4.失われたチーズバーガー
去年の夏休みのことだった。
その駅前にはちょっとした繁華街があり、賑わいを見せていた。お洒落な美容室が入った建物の隣が下町風のお好み焼き屋だったり、古民家とその中庭を利用した本格的なカフェがあったりする。新旧の混在感が、何とも言えない良い味を出していた。友子はその雰囲気が好きで、休日にはちょくちょく足を延ばしていた。
しかし、わざわざ電車に揺られてやって来る最大の理由は、そこで見付けたバーガーショップにある。その店のスペシャルチーズバーガーが絶品だった。
普通チーズバーガーといえば、チェーン店では安っぽいのが常。だが、そこのは他と比べ物にならないほど、チーズが美味しかった。ブレンドしてあるのだろうが、そのさじ加減がこれまた絶妙だった。
「アメリカ生まれだから、チーズにうるさいのだ」と宣言している友子。友達に「それって、ちょっと違うよね?」と言われるが、チーズは欧州だけのものではない。イメージではいささか負けているかもしれないが、実際、米国においてのチーズ生産量と消費量は国別で見てもトップクラスだ。ピザばかり食べているのは伊達ではない。ともかく、幼い頃からチーズが好きなのは事実だから、それでいいのだ。
いつものようにセレクトショップや本屋を覗いて繁華街を一巡すると、時計は正午を回っていた。その日も当然の如く、友子の足はバーガーショップへ向いた。目的のスペシャルチーズバーガーは結構ヘビーだから、ダイエットという言葉が頭の隅にチラつく。だけど、健全な乙女の欲望を止められるはずもない。
店の雰囲気はまさにニューヨークの下町だ。スラムとは言い過ぎだが、外壁や店内の至る所に派手なグラフィティアートが描かれワルっぽさを演出している。オーナーの趣味なのだろうが、それに合わせたように客層もそんな感じの人が多い。
ドリンクメニューにはお酒もあるから、大人向けの店ということのようだ。もちろん、昼間ならば高校生が入っても問題ない。それに、見た目と違って店内は小奇麗で驚かされる。ここが美味しいことは、SNSでたまたま知った。友子は一目散で飛び込み、それからは常連となった。
カウンターに向かい、慣れた調子で注文と会計を済ませる。接客しているのはキャップを深く被った日焼け顔のお兄さん。友子を見咎めると白い歯をチラと見せた。愛想笑いで返す友子。いつのもパターンだ。
カウンター越しに見える厨房を覗いていると、スペシャルチーズバーガーとアイスコーヒーが目の前のトレーに置かれた。芳ばしい香りが漂う。バンズの間からとろけ出ているチーズに目を細める友子。ご満悦な表情で受け取ると二階席へ上がった。目指すは窓際の席だった。そこからの眺めがいい。
「なんか、揉めてたな……」「めんどうな感じ……行こ、行こ」
階段の踊り場ですれ違った若い男女。その言葉は友子の耳にも入ったが、別段気に留めなかった。階段を上りきり、2階席のフロアに差し掛かる。
その時、事件は起こった。
「うぜーんだよ!」
男の怒鳴り声。思わず立ち止まった友子に、誰かが激しくぶつかって来た。「えっ」と声を出すよりも先に、友子の手から勢いよくトレーが弾かれていた。スペシャルチーズバーガーとコーヒーのカップが、まるでスローモーションのように宙を舞う。
華奢な体躯と香水の香りで、ぶつかって来たのが女だと判った。唐突過ぎる。しかも、全体重を預けられていた。身のこなしには自信のある友子だったが、この状態で対応できるはずもない。
スペシャルを救うべく伸ばした右手は虚しく空を切った。そして、女を受け止めるかたちで尻もちを突いた友子。その目の前に悲惨な光景が広がる。
床で弾んだスペシャルは包み紙から飛び出していた。コロコロと転がるバンズ。絶品チーズとパティは無残に床に張り付いていた。コーヒーも同様だろうが、友子の視界にそれは入らなかった。
