第七話
階段に辿り着けさえすれば、十階分を降りるのはなんら難しくない。アテルイとジョーは、すんなりと十階下に降りてきた。廊下に差し掛かったところで、アテルイが立ち止まった。
「そういえばお前、ウニンという娘を知っているか」
アテルイが言ったが、ジョーは口を閉ざして答えない。
「おい、ジョー」
「しゃべっていいのか?」
「子供か」
ジョーは「へっへっへ」と、どこかいやらしい笑みを浮かべた。
「ウニンって使用人のことなら見たことあるぜ。小柄で可愛い女の子だ」
「そうか、死体は見たか?」
「いんや」
「どこにいるか、手掛かりはあるか?」
「ないな」
「致し方ないな」
「知り合いなのか?」
「違う。が、ちょっと頼まれていてな」
アテルイはそのまま歩き始めた。
「そのウニンとかいう娘を見掛けたら教えてくれ」
「いいぜ」
ある扉の前に差し掛かった時、アテルイはジョーを手で制した。アテルイの表情を読んで、ジョーは押し黙る。すると数秒の後、扉が開いた。
「沈黙」
アテルイが法術を使いながら、扉の前に躍り出る。目の前に敵。鳩尾を突いて終わらせた。倒れた敵の後ろには、卓を囲んで四人の敵が控えていた。三人は法術を放とうと詠唱したが、アテルイの法術が効いている。
一人はアテルイに殴り掛かった。アテルイが半身になる。敵は空振り、前のめりになる。それを受け止めるように、アテルイの手が敵の喉首を掴んだ。
アテルイは首を掴んだ状態で、腰を敵に入れて投げた。敵が宙に浮かんだ瞬間、両手を使って首と頭を押さえ捻る。敵が床に叩きつけられたとき、首はすっかり捻転していた。
早業に、残りの三人はなにが起こったのかさえわからない。ただわけもわからず、短刀を抜き放った。三人があたふたとアテルイに襲い掛かる。
攻撃を避けて、避けて、アテルイは敵の腕が伸びたところに、すかさず脇へ入り込んだ。そして足を刈り上げて、仰向けに倒す。次いで切りつけてきた敵は、逆手に持った短刀を振り下ろしてきたが、手首を押さえて、腹を殴り、前屈みになったところで、強く下へ押しつけた。敵は短刀を下に向け、勢い良く倒れ込む。
危うく、先に倒れた仲間へ短刀を突き刺すところだったが、咄嗟に伸ばした空いた片手が床に着き、すんでのところで踏み止まった。かと思いきや、アテルイに踏まれて、結局、仲間の胸に短刀を突き立ててしまった。
もう一人の敵は、アテルイに短刀を掴まれていた。峰の部分を掴んでいるから、アテルイは手を切らない。とはいえ、そんな掴み方では、短刀を押さえきれないのは当然。であるというのに、短刀を手放しそうになっているのは、短刀の柄を握っている敵の方だ。両手でしっかりと柄を握っている。アテルイは片手だ。重い力でも掛かっているかのように、敵は短刀を握ったまま、両膝を地面に着けてしまった。
そしてついに、敵の手から短刀が離れる。アテルイの手の内で、短刀はくるんと回転させられた。そして敵の額にぶっすりと、短刀が突き立てられた。
アテルイに踏まれていた敵が起き上がった。闇雲に攻撃しようとするが、そうする前に、ジョーが投げた短刀に胸を貫かれた。
アテルイがジョーを見遣る。ジョーは得意げに腕を組んだ。始めに倒した敵から、ちゃっかり短刀を奪ったらしい。その敵にも止めが刺してあった。
「足手まといではないだろ?」
ジョーが言った。
「どうだろうな」
アテルイは部屋を見渡した。食器棚と、流し場、大き目の卓と椅子。休憩部屋のようだ。
「このまま突き進んでも無駄だろうな」
アテルイが言った。
「無駄ってのは?」
ジョーは言いながら、部屋に入って扉を閉めた。
「敵の数がわからん以上、聖獅子の間に入っても人質を殺されるだけだ。それに敵の配置も知りたい。どうにかして敵の観察をしないとな」
「それなら良い手があるぜ」
ジョーが死体を指差した。
「本気か?」
アテルイが言う。
「もちろん」
それからしばらく経って、休憩部屋から二人の男が出てきた。苔色の装束。ギハオ神道の襲撃者たちの服装だ。
「もしばれても、あんたなら力づくで逃げ切れるだろ」
苔色の装束を身に着けたジョーが言った。
「そうかもな」
アテルイはジョーから顔を背けた。
「行くぞ」
「あいよ」
アテルイに続いてジョーが歩く。設定としては、警備中だ。その設定が敵に通じるのかは定かでない。
