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短編

祖の男

作者: NOMAR
掲載日:2016/07/25


 あるところに、ひとりの男(おとこ)がおりました。


 男(おとこ)はひとり、山(やま)で獣(けもの)を狩(か)り、森(もり)で木(こ)の実(み)をとり、暮(く)らしていました。


 日(ひ)がのぼり沈(しず)み、月(つき)がのぼり沈(しず)み、ながい年月(としつき)を、男(おとこ)はひとりで暮(く)らしていました。


 ある日(ひ)、男(おとこ)がいつものように山(やま)で狩(か)りをしていると、熊(くま)が現(あらわ)れました。熊(くま)は山(やま)の主(ぬし)でした。


 山(やま)の主(ぬし)の熊(くま)は口(くち)をひらきます。


「男《おとこ》よ、山《やま》でひとり、たくましく生(い)きる男《おとこ》よ。私《わたし》は年老(としお)いて、小(ちい)さく弱(よわ)くなってしまった。なので、山《やま》の主《ぬし》の座(ざ)をお前(まえ)に託(たく)そうと思(おも)う。お前(まえ)ならば、山《やま》の主《ぬし》として相応(ふさわ)しかろう。私《わたし》に代(か)わり、山(やま)の主(ぬし)となってはくれまいか」


 男(おとこ)は応(こた)えました。


「山《やま》の主《ぬし》がいなくなれば、山《やま》はやせ細(ほそ)り、山(やま)に住(す)むものも難儀(なんぎ)するだろう。私(わたし)はこれまで山(やま)の恵(めぐ)みで生(い)きてきた。その恩(おん)がある。私(わたし)で良(よ)ければ、山(やま)の主(ぬし)となろう」


 男(おとこ)のことばに、熊《くま》は大(おお)きく頭(あたま)を下(さ)げました。


「ありがたい。だが、山《やま》の主《ぬし》となるには神(かみ)に挨拶(あいさつ)をしてこなければならない。ここから東(ひがし)に、日(ひ)が昇(のぼ)る方(ほう)に、ずっとずっと行(い)ったところに、神(かみ)の社(やしろ)がある。神(かみ)に会(あ)い、山(やま)の主(ぬし)の代替(だいが)わりを伝(つた)えてくれまいか」


 熊(くま)は、己(おのれ)の前足(まえあし)の爪(つめ)を一本(いっぽん)折(お)り、男(おとこ)に渡(わた)します。


「これを、神(かみ)に渡(わた)しておくれ」


 男《おとこ》は熊《くま》の爪(つめ)を受(う)けとると、無(な)くさないように穴(あな)をあけて紐(ひも)をとおして、首(くび)にかけました。


「では、これから東(ひがし)に行(い)き、神(かみ)に挨拶(あいさつ)してこよう。山(やま)の主(ぬし)よ、私(わたし)が戻(もど)るまで、山(やま)を守(まも)りたまえ」


 男(おとこ)は熊(くま)に一礼(いちれい)すると、東(ひがし)へと歩(ある)きだしました。山(やま)の主(ぬし)の熊(くま)は、男(おとこ)の背(せ)を見送(みおく)りました。


 男(おとこ)は東(ひがし)へ東(ひがし)へと、日(ひ)の昇(のぼ)るところへと歩(ある)き続(つづ)けます。


 山(やま)を下(お)り、平原(へいげん)を渡(わた)り、幾日(いくにち)も歩(ある)いてゆくと大(おお)きな山(やま)がありました。


 剣(けん)のように鋭(するど)い岩(いわ)が天(てん)に向(む)かっていくつも伸(の)びる、大(おお)きな山(やま)でした。


 山《やま》をのぼる道(みち)が見(み)つからず、歩(ある)いていると一軒(いっけん)の小屋(こや)がありました。


 男(おとこ)は小屋(こや)の戸(と)の前(まえ)で訪(たず)ねます。


「もし、誰(だれ)かいませぬか」


「どうぞ、お入(はい)りください」


 男《おとこ》が小屋(こや)に入ると、中(なか)にはひとりの女(おんな)がいました。美(うつく)しい女(おんな)でした。

 男(おとこ)は女(おんな)に話(はな)します。


「私(わたし)は神(かみ)の社(やしろ)に行(い)く途中(とちゅう)、山《やま》を越(こ)える道(みち)を知(し)りませぬか」


「あの山(やま)を越(こ)えるには、丈夫(じょうぶ)な靴(くつ)が要(い)ります。私《わたし》が作(つく)ってもよいのですが、今(いま)は手(て)を痛(いた)めております」


