第六話
回廊を歩きながら、アテルイは考えた。
ギハオ神道の目的、現在の状況、それとウニンという名の使用人。いずれにせよ情報が足りなかった。ゆえに情報がいる。なんでもいい。アテルイは特段の当てもなくうろついていた。あわよくば、口の軽い敵に出くわすことを期待した。
アテルイは部屋を一つ一つ見て回っていた。時折、無残な死体が転がっている他はなにもない。生活していた人々は何処か一箇所に集められているのだろうか、とアテルイは考えた。
外側の回廊をアテルイは歩いた。片側面はガラス張りで、横に視界を遮るものはない。但し下界を見下ろすには、今日は雲が厚かった。アテルイは陽光に目を細める。
本来なら長閑な日だったろう。それが、唐突に悪夢のような日へと変えられてしまった。アテルイは静かに怒りを燃やして、歩みを早めた。
アテルイはある部屋に入った。奥行きはあるが、幅が狭く、埃っぽい。穴の開いた鍋や、柄の折れた箒。壊れた道具が置いてある部屋だった。
「そこでなにをしている」
アテルイが言った。部屋の一番奥に男がいた。石臼に腰掛けている。
丁寧に刈り込まれた茶髪。扉が開いたときは吃驚して目を見開いたが、今はへらへらと笑っている。服装は神官のものでなければ、使用人のものでもない。緩やかな服装は、誰でも着る一般的なものだ。ちゃらちゃらして、若者のような雰囲気だが、よく見ると小皺も少なくない。
「部外者か?」
アテルイは扉を閉めた。男には近寄らない。
「まあ、部外者といえば部外者だし、関係者と言えば関係者だな」
男が答えた。
「あんたのことを知っている」
男は余裕を演出するように笑っている。石臼から立ち上がる。アテルイに近付こうとはしない。
「俺はお前のことを知らないが。はて、どこかでお目に掛かったか」
アテルイは男を睨みつけた。視線は真っ直ぐ動かさないが、視界の端で男との距離を測っている。大股で三歩といったところか。
「そう警戒しなさんな。俺はロマラムタの知り合いだ」
「ロマラムタの?」
「そうだ。あんたのことはロマラムタから聞いた。それに廊下で何度かすれ違っているしな」
「ロマラムタから、俺のことをどういう風に聞いた」
「滅茶苦茶、強ぇんだろ?」
「そうでもない、法術は沈黙しか使えないしな」
「なんでまた。神官なんだろ?」
「ああ、ただの神官だ」
「ともかく、まあ、仲良くやろうぜ。俺はジョーウナイツ・ホウヤ。長いからジョーって呼んでくれ」
男は手を上げながら、一歩一歩ゆっくりと、アテルイに向かって進んだ。ジョーの掌には包帯が幾重にも巻かれていた。
「アテルイ・モレだ」
アテルイとジョーの距離が、あと一歩になる。ジョーが手を差し出した。
「握手だ」
アテルイは冷めた目でジョーの手を見ると、手の甲の側から掴んで捻り上げた。
「あいで、いででっ、なにすんだよ!」
「こちらの台詞だ。なんだこの針は」
捻り上げられたジョーの手には、包帯から突き出た細い針があった。
「へ、へへっ、ばれたか。流石だぜ。ちょっと試してみたんだよ。刺さってたとしても平気だって。ちくっとするくらいだ。いでで! 頼むから手を離してくれ」
アテルイが手を離すと、ジョーは尻餅を搗いた。
「お見事だ。あんた見事だよ」
ジョーが臀部を擦りながら言う。
「……お前、どうしてこんな所にいたんだ」
「そら、ギハオ神道の連中が襲ってきたからだよ。他の奴らは殺されるか連れ去れるかして、俺は運良くここで生き延びたってわけだ」
「他の人間がどこへ連れ去られたかわかるか」
「確かなことは言えない。だが、おそらくここだろうっていうのはある」
「どこだ」
「言ってもいいが条件がある」
アテルイは、そう言って立ち上がったジョーの手首を捕まえ、腕に手を添え、突き上げた。
「いてぇッ!」
肩が脱臼寸前になり、ジョーは痛みを訴える。肩が突き上げられたために、片足が上がり態勢を悪くする。そこにアテルイが横に力を加えると、ジョーは壁に向かって激突した。アテルイはそのまま、ジョーを壁に押し付ける。
「なにすんだッ!」
「ぐだぐだと駄弁っている暇はない。さっさと言え」
「ああもう、言う、言うよ。この階にいた奴は、多分、十階下の聖獅子の間に連れていかれた!」
「聖獅子の間だと? どうしてそこに」
「広間だからだろ? 大勢を集めるのに都合が良い」
「広間なら他にもある」
「そんなこと言われたって知らねえよ!」