あまりの惨劇に「ぎゃーっ!」と叫ぼうとしたが、それより先に甲高い奇声が耳元で上がる。何と言ったのか聞き取れなかったが、声の主は友子を突き飛ばすようにして身を起こした。
「何なの……?」
唖然として呟く友子。派手な花柄のワンピースにピンクのハイヒール。巻いて盛った金髪に大きなピアス。友子はその立ち姿を後ろから見ただけで、その女のメイクが想像できた。つけまつ毛がばさばさしているのは間違いない、と。
ふと周りを見遣る友子。スペシャルの惨劇と謎のワンピースの女に気を取られてしまっていたが、床にへたり込んだ友子とワンピースの女を取り巻くようにして、数人の男女がこちらを見ていた。
若いように見えるが、いまいち年齢の判別が難しい連中だった。皆同じ系統のファッションで、金髪や茶髪にピアスは男女共通。男達は頸にジャラジャラとアクセサリーをぶら下げ、ルーズなパンツを履いている。サングラスを掛けている者もいた。女達はギャル系だが、ちょっとセクシーな感じで露出度も高い。集団は全部で8人。どう見ても柄が良いとは言えなかった。
「ひっ、酷いよ!」
ワンピースの女は凄い形相で叫ぶと、歯を食いしばった。その横顔を覗いた友子。想像の通りだった。素顔の原型を留めないくらいの厚いメイクだ。しかし、どちらかというとカワイイ感じで周りの女達とは少し違っていた。
「そう、酷すぎる……」
友子も同調するように呟き、改めて床の惨状に傷心する。
「えー、ナニやってんの? 人に迷惑かけちゃダメじゃん! ははは……」
集団の女の一人が、いやらしく高笑いした。
その表情は下品と言って差し支えない。くっきり引いたアイライン、浅黒く焼けた肌にぎらぎらのネイル。肩出しのボディラインを強調したニット姿で、腰近くまである茶髪を振り乱している。友子は片眉をピクリとさせた。
「ははは……かわいそー」「ひひひ……」「うけるー」
肩だしニットの女の言葉を皮切りに、周りの連中のせせら笑いが容赦なくワンピースの女に浴びせられる。友子は様子を窺いながらショートパンツのお尻を叩き、ゆっくりと立ち上がった。
どうやら、一悶着あったところに居合わせてしまったようだ。決して味方とは思えない連中に囲まれ、一人孤立しているワンピースの女。小刻みに震えるその後ろ姿は、今にも泣き出しそうに思えた。
だが、友子の意に反してワンピースの女は拳を振り上げた。言葉にならない奇声を発して突進する。躰の震えは怯えではなく、怒りだったのだ。
その矛先はニットの女に向かった!
「私が! 私が、トオルと付き合ってるの!」
勢いは良かったのだが、その拳は届かなかった。ニットの女の手前で、横にいた男がその腕を捕まえた。暴れるワンピースの女の両手を塞ぎ、力で押さえ付ける男。その展開に、ワンピースの女の表情が怒りから悲しみに変わるのが判った。今度こそ泣き出しそうな表情で、自分を捕まえている男に訴え掛けた。
「トオル! なんで? なんで?」
友子にも大体の事情が分かった。この修羅場はこの男の取り合いだったのか……。
トオルと呼ばれる男を凝視する友子。カッコいいといえば、そうなのかもしれないが、あまりにもチャラ過ぎる風体だった。顔に掛かるロン毛なんてホストそのもの。もし仮に、彼氏だと言って家に連れていこうものなら、あの父親は「性根を叩き直す」とかなんとか言って……酷いことになるだろう、と友子は想像してみた。
とはいえ、この場の何ともいえないむずがゆい空気。安っぽいドラマを見させられているようで、友子は拒絶感から込み上げる嗚咽を抑えるのに必至だった。
ワンピースの女の両腕を取ったまま、さげすんだ目で見詰めるトオルと呼ばれる男。そして鼻で笑う。
「はぁ? お前とは付き合った覚えねーけど!」
「嘘よ! だって、好きだって言ったじゃん!」
ワンピースの女は躰を揺さぶる。
「おめー。いつまでも、しつけーよ!」