 男《おとこ》は少(すこ)し考(かんが)えて、


「手(て)を痛(いた)めては、難儀(なんぎ)だろう。その手(て)が治(なお)るまで、私《わたし》がお世話(せわ)しよう。手(て)が治(なお)れば靴(くつ)を作(つく)っていただけようか」


 美(うつく)しい女(おんな)はうなずいて、男(おとこ)と女(おんな)はしばらく小屋(こや)で、いっしょに暮(く)らしました。

 男《おとこ》は狩(か)りにいったり、小屋(こや)を直(なお)したりと働(はたら)きました。


 ある日(ひ)、女(おんな)は言(い)いました。


「心(こころ)やさしきお方(かた)、あなたのおかげで小屋(こや)は立派(りっぱ)になり、獣(けもの)の干(ほ)し肉(にく)も増(ふ)えました。お礼(れい)にこの剣(けん)を使(つか)ってください」


 女(おんな)は男《おとこ》に、赤(あか)い剣(けん)を渡(わた)します。


「この剣(けん)を山《やま》のふもとの赤(あか)い岩(いわ)に刺(さ)し、西(にし)に一回(いっかい)、東(ひがし)に一回(いっかい)うごかせば、山《やま》を越(こ)える道(みち)があらわれます」


「ありがたい。この剣(けん)は帰(かえ)りにかならず、お返(かえ)しする」


 男(おとこ)は山(やま)に行き、赤(あか)い岩(いわ)を探(さが)します。見(み)つけた赤(あか)い岩(いわ)に、女(おんな)から借(か)りた剣(けん)を刺(さ)し、西(にし)に一回(いっかい)、東(ひがし)に一回(いっかい)動(うご)かすと、山《やま》が唸(うな)りをあげて浮(う)かび上(あ)がりました。


 男《おとこ》は空(そら)に浮(う)かんだ山(やま)の下(した)をくぐって、東(ひがし)へ東(ひがし)へと歩(ある)きつづけます。


 幾日(いくにち)も歩(ある)き続(つづ)けてゆくと、大(おお)きな川(かわ)がありました。向(む)こう岸(ぎし)がかろうじて見(み)えるほどの大(おお)きな川(かわ)でした。


 橋(はし)や船(ふね)でもないかと、川(かわ)のそばを歩(ある)いてゆくと、一軒(いっけん)の小屋(こや)がありました。


「もし、誰(だれ)かいませぬか」


「どうぞ、お入(はい)りください」


 男《おとこ》が中(なか)に入ると、小屋(こや)の中(なか)には女(おんな)がいました。美(うつく)しい女(おんな)が座(すわ)っていました。


「私《わたし》は神(かみ)の社(やしろ)に行(い)く途中(とちゅう)、川(かわ)を渡(わた)るに、船(ふね)か橋(はし)はありませぬか」


「この川(かわ)に橋(はし)はありませぬ。船(ふね)が無(な)ければ渡(わた)れませぬ」


「船(ふね)はどこにありまするか」


「私《わたし》が船(ふね)をつくりましょう。けれど、足(あし)を痛(いた)めて立てませぬ。足(あし)が治(なお)れば、船(ふね)をつくりましょう」


 男《おとこ》は少(すこ)し考(かんが)えて、


「足(あし)を痛(いた)めては難儀(なんぎ)だろう。足(あし)が治(なお)るまで、私《わたし》がお世話(せわ)しよう」

 

 こうして、男《おとこ》と女(おんな)はしばらく小屋(こや)で暮(く)らしました。男《おとこ》は女(おんな)を背(せ)におって外(そと)を歩(ある)いたり、木(き)を切って薪(たきぎ)を割(わ)ったりと働(はたら)きました。


 ある日(ひ)、女(おんな)が言(い)いました。


「心(こころ)やさしきお方(かた)、あなたのおかげで足(あし)は良(よ)くなり、薪(たきぎ)も増(ふ)えました。お礼(れい)にこの勾玉(まがたま)を使(つか)ってください」


 女(おんな)は男《おとこ》に勾玉(まがたま)を渡(わた)します。


「この勾玉(まがたま)を川(かわ)の水(みず)につけ、川(かわ)上(かみ)に一回(いっかい)、川(かわ)下(しも)に一回(いっかい)ふれば、川(かわ)を渡(わた)る道(みち)があらわれます」


