけを考えて行動する。嫌だ死にたくない、捕まりたくない、死にたくない、捕まりたくない、死にたくない、捕まりたくない。
ただ、現実というのは非情なもので、彼女は逃げる私を息を切らすことなく追いかけ続けてくる。
「むー、意外と素早しっこいなぁ」
あんたの方が早い。そのせいで、こちらは休む暇がない。そのせいで、こっちの体力は尽きかけている。このままでは捕まってしまう。
隠れる場所、隠れる場所はどこかにないのか。
「私は怪しい人じゃないよー!ただ、あなたとお話したいだけなのぉ!」
世界一信用できない言葉だ。
今までに、その言葉でどれだけ騙されてきた......いや、騙されてないよ?騙されそうになるのを演じつつ、利用してやっただけだから。うん。
(悲しい奴だなお嬢は。友達の1人や2人、ろくに作れもしねえで、毎日毎日宛もなく彷徨い続けて。俺様ァ悲しいよ)
「なんで、ジークが、親みたいに、なってるん、ですか......」
「俺はお嬢のお守りなんだから親みたいなもんだろ。不満か?」
不満だらけだ。こんな怪物を親だと思いたくはない。
「むぅ、止まってよー!」
少女が、いきなり私の進行方向に氷の柱を突き立ててきた。
「ゲッ......」
慌てて進路を変えるがもう遅い。目の前にハンターが立ちふさがっている。
蛇に睨まれた蛙のように、どうすることもできずにただ相手を睨むことしかできない。
「だーかーらー、私はあなたを殺すつもりも食べるつもりもないって」
「......」
ゆっくりと息を整え、どうにかして逃げ出せれないかを探る。
一瞬だけ目を離してくれても、その隙に逃げ出すことは無理。せめて、1分くらいその場で硬直してくれればどうにかなりそうなのだが......
目の前の少女は目を離すことなく、ジリジリとにじり寄ってくる。
逃げ出せれるとしたら、少女が寄ってくる方向と逆方向に逃げること。ただ、少女は真っ直ぐにこちらにやって来るため、そんなことはできそうにない。
「もう、こうすれば大丈夫?」
少女が両手を挙げ、襲うつもりはないとアピールしてくる。
それは、私にとって最大のチャンスだった。今なら逃げれる。慣れない剣を適当に振り回せばいけれる。
「うりゃぁ!」
覚悟を決め、剣を振り回したながら突進する。
「お、おわぁ!?」
見事、少女を怯ませ、隙を作れた。ついでに、逃げたかった方向に少女を追い越して進むこともできた。
あとは全力で逃げるだけ。
「あの、すみませんそこで何をしてるーー」
「うわぁ!」
突然、目の前に人が現れ、『ガチンッ!』と大きな音を立ててぶつかってしまった。
「い、痛た......」
ぶつかってしまった人が、頭を押さえてその場に蹲っている。
悪いとは思いながらも、今は謝っている場合ではないと感じ、走り出す。頭が痛いけど。
「失礼、デルシア様にぶつかられて、謝辞の言葉もなしに行かないでもらいたい」
細身の男に肩を掴まれ、歩みを止められる。
「は、離してください!先を急いでるんです!」
「そう言われましても、離すかどうかはデルシア様に聞かないと......」
「あ、その龍人さん捕まえててー!」
しまった......。振り切れたはずの少女がやって来てしまった。
「ふぅ、やっと捕まえれたよー」
「い、いやぁ!離して離して離してー!」
「あ、ちょ、そんなに暴れないでよ」
少女にガッチリと腕を掴まえられ、細身の男にも肩を押さえられて逃げ出すことが叶わない。
「デルシア様、ご無事ですか?」
「大丈夫?デルシア」
「あぁ......、なんとか、大丈夫です」
細身の男に隠れてたのか、先程までいなかったはずの屈強な男と、金髪の少女が、デルシアと呼ばれるぶつかった少女のもとにいる。
終わった。私の人生終わった。まだ親の顔も名前も思い出していないのに......