すると、ニットの女が顎を突き出すようにして、ワンピースの女の耳元で囁いた。
「トオルが言わないから、私が教えてあげる。あんたはただの暇つぶし、ってこと」
そう言って、男に艶っぽい眼差しを送るニットの女。
「ねぇ、トオルぅ」
男は鼻の下を伸ばし、無粋な笑みを浮かべた。
「あ、あぁ。だけど、お前容赦ねーなぁ」
「そう? この子がバカだから、教えてあげただけじゃん」
高笑いするニットの女。
「けけっ、そうか!」
そのやり取りにげんなりする友子。両腕を押さえつけられたワンピースの女は、抵抗を止めていた。男はうな垂れているその顔を覗き込んだ。
「やっと、おとなしくなったな。さっさと帰り――」
突然、男が顔を歪めて悲鳴を上げた。
その元凶を足元に見た友子。その痛々しい光景に口を尖らせ眉をひそめた。ワンピースの女のヒールが男の足の甲に突き刺さっていた。その狙いは的確だった。
男は激痛にたじろいで両手を離した。ワンピースの女の行動に呆気に取られたニットの女。周りの連中もこの出来事にあんぐりとなった。片足で跳ねながらもがく男。そして、その顔は痛みと怒りで真っ赤になっていた。
「テメー! なめんな!」
取り乱した男は怒りの赴くままの行動に出た。ためらう事無く、ワンピースの女の頬を平手打ちしたのだ。
それは、相手が女だとは思えないほどの力の入れようだった。弾けた音と共に飛ばされたワンピースの女。再び友子の足元の床に倒れ込んだ。
ニットの女が男の足をさする。
「トオル! だ、大丈夫!? 何すんのよ! このクソ女!」
ニットの女は罵声を浴びせたが、周りの連中はこの展開が大いに受けたようで大笑いしている。
「きゃー、トオル。気の毒ぅー」「ひひひっ……」「はははっ……」
床にへたり込み、両手で顔を覆ったワンピースの女。号泣していた。激しい殴打ではあったが、彼女が気を失しなったりしていないことに友子は安堵した。周りの連中は、ひたすらあざけ笑っている。
友子はこんなくだらない揉め事にかかわるつもりはないが、男が女を殴るのは、やはり気に入らない。しかも、今に至るまで、自分とそこに転がったスペシャルは完全に無視されている。
修羅場が一段落したところで、友子はやっと出番が来たかとため息を吐いた。
「あの! 私のチーズバーガー。どうしてくれるんですか?」
「へっ?」
唐突な外野からの横槍に、不意を突かれたトオルと呼ばれる男。自分の足をさすりながら、素っ頓狂な声を出した。やっと友子が視野に入ったようだ。
「あんっ、何だって? ……そこの女子」
まだ痛いのか、男は歪ませた顔で面倒くさそうに答えた。
「だから、私のスペシャルチーズバーガーをどうしてくれるのかって、聞いているんです!」
友子は凛と背筋を伸ばし、ゆっくりっとした口調で言った。顔はもちろん、憮然としている。
「……スペシャル?」
取り囲んでいた男女は、床に飛散したハンバーガーに目を落とす。床に座り込んだワンピースの女も、この時やっと友子の存在に気付いたようだ。振り向いて顔に当てた指の隙間から覗いている。
痛みが落ち着いたのか男は両足でしっかり立つと、まじまじと友子の顔を見遣った。すぐに、口元を緩める。
「て、ゆーか。君かわいいじゃん」
「ち、ちょと。トオル!」
ニットの女が慌てて釘を刺し、男の腕を取って揺った。
「……バカ、ただの挨拶だよ」
男はニットの女の腰に手を回して自分に引き寄せた。だが、ニットの女は気に入らない様子で、敵意丸出しの視線を友子に向ける。
「あんた、何なのよ!」
「何なのよ……じゃないです!」
きっぱり言い返す友子。
「……」「……」「……」
対峙する態度があまりに堂々としているので、周りの連中は様子見を決め込んだ。異質なこの状況を面白がって沈黙したのだ。皆同じ予想をしていた。この少女の容姿と態度のギャップは最高だが、世間知らずで大見得切ってしまった事を後悔するだろうと。