「ありがたい。この勾玉(まがたま)は帰(かえ)りにかならずお返(かえ)しする」


 男《おとこ》が川(かわ)の水(みず)に勾玉(まがたま)をつけ、川(かわ)上に一回(いっかい)、川(かわ)下に一回(いっかい)ふると、川(かわ)の流(なが)れが止(と)まりました。流(なが)れの止(と)まった川(かわ)の底(そこ)を、男《おとこ》は東(ひがし)に、東(ひがし)に、歩(ある)きました。


 幾日(いくにち)も歩(ある)き続(つづ)けていると、大(おお)きな岩壁(いわかべ)が見えました。天(てん)まで届(とど)きそうな岩壁(いわかべ)は、右(みぎ)にも左(ひだり)にもずっと伸(の)びています。

 男(おとこ)は岩壁(いわかべ)を越(こ)える道(みち)がないかと、岩壁(いわかべ)に沿(そ)って歩(ある)いていくと、一軒(いっけん)の小屋(こや)がありました。


「もし、誰(だれ)かいませぬか」


「どうぞ、お入(はい)りください」


 男《おとこ》が小屋(こや)に入ると、女(おんな)がいました。目(め)に包帯(ほうたい)を巻(ま)いた、美(うつく)しい女(おんな)でした。


「私《わたし》は神(かみ)の社(やしろ)に行(い)く途中(とちゅう)、岩(いわ)壁(かべ)を越(こ)える道(みち)はありませぬか」


「岩(いわ)壁(かべ)に空(あ)いている洞穴(ほらあな)を抜(ぬ)ければ、越(こ)えることができまする。されど、灯(あか)りがなければ洞穴(ほらあな)を抜(ぬ)けることができませぬ」


「灯(あか)りはどこにありますか」


「灯(あか)りは私《わたし》がつくりましょう。されど、目(め)を痛(いた)めて、今(いま)は灯(あか)りをつくれませぬ」


 男《おとこ》は少(すこ)し考(かんが)えて、


「目(め)が見(み)えねば難儀(なんぎ)だろう。目(め)が見(み)えるようになるまで、私《わたし》がお世話(せわ)しよう」


 こうして男《おとこ》と女(おんな)はしばらく小屋(こや)でいっしょに暮(く)らしました。


 男《おとこ》は小屋(こや)のそうじをしたり、着物(きもの)を洗(あら)ったり、破(やぶ)れたところを繕(つくろ)ったりして働(はたら)きました。


 ある日(ひ)、女(おんな)が言(い)いました。


「心(こころ)やさしきお方(かた)、あなたのおかげで小屋(こや)はきれいになり、着物(きもの)も直(なお)していただきました。お礼(れい)にこの鏡(かがみ)をお使(つか)いください」


「ありがたい。この鏡(かがみ)は帰(かえ)りにかならずお返(かえ)しする」


 男《おとこ》が岩(いわ)壁(かべ)の洞穴(ほらあな)に鏡(かがみ)を向(む)けると、鏡(かがみ)はひかり輝(かがや)いて、男《おとこ》のゆく道(みち)を照(て)らします。


 男《おとこ》は鏡(かがみ)の明(あ)かりをたよりに、くらい洞穴(ほらあな)の中(なか)を東(ひがし)へ東(ひがし)へと歩(ある)きます。


 幾日(いくにち)も東(ひがし)に、東(ひがし)に歩(ある)いてゆくと、大(おお)きな社(やしろ)が見えてきました。金色(きんいろ)にひかり輝(かがや)く社(やしろ)は、神(かみ)の住(す)まう社(やしろ)でした。


 社(やしろ)の門(もん)の前、神(かみ)の使(つか)いの門(もん)番(ばん)に熊(くま)の爪(つめ)を見(み)せると、神(かみ)の使(つか)いの門(もん)番(ばん)は、男《おとこ》を社(やしろ)の中(なか)に案内(あんない)しました。


