第五話
講堂では、典礼に参加していた人々が人質として床にうつ伏せにさせられていた。それでも、彼らの視線は演台に集まっている。演台に立つ男は勝ち誇った笑みを浮かべた。
黒い髪を後ろに撫で上げた髪型で、頬には大きな傷痕がある。他の襲撃者と同じように苔色の装束を身に付けていたが、この男だけはさらに苔色の外套を羽織っていた。首元にはやはり、竜のペンダントが光っている。
男の目の前には、吊るされたように浮かぶ老人がいた。
「ウィロウ教の教主、マンダリンで間違いないな」
男が言った。
「だとしたらなんだと言うのだ……!」
老人が言った。
「お前に訊きたいことがある。我らがギハオ神道の巫女はどこにいる?」
「ふざけるな、貴様らの巫女なぞ、知る由もない!」
「くだらん答えは聞きたくない。俺が嘘だと思ったら、貴様の信徒を一人ずつ殺す。あっさり死ぬぞ」
「私の信徒ではない。神ウィロウの信徒だ」
「殺せ」
男が合図する。聴講席にいた人質の見張りが素早く動いた。人質として寝かされていた男の首を短刀で掻き切る。血が噴き出て、瞬く間に血溜まりができた。近くにいた別の人質が悲鳴を上げると、見張りの男は蹴って黙らせた。
「さてもう一度、訊こう。我らがギハオ神道の巫女はどこにいる?」
演台に立つ男は人質が死んだのを見届けて、マンダリンに言った。
「待て、こんな問答を続けても無駄だ。徒に命が失われるだけだ。そもそも、巫女とはなんなのだ。私以外に知っている者がいるかもしれん」
マンダリンが言った。男は疑るような眼差しをマンダリンに向けたが、冷たく醒めたように笑った。
「いいだろう、お前の他にも訊いてみよう」
男が手を下に向けると、マンダリンは床に叩きつけられた。
「この場にいるウィロウ教の愚者共、俺の名はエクデステス。ギハオ神道の明位神官だ。十三年前、お前らにこの顔を傷を負わされた。覚えのある者はいるか?」
エクデステスの声は、講堂中に鳴り渡った。しかし、どよめきもない。皆、恐怖で磔になっていた。中には反撃の機会を窺う者もいたが、今はどうすることもできない。
「いないか?」
エクデステスが言った。
「いや、いるな」
エクデステスが邪悪な笑みを浮かべる。どこからともなく、漆黒の霧が立ちこめてきた。
「貴様、これは、まさか!」
床に這いつくばったまま、マンダリンが恟然と叫び声を上げた。
「前に出てこい、旧友ども!」
エクデステスが言うと、風に吹かれたように漆黒の霧が動いた。講堂の各所に向かって床から這い寄り、人質の何人かに纏わりつく。
漆黒の霧に纏わりつかれた人質たちはもがき苦しんだ。そして、霧に手や足を掴まれた。比喩ではなく、実際に掴まれた感触がしたのだった。そして床を引きずられ、演台の真下に、六人が集められた。その中にはロマラムタもいた。漆黒の霧は晴れた。
「おやおやおや、六人だけか。あの時は確か八人ほどいたはずだがな。あれから十三年だ、さすがに死んだか?」
エクデステスは演台を下り、六人の前に立った。集められた六人は、皆が大司教以上の階位にあった。
「お前らなら知っているはずだな。我らが巫女をどうした?」
エクデステスの質問に答える者はいなかった。
「物分かりが悪いぞ。くだらん答えを出せばそこいらにいる奴を殺す。沈黙が答えだと言うのなら――」
エクデステスが言い終える前に、集められた六人の内、一人が跳ね起きた。
「雷電!」
法術を放つ。青白い閃光がエクデステスを襲ったが、直撃する手前で、黒い霧に遮られた。
「なにっ――」
法術を放った男は、なにが起きたのか分からなかったろう。男の上半身と下半身が、突き出された大剣によって切り離されていた。横合いから大剣を突き出したのは、鎧に身を包んだ男。プルウィアを圧倒した鎧の男とは別の、もう一人の男だった。