「何、弁償しろってこと? はっ、マジ?」
失笑するニットの女。しかし、その問い掛けを無視して横のトオルと呼ばれる男を見据え続ける友子。すると、男は根負けしたように、鼻から息を吐いた。意外にも、その表情に怒りは無かった。
「おもしれー女だな……よし」
そう言うと、おもむろにスエットパンツのポケットをまさぐった。取り出したのは、クシャクシャになった千円札だった。それを友子の足元に無造作に放る。
「ほら……やるよ」
ヒラヒラと舞う千円札。床に落ちるのを見届けた友子。
再び顔を上げると、先ほどとは表情が違っていた。周りの連中は誰一人として気が付かなかったが、その口元は薄っすらと笑いを浮かべている。眼光が不気味なほどに鋭くなっていた。
友子の躰が湧き上がる何かによって小刻みに震えた。それを抑制するように、大きく息を吸って鼻から抜く。疑心暗鬼だった。中学の時おおいに反省して、それからは起こっていないのに……けれど、これは間違いなかった。そして、もう抑えられないことを知っている。感情が高まれば高まるほど頭が冷静になる。あとは、心の導くままに躰を委ねるだけ。自分の中で何かがそうしなさいと伝えてくる。
今日の服装はロンTにスニーカーだ。都合良くも、躰の動きを邪魔するものは何もない。
「その前に、何か言うことあるでしょ?」
友子はショルダーバックを肩から床に落としながら言った。だが、相手の耳にそれは届いていなかった。放った千円札をネタに男がニヤついて言う。
「悪いのは、そこのバカ女だけどさぁ。それでスペシャルっての? 買えるんじゃね。はは、俺ってやさしー! だよね?」
「きゃは! トオルかっこいー」
甘い声を出して、じゃれつくように男の腕に絡むニットの女。
「……だから?」
友子がそう吐き捨てたのと同時だった。床で蹲っていたワンピースの女が、再び飛び出した!
向かった先はやはりニットの女だ。けれど、気力も限界なのだろう。勢いはなく簡単にトオルと呼ばれる男に弾かれる。それでも向かって行こうとするワンピースの女。それは、まさしく女の意地だった。
何度かの押し問答の末、堪りかねた男が再び怒り出す。
「ホント、うぜーんだよ!」
額に青筋を立てた男はワンピースの女を突き放すと、その顔に向かって勢いよく拳を振り抜いた! もう、ただの暴力だった。弾ける音が店内に響く。
ところが、拳を繰り出した男は目の前の光景に驚愕する。2メートル、いや3メートル先にいたはずの、威勢のいい少女の顔がそこにあった。左手でワンピースの女を引き離し、右手で男の拳を受けめている。
「なっ!?」
ありえない状況に動きが止まった男。だが、それを理解する猶予は与えられなかった。友子は口角を上げた不適な笑みのまま、すっと男の脇に入り込んだ。何が起こったのか、横にいたニットの女でも分からなかった。
次の瞬間、男は横のテーブルの上に投げ飛ばされていた。背中を激しく打ち付け短い呻き声が上がった。テーブルから落ちたナプキンスタンドが床で跳ねる。騒々しい物音を皮切りに店内が騒然となる。
呆気に取られ立ち尽くす周りの連中。いち早く反応したのはニットの女だった。
「この女っ、トオルに何するのよ!」
絶叫しながら友子に掴みかかろうとするが、それをかわした友子はためらう事無く平手を女の頬に入れた。ハリセンで打ったような切れの良い音だった。手加減したはずだったが、脳を揺さぶれたニットの女は一瞬にして失神した。
それを見た男達が、血相を変えて一斉に友子に飛び掛る。二階席は蜂の巣を突いたような騒ぎとなった。しかし、それもほんの僅かな間だけだった。まるで獲物を狩る獣のように、友子の動きは速かった。