 神(かみ)の社(やしろ)の中(なか)は、色(いろ)とりどりの花(はな)が咲(さ)き乱(みだ)れ、あざやかな羽(はね)の鳥(とり)が、さえずっていました。


 ひかりをまとう神(かみ)の前(まえ)に案内(あんない)された男《おとこ》は、神(かみ)に山(やま)の主(ぬし)の熊(くま)の話(はなし)を伝えました。


「山《やま》の主《ぬし》に頼(たの)まれたので、私《わたし》が次(つぎ)の山(やま)の主(ぬし)になりまする」


 男(おとこ)は神(かみ)に、熊(くま)の爪(つめ)を渡(わた)しました。

 神(かみ)は熊《くま》の爪(つめ)を受(う)けとり、こう言(い)いました。


「男(おとこ)よ、お前(まえ)が道中(どうちゅう)、出会(であ)ったのは、私《わたし》の娘(むすめ)なのだ。娘(むすめ)より話(はなし)を聞(き)いている。お前(まえ)ならば、山(やま)の主(ぬし)に相応(ふさわ)しかろう。だが、お前(まえ)には爪(つめ)も牙(きば)も翼(つばさ)も毛皮(けがわ)も無(な)い。お前(まえ)にこれを与(あた)えよう。好(す)きなものを持(も)って帰(かえ)るがよい」


 神(かみ)はみっつのものを、男(おとこ)の前(まえ)に並(なら)べました。


「この斧(おの)はどんな大木(たいぼく)でも切(き)れる。岩(いわ)も割(わ)れる」


 男《おとこ》は応(こた)えます。


「神(かみ)よ、そんなものをいただいては、人(ひと)はそれに頼(たよ)ってしまいまする。そんな斧(おの)に頼(たよ)っていては、己(おのれ)の力(ちから)で木(き)を切(き)ったり、岩(いわ)を割(わ)ったりできなくなってしまう。私(わたし)にその斧(おの)は要(い)りませぬ」


 神(かみ)は次(つぎ)に篝火(かがりび)を指(さ)します。


「この篝火(かがりび)は、いつまでも消(き)えることなく燃(も)え続(つづ)ける。薪(たきぎ)もいらず、闇夜(やみよ)を照(て)らす」


 男《おとこ》は応(こた)えます。


「神(かみ)よ、そんなものをいただいては、己(おのれ)で火(ひ)を起(お)こすことができなくなりまする。また、いつまでも燃(も)え続(つづ)けるなら、倒(たお)れると火事(かじ)になりまする。そのような扱(あつか)いのむずかしいものは、私(わたし)には要(い)りませぬ」


 神(かみ)は次(つぎ)に巻物(まきもの)をひろげます。


「この文字(もじ)があれば、さまざまなことを書(か)き残(のこ)すことができる。木(き)や紙(かみ)にいろいろなことを書(か)いて伝(つた)えることができる」


 男《おとこ》は応(こた)えます。


「神(かみ)よ、そのようなものに頼(たよ)れば、人(ひと)は己(おのれ)でおぼえることができなくなりまする。文字(もじ)におぼえることを任(まか)せてしまえば、頭(あたま)がばかになりまする。そのような便利(べんり)すぎるもの、私《わたし》には要(い)りませぬ」


 神(かみ)は言いました。


「欲(よく)の無(な)い男(おとこ)だ。神(かみ)の社(やしろ)に来(き)た者(もの)には、なにかを持(も)たせて帰(かえ)らせている。これを受(う)け取(と)らぬのであれば、帰(かえ)りの道(みち)で、私《わたし》の娘(むすめ)からのものを持(も)ち帰(かえ)るがいい。男(おとこ)よ、お前(まえ)を新(あたら)しい山(やま)の主(ぬし)と認(みと)めよう」


 新(あたら)しい山(やま)の主(ぬし)となった男(おとこ)は、かつての山(やま)に帰(かえ)ります。


 岩(いわ)壁(かべ)の洞穴(ほらあな)を、鏡(かがみ)で照(て)らして抜(ぬ)けて、女(おんな)のいる小屋(こや)に訪(おとず)れます。


「この鏡(かがみ)のおかげで洞穴(ほらあな)を抜(ぬ)けられた。鏡(かがみ)を、お返(かえ)しする」


「持(も)って帰(かえ)っても良(よ)いのですよ」


「私《わたし》は山《やま》の主《ぬし》となった身(み)。むやみやたらと闇夜(やみよ)を照(て)らせば、山(やま)の獣(けもの)をおどろかせる。これはお返(かえ)しする」


「ならば、この子(こ)をお連(つ)れなさい」


 女(おんな)は男《おとこ》に赤子(あかご)を渡(わた)します。


「この子(こ)は私(わたし)とあなたの子(こ)。あなたが神(かみ)の社(やしろ)にいる間(あいだ)に生(う)まれました。神(かみ)の娘(むすめ)、日(ひ)の女神(めがみ)の子(こ)、新(あたら)しい山(やま)の主《ぬし》の子(こ)です」


