第五話 ニアは恋の相談を受ける
ニアは、帝都中心街のアンティークに囲まれたカフェの個室にいた。
黒の木目と南洋植物が合わさり、実に落ち着いた雰囲気を出している。
このカフェは貴族や商人、あるいは恋人御用達だ。密談をしても、聞かれることはない。
昼前の休日ということもあり、ニアを含めて何組もの客がいた。
ニアの前には、シェリルがいる。
ニアは、用事の終わったシェリルと初めからこのカフェで待ち合わせしていた。
「あああ~……!! 引かれたかな? 引かれてないよね? あああ、キ、キスしちゃった~!!」
真っ赤な顔を両手で覆いながら、シェリルはずっと叫んでいた。
ドゼー公の用事をきりり、と終わらせたシェリルは、そこにはいなかった。
恥ずかしさのあまり、わぁわぁ騒ぐ乙女がいる。
銀の尻尾も激しく上下して、ぼふぼふと椅子に叩きつけられていた。
対するニアは、シェリルからの報告を分析していた。
「……大丈夫、多分」
ニアの予想では、レインも喜んでる……と踏んでいた。
今回の計画に協力していたニアは考えながら、手帳にペンで書いた文字を見る。
『目標 次回の約束をとりつける、キスぐらいまでする』
「両方、達成でいいんだよね……」
「言いにくいですけど、キスはほっぺです……ほっぺなんです……」
シェリルはレインといる時とはうってかわって、自信なさげな声を出した。
その様子に、ニアの目がきらりと光った。
「減点1」
「ど、どうして!? キスはキスでしょ!」
「減点2」
「な、なんでっ!?」
わめくシェリルに、ニアはずびしと指を突き付けた。
「ほっぺで満足してちゃ……ゴールは遠い……!!」
「うぐっ…………」
シェリルは、ぎくりとダメージを受けた。
ぱっと見ではニアとシェリルは、まるで先輩後輩みたいだろう。
これが恋するシェリルの真の姿であった。
伯爵家の人が見聞きしたら、卒倒しかねない。
「頑張らないと、今の状況変わらないよ……」
「今、今の……独身貴族の……あああっ!!」
「気をしっかり……! 大丈夫、大丈夫だから!!」
ニアがシェリルを励ます。
さっきから、ずっとこんな調子なのだ。
シェリルとレイン、二人の手紙を読んでニアは思っていた。
完全に両思いだ、これ……!
冒険者として活躍するツテでシェリルと会えたニアは、そこから動き始めた。
というよりは、恥ずかしがって渋るシェリルを後押ししまくるだけだったが。
「じゃあ……来週のデートの話。何か計画は……?」
ぴたり、とシェリルの動きが止まる。
ニアはなんだか嫌な予感がした。
「……ふるふる」
「あるよね、プラン……?」
シェリルが口をぱくぱくさせる。
まさか、とニアは警戒した。何も考えてないとか?
「考えて……!」
「うん?」
「師匠が考えてください……!!」
もっと悪かった。
しかも、いつの間にか師匠とは……ニアはため息をついた。
「……いいよ」
「本当っ!? 断ると思ってた……!」
ぴっ、とニアは人差し指を立て、無情に言い放った。
「次回目標、朝帰り」
「ごめんない無理です私が悪かったです!」
「ふぅ……じゃあ、目標はどうしようか」
「はい……キスなんか、どうでしょう。頬からのステップアップ的な……」
おずおずとシェリルが言った。
多分、ちゃんとした唇同士のキスに違いない。
「うん、それはいい……」
シェリルはさらに、もじもじと注文を付け加えた。
「できれば、今度はレインからしてもらいたいなぁ……とか思ったり!」
「面倒くさい」
「ああっ!? 今、面倒くさいとか言った!?」
「言った……!!」
「そうだよねぇぇ、面倒くさいよねぇぇ…………!! あああ~っ……!!」
何度も同じやり取りを、ニアとシェリルはしていた。
もっとも、ニアは全く嫌ではなかったけれども。
なんというか、年上なのに可愛らしかった。
乙女そのものだった。
ふと、ニアは思う。
前から両思いだという話だけれど、二人はどこまでの仲だったんだろう。
深いというか、そういう仲ではなかった気がする。
考えていたよりも、かなり純情なのではないか。
レインとシェリルの性格からすると、大いにあり得そうだった。
「ねぇ……前に、お父さんとキスくらいはしてたんだよね……」
「……してないです。あ、ちょっと目を見開いて驚かないで。ニアのそれ、どきりとするから」
「……手を繋いで……くらい?」
「そのとおりです……!!」
ふむう、とニアは温くなった紅茶を手に取り口をつけた。
豊かな森林の、若葉の香りが広がっていく。
今のシェリルの姿をありのまま見せれば、何もかもうまくいくのでは、とニアは思わなくもなかった。
でも、それはシェリルには難しそうだ。
10年、20年という月日が、単純なことを複雑にしているのだろうか。
ニアにはまだ、ぼんやりとしか想像できなかったけれども。
「わかった、ちょっと考える……でもシェリルさんも、考えてね……?」
「ありがとう、師匠……!!」
いよいよテーブルに頭を擦り付け始めたシェリルの顔を、ニアはよいしょと上げさせる。
そこでニアは一つ思い当たった。
ちょっと試してみよう。
うまく言えるかは、わからないけれど。
「お母さん」
はっ、とシェリルが目を見張った。
驚きと喜びが混じった、顔だ。
銀の髪がなびくシェリルを、ニアは静かに見つめていた。
シェリルも、ニアの目から視線を外さない。
「頑張ろうね、お母さん」
「……うん!」
ニアはレインとずっと二人暮らしだ。
なのでお父さんはあっても、お母さんという言葉は言う機会がなかった。
ニアはじんわりと胸に暖かくなった。
レインーーお父さんに貰ってる暖かさが、さらに倍になった気がする。
思っていたよりも、言葉にするのはずっと良い。
ニアはそれを確かめて、にまっと笑うのだった。