拳を振り回した厳つい男はそれをかわされ、ローキックで足を撥ねられ転倒。起き上がろうとすると顔面に友子の膝が入った。鈍い音と共に鼻血が噴き出す。次に掴み掛かったひょろい男は腕の関節を取られ、容赦なく放り投げられ壁に激突。最後の奴は大柄な躰で無謀な突進を仕掛たが、タイミングを見計らったような鋭い肘の打撃を顎に入れられ卒倒した。
あっという間に一蹴される男達。図体の大きさも腕力も、友子の前では関係ないように思えた。相手の攻撃を流れるようにかわして急所に一撃。マーシャルアーツやクラヴマガ。それに、システマといった軍隊などで使われる近接格闘術に似ていた。
ともかく、そこにいるのは普通の少女ではなかった。一歩間違えば、致命傷になりかねない容赦のない攻撃。残忍さすら垣間見えるほどだった。
連れの女達は失神して床で泡を吹くニットの女を見て硬直し、一歩も動こうとはしなかった。皆顔が青ざめていた。
一人の少女がバタバタと男達をなぎ倒す。ワンピースの女は、その異常な光景を前に、ただ呆然と立ち尽くている。ただ、その顔は涙と鼻水でメイクがぐちゃぐちゃになっていた。
店内に静寂が戻る。立ち竦んでいた女達は、とっくに逃げ出していなくなっていた。友子は辺りを見回しながら、掃除でも終えたかのように平然と服の埃を掃っている。友子から一瞥されるワンピースの女。目が合うと後ろへ身じろぎした。
その時、友子の背後で男が起き上がる。トオルと呼ばれる男だった。朦朧としているのか、頭を振りながら友子を睨み付けている。
「痛ってーな! ナメたまねしやがって! ぶっ殺す!」
テーブルから飛び降りた男は猛然と友子に掴み掛かる。
「うざいよ。ト・オ・ル!」
言い放った友子。振り向きざまに、突進してきた相手の胸元にフロントキックをかました。スピードは無いが的確に体重を乗せたので威力は十分だった。
案の定、嗚咽を発しフロアの端までぶっ飛ぶ男。ト・オ・ルはそのまま悶絶した。
一掃したところで、我に返ったように表情が戻った友子。数秒してから急に焦りだす。非常にまずかった。今の状況のことでは無い。このことが父親に知れたらえらいことになるからだ。再び自分の進路に介入されることを恐れずにはいられない。
そう、取り敢えずこの場はあれしかない。友子は決断した。床に落としたショルダーバックを拾い上げると、立ち尽くすワンピースの女の手を掴んだ。
「逃げるよ!」
友子はまごつくワンピースの女と階段を駆け下り、店から飛び出した。
上がった息を整える二人。近くの公園のトイレに駆け込んでいた。
友子は手洗い場の鏡越しにワンピースの女の表情を窺った。ギャルメイクがグチャグチャになっていた。目の周りが真っ黒だ。ハンカチを取り出し渡す友子。
「……ありがとう」
受け取ると小さい声で答えた。暫く経つとワンピースの女は落ち着きを取り戻した。バツが悪そうに俯き加減で友子を見る。
「なんだか、巻き込んじゃって……ごめんなさい」
「……気にしないで、そういうのじゃないから」
少し照れくさそうにはにかんだ友子。「そういうのじゃないからって、じゃ、どういうのだろ?」と、自分で思った。なんだか複雑な心境だったが、トオルとその仲間をぶっ飛ばしたことを怒っていないようなので安心した。
ぎこちなく微笑んで見せるワンピースの女。
「でも、このことはガッコーに内緒にしないとね」
「……そうね?」
彼女も学生なんだと分かった。メイクのせいで普通に大人だと思っていたが、そんなに歳は離れていないようだ。大学生かな、と友子は思った。
「それより、余計なことしちゃった?」
やはり、そこが気になっていた友子。
「大丈夫よ。好きになっちゃった相手だけど、出会い系のサイトで知り合っただけの人だから。もう吹っ切れたって感じ」
「……そう、ならいいけど。でも、後で仕返しされたりとかしない?」
「大丈夫よ」
「それに、警察沙汰とかになってたら、ゴメン」
両手を合わせ、片目をつむる友子。
