44.エヴァとリサの戦争②
離れていても分かるほど大きい爆発音だった。
足から伝わる微かな地面の揺れ。後から来た二台のバスを停車させていたFASTの斥候組が振り返る。ノイズ交じりの無線から同時に届くジェイコブス隊長の叫び。説明がなくとも、後方の仲間に何かが起こったことは容易に想像できた。
「(――何があった! どうした!)」
コールサインもままならず、隊員の一人が呼び掛けるも返答はなかった。状況を把握できない中、動揺する二人。道の先を目で追った。山間から濛々と上がり出す黒煙。僅かな間、呆然と見据える。
だが、次の瞬間。間近で銃声が轟く。
不意だった。背中に衝撃を受けながらも、身を翻した隊員の目に映ったのは先ほどの運転手。老人のようなしわくちゃな顔。その男が手にしているのは自動小銃だった。バスのフロントガラス越しの発砲。
銃弾を浴び、その場に膝を付き崩れる隊員。更に銃撃は続く。運転手だけではなかった。バスの窓から半身を乗り出した数人の男が、AKらしき自動小銃を構え隊員二人に向かって引き金を引く。バスの乗客は武器を隠し持っていた。しかも、全員がそのような連中。
予想外の攻撃に倒れる仲間を目の当たりにした、もう一人の隊員。咄嗟に姿勢を低くして反撃を試みたが、数発撃たないうちに喉に直撃を食らってしまう。吹き上がる血に嗚咽しながら前方に打ち伏した。
絶命したであろう二人。だが、銃撃は止まない。地面に転がった二つの躰に銃弾が執拗に浴びせられる。すると、バスの降車口から男が飛び出す。同時に銃声が止んだ。隊員の屍に駆け寄る男。持っていた自動小銃を天高く掲げると叫び声を上げた。神を称える言葉。陶酔した表情。続いて、バスに乗っていた他の男達も同調するように叫び出す。目に見えない何かが、その場を支配していた。
ジェイコブスは態勢を立て直すのに必死だった。普段は冷静沈着な彼が取り乱している。トレードマークの顎髭、白人特有の鷲鼻が特徴の男。他の隊員と同じく筋肉質だが、体躯が大柄ではない分、身のこなしは軽かった。何より頭が切れる。彼の動揺は一層現場を混乱させていた。
そんな中、いち早く斥候組の異変に気付いたのはエヴァだった。
「(ハンター1。ハンター3の応答がない。状況確認を!)」
隊長を差し置いての発言だが、苦言を呈るする者などいない。エヴァは続いてラングレーとの回線に割り込んだ。
「(ペットショップ、ペットショップ! こちら、ウィザード。ハンター3の確認を! ドラゴンフライを回して!)」
ペットショップはラングレーのサポート本部、ウィザードとはエヴァのこと。ドラゴンフライは上空を旋回しているMQ-1Lプレデターを示している。
すぐさま、ペットショップから連絡が入る。斥候組が足止めしていたはずのバスが急速に接近しているという。
「(ハンター2、上がって来る車両に注意しろ!)」
情報を共有していたジェイコブスからスナイパー組に指示が飛んだ。
バスは間もなく現れた。
燃え盛るトラックの残骸を挟んだヘアピンカーブの入口。しかし、様子を窺うように速度を落とすと、山の斜面に少しだけ乗り上げ二台とも停車した。エヴァ達から、ほぼ死角となる場所。様子を探る間もなく降車口のドアが開く。一斉に人が飛び出していた。
全員銃を手にした男達。民族衣装を来ているが、体中に弾倉を着けた明らかな武装集団。各々に山の斜面の木や岩の陰に隠れて散開し始めた。その数、五十人は下らない。その様子はペットショップを経由してエヴァ達にも伝わる。
自爆に次ぐ第二波攻撃だった。何処から情報が漏れたのかは分からないが、完全に今回の作戦を狙って計画されたものに違いなかった。好調なDEAの麻薬取締に痺れを切らし反撃に転じたのかもしれない。何にせよ、規模からして単なる麻薬マフィアではない。間違いなく相手はタリバンだった。しかも、散開した男達の動きは素人ではない。かなり場慣れした兵士と見て取れた。厄介な状況になっていた。
「(敵と判断、発砲を許可する。囲まれるな! 視界に入ったら撃って構わん)」
今度はFAST全員に向かって、ジェイコブスの指示が伝えられる。臨戦態勢だった。
一方、バスから勢いよく散開したタリバンの兵士達だが、遥か上空から微かに聞こえるエンジン音に気付く。数人が足を止め振り向いた。その瞬間、何かが飛来していた。
閃光がほとばしる。先ほどまで乗っていたバスが激しく炎を上げて爆発した。二台の内の先頭車両。衝撃と共に車体が地面から跳ね上がり、砕けた破片が周囲に飛び散る。降車したばかりの数人が巻き添えになり、爆風で吹き飛ばされた。
AGM-114ヘルファイヤミサイル。MQ-1Lプレデターによる近接航空支援だった。エヴァの要請で容赦なく対戦車ミサイルが撃ち込まれたのだ。対装甲用の弾頭はバスの車体を貫き地面に大きな穴を明けていた。
慌ててバス周辺から蜘蛛の子を散らすように逃げ出すタリバンの兵士達。案の定、旋回したMQ-1Lプレデターから放たれた二発目のヘルファイヤが、もう一台のバスを粉々に粉砕した。
