俺の師匠は偽聖女様
絢爛豪華な廊下を、漆黒のローブに身を包んだ黒髪黒目の女性がしずしずと歩いていく。
子供と見間違えるくらい小柄で童顔な彼女は、れっきとした二十三歳の大人――ミナ・ミヤザキ、俺の命の恩人で魔術の師匠だった。
師匠は見かけによらず凄い力を持った人外で、六年前とある国に呼び出された聖女なのだ。
保有魔力のスペックやら才能やらが、通常の人間とは根本的に違うのである。
何年も前に、この世界に召喚された彼女は、当時不遇な日々を送っていた。
同時に呼び出されたもう一人の聖女と、召喚を行った国の王子のせいだ。
自国の強化のために聖女を召喚したその国は、一度に二人の聖女を呼び出してしまった。
それは異例なことで、どちらかの聖女が偽物だと疑われたのだ。
そうして、偽物認定を受けてしまったのが、俺の師匠ミナである。
当時の師匠は、どちらかというと地味で口数が少なく、世渡り下手な性格だった。
その上、もう一人の聖女が王子に取り入り、彼に師匠を貶めるための嘘を吹き込んだらしい。
自分の意見を主張できないまま、師匠は偽物として一方的に城を追い出されてしまった。
知らない世界に放り出されてしまった師匠だが、元の世界に戻ることは不可能だと気が付いていたようだ。
なんとか異世界で生計を立てようと、たまたま目に入った『冒険者ギルドの裏方職員の募集』の張り紙を引きちぎり、その足でギルドへ駆け込んだらしい。
話は変わるが、冒険者ギルドには『ランク判定の紙』というアイテムがある。
ギルドに登録する冒険者達が初回登録の際に利用し、分不相応な依頼に手を出して死んでしまわないように、予めランクを決めておくためのアイテムだ。
ギルドでは、ランクごとに、実力に相応しい仕事が割り当てられるようになっている。
異世界のシステムがよくわかっていなかった師匠は、間違えて職員採用受付ではなく冒険者登録の窓口へ並んでしまったらしい。
そして、訳がわかっていないまま、ギルドの受付嬢から『ランク判定の紙』を渡されてしまったのである。
そうして、事件は起こった。
通常、『ランク判定の紙』は触れた人間の魔力を測り、『S、A、B、C、D、E、F』のいずれかの文字を一つ浮かび上がらせる。
だが、師匠が触れた紙は、『SSSSSSSSSSSSS……』という文字を紙いっぱいに浮かび上がらせた。
首を傾げた受付嬢が、何度か同じアイテムで確認したが、結果は全て同じだったという。
急遽、師匠の体力・魔力・法力測定が行われ、その結果、師匠の魔力が桁違いであることが判明した。ちなみに、体力と法力の方は人並み以下だったとか……
ギルド内は、「なんか凄い子供が現れた」と大騒ぎになったらしい。
しかし、当時の師匠は魔術や法術の存在を知らなかった。力を持っていても、魔術・法術に変換できなければ意味はない。
そこに、騒ぎを知ったギルドの責任者が駆けつけた。
彼は、師匠の持っていた求人紙を発見し、彼女を雇いながら魔術を教えると申し出たらしい。師匠は、運が良かった。
そして、ギルドの裏方として働きながら、彼女はメキメキと力をつけていくのであった。
ギルドの責任者の手に負えなくなってきたら、彼の知り合いのSランク冒険者に頼み込んで魔術を教わったそうだ。
その間、師匠を追い出した王宮は、彼女のことを全く関知していなかったらしい。どこかで勝手に、のたれ死んでいると思っていたようである。
Sランクの実力を持つようになった師匠は、冒険者として働き出すようになる。
もともと、高位のSやAランク冒険者は少なく、様々な地域のギルドが彼らを欲していたのだ。冒険者の数に対して、依頼の数が多すぎるせいだった。
職員として働きたかった彼女は、魔術の師であるSランク冒険者に泣きつかれて渋々転職した。
魔術を教えてもらった手前、断りづらかったらしい。
そうして、人々を困らせている巨人を倒したり、不良Sランク冒険者を退治したり、ドラゴンや精霊の巣に単身で乗り込み新たな魔術の教えを乞うたり、大国同士の大規模な戦争を鎮めたりしながら、師匠は旅を続けた。俺が彼女に出会ったのも、その頃である。
※
俺は、とある国の辺境の村で代々畑仕事をしている貧しい農民の息子だった。盗賊と役人に代わる代わる食べ物を搾取されて、日々の生活は苦しい。
その上に徴兵の命令が来たので、武器として一本の鍬を持ち、俺は故郷を離れなければならなくなった。
国同士の戦いは互角で、熾烈を極めた。だが、自分にできることなんてほとんどない。
わかるだろうか?