「五人になったな」
エクデステスが言った。
「なんなら紹介しておこうか。凄絶な剣捌きを見せたこの男は、キイ・ゼテッタ。あちらにいる似たような鎧を身に着けているのは、キゥ・テアット。ギハオ神道でも随一の戦士たちだ。二人に掛かれば、一刻でこの講堂にいるウィロウ教徒を一掃できる。どうだろう、試してみようか」
「止せ、わかった。言おう」
呻くように言ったのは、ロマラムタだった。
「素直でよろしい。さあ、巫女はどこにいる?」
エクデステスが言った。手を上に向けると、黒い霧がロマラムタを立たせた。手足を拘束し、ロマラムタは一歩も動けない。
「巫女の場所か。すまんがそれは俺にもわからん」
ロマラムタの言葉に、エクデステスが顔をしかめた。
「まあ待て、この大聖堂にいるのは間違いない。家出でもしていない限りはな」
エクデステスがロマラムタに歩み寄り、拳を握った。そして憤怒の表情で、ロマラムタの腹を殴る。
「家出! 家だと!?」
エクデステスが喚き、さらにロマラムタの頬を殴りつけた。
「この穢れた建築物が、我らが巫女の家だとぬかすのか!」
ロマラムタは執拗に殴られた。
「第一、家出だと!? 言葉遣いが軽々しい! お前は巫女を自分の娘だとでも思っているのか!?」
エクデステスが息を荒げて、殴るのを止める頃、ロマラムタの顔は血塗れになっていた。
「まあいい」
エクデステスが言った。
「巫女が見付かるまで、お前をゆっくりと甚振ってやる。その間になにか言いたくなったら、遠慮しないで言っていいぞ」
ロマラムタに纏わりついた霧が蠢く。
「ふ、ぐうッ!?」
絶え間ない激痛がロマラムタの手首や足首を襲った。筋肉や血管が熱を持ち、肉体を焼いてるかのようだ。ロマラムタは歯を食い縛って耐えるのがやっとだった。
「貴様、これはやはり……」
這いつくばっていたマンダリンが言った。
「瘴気だな!」
マンダリンの言葉に、エクデステスは声を上げて笑った。始めはこらえきれないように。それはやがて哄笑に。黒い感情が堰を切って溢れてくるようだった。
「そうだ、これがギハオ神道の奥義だ。瘴気に立ち向かい、人々を瘴気から救おうとした、我らが主ギハオの御業だ! 瘴気に侵された人間を切り捨てたウィロウなんぞには出来なかろうなあ」
「愚かな……瘴気だぞ、身を滅ぼすぞ」
「俺の身よりも自分の身を心配することだな。はっきり言ってお前はもう用済みだ」
黒い霧がマンダリンに集まる。
「な、なんのつもりだ、やめろ!」
「お得意の法術でなんとかしてみたらどうだ」
「おのれ、貴様!」
マンダリンは詠唱を始めた。黒い霧が揺らぐ。しかし、マンダリンの法術も放たれない。揺らぎながらも、黒い霧はマンダリンに近付く。
「やめろ、教主様を殺すな、俺を殺せ!」
エクデステスの前に引き出された者の一人が叫んだ。エクデステスは無視した。
「業火!」
「瀑布!」
「竜巻!」
辺りの者が一斉に法術を唱えるが、一切の効果がない。
「そんな、何故だ!」
努力も虚しく、黒い霧はマンダリンに纏わりついた。
「アギァァアッ!!」
「教主様!」
マンダリンのつんざくような叫び声が、悲痛なウィロウ教徒たちの叫びを掻き消す。黒い霧はマンダリンの姿を隠す程に纏わりついた。そして悲鳴が嗄れ、次第に聞こえなくなると、黒い霧はゆっくりと消え失せた。
そこに現れたのは、ミイラと化したマンダリンだった。それを目撃したウィロウ教徒たちの悲鳴が上がる。水は逆巻き、木は捻じくれんばかりの阿鼻叫喚だった。
「やかましいな、黙らせてくれ」
エクデステスが配下に言い付けた。配下は人質たちを、虱潰しに殴ってまわった。