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ポルタトーリ  作者: Vapor cone
46/46

45.エヴァとリサの戦争③

 甲高い波動音をなびかせて、低空で進入する灰色の航空機。

 ノーズに描かれたシャークマスク。地上攻撃機A-10サンダーボルトⅡは“イボイノシシ”と称されるが、機動飛行は名前に似合わず華麗である。低高度低速度域で性能を発揮する独特な機体が軽やかに翻る。フル爆装した腹を見せ急旋回で谷を通過した。

 コンタクトポイントを見下ろしたパイロット。緊急支援要請を受けての出動だったが、地上に動くものは発見できなかった。ブリーフィングで通知されたコールサインに反応もない。近接航空支援(CAS)は地上部隊との綿密な相互連絡が取れなければ、その効果を発揮できない。不確定な支援は即誤爆となってしまうからだ。

 基地へ報告するパイトロット。

《(――こちら、チャーリー05。敵脅威なし――アルファチームのシグナルマーカーも確認できず――道路に炎上している車両が数台あるのみ――どうぞ)》

 黒煙を吐き燻り続けている車両群はあれど、道路の周囲にも山肌にもまったく人の動きは確認できなかった。

 続く爆音。岩山の尾根から現れた、同じくA-10。通過したのとは別の機体。主翼の先端から雲を引き、GE社製のターボファンエンジンを唸らせながら急上昇した。高度を取ったのは探索範囲を広げる為。

 複数機で飛来したが目標を発見できず、手をこまねいている様子が伺えた。

 後続のヘリ部隊が間もなく到着し、地上に支援部隊が展開する。だが、今は衛星でもFAST部隊をロストしている状況。サポート本部にも焦りが出始めていた。



 銃声はもう聞こえてこなかった。

 タリバンによる一斉攻撃。雨のように降り注いだRPGロケット。それを掻い潜ったジェイコブスは丘を越え小さな谷に行き着いていた。既に周りに同僚の姿はない。CIAの女組も。

 部隊の混乱を収拾できないままの退却。それどころか、そんな命令すら出せず散り散りになっただけだった。部下数名とは途中まで一緒だったが、応戦中に足を滑らせ一人山肌を転げ落ちてしまったのだ。幸い砂地だった為、擦り傷程度で済んだが、部下とはそれっきり逸れたままとなっていた。

 背丈ほどの岩に隠れ、一人上がった息を整える。砂埃で白くなった顎鬚。一息した途端、乾いた喉が咽返った。慌てて、肩にあるハイドレーションのチューブをくわえる。バックパックから伝わった水は生温かったが、冷静さを取り戻す切っ掛けとしては十分だった。

 深呼吸して状況を整理する。あの戦闘の中から、よくここまで辿り着けたものだと思った。そして、仲間の安否が気掛かりだった。

 岩を背に座り込んだジェイコブス。プレートキャリア前面に装着していたトランシーバーに視線を落とすも、ため息が漏れた。これでは使い物にならない。無線機の下半分が見事に粉砕していた。

 防弾プレートに食らった感覚は残っていない。きっと、弾が掠めたのだろう。通信手段は失ってしまったが、ラッキーだったと自分に言い聞かせる。

 ――微かな踏み音。

 安堵したのもつかの間だった。気配を感じたジェイコブスは慌ててM4カービン自動小銃を構える。躰に染みついた動作。引き金に指が掛かる。

 岩陰から少し顔を出して様子を窺う。人影が見えた。心拍数が上がる。しかし、ゆっくりと現れたそれを完全に視認すると、指の緊張は解かれた。

「(……あんたか)」

 視線の先に現れたのはリサ・パーカーだった。

 AK47を抱えているが、特別警戒している様子はない。ジェイコブスの存在を分かっていたのか、驚いてもいない。黙ったままニット帽の下から鋭い眼差を彼に向けている。

 困惑しながらも再び声を掛けようとしたジェイコブスだが、彼女の右手に眼が留まる。銃のグリップを握った手。その小指に伝う液体。赤黒い血がぽたりと落ちていた。よく見ればコンバットシャツの上腕部が裂け、どす黒く染まっている。