 男(おとこ)は赤子(あかご)を背負(せお)い、かつての山(やま)へと帰(かえ)ります。


 大(おお)きな川(かわ)で、川(かわ)の水(みず)に勾玉(まがたま)をつけて、川(かわ)をせき止(と)め、川(かわ)底を(ぞこ)歩(ある)いて渡(わた)ります。背(せ)中(なか)の子は元気(げんき)に笑(わら)います。


 男《おとこ》は川(かわ)のそばの小屋(こや)を訪(たず)ねます。出迎(でむか)えた女(おんな)に、男(おとこ)は勾玉(まがたま)を返(かえ)すと、女(おんな)は言(い)いました。


「お持(も)ちになっても、良(よ)いのですよ」


「私《わたし》は山《やま》の主《ぬし》となった身(み)、気(き)まぐれに川(かわ)の流(なが)れを止(と)めたなら、川(かわ)下(しも)に住(す)むものが驚(おどろ)くだろう。この勾玉(まがたま)はお返(かえ)しする」


「では、この子(こ)をお連(つ)れなさい。この子(こ)は私《わたし》とあなたの子。神(かみ)の娘(むすめ)、月の女神(めがみ)と新(あたら)しい山(やま)の主(ぬし)の子(こ)です」


 男(おとこ)は赤子(あかご)を抱(だ)いて、かつての山(やま)へと帰(かえ)ります。


 剣(けん)のような岩(いわ)を生《は》やした岩(いわ)山《やま》を、赤(あか)い剣(けん)で浮(う)かべます。

 ふたりの赤子(あかご)は空飛(そらと)ぶ山(やま)をみて、びっくりして泣(な)き出(だ)します。男《おとこ》はふたりの赤子(あかご)をあやしながら、浮(う)かぶ山《やま》の下(した)をくぐって、西(にし)へ西(にし)へと歩(ある)きます。


 男《おとこ》は山《やま》のふもとの小屋(こや)を訪(たず)ねます。中(なか)の女(おんな)に、


「この剣(けん)のおかげで、岩(いわ)山《やま》を越えて神(かみ)の社(やしろ)にたどり着(つ)けた。この剣(けん)をお返(かえ)しする」


「持(も)って帰(かえ)らないのですか?」


「私(わたし)は山(やま)の主(ぬし)となった身(み)、いたずらに山(やま)を動(うご)かせば、山《やま》に住(す)むものが迷惑(めいわく)する。この剣(けん)はお返(かえ)しする」


「それならば、この子(こ)をお連(つ)れなさい。あなたの旅(たび)の間(あいだ)に生《う》まれた子(こ)。神(かみ)の娘(むすめ)、星(ほし)の女神(めがみ)と山(やま)の主(ぬし)の子供(こども)です」


 女(おんな)は男《おとこ》に、赤子(あかご)を手(て)渡(わた)します。


「三人(さんにん)の子供(こども)は、娘(むすめ)が二人《ふたり》、息子(むすこ)が一人《ひとり》。娘(むすめ)の一人《ひとり》を妻(つま)にして、残(のこ)りの二人《ふたり》を夫婦(めおと)にしなさい」


「星(ほし)の女神(めがみ)の言(い)うとうりにしよう」


 長(なが)い長(なが)い旅(たび)を終(お)えて、男(おとこ)は山(やま)に帰(かえ)りました。かつての山(やま)の主(ぬし)の熊(くま)が出迎(でむか)えます。


「新(あたら)しい山(やま)の主(ぬし)よ、この山(やま)をお前(まえ)に任(まか)せよう」


「ならば熊《くま》よ、手(て)伝(つだ)ってほしい」


 男(おとこ)は熊(くま)の手(て)助(だす)けを借(か)りて、三人(さんにん)の子供(こども)を育(そだ)てます。三人(さんにん)の子供(こども)達(たち)はすくすくと元気(げんき)に育(そだ)ちました。


 星(ほし)の女神(めがみ)のことばどうりに、娘(むすめ)の一人(ひとり)を妻(つま)にして、もう一人(ひとり)の娘(むすめ)と息子(むすこ)は夫婦(めおと)になりました。


 二組(ふたくみ)の夫婦(めおと)から、また子供(こども)が生(う)まれ、山(やま)の主(ぬし)の男(おとこ)は、人(ひと)の祖(そ)となりました。


 こうして、地(ち)に人(ひと)が増(ふ)えたのです。


 やがて男(おとこ)の子供(こども)の中(なか)から、神(かみ)の社(やしろ)に赴(おもむ)くものがあらわれました。神(かみ)は娘(むすめ)の女神(めがみ)の子孫(しそん)である子供(こども)を歓迎(かんげい)して、神(かみ)の宝(たから)を持(も)たせました。