廊下を突き進む二人の前に、敵が向かって歩いてきた。少なくとも、今はまだ二人の正体に気付いている様子はない。二人と敵の距離がぐんぐん近付く。
ぴりぴりと、ジョーの背筋に緊張が走る。ジョーはごくりと、生唾を飲んだ。敵と、二人が、すれ違う。瞬間、敵が横目で二人を見た。ジョーは目を閉じた。
静かな廊下に、敵と二人の足音が響く。敵の足音は段々と小さくなっていた。ジョーが振り返ったときには、敵の姿は見えなかった。
「やったな」
ジョーが言った。
「黙れ」
アテルイに言われて、ジョーは気を引き締めた。
「このまま聖獅子の間に向かうのか?」
ジョーが訊いた。
「危険だ。外堀から埋めていこう」
「他の部屋から廻ってくんだな。うし、わかった」
二人は順番に部屋を回っていった。この階には、礼拝に関係した部屋が多い。空想上の動物や、神話を元にした彫像があちこちに飾ってあった。色取り取りの彩色がしてあるのもあれば、色を使わず、単色で美しさが表現されているものもあった。
「立派なもんだ」ジョーが呟いた。「平和なときに見ておくんだったな」
そして、ある廊下の突き当りに来た。ここには、天使の彫像があった。極彩色の天使像だ。勇壮な翼の表現、繊細な四肢末端の動きを表現した形、生きているかのような彫像だ。アテルイはその彫像の前で、じっと佇んでいた。
「どうしたんだ?」
ジョーが尋ねる。
「気配があった」
彫像を見詰めたまま、アテルイは言った。
「おい、まさかこの天使像が生きているなんて言うんじゃないだろうな」
「そうじゃない」
アテルイは振り返った。廊下は長い一本道になっている。
「敵が来たら逃げられないな」
アテルイが言った。ジョーは青ざめた。
「おい、なに言い出すんだよ。ここにいるのが怖くなってきたじゃねえか」
「見張っておいてくれ。誰かがこちらに気付いたら、上手く誤魔化すんだ」
「無茶言うんじゃねえよ」
アテルイはひょいと跳び上がると、天使像の上によじ乗った。
「おいなにやってんだよ、やめろって!」
ジョーが言う。アテルイは天使像の後ろを覗き込んで、にやりと笑った。
「なるほどな」
アテルイが言った。
「おい、どうした?」
「安心しろ、俺たちは味方だ」
「なんだよ、誰かいたのか?」
「手を貸そう。出てこれるか」
アテルイの手を借りて、天使の背中をよじ登り、翼に手を掛け、現れたのは女性だった。アテルイと女性は天使像から降りた。
「ああ、天使の翼で、上手く姿が隠れていたってわけか」
ジョーが言った。
「怪我はないか」
アテルイが女性に訊いた。
「はい、大丈夫です。あの、出てきて良かったんでしょうか……」
鈴が鳴るような声。背丈がアテルイの胸の辺りまでしかない、小柄な女性だった。逃げるときに余程、慌てていたのだろう。栗色の髪はくしゃくしゃで、服も腕やスカートの一部が裂けていた。怯えるように、潤んだ大きな瞳でアテルイを見ている。
「おい、その女の子」ジョーが言った。「例のウニンって子だ」
「あ、はい、私はウニンと申します」
「そうか、意外なところで見つかったな」
僥倖とは思いつつ、アテルイは悩んだ。ウニンを連れて、聖獅子の間には入れないからだ。かといって、イドのもとへ送ってからこちらに戻るのも効率が悪い。
ジョーにウニンを送らせるという手もあるが、敵に見付かったとき、ジョーでは対処しきれないだろう。やはり天使像の後ろにいてもらうか。けれど自分が気付いた以上、他に気が付く者も出てくるだろう。
さてどうしたものか。アテルイは、ジョーの顔を見た。ジョーは不安そうに廊下の向こうを気にしている。ウニンを見た。ウニンはアテルイの視線に気が付くと、怖がっているような様子で視線を外した。それでもじっと見ていると、今度は照れたようにはにかんだ。
「よし、決めた」
アテルイが言った。
「なにをだ?」
ジョーが訊く。
「ウニンを連れていく」
「へ?」
ウニンが首を傾げた。
「聖獅子の間に行くぞ。ウニンがいれば簡単だ」
アテルイはそう言って、ウニンを担ぎ上げた。
「ひ、ちょっと、待って! え、え、えぇ?」
「おい、どうするつもりだよ?」
聖獅子の間へ向かい始めるアテルイに、ジョーが問い質した。
「まあ御覧じろ」
アテルイはそう言って、立ち止まることなく進んだ。