 瞠目するジェイコブス。

「(撃たれたのか! 大丈夫か?)」

「(……)」

「(すぐ、手当を! 見せて見ろ)」

「(……)」

 リサは冷淡な表情を崩さない。もどかしく感じたジェイコブスは腰を上げた。しかし、彼女は手をかざし、それを制する。

「(――問題ない。止血はしてある。もうすぐ止まる)」

 痛みを感じていないかのような薄い反応。眼をしばたたかせるジェイコブス。

「(そうか。なら、いいのだが……)」

 それ以上の言葉を飲み込んだ。何と言っても、この女が普通ではないことを良く知っている。苦笑するしかない。それに、今は優先すべきことが他にもある。

 彼は再び表情を強張らせ、重々しく言葉を発した。

「(他の……隊員達は?)」

 そこには既に諦めの声色が含まれていた。

「(分からない)」

 頸を横に振ったリサ。

「(そうか……)」

 眉根を寄せたジェイコブスは首を垂れる。そして、当然のように訊いた。

「(相棒はどうした?)」

「(……)」

 間を置いて、顔を上げたジェイコブス。リサの顔を窺う。彼女にしては珍しく曇った表情。やはり言葉は無い。その反応で理解した。肩を落としてみせる。

「(そうか……残念だ)」

「(ええ)」

 短く答えたリサ。それくらいは察することができたジェイコブスだが、表情から感情までは読み取れることができなかった。ふと、彼女の装備に眼が留まる。

「(無線は? トランシーバーは生きているか?)」

「(ええ。でも、味方の交信はずっと無い)」

 必要最小限の返答。

「(そうか……)」

 それを聞き、ジェイコブスは肩を落とす。自分の部下はどれだけ存命できているのだろうか。状況は非常に悪いというしかない。あの戦闘を思い返せば、そう考えざるを得ない。CIA女組の片方がやられるくらいなのだから。

 溢れる悔しさともどかしさを、押込めるように吐息を吐いたジェイコブス。

「(くそっ……)」

 しかし、昂ぶる感情は抑えきれなかった。腕が勝手に動く。拳が横にあった岩を捉え鈍い音を立てた。

 その気持ちを知ってか知らずか、一歩踏み出したリサ。口から出た提言は、またも淡々としたものだった。

「(もう少し、後退する必要がある。敵の気配がまだある)」

 リサを一瞥したジェイコブス。もの言いたげな表情だが、彼女の判断が的確なのは承知だ。促されて立ち上がる。

「(……ああ、そうだな)」



 二人は周囲を警戒しながら谷を下った。小石がゴロゴロしている地面を踏みしめる。雨のときだけ水が流れるであろう小川の跡。今はただの乾燥した地面。それを辿る。

 リサの提案でもう少し離れた場所で連絡を取る算段とした。今のところ敵の追手はない。既に追撃を辞めたか、こちらを見失っているに違いない。迂闊な連絡は通信を傍受され、救出部隊とのコンタクトに支障が出る可能性もある。

 それでも途中、追手の有無を見極める為に何度か立ち止まって確認行為を繰り返した。予定したポイントまで、あと少しという所でも足を止めた二人。岩陰に身を隠し後方を監視する。

 変化は感じ取れなかった。張り詰めた緊張から幾らか解放されたジェイコブス。変わらず冷淡なリサを横目にしていたら、思っていたことを口にしていた。

「(……仲間を失っても冷静だな)」

 軽く視線を返したリサだが、その表情に大した変化は無い。ただ、珍しく言葉は返ってきた。

「(問題ない。彼女も私も組織を構成するモノの一つ。結果が、こうなっただけ。代わりはいる)」

 余りにも事もなげな顔で語られた言葉。

 生唾を飲み込んだジェイコブス。そこには彼に対する憤りなど微塵も含まれていなかった。任務に忠実な工作員として、そこに存在しているだけ。そう思えた。呆れるではなく、愕然とした。この女との感覚の違いを改めて再認識させられた気がした。

 だが、「結果が、こうなっただけ」とはまさにその通りだと思った。この状況に至ってしまった後悔を拭うとするならば、その言葉が適当だった。だが、それとは裏腹に抑えきれないものが口から吐き出る。

「(くそっ。何で、こんなことに……)」

 緩やかにジェイコブスを一瞥するリサ。不敵な笑みというものでもないが、唇をピクリとさせた。

「(……これは必然の結果)」

 ジェイコブスは瞠目してリサの顔を見遣る。リサが他人に対して会話を続けること自体が希だった。驚きながらも、意味を理解できず困惑する。

「(何のことだ?)」

 リサは再び背を向け、周囲を警戒する動作をとる。ジェイコブスの感情に反応することもなく、その背中は平然としていた。リサは会話が噛み合わないまま続ける。

「(私達が、このオペレーションに参加した本当の理由)」

「(……それが、どうした? 何を言っている?)」

 ジェイコブスは目を細める。もちろん、その理由は知らないし、彼女の意図も読み取れない。今回のオペレーションが何だというのだ。確かにDEAとCIAという特異な編制ではあったが、麻薬撲滅以外の目的など、一部隊の隊長が知る由もない。