 神(かみ)の宝(たから)を授(さず)かった子供(こども)達(たち)は、山(やま)から離(はな)れ、それぞれの部族(ぶぞく)の長(おさ)となりました。


 文字(もじ)の民(たみ)は、文字(もじ)を使(つか)って記録(きろく)を残(のこ)します。神(かみ)の物語(ものがたり)、人(ひと)の歌(うた)を書(か)き残(のこ)します。


 だけど文字(もじ)に頼(たよ)って、物覚(ものおぼ)えが悪(わる)くなりました。

 頭(あたま)の良(よ)い人(ひと)が書(か)いたとうりにすればいいと、己(おのれ)で考(かんが)える者(もの)が少(すく)なくなりました。


 篝火(かがりび)の民(たみ)は炎(ほのお)を使います。炎(ほのお)を使(つか)って鉄(てつ)や鋼(はがね)をつくりかえることができるようになりました。

 だけど、炎(ほのお)の扱(あつか)いを間違(まちが)えて、森(もり)や山(やま)を燃(も)やしてしまいます。


 斧(おの)の民(たみ)は斧(おの)を使(つか)って、木(き)を切(き)り岩(いわ)を砕(くだ)きます。

 だけど、自分(じぶん)達(たち)だけに都合(つごう)よく山(やま)を切(き)り開(ひら)き、山(やま)を削(けず)るので、多(おお)くの獣(けもの)が死(し)んでしまいました。

 また、ありあまる力(ちから)をよその部族(ぶぞく)に向け、他(ほか)の部族(ぶぞく)から奪(うば)ったり、殺(ころ)したりするようになりました。


 山(やま)に住(す)む、文字(もじ)も篝火(かがりび)も斧(おの)も無(な)い部族(ぶぞく)は、おとなしく山(やま)とともに暮(く)らしていました。

 しかし、他(ほか)の部族(ぶぞく)に森(もり)の木(き)を切(き)られ、山《やま》を焼(や)かれて、住(す)むところを失(うしな)いました。


 日(ひ)と月(つき)と星(ほし)の女神(めがみ)は、人(ひと)に宝(たから)を与(あた)えた神(かみ)を責(せ)めました。泣(な)きながら訴(うった)えました。

 神(かみ)も人(ひと)に神(かみ)の宝(たから)を与(あた)えたことを悔(く)やみ、泣(な)きました。


 だけど、神(かみ)の宝(たから)は人(ひと)の手(て)に渡(わた)り、広(ひろ)まり、いまさら取(と)り返(かえ)すこともできません。


 女神(めがみ)達(たち)は、夫(おっと)の山(やま)の主(ぬし)とその子供(こども)達(たち)だけでも助(たす)けようと、神(かみ)に願(ねが)います。


 神(かみ)も女神(めがみ)達(たち)の訴(うった)えを聞(き)き、山(やま)の主(ぬし)とその子供(こども)達(たち)を、神(かみ)の社(やしろ)の近(ちか)くに住(す)むことを許(ゆる)しました。


 女神(めがみ)達(たち)も、人(ひと)が増(ふ)えて、騒(さわ)がしくなった土地(とち)より離(はな)れて、神(かみ)の社(やしろ)に住(す)むことにしました。


 今(いま)も人(ひと)の祖(そ)の男(おとこ)は、神(かみ)の社(やしろ)の近(ちか)くの森(もり)で暮(く)らしています。妻(つま)になった娘(むすめ)と、夫婦(めおと)になった子供(こども)の四人(よにん)で暮(く)らしています。


 日(ひ)の女神(めがみ)、月(つき)の女神(めがみ)、星(ほし)の|女神(めがみ)が遊(あそ)びにきたりします。神(かみ)も、孫(まご)の顔(かお)を見(み)にきます。


 人(ひと)の祖(そ)の男(おとこ)は、神(かみ)の社(やしろ)の近(ちか)くから、今(いま)も人(ひと)の末(すえ)を見守(みまも)っています。



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― 新着の感想 ―
[一言] 名作ではないですか。 古事記を読みやすく、子供向けにしたみたいです。 訓話として完成されていますね。 ほんらいのファンタジーって、こういう作品だと思います。
2017/06/24 06:00 退会済み
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