第二話 シェリルが武術大会に誘う
レインは、ぎこちなく挨拶をした。
「お、おう……元気だったぜ。ま、まぁ……ゆっくりしていってくれ」
シェリルはニアを撫で終えると、バッグから細長い箱を取り出した。
お土産、らしい。緑と青の印象的な装いを見てレインは、どきりとした。
「わぁ……イストア商会印の紅茶だ!」
「前に美味しいと言っていたからな。今回もそれにしたんだ」
「お父さんも大好き……な銘柄だね」
そう、レインは確かに以前美味しいと言った記憶がある。
あまり口がうまくないと自覚しているレインは、本当にさっとしか褒めた記憶がない。
それを、シェリルは忘れないでいる。
些細なことだが、レインは少し嬉しくなった。
ニアは受け取った紅茶の箱を台所の棚にしまうと、すちゃっと宣言した。
可愛らしい赤髪が、おじぎする。
「じゃあ……私は魔獣討伐があるから、アーシュのところに行ってくるね。シェリルさん、ごゆっくり……!!」
「……!?」
え、シェリルと二人きりになるのか!?
驚くレインを尻目に、ニアは手を振るとさっさと出発していった。
対してシェリルは、予期していたように手を振り返して見送っている。
ニアなりの気遣いというか、計画だったのだ。
じんわりと陽が昇り、心なしか火照ってくる。
いつまでも、シェリルを玄関口に立たせておくわけにはいかない。
「えーと……ま、中に入ってくれ……」
レインの言葉に、シェリルは頷く。最後に会ったのは一年前だろうか。
シェリルはレインの6歳年下、つまり現在34歳なのだが、とてもそうは見えない。
いまだにシェリルもレインと同じく、独身だった。
肌もはりとつやがあり、せいぜい20歳くらいの外見だ。
これが犬狼族の特性で、とにかく若い肉体を維持できる。
シェリルはふさふさの銀尾をなびかせ、レインの対面の椅子に腰掛ける。
陽の光を受けて、シェリルの銀の髪と尾が輝いていた。
それだけで、レインの胸は高鳴ってしまう。
レインにとって、シェリルは初恋の相手でもある。
全く年甲斐のない話だとレインもわかっていたが、いまだに心は焼けつくようだ。
「少し、痩せたか?」
シェリルが身を乗り出しながら細く真っ白な腕を伸ばし、レインの頬に触れた。
その整えられた指先は、小さな毛布のように暖かい。
シェリルの体温は、犬狼族の血でかなり高いのだ。
「暑いのは、苦手だからな……」
シェリルの手が触れていたのは、一瞬だった。
すぐにシェリルは、椅子にさっと座り直していた。
「そうだった、夏が苦手だったな……」
遠くを見る瞳が、レインの心を焦がしていく。
レインにとっては、懐かしく愛しい眼差しだった。
雑談は楽しいものだが、シェリルは伯爵家の当主代行なのだ。
忙しい日々を送っているはずだった。
シェリルは一つ息を吐いて、本題を切り出してきた。
「……来月、帝国武術大会が行われるのは知っているか?」
「建国150周年記念だっけか、知ってるぜ。ずいぶんと盛大にやるらしいじゃねぇか」
「ふむ……参加申し込みはしていないだろう?」
シェリルはレインとの付き合いも非常に長い、よくわかっていた。
実際その通り、レインに参加するつもりはなかった。
剣聖であるレインは、もちろん強くあることに貪欲だ。
だが、どうにも名誉を求める気持ちに乏しいのだ。
先代は様々な大会やらで勝ちまくったらしいが……レインは大会とかには縁がない。
レインは問いかけに静かに頷いた。
「単刀直入に聞こう、ドゼー公のために武術大会に出場してくれないか?」
ドゼー公は、帝国を代表する大貴族だ。長年帝国に尽くし、清廉で慎み深い善き政治家でもあった。
シェリルが当主代行であるフォルネルト伯爵家は、生粋のドゼー派だ。
しかしすでにドゼー公は高齢で、実権はタラーン公へと移りつつある。
野心家のタラーン公はドゼー公を追い落とすため、謀略をめぐらせ賄賂に精を出しているともっぱらの噂であった。
武術大会は毎年開催されているのに、シェリルがこんなことを頼み込んできたのは今回が初めてだ。
政治やらに疎いレインでさえも、何か裏があると感じ取った。
「今回、武術大会に何かあるのかい?」
シェリルがちらっと部屋の中をうかがい、声を潜めて言った。
「一般には知らされていないが各部門の優勝者には、王庫より特別に『レガシー』が授与されるとの話だ」
レガシーとはすでに魔法が失われたこの世界にあって、魔法の力をいまだ宿す遺物のことだ。
希少性もさることながら、最高位のレガシーならその力は絶大なものになる。
「マジかよ……」
「例年なら帝国武術大会で得られるのは、名誉のみのはずだ。それがどうしたことか……今年だけレガシーが与えられるとの話になった。タラーン公は息がかかった者で、レガシーを独占して力を得るつもりだ」
「ドゼー公は、それを阻止したいってことだな」
「そうだ……タラーン公は手段を選ばず工作をしている。正々堂々とした競い合いなどしないつもりだ」
シェリルはわずかに唇を噛み、悔しさをにじませている。
その様子から、レインはドゼー派の武人がいかなる目に合っているか想像できた。
よほどのことをされているに違いない。
「弓術、馬術、槍術の部門はなんとか人を揃えられた。問題は――最も盛り上がり、恐らく高位のレガシーが渡されるだろう剣術部門だ。レインには、その剣術部門に出て欲しい」
ドゼー公にはレインも《流星の担い手》の冒険者時代に世話になった。
もう10年以上も前の話だが、いまだにレインはドゼー公には多くの恩があると感じている。
普通なら大会に興味はないのだが、恩人と想い人の二人から頼まれたのでは話は別だ。
むしろ、これまで返せなかった恩を返すいい機会になるだろう。
娘も独り立ちし、いままでの義理を果たすにはいい年頃でもある。
「……わかった、いいぜ」
「い、いいのかっ!?」
シェリルが腰を浮かして、目をぱちくりとさせていた。
どうやら、すんなりレインが受けるとは思っていなかったらしい。
「ああ、そういう事情ならな……ドゼーの親父さんには、俺も世話になったし」
もちろん、シェリルの力になりたいのも本音だったが。
好きな人の前では、例え40歳になっても格好つけたいものなのだ。
「ああ……本当に助かる! よし、そうとなれば善は急げだ!」
シェリルが喜び勇んで立ち上がる。
本当に嬉しいみたいで、尾が激しく上下している。
もふもふの尾に、レインは視線を吸い寄せられていた。
「ん? 何が急げなんだ?」
「もちろん、エントリーだ。欠場者が相次いでいるからまだ間に合うが、一度は本人が顔を見せないと出場は認められない。今から行こう!」
そう言うと、シェリルはレインの腕を手に取った。
(あれ、これって……デートか!?)
いやいや、ただの外出だ。
レインはしかし喜ぶ心を落ち着かせ、シェリルと家を出るのであった。