全く戦闘経験がなく、鎧を買う金もない、武器は鍬だけという農民が、過激な争いの前線に立たされても、まともに動ける訳がないのだ。兵の人数も多いので、食事もほとんど回ってこない。
俺を含めた腹ペコ農民兵達は、戦場の中を逃げ惑った。敵からはもちろん、裏切りを許さない味方からも攻撃された。
戦いの中で馬に蹴られ怪我をした者や、降り注ぐ矢と魔術を受けて命を失った者は数知れない。戦いで役立つレベルの魔術や法術を使えるのは、ごく一部の人間で、魔術や法術の教育を受けられる金持ちだけだ。農民にそんな技量はない。
自分が魔術を使えれば、どんなによかっただろう……
そんなことを考えながら戦場を逃げていた俺は、味方の剣で背中を斬り裂かれた。
土埃が舞う地面に、正面から崩れ落ちる。もはや、全てがどうでもよくなっていた。
そのうち戦場が移動して、周囲には誰もいなくなった。死体の群れの中に倒れる俺に目を向けるものはいない。
そこを偶然通りかかったのが、師匠だった。
彼女に出会わなければ、俺はあのまま死んでいただろう……
俺を発見した師匠は、近くに屈んで俺が生きていることを確認し、声をかけた。
「おーい、大丈夫? 今から法術が使える人の元へ運ぶから、もう少し我慢してね」
師匠の声と共に体が持ち上げられる。妙な浮遊感は、彼女の魔術によるものだった。
まばゆい光とともに周囲に複雑な陣が展開され、二人の体は瞬時に移動する。
戦場から一番近い冒険者ギルドの医務室に運ばれた俺は、ギルド所属の法術使いに怪我の治療をされた。出血はひどいが、怪我はそこまで深くないとのことだ。
「もう大丈夫だよ。戦争は終わらせたから、何も心配しなくていいよ?」
医務室のベッドの横で大人ぶって俺に話しかける彼女は、実家の農村まで俺を送ると言ってくれた。だが、俺はそれを断った。
貧乏な家には今、三人の弟がいる。一人でも子供が少ない方が、兄弟全員に食べ物が行き渡るからだ。
※
戦場での怪我を治した後、俺はギルドに残った。
家には戻らずに冒険者として生きていくことを決めたのだ。
動けるようになってすぐ、ギルドの受付で冒険者になりたい旨を告げた。机上にあった『ランク判定の紙』に手をかざすと、Eと文字が浮かび上がる。
Eランク冒険者の主な仕事は、薬草採取や上位冒険者の荷物持ちなどだ。確かに、この程度なら、俺にでもできるだろう。
俺は、さっそく報酬の高い、上位冒険者の荷物持ち&薬草採取というダブル依頼を受けた。
「じゃあ、よろしくね。荷物持ちといっても、薬草の袋だけなんだけど……私、花粉症で、その草の花粉がダメなの。だから、採取もお願いしたくて……魔術を使って採取すると質が低下しちゃうから」
そう言って、声をかけて来たのは、俺の命の恩人……師匠である。
「あんたが、Sランク?」
「そうだけど」
「俺と同じ年頃に見えるけど……何歳だ?」
「十九歳」
「……嘘だろう?」
どう見ても、子供にしか見えなかった。
この時の俺の年齢は十四歳だが、彼女はそれと同等の年齢に見える。
師匠は、胡散臭いと顔全体で表現していた俺に言った。
「助けた時も思ったんだけど……君、魔術と法術の才能があるね」
「……え?」
「通常、魔術と法術は、どちらか片方だけしか扱えない。君のように両方扱える例は稀だよ」
突然意外なことを言われて、俺は面食らった。
「魔術も法術も、俺は使えないけど……?」
大まかに分けると、魔術は攻撃系、法術は回復系の力だ。
もちろん、どちらにも使える曖昧な術もあるけれど、二つの力は相性が悪く、通常はどちらか一つの力しか体に流れない。