 ならばと、ジェイコブス。含みを持たせるリサに怪訝な顔付きで訊き返す。

「(何が言いたい? ……それなら、教えてくれよ。あんた達の目的とやらを)」

 横目で視線を合わせたリサ。ジェイコブスは相手の顔をじっと見る。シャープな顎のライン。整った顔立ち。そのグリーンの瞳の奥が淀んでいた。吸い込まれそうなほど深いのに、やはりこの女からは心が感じられない。

 一拍置いてリサが言う。

「(既に目的を果たすことは困難と判断している。私達にとって、このバルカンルートでの麻薬摘発は二の次。本当の目的はFAST部隊にいる内通者の身柄確保)」

「(……)」

 一瞬、声を失ったジェイコブス。単刀直入。いきなりの核心。そこに前置きなど無かった。

「(な、何を言っているんだ。内通者だと!?)」

「(ええ)」

 ジェイコブスは顔を引き攣らせた。

「(おい! しかも、果たすことは困難って……まさか、俺の部下にその内通者がいたというのか?)」

「(そう)」

 血相を変えるジェイコブス。失ったかもしれない大切な仲間を裏切り者扱いされては黙っていられない。

「(ちょっと待て! 何か証拠があるのか?)」

「(ある)」

 きっぱりと言い切ったリサ。ジェイコブスは険しい口調で食いさがる。

「(おい! どんな理由があろうとも、タリバンや麻薬マフィアに寝返って仲間を危険に曝す奴など俺の部下にはいない!)」

 ジェイコブスの勢いに動ずることのないリサ。平然と答える。

「(タリバンやここの麻薬マフィアではない)」

「(なっ!? ……どいう意味だ? ……()()()って)」

 更に困惑するジェイコブス。身を引いてリサの顔を窺う。

「(構図は少し複雑。内通者の相手は、このバルカンルートに絡む連中とは違う。タリバンやアフガニスタンの麻薬マフィアではない。それに敵対する勢力であり組織)」

 言葉少ないリサ。それでも、ジェイコブスは理解した。唖然とした表情。

「(お前は何を……)」

「(だが、身柄確保は無理でも、内通者の特定はもうすぐできる。一連の作戦中、隊員の個人携帯を傍受していた。相手が不明確な通信をいくつか記録している。本部での解析が今日明日で終わるはず)」

 驚きつつも、苦い表情のジェイコブス。疑問をぶつけた。

「(それで、誰が内通者か分かるというのか?)」

「(そう)」

「(……なぜ、俺に教える?)」

「(これが必然だという根拠。内通者がもたらした結果)」

 その真意を読み切れないジェイコブスだが、何が言いたいのかは把握できた。返す言葉は無かった。その額に汗が流れる。

「(……)」

 リサはそこまで言うと、何事もなかったように踵を返し岩陰を後にする。そして、再び歩き出す。

 その場に立ち竦むジェイコブス。リサの背中を見る目が泳いでいた。少し傾き始めた日差しが眩しい。更に、どっと溢れ出した汗が目に染みた。

 心の中で葛藤が沸き起こる。

 アフガニスタンまでやって来たのに。結局、自分の部隊はこの有様。こんなはずではなかった。FASTの為に全てを注いてきたはず。大切な部下を失くしたことが必然だと? それが内通者のせいだと? そんな筈はない。自分のやり方は間違っていなかった。自分は部隊の為なら何でもしてきたというのに……奥歯を噛みしめた。

 ――この女は何も分かっていない。

 刹那。右手が腰のホルスターに伸びていた。納まるSIGP226自動拳銃。先端には小型の減音器(サプレッサー)。そのグリップを握る。親指がカイデックスホルスターのロック解除レバーを押し下げていた。

 抜き取ったP226の銃口がリサの背中へと向けられる。

「――!!」

 喉が鳴る。動けなかった。呼吸が止まっている。

 殺意が恐怖へと変わった瞬間。それは、今まで経験したことのないもの。まるで幽霊にそっと抱かれたかような感覚。背筋に冷たいものが走っていた。

「(……やめておいた方がいいわ。あの子は後ろにも目があるの。多分、酷い目にあうわよ)」

 耳元で囁かれた声。聞き覚えがあった。そして、鋭いものが喉に食い込んでいた。それは、あと少し力を加えたら間違いなく動脈を一刀する。

「(仮に上手くやれたとして、どうするつもり? 行方不明を装ってどこかへ逃げる? でも、国にいる家族はどうするの?)」

 吐息と共にうな垂れ、肩を落とすジェイコブス。

 P226を持った腕がゆっくりと下がる。汗によって放出された熱が冷めていくのが分かった。ようやく理解した。あの人形みたいな女に騙されていたというわけだ。CIAのターゲットは自分だった。