「それも大丈夫。私のお爺さんに頼んだら、これくらいのことは揉み消せるし」
「そ、そうなの……」
いろんな意味でやばい娘なのかもしれない……。それ以上、想像を膨らますことのないように、当たり障りのない会話に徹した。
大きな瞳が特徴の彼女。話を聞く限りでは、どうも惚れやすいタイプらしい。自分とは正反対だな、と友子は思った。
暫くしてからタクシーを呼び、彼女を乗せて見送った友子。最後まで「ありがとう」を繰り返していた。最初の印象とは違い、とても感じのいい子だった。お礼を言われたことは嬉しかったが、いい気分なのは久々に発散したからなのかもしれない。
友子の知る限り、警察沙汰にはならなかったようだが、当然、あの店には行けなくなった。スペシャルも食べられなくなった。後悔はしていないが、友子にとっての代償は大きかった。
その後、夏休みはあっという間に終わった。
二学期の始まりの朝。友子は通学のバスで声を掛けられた。入学時から毎朝同じバスに乗っている同じ高校の子からだった。
同級生だがクラスが違うので、通学以外で顔を合わせることは少なかった。いつもメイクして髪も染めているけど、決して下品ではなく可愛いくまとまっている。愛くるしい雰囲気もあり、共学だったら男子が放って置かないタイプだろう。まあ、そうでなくてもモテるんだろうな、と友子は思っていた。
少なからず憧れを感じていた友子だったが、話すきっかけもなく今に至っていた。
「――これ、ありがとうございました」
差し出された物を見て当惑した。それは見覚えのあるハンカチだった。状況がまるで飲み込めず、暫く思考停止状態となった友子。
相手の大きな瞳をまじまじと見てから、ごくりと喉を鳴らした。
外見からすると別人だが、間違いなかった。その声にも聞き覚えがあった。驚きを隠さず、目をしばたたかせる友子。まさに、青天の霹靂とはこういうことを言うのだろう。
目の前に立つイケてる女子高生。それは紛れもなく、あの時のギャル。ワンピースの女だった。
「……」
絶句したままの友子。頬がぴくぴくと引き攣った。それを見て、くすっと可愛く笑って見せる彼女。「マジですか……」友子は心の中で呟いた。
派手な金髪は落ち着いた栗色に変っていた。その変容ぶりは大したものだった。女なのに女の怖さを感じた友子。ただ、どっちがこの子の本当の姿なのだろうか、という疑問は自然と頭に浮かんだ。
「ほんと。あなたって、強いのね。びっくりしちゃった。まさか、同じ学校の子に助けられちゃうなんてね」
彼女は最初から、この奇妙な偶然の出会いに気付いていたのだ。あの時、彼女が言った「ガッコー」その言葉の意味がようやく解った。確かに、やたらに親しく話し掛けられていたような気がする。友子は綺麗にアイロン掛けされたハンカチを凝視する。途端に不安が押し寄せた。
感謝はしてくれているようだが、あの大立ち回りにはドン引きしただろう。もし学校で誰かに話されでもしたら、その日から私はドラマでよくあるヤクザの組長の娘だの、映画でたとえたらターミネーターだの言われてしまう。
ともかく、中学時代のような悪夢の再来だけは避けなければならない。本人の意思ではないにしろ、一応高校デビューは成功しているのだから。
「私、里見香奈っていうの……あなたは?」
その言葉で我に帰る。
「えっ、私? ……私は友子……篠崎友子」
彼女は無邪気に微笑むと、友子の手をぎゅっと握り締めた。
「これからもよろくね」
「え、ええっ! ……よろしく? ……何が?」
それが、本来の意味で里見香奈との出会いだった。
香奈は友子の心配をよそに、あの時のことを他人に話したりはしなかった。もちろん、友子も同じだ。あの時のことは二人だけの秘密。ただ、香奈のお爺さんが何者かのかは気になるところではあるが、未だに詳しく聞いたことは無かった。二人の間には関係ないことだから。