「お前はどうやってその情報を仕入れたんだ」
「ギハオ神道の奴らが会話してたのを盗み聞いたんだよ。いい加減に離してくれ!」
アテルイが手を離すと、ジョーはずるずると、壁に寄りかかったままへたり込んだ。
「ひどいぜ、あんた」
「お前のことを信用していない」
「針のことなら謝るって。俺も中途半端な奴とは組みたくなかったんだ」
「組む? お前はなにを言っているんだ」
ジョーは立ち上がって、姿勢を改めた。
「さっき言ったろ。俺の情報を知るには条件がある。もっとも、あんたは強引に聞き出したわけだが」
アテルイは呆れたように明後日の方向を見た。
「言ってみろ」
「ん、なにをだ?」
「条件だ」
「へー、本来は対価であるはずのもんを先に奪って、あとから俺の条件を聞くとは、変わった御仁だね」
「なにが言いたいんだ。また壁にぶつけられたくなかったら、さっさと条件とやらを言え」
アテルイがそう言うと、ジョーはもったいつけて含み笑った。
「どうしよっかなー、わあ! 待て待て、悪かったよ。ちょっと調子のった」
極めかけたジョーの腕を、アテルイは離した。
「で、条件だが、簡単なことだ。俺をあんたに同行させてほしい」
「無理だ。他を当たれ」
「そんなこと言うなよー! あんた以外に頼れないだろ!?」
「知るか。足手まといを連れていけるわけがない」
「足手まといにはならねえ。絶対にだ」
「第一、事態が終息するまでここにいればいいだろう」
「嫌だよ、ここだっていつ見つかるか分かんねえんだし」
「だからってなんで俺に」
「強いだろ? 守ってくれよ」
「断る。ここにいろ」
そう言って、アテルイはこの部屋を後にした。
「おいおい、待てって」
その後ろを、ジョーが追い掛けた。先程と同じように、アテルイは回廊を進む。方向は定まって、十階下にある聖獅子の間を目指す。
「ご相伴します」
ジョーが言った。
「うるさいぞ、ついてくるな」
「そうはいかない。俺だって必死だ」
二十歩先に、曲がり角が見えた。あの角を曲がれば、下へ続く階段がある。曲がり角から人影が出てきた。苔色の装束だ。
「ギハオ神道の奴らだ!」
ジョーが叫んだときには、アテルイは走り出している。ギハオ神道の襲撃者は、ジョーの叫びに気付いて戦闘態勢を取った。アテルイを迎い撃つため、すぐさまアテルイの正対に陣取った。
「鎌鼬!」
襲撃者が法術を放った。風が切れ味を帯びて襲い来る。アテルイは斜め前に跳ね跳んで避けた。
「おぅわ!」
アテルイの後ろでジョーが声を上げる。法術を紙一重で避けていた。
「鎌鼬、鎌鼬、鎌鼬!」
三連続の法術。アテルイは一撃目、二撃目、三撃目、全て容易く避けた。
「鎌――!」
襲撃者が四撃目の法術を放とうとしたとき、襲撃者はアテルイの体当たりを受けて壁にぶつかった。アテルイの目は、体当たりした襲撃者ではなく、曲がり角の死角に潜んでいた二人の襲撃者を捉えていた。
「ギハオの威光をし――」
「沈黙」
二人の襲撃者は詠唱していた。一人を囮にし、強い法術によって確実にアテルイを仕留める算段だったのだ。だがアテルイの突進を妨害しきれなかったことと、アテルイがその作戦を見抜いていたことが想定外だった。
詠唱を中断させられた二人は、たまらずアテルイに斬りかかった。その斬撃を引き付けて、引き付けて、紙一重よりもさらに薄い、あるかなしかの瞬間、アテルイは身を引いた。
二人の襲撃者は、同時に剣を振り下ろし、そしてお互いに衝突して転んだ。アテルイが倒れた一人の手を踏み砕く。襲撃者が取り零した剣を拾い上げ、拾い上げついでに切り上げて、立ち上がろうとしていたもう一人の首を切り裂いた。そのまま指を折られ悶絶している襲撃者に剣を突き刺し、壁にぶつかって意識を混濁させていた、さらにもう一人の襲撃者にも突き刺した。アテルイは剣から手を離す。
「凄まじいな」
ジョーが駆けつけてきた。
「十秒もなかったんじゃないか?」
「さあな」
アテルイは階段を下りようとして、足を止めた。ジョーに振り向く。
「いいか、勝手についてくる分には、俺も追い返したりはしない」
アテルイが言った。
「おう」
ジョーが頷く。
「だがな」アテルイはジョーの鳩尾あたりを小突いた。「黙ってついてこい」
「ああ、うるさかった? 俺」
アテルイはジョーを睨んだ。
「その、なんだ、すまなかった。早いとこ十階下まで降りちまおうぜ」
「黙ってろ」
アテルイは聖獅子の間に向けて、歩みを再開した。