「(そう……必然だという話ね。もう少し歩いてから続きをしましょう)」

 エヴァはナイフを握りしめたまま、その行動とは似つかわしくない優しい声色で言った。

 気が付けばリサが目の前に戻って来ていた。何食わぬ顔でジェイコブスからM4カービンとP226を取り上げ、腰に付けたシースからナイフを抜き取った。

 しかし、その顔はしたり顔ではなかった。まして、蔑むものでもない。ともすれば悲し気ともとれた。やはり、この女の心は読めないとジェイコブスは思った。



 予定していたポイントに到着した三人。

 サポート本部とも連絡がついた。戦闘があった現地にはヘリ部隊が展開し、タリバンの残党は退散したという。結果として多大な犠牲を払うことになったDEAだが、良いニュースもあった。FAST部隊の数名は、怪我をしているものの生存が認められていた。

 草むらに座らされているジェイコブス。両腕を後ろ手に取られ、ナイロン製のハンドカフで締め上げられていた。だが、仲間の存命を聞いたからか、それとも諦めからなのか、落ち着いた表情をしていた。

 隣にはエヴァの姿があった。周囲を見渡すようにしながら、誰に語る訳でもなく話し始めていた。

「(一時期のコロンビア麻薬カルテルのように、大ボスが組織を取り仕切って一大帝国を築く時代は終わっている。麻薬王パブロ・エスコバルが造ったビジネスモデルは踏襲されつつも、今の組織はもっと巧妙。ある意味、企業化している)」

 目配せをするエヴァ。横にいたリサが頷く。踵を返し、小走りでその場を後にする。間もなく迎えのヘリが到着する。離れた場所で周囲を警戒する為の行動だった。

「(メキシコのカルテルも同様ね。まるで普通の会社のように努力を怠らず商売に励んでいるわ。目指すものは価格の安定。もちろん高値のね。それと、市場の拡大……凄いわね)」エヴァはジェイコブスを見下ろしながら苦笑する。「(彼らにとってアメリカは既にやりたい放題の市場。従って次に目論むのは欧州。そうなると、最大のライバルはこのバルカンルートを使う連中ってこと。メキシコのカルテルが、南米から西アフリカを経由して運ぶブツに比べたら段違いにコストは安い。まさに強敵。末端の販売網争いをするのもいいけど、それでは効率が悪い)」渋い顔で首を横に振ってみせる。「(手っ取り早く大元のルートを絶つことができたら最高なのだけど、資金豊富な麻薬カルテルであっても、8800マイル離れた、ほぼ地球の裏側のような相手に何か仕掛けることもできない……そこで彼らは知恵を絞った。そんな所で働いてくれる人間を探したのね)」

 エヴァは腰を折って視線をジェイコブスに合わせた。彼の表情を窺いながら、不敵に口角を上げた。場に似合わない妖艶な表情。

「(あえて説明するのは嫌味よ。あなたの尻尾を掴むのには苦労したから)」

 ジェイコブスは片眉を上げ、苦笑しながら鼻で笑う。何も言うことはないらしい。それを見て、エヴァは一人納得するように軽く頷く。

「(そうなった経緯は後でゆっくり聞くとして……そう。理にかなっているわね。ライバルの密輸ルートを潰したいカルテル。有力な情報源を得て、チームの成果を上げたいあなた。それは部下の為でもある。麻薬撲滅という大義名分も果たせる。真っ向勝負じゃ勝てない相手に対しては、それ相応のやり方があるものよね)」片眉をあげ、視線を泳がす。そして頷く。「(悪くないわ。状況にあわせて使えるものは使う……私は嫌いじゃない)」

 エヴァの長広舌に言葉を挟まないジェイコブス。ずっとエヴァを見据えていた。思考を巡らせている様子。

「(蛇の道は蛇というけれど、カルテルからの情報は確かだったようね。FAST部隊の成果がそれに現れている。きっと、あなたの他にもスパイがいるのね。隊内にもまだ仲間がいるのかしら……)」