先ほどのトラックに加え、二台のバスが黒い煙を朦々と吐き炎が燃え盛る。辺りに立ち込める鼻を突く臭気。のどかな山間の一画が突然戦場と化していた。
圧倒的な力の攻撃ではあったが、タリバン兵の相当数が無傷のまま山へと散ってしまっていた。プレデターに搭載していたヘルファイヤは残りゼロ。続く航空支援は期待できない。
この状況にラングレーは、近傍の米陸軍駐屯地に待機させていた輸送ヘリを飛び立たせていた。合わせてアフガニスタン駐留の米空軍に支援を要請。なぜなら、プレデターの映像から、敵の中にRPG対戦車ロケットと共に対空火器であろう武器を所持した者を確認していたからだ。恐らくロシア製か中国製の携帯型対空ミサイル。前者のRPGと比べ物にならない程、航空機にとっては大きな脅威。むやみに低速のヘリが近付いたら、格好の的となるのは必至。まずは、それ以上の航空戦力で蹴散らす必要があった。
しかし、この事態は全くの想定外。拠点となっているパルヴァーン州のバグラム空軍基地は遥か遠い。タイミングよく爆装したA-10サンダーボルトⅡが上がれたとしても、到着までには時間が掛かる。
だが、この状況は如何ともし難いもの。敵との距離が既に近すぎる。誘導弾はもとより、A-10の30mmガトリング砲も使えない。エヴァ達を含め、FAST隊員は識別用のシグナルマーカーを付けているとはいえ、敵だけ排除するのは厳しいからだ。ここは一時的にでも退いて、支援を待つ方が得策といえた。
「(ハンター1。敵を補足)」
『(ハンター2。やれ!)』
ジェイコブスからのGOサインを受けたスナイパー組。スコープを覗く狙撃手は山肌にうごめく目標にレクティルを合わせた。バイポットを広げたタンカラーのSCAR-H。その引き金に指が掛かる。減音器で消された独特な発射音と同時に、排出された7.62ミリの薬きょうが宙を舞った。
ヘッドショット。岩陰から頭を出していた男の躰が崩れる。距離にして400メートル。FASTのにとっては問題ない仕事だ。立て続けに数人を仕留めた隊員。たが、そこで指が止まる。敵は思ったより、上手く木と岩に隠れていた。狙撃手の存在にも気付いた様子で動きが無くなった。
やはり、山に慣れている連中のようだ。地の利を活かして包囲するつもりかもしれない。早々に退路を確保し後退するのが賢明な状況だった。しかし、判断を下さねばならないジェイコブスが躊躇していた。
『(ハンター1、退却の指示を!)』
エヴァの提言があっても動こうとしない彼。額に汗をかきながら、他の隊員と共に向かって来るタリバン兵へ散発的に銃撃を加えていた。彼なりの考えがあったのだろうが、敵の勢いは強く、あっという間に本格的な銃撃戦に突入してしまった。
激しく交錯する銃弾。地面や岩が砕け砂塵が舞い上がる。
FAST部隊。そして、エヴァとリサ。後方のスナイパー組は除いて、タリバン兵との距離は150メートル足らず。へピンカーブの入口から山手を回った奴らは確実に距離を詰めて来ていた。向こうは未だに40人を超えている。その状況を詳細に伝えてくるラングレーだが、プレデターと同様、今はそれ以上の役には立たない。
転々と存在する岩をバリケード代わりに迫り来る敵。FAST部隊は5人を失い、エヴァとリサを合わせても残りは9人。隊員がいかに優秀であっても多勢に無勢。事態はますます悪化していた。
それでも何とか態勢を立て直し、横一線になって防戦する。敵を正面にしてエヴァ達が一番山側の左手。ジェイコブス隊長は中央。他のFAST隊員はその周りと右手に分散している。それぞれ岩陰からの応戦だが、一番右手の隊員は道路脇に取り残されていた。道路の向こうは谷へと続く崖で、そちらに逃げ場はない。ジェイコブスの指示で隊員が援護に回る。
FAST隊員はそれぞれの持ち場で、M4カービン自動小銃を撃ちまくった。数では負けているが、皆特殊部隊に劣らない腕の持ち主ばかり。簡単には押し切られなかった。それでも、時間が経つにつれ、一人、また一人と銃弾に倒れる者が出始める。致命傷ではなかったが、即戦力の低下となり状況は悪くなるばかりだった。
策を練るエヴァ。その矢先、事態はさらに悪い方向へ向かう。視界の隅に映った火の玉。それは黒い雲を引いて谷底へと落ちて行く。
同時に耳に入る無線の声。
《(――ドラゴンフライ、ダウン! ドラゴンフライ、ダウン!)》
500万ドルの無人機がスクラップになった瞬間は、エヴァ達とFASTが眼を失った瞬間でもあった。
ヘルファイヤでバスは吹き飛ばされたが、その後、携帯型対空ミサイルでプレデターを排除したのだ。敵の戦略は思ったよりも巧妙だ。きっちり要所を押さえている。
ジェイコブスの指揮では、このまま全滅してしまう。事態を好転する為には、打って出るしかないと考えたエヴァ。すぐ近くで、AK47自動小銃を片手に立ちまわっているリサの様子を窺う。彼女の力が必要だった。
エヴァはベルトホルダーに数珠繋ぎとなったの40ミリグレネードのカートリッジを取り出し、M4のハンドガードに装着した203グレネードランチャーに装填した。
「(リサ、こんな状態だけど、いける?)」
『(もちろん)』
さらりