鉛筆を使い切らないリテラチュア
目を閉じて
何を見ようとするだろう
悪戯ばかりした子供の頃か
それとも
何も知らずに過ごした学生の頃か
最後には
勢いだけの人生だったで終わるのか
考えていれば
笑えてくるのだ
そんな単純に歳を取り
死ねるならば世話がない
人足らずな意識は
丁寧さを失う
人誑しを羨ましいと
羨望しながら
駄々をこねるからだ
だからこそ
足りないのだとは
気づかない
そればかりに執着する
人の中に居る
小判鮫みたいで
他人の自由に合わせている
それでいて
自由が無いと語るのだ
一定の集団から逸脱すること
それは集団を乱すことと
同じでは無い
自分の皿と集団の皿に
意識を乗せていき
天秤にかけるような話だ
全てを
自分の皿に乗せるような
馬鹿は毛嫌いされるし
全てを
集団の皿に乗せるような
阿呆になってはいけない
丁度良いバランスを取る
それが
下手なのかもしれないが
それができなければ
変わらないのである
無理矢理だとか
押し付けだとか
結局
バランスを取るのが上手い人は
そのようなことは言わない
自分の中で
バランスが取れない人が
それを外側へと
無理矢理
押し付けている形だからこそ
出てきてしまう言葉である
どちらが無理矢理なのだろうか
どちらが押し付けなのだろうか
周りが考えねばならないことは
バランスの取り方を
教えるということだ
下手でも
練習する者を
罵倒する者は少ない
もし罵倒する者が居るなら
その者も
バランスを取るのが下手であるか
練習していることを認めた上での
苦言であろう
それを
練習に当てれるかも
人としての学びである
素直に死ねないのだから
素直に成れる形くらいは
自らの中に作るべきだ
楽になるのは
そこからであり
笑えるのも
そこからである
愛しいモノを愛しいと
素直に言えるのは
何処かで
素直に
受けとめているからであろう
出来ているではないか
もしかして
これとそれは違う話とでも
言うのだろうか
違う話にしているから
自分の中で
バランスが崩れているとは
考えないのだろうか
話が違うということは
無数に天秤を
用意しなくてはならない
それを全て
丁寧に管理し続けなければ
バランスは取れないのだ
だとしたら
単純に歳は取れない
単純に死ぬこともできない
単純に生きてはいけない
馬鹿と阿呆を行ったり来たりして
頗る疲れるだけであろう