「(――他の仲間は関係ない! 全て俺一人でやったものだ)」

 眉間皺を寄せ、唐突に声を荒げたジェイコブス。

「(あなた一人ってこと?)」一瞥するエヴァ。彼の顔は真剣だった。取り敢えず、そこに嘘はないと判断した。「(そう、いいわ。でも、やり過ぎたわね……まあ、私達もそれを助長してしまったことになるのだけど……)」苦い顔で小首を傾げる。「(でも、蛇の道は蛇ってことは、その逆も起こりうる。所詮、ドラッグビジネス。大金を積まれて、あなたを売る奴だって出てくる。それは、あなたが一番良く知っていたはず)」

「(……)」

 苦虫を噛んだ表情で目を閉じたジェイコブス。

 いつの間にか自分を見失っていたことに気付く。今回のタリバンの攻勢が、その結果だということだ。これが必然という意味。しかし、隊員の犠牲が代償だとは考えたくなかった。憤りを湛えた眼光でエヴァを睨み付ける。

「(それでも、麻薬撲滅の目的は幾らか果たした。ベストの手段とは言えないが、これが間違っているとも言えないだろう?)」

「(そうね)」エヴァは吐息を吐く。「(でも、それでは合衆国の利益に反するの)」

 一瞬、言葉に詰まるジェイコブス。

「(……何を言っている? FASTの活動で麻薬に苦しむ人間は確実に減った筈だ。それが、一時的な効果かも知れないことは分かっている。だが、それが俺の仕事だ)」

 神妙な面持ちで、微かに頷いたエヴァ。

「(そうね……あなたは役目をしっかり果たしている。でも、それがバランスを崩すほどのものであっては不味いの)」

「(……バランス?)」

 困惑するジェイコブス。少しためらった様子のエヴァだが続ける。

「(私達が懸念しているのは……そう、バランス。つまり、このバルカンルートの衰退によって西アフリカを経由する麻薬が増えることなの……)」

 不意にエヴァの視線が空を切る。半眼で遠くを窺う。微かにローター音が聞こえていた。

「(……西アフリカルートは地域柄、イスラム過激派が麻薬密売に絡むことが多い。そして、それは奴らの資金源となっている。合衆国は中東と同様にアフリカでのイスラム勢力拡大を望んでいない。だから、このバルカンルートからも適度に麻薬を流す必要があるの。手段を選ばない、あなたのような優秀な人間は邪魔となる)」

 強烈な話だった。ジェイコブスは愕然とする。自分を排除する理由がそれだというのか。正直意味が分からなかった。いや、意味が分かっても理解したくなかった。

 鼻で笑うジェイコブス。こいつらとは相容れないものがあることを改めて知った。国家の利益しか頭にない連中。エヴァを一瞥する。

「(それなら、このアフガニスタンの麻薬撲滅には全く意味が無いと言いたいのか?)」

「(いいえ、意味はあるわ)」エヴァはあっさりと肯定する。「(DEAの支援という私達の行為に偽りはなかった。本当よ。でも、それはそれ。必要なのはバランス。この先、それを壊しそうな因子があれば事前に取り除く。それも私達の仕事なの)」

「(……)」

 暫く黙考したジェイコブス。納得はしてなかったが、自分が排除される理由は理解した。気掛かりなのはこの先のことだった。

「(……で、これからどうなる?)」

「(そうね、FASTの活動は続くのかしら。次の隊長に引き継ぐかたちでね。あなたは本国に送還される。でも、心配はいらない。家族も含めてね。一度、カルテルと繋がった者は、そのままでは生きられない。情報提供と引き換えに証人保護プログラムの下で新しい生活を始めるといいわ)」

「(――まともなやり方はここでは通用しない。無駄な犠牲が出るだけだ)」

 ジェイコブスが気にしているのはDEAの仲間のことだった。本当に大切なのはどちらなのだと尋ねたかったが、それは彼の仕事に対する熱意なのだと納得する。

「(そうかもしれない。でも、あなたのやり方でも最後はこの結果よ)」

「(……)

 諭すようなエヴァの言葉。ジェイコブスは言葉を失い、大きくうな垂れた。

「(残念だけど、この世に絶対というものはないわ。矛盾と理不尽は多く存在する……でもあなたは幸せよ、この先苦労するかもしれないけど、家族と一緒にいられるのだから……)」

 遠くを見詰めるエヴァ。

 ふと、その言葉に引っ掛かりを感じたジェイコブス。見上げると驚いた。エヴァの表情に、どことなく悲し気なものが漂っていたからだ。今まで見たことのない表情。

「(来たわよ)」

 エヴァの合図と同時に、熱風が二人を激しく包み込んだ。ケロシンが燃焼した排気の匂いが鼻に付く。激しく地面を叩きつけるメインローターの突風。

 夕闇迫る空から、UH-60ブラックホークの黒い機体がゆっくりと降下してきた。


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