自分にどちらが流れているかなんて、農民の生活に関係がなかったし、興味もなかった。
しかし、師匠に両方の才能があると言われ、少し心が動く。戦場では、自分を含めた多くの農民達が、「自分達が魔術を使えればどんなに良かっただろう」と毎日嘆いていたからだ。
ああいった状況に陥って、初めて魔術や法術の必要性を知った。
「なら、目的地に着くまで魔術を教えてあげるよ。こうして出会ったのも何かの縁だろうし、君はセンスがありそうだからね」
俺は、かなり運が良かった。
後に知った話だが、通常、上位冒険者の荷物持ちというのは、奴隷同然だそうだ。
ひどい冒険者に当たると、業務外の仕事を押し付けられたり、魔物が現れた際に置き去りにされたりするらしい。だから、報酬が高いにもかかわらず、なり手が少ない。
今回のように、危険地域での荷物持ちとなれば、尚更だ。
その点、師匠は魔物は自分で撃退するし、転移魔術で食べ物を取り寄せるし、転移魔術で近くの宿に行くので野営もなしだし、宿代もタダだし、かなり条件の良い雇い主だった。俺の仕事は、本当に薬草採取と薬草の持ち運びだけだ。
「本当に助かるわ〜。この植物は魔物の多い地域にしか生えないから、上位冒険者に依頼が来るんだけど……私、花粉がダメだから、困っていたんだよね。至急、その草が必要だっていうお偉いさんがいるんだけど、いいお客さんだから断りづらくて……」
彼女は、実力の割に気弱だった。頼まれると断れない性格らしい。
「そういえば、ギルドの人たちが、あんたのことを黒炎の魔術師と呼んでいたけれど」
「それ、私の二つ名。仕事をしているうちに、勝手に変な名前をつけられたの」
この時の俺は知らなかった、黒炎の魔術師が、かなりの有名人であると……
田舎者だったから、仕方がない。
道中、師匠は俺に丁寧に魔術を教えてくれた。
「この世界の人間の体って、血液の中に魔力か法力の素が流れているんだって。だから、頭の中に炎を思い浮かべて、体の中心から手に魔力を移動させるの」
「んんと、こうか?」
彼女に言われたままやってみるものの、なかなか上手くいかない。
「……炎と相性が悪いのかな。今度は、水をイメージしてみようか」
ダメな俺に師匠は親切にそう言った。
「こういうのは、感覚なんだよね。私も、使えるようになるまで三日かかった」
「あんたも……?」
「私、最初は全然魔術が使えなくて……とある国のギルド長に基本を教えてもらったんだ」
「……わかった。水でやってみる」
何度か挑戦していると、手のひらに微量の水滴が現れた。
「ああ、水の方が相性良いみたいだね。人によって、得意な魔術が異なるんだ……私は、炎と闇の相性が良かった」
師匠の言葉の通り、俺は水との相性が良かったみたいだ。
その日のうちに、手からジョウロのように水を垂れ流すことができるようになった。
「一日でそこまでできるなんて、やっぱりセンスあるよ」
「そんなもん?」
「うん。できない人は、一ヶ月以上かかったりするみたい」
「へぇ……」
こんなことで魔術が使えるようになるのなら、もっと早くやっておくべきだった。畑の水やりにも役立ちそうである。
だが、あの生活環境では、魔術を覚えるなんて不可能だっただろう。今だって、彼女と出会わなければ、俺は魔術を使えないままだった。
「次第に水のイメージを大きくしていくといいよ」
師匠の教えのおかげで、俺は三日後には大量の水の塊を木にぶつけるという大技もできるようになった。とはいえ、これでは魔獣をびっくりさせるくらいで、攻撃力は限りなく低い。
