第六話 ニアは提案をする
夕方、西日が街を照らし始める頃にニアは帰宅した。
「よう、早かったじゃねえか。おかえり」
「ただいま……お父さん」
ニアは父親であるレインに挨拶すると、リビングへと向かった。
レインは台所で夜ご飯の準備をしている。
珍しいかもしれないが、家長であるレインはニアと家事を当番制にしていた。
曰く、剣聖は修行の毎日を送らなければならない。
身の回りのことは自分でやるのが当然である、と言うことだ。
なので、今日の夜ご飯作りはレインの担当であった。
玉ねぎと肉の焼いた香りが漂い、なんとも食欲を刺激する。
ニアはリビングの椅子に腰かけると、先ほどのシェリルとの話し合いを振り返った。
次のデートプランは、多少思い切った方が良いのかも知れない。
レイン、シェリルの二人はどうもお互いに距離を掴みかねている。
それは多分、時間のせいだった。
自分が生まれる前に、大きく歩幅を取ったがために。
ニアは漠然と大人は難しいなぁと思った。
レインが炒め物と温めたパンを皿に乗せて、持ってきた。
油の焼けた匂いが、ふんわりとリビングを満たしている。
「出来たぜ、ニア」
レインの声は弾んでいるように、ニアには感じられた。
シェリルとのデートは、レインにとっても良かったようだ。
「いただきます、お父さん」
ナイフとフォークを優雅に操り、ニアはもぐもぐと炒め物を食べ始めた。
肉を食べると、なぜか力が湧いて出てくる気がする。
「なぁ……ニア、今日のことなんだけどよ……」
レインは皿の上の炒め物を、意味もなくさらに刻んでいた。
「……ふんふん……」
あ、お父さんから話を振ってきたとニアは察した。
レインは照れくさそうに頭をかきながら、
「今日はありがとうな……久しぶりにシェリルと話せたわ」
「……うん」
ニアは心の中で、減点1をつけた。
愛する父親と言えども、ニアの点数付けは容赦などない。
「何か、昔にちょっと戻れたみたいだ……いい時間だったよ」
「……良かったね……」
お互いに、そう思ってるんだけどなぁ。
だけどもなんだかぎこちない、ニアは実にもどかしくなる。
それにシェリルの話では、次回デートも出たはずだ。
ニアはそろりと、突っ込んでみることにした。
「次の話とか……出た?」
「お、おう……察しがいいな。軽いディナーに誘われたよ」
「……そう」
なんということだろう、ニアは涙が出そうになる。
ニアはさっきシェリルに冗談交じりだけれど、「朝帰り」と言い放ったところだった。
目標は大幅に引き下げたけれども、簡単ではない。
「ねぇ……そのディナーなんだけど」
「おう、何かあるのか?」
ニアは少し迷った。
どこまで言うべきか、お節介じゃないだろうか。
いやいや、きっとお父さんのことだ。
もう幸せ気分になってるかも知れない。
柔らかいパンを一口かじり、ニアはじぃとレインを見た。
「ぐいっと迫ったり……したら?」
「ぶふっ……げほぉっ!」
レインは思いっ切りむせる。
少しの間、げほげほとレインは息を整えることに専念した。
「な、なんてこと言うんだ!」
「だって……進まないんじゃないかと、思って」
ニアはあっさりと言った。
幾分か正直すぎるのが、ニアの欠点だ。
自覚は多少あるもののあまり改める気はなかった。
「俺にも考えはちゃんとあるよっ」
「本当……?」
「もちろんだ……そ、そのなんだ。腕くらいは組むつもりだ」
「げほっ!? え、それだけっ!?」
「それだけって言ったか!?」
「言った……!」
あれ、さっきもこのやり取りをしていた気がする。
つい同じように返してしまった。
レインも思うところがあったのか、しゅんとなっている。
シェリルとは違い、レインはすぐにテンションが低くなるのだ。
この辺りはシェリルと反応が真逆だった。
一瞬反省したニアだったが、すぐに気を取り直す。
「女心的には……大丈夫だと思うよ」
「……う~ん……そうかなぁ」
腕を組み、レインは天井を仰ぎ見た。
ニアは一つ、思いついた。
「……シェリルさんの尻尾を……触って」
「どういう意味があるんだ、それ」
いやらしい意味がある、とはニアは言えなかった。
女性の犬狼族にとって尻尾は耳や胸のようなものだ。
これは女性の間では割と常識だけれど、男性は意外と知らない情報でもある。
尾を軽々しく触らせることは、特に異性にはありえない。
逆に言えばそれを触らせるのは、相当の親密さがあるということだ。
「髪型を褒めるようなものだよ……」
ニアは、当たらずも遠からずという答えをした。
実際、尾を褒められるのは非常に嬉しいことらしい。
学校や冒険者の友人が言っていたことだ。
シェリルとの気分も盛り上がるだろう……多分。
今のお父さんならそのくらいなら出来るだろうし、やはりシェリルから引っ張った方が良さそうな気がする。
シェリルと話していた時の銀の尾の揺れ具合を思い出し、ニアは一人で納得するのだった。