「攻撃力を上げたいのなら、その水を沸騰させるか凍らせるかすればいいんだよ」
「なるほど……」
空き時間を魔術の練習に費やした俺は、四日目には小さな氷の塊を、五日目には小さな熱湯の塊を飛ばせるようになった。
六日目には、そよ風と小さな光を出せるようになった。しかし、炎はまだ出せない。
そして、七日目、師匠の依頼の最終日がやってきた。
依頼が終われば、彼女と俺の契約も完了。賃金を払ってもらってお別れする予定である。
ここ数日で、かなり仲良くなった俺と師匠だが、所詮は契約関係。雇用主と雇われ者に過ぎない。
俺は、心に穴が空いたような寂しい気持ちになった。
どうやら、仕事を通じて、俺は彼女に親しみを覚えたようだ。
今回の仕事の依頼主は、とある国の王子様だった。もちろん、聖女が召喚された小国の馬鹿王子とは別の国の王子である。
彼は、師匠が駆け出し冒険者だった時代に、色々と便宜を図ってくれたそうだ。そして、彼は王族なのに数少ないSランクの法術使いでもあるらしい。
師匠の話では、魔術を使える人間よりも法術を使える人間は珍しく、市場価値が高いのだそうだ。
もっとも、師匠ほどの人外になると話は変わってくると、俺は思っているけれど。
薬草の運び手である俺も、城の中に入り、王子の前に通された。
まさか、しがない農民の人生で、城に入ることになるなど……考えたこともなかった。
「やあ! 逢いたかったよ、ミナ!!」
客室に通され、待つこと数分。
現れたのは、輝かしい金髪を持つ、二十歳そこそこの王子様だった。
彼は、極上の笑顔を振りまきながら大股で師匠に近づき、恭しく彼女の手を取る。
「お久しぶりです、ハイル王子。依頼の品をお持ちしましたよ。薬草を渡すだけだから、わざわざ王子自らが出る必要はないのに。お忙しいでしょう?」
「つれないことを言うね。私がミナに逢いたかったというのは、理由にならないのかな?」
俺は確信した。
この王子は、師匠に気があるのだと。
そして、師匠の方はまったく彼に興味がないのだと。
「依頼のたびに会っているでしょう? 城で手渡しという条件、面倒なんですけど。ギルド預けとかじゃ駄目ですか?」
「それじゃあ、何のために君を指名して依頼を出しているのかわからないじゃないか! それに、今回は大事な話もある」
そうして、ハイル王子は大事な話とやらを語り始めた。俺の存在は、完全に無視されている。
「今度、君の出身国に攻め入ろうと思うんだけど、いいかな?」
まるで天気の話をするような気軽さで、王子は物騒な内容を言い放った。
彼の国と師匠の出身国は、隣同士だったのだ。
師匠を召喚した小国は、師匠と同時に召喚されたもう一人の聖女と馬鹿王子によって、荒れに荒れているらしい。
ガタガタの内政、大増税、聖女の気まぐれによる各地の突貫工事。国民は、貧困と理不尽な公役(もちろん報酬は出ない)で苦しみ、数年の間に隣国に逃亡するものが多数出た。
ハイル王子の国は、馬鹿王子の国から流れてきた大量の難民に手を焼いているとのこと。
大臣たちの間では、もともと仲の悪い国だし、いらんことばっかりしてくるし、もう滅ぼしちゃってもいいんじゃないかという意見まで出ているという。
実力的にいうと、大国であるハイル王子の国と、小国である馬鹿王子の国の戦争では、ハイル王子の国が圧勝する。
「でも、ハイル王子。あっちには聖女がいますよね? 彼女が前線に出てきたら、危なくないですか?」
師匠が、不安そうな表情でハイル王子を見た。
「大丈夫だと思うよ? あっちの聖女は法術師だし、まともな修行もしていないみたいだし」
「彼女の法力は、すさまじいものなのでは……?」
「内通者の話では、君の魔力ほどではないそうだよ。彼女は治癒と簡単な浄化しか使えないみたいだ。死者蘇生も覚えていないし、結界も張れない……叩くなら、今のうちだと思わない?」
叩くって……蝿じゃあるまいし。
でもまあ、実力がつかないうちに倒してしまった方が、良いという意見には賛成だ。
馬鹿が力を持つと、碌なことにならない。俺の国のように、酷いことになる。
「……ハイル王子、私もこの国に加勢しましょうか?」
「いいや、黒炎の魔術師に出てもらうには及ばないよ。君だって、あの国の聖女達とは関わりたくないだろう?」
「そりゃあ、嫌な思い出しかありませんけど」
「心配しなくても、君の職場だったあの国のギルドには手を出さない。もともと、ギルドは国から独立した機関だし、あそこには君の養父もいるからね。倒すのは、王族や聖女に彼らと親しい者達だけ……なるべく、一般人に被害が出ないよう配慮するよ」
「ありがとう、ございます」
なんだか、この二人はかなり親密な間柄だ。
そして、ここまで師匠に甘い王子の気持ちに、彼女がまったく気がつかないことが、少し気の毒でもある。
「また、君宛てに依頼を出すから、その時はよろしくね。もちろん、依頼がなくても、いつでも城へ遊びに来てくれていいんだよ。というか、来て欲しいな」
ハイル王子は、さりげなく無茶な要求をした。
「ところで……そこにいる彼は、どこの誰かな?」
そして、いきなり俺に話の矛先を向けた。
「ええと。彼は、薬草採取を手伝ってくれた……」
「俺は、この人の弟子です! 黒炎の魔術師の弟子!!」
今思えば、あの時の俺はどうかしていたと思う。
弟子になりたいという気持ちが先走ったのか、ハイル王子と師匠の親密さに嫉妬したのか……自分でも訳のわからない行動を取っていた。
「ああ、そうそう。彼に魔術を教えているんです。魔術と法術、両方の素質がある珍しい子で」
師匠が話を合わせてくれる。というか……
おそらく、彼女の中では話を合わせている気などなく、単に事実を述べているだけだろうが。
「へえ、君が弟子を取るなんてね。意外だなあ。どちらかというと、人付き合いが苦手なのに」
「優秀な子ですよ。一日で魔術を使えるようになりましたから」
そう言われて、俺は柄にもなく嬉しくなってしまった。
けれど、俺はこのまま弟子でいてもいいのだろうか、契約とともに師弟関係も打ち切られるのではないのだろうか。
嬉しい反面、言いようのない不安に苛まれる。
用事を済ませて城を出た俺と師匠は、無言で街道を歩いていた。これで、契約期間は終わりだ。
師匠と別れるその前に、俺は意を決して彼女に向き合うことにする。
「あの、さっきの弟子の話だけど。俺、本気なんだ。あんたの本当の弟子にしてくれないか?」
「えっ……?」
「俺、もっとたくさんのことを覚えたい。これからも、あんたと一緒に行動したいんだ!」
師匠は、困ったように目を伏せた。
「気持ちは嬉しいんだけど……」
彼女がそう話し出すと同時に、周囲に爆風が巻き起こる。
師匠は俺を庇うように抱きしめ、風が巻き起こった方向を睨んだ。
「勘弁してよ、こんな街中で……ハイン王子に迷惑かかるじゃん」
「……何が起こったんだ?」
「同業者の襲撃だよ。私を倒して名をあげたいとかいう、意味のわからない連中がいるの」
黒炎の魔術師は、なにかと注目を集めるため、妙な人間に絡まれることが多いらしい。
「場所が悪いから、転移するよ」
そう言って、師匠は俺を抱えながら転移の魔術を使った。
移動した先は、いつも薬草を摘んでいた森付近の草原だ。後になって知ったが、城からここまでは割と近い。
丈の短い草原に立ち尽くしていると、師匠の後を追うように白い光が草原に移動してきた。彼女を追ってきた敵の魔術師だ。
背が高く白いローブに身を包んだ魔術師は、師匠と俺を見るとニヤリと口元を歪めた。顔の上半分はフードに覆われていて見えないが、無精髭が生えているので男なのだと分かる。
「……黒炎の魔術師だな。ギルドと別口で、あんたの討伐依頼が出ている」
「依頼主は?」
「隣の小国だ。聖女様からの依頼だぜ? 一体、何をやらかしたんだ?」
とんでもない言いがかりだった。何かをやらかされた被害者は、師匠の方である。
「あーあ、とうとう見つかっちゃったか。どこ経由で、私が元聖女だとばれたのかな?」
「あんたを倒して、名を上げたかったところだ。悪いが、討伐させてもらう……光よ、大地を砕け!」
そう言うと、魔術師は師匠に向けて白い光を放った。俺を庇いながら、とっさに光を避ける師匠。
しかし、地面にぶつかった光は四方八方に分裂し、そこに深い亀裂を生んだ。
「大地よ、我に呼応せよ!」
魔術師が腕を振り上げると、それにつられたように亀裂の入った地面から岩が浮かび上がる。
巨大な岩が、一斉に師匠に向かって放たれた。
不安を隠しきれない俺に向けて、彼女は微笑みながら口を開く。
「大丈夫だよ。君に怪我はさせないから」
師匠はスッと人差し指を上げて正面を指差す。すると、彼女の真正面の空間に濃い闇が現れた。
おぞましい化け物のようにぽっかりと口を開けた闇は、放たれた全ての岩を音もなく飲み込む。
指を下げる師匠の動きに合わせて闇は姿を消し、その後には何も残っていなかった。
「なんだ……今のは?」
師匠に抱きかかえられた俺の口から、思わずつぶやきが漏れた。
「闇の魔術を見るのは初めて?」
「ああ。戦場でも、あんなのは見たことない」
「確かに、使い手は少ないかもね。この世界って、闇を良くないものとして捉えている傾向があるから、皆使いたがらないんだよ」
敵の魔術師も、師匠の魔術に恐れをなしたように後退している。
しかし、彼女は容赦なかった。
後退する敵の背後に、分厚い炎の壁が現れる。その炎は、黒く燃えたぎっていた。
「黒炎……」
それが、師匠の二つ名の由来の黒い炎だった。炎は魔術師を取り囲むように円を描く。
草原の中央に、禍々しく大きな黒い火柱が立ち上った。
「行こうか……」
師匠は、俺の手を引いて草原から転移する。気がつけば、元の街に戻っていた。
「ごめんね。変なことに巻き込んでしまって」
「……ちょっと驚いたけど、大丈夫」
「君に弟子にしてほしいと頼まれた時に素直に承諾できなかったのは、こういうことがあるからなんだ。私といると、また同じような危険な目に遭うかもしれない。私と関わることで、君まで狙われるかもしれない。だから……」
「それでも、俺はあんたの弟子になりたい! 狙われても、自分で相手を撃退すれば文句ないだろ?」
十四歳の俺は、必死の形相で師匠にアピールした。
そうして、俺を残して去ろうとする師匠に付きまとい、転移で逃げようとする彼女にしがみ付き、半日間の奮闘の末にようやく弟子の座を勝ち取ったのだった。
※
その後、ハイン王子の国は、バカ王子と聖女の国に攻め入った。
内政や外交が崩壊している上、他国の間者パラダイスだった小国は、一日で城を占拠されてしまう。
国王と馬鹿王子は殺され、聖女は捕縛された。法術師の聖女は、攻撃する術に長けていなかったので、簡単に捕まえることができたらしい。本当は、法術でも攻撃する方法はあるのだが、彼女は法術の勉強をサボり、癒しと浄化しか使えないままだったのだ。
近隣の街や村に被害はなく、ハイン王子の兵は一般人に手出ししなかったため、彼らは国民達に快く迎え入れられた。
どこの国が攻めてこようが、元王家よりはマシだと思われたようである。
こうして、ハイン王子の国は、比較的簡単に領土を増やした。
さて、捕らえられた聖女様のその後はと言うと……
彼女は現在、城の傍にある塔の中に閉じ込められ、たくさんの見張りの下で強制ボランティア中だとか。
聖女が優秀な癒しと浄化の術の使い手であることは確かなので、ハイン王子は貴重な法術師として彼女に働いてもらうことにしたらしい。と、表向きには綺麗なお話で終わっているが……
「おい、聖女! さっさと俺の傷を治せ! お前が『海の見える土地に第二の城が欲しい』などと言い出したせいで、俺は無茶な工事に駆り出されたんだ。この傷は、その時の落石事故に巻き込まれてできた傷だ!」
「聖女、さっさと洗濯物を浄化しておくれ! 後がつかえているんだよ!」
「聞いているのか、聖女! お前の贅沢のせいで税金が上がり、俺たち庶民は碌に食べ物にありつけなかったんだ! 栄養が足りずに病気になった息子をなんとかしろ!」
「この贅沢好きのアバズレ女! お前なんて、さっさとのたれ死ねばいいんだ!」
聖女は、全ての悪の根源として民衆の前にさらされた。彼女の所業はもちろん、彼女がやっていないことまで全て聖女のせいとされ、国民達は塔を訪れては彼女を罵倒した。
世紀の大悪女を見ようと、特に用事のない人間までもが全国から集まって塔の前に並んだ。
囚われの身に転落した聖女が繋がれた塔の前には、今も大勢の民衆が長い列をなしている。
※
無事に師匠の弟子になれた俺は、ハイン王子のおかげで平和になった隣国のギルドにいた。
そこには師匠の養父になっているギルド長と、彼の部下である職員達がいて、彼らは笑顔で俺を歓迎してくれた。
けれど……
「この馬鹿ちんが! ど素人にいきなり無詠唱の魔術をやらせてどうするんだ! 普通の人間は、お前とは違うんだぞ!?」
師匠は養父にゲンコツを食らった上、説教されている。
「大丈夫だよ。この子、センスあると思ったし、実際に無詠唱で魔術を使えたもの」
「だとしてもだ! お前、Sランク冒険者でも無詠唱が使えるのはごく僅かなんだぞ!?」
ハラハラする俺に向かって、ギルドの職員達がいつものことだから心配ないと教えてくれた。
ギルド長は心配性で、いつも無茶ばかりする義理の娘を放っておけないのだと。
こうして、俺は魔術の基礎をギルド長に習い、無詠唱や応用を師匠に習い、驚異的な速さで力を伸ばしていったのだった。
俺の師匠は聖女というだけあって、やはり魔力が桁違いだ。根本からして異次元の存在である。
いくら努力をしても、俺は人間の域を出ることがないだろう。けれど、彼女に魔術を教わることで、少しでも黒炎の魔術師に近づきたい。
あれから数年後、俺は氷爆の魔術師という二つ名を手に入れる。
Sランク冒険者として名を馳せ、師匠共々、各地の城に出入りできる身分になったのだ。
得意な魔術は氷と光、苦手な魔術は炎と闇。
今後は、法術も極めるつもりでいる。法術分野では、きっと恩人である師匠の力になれると思うからだ。
そんなこんなで、今も俺は、黒炎の魔術師の隣で修行に励んでいるのだった。
続きを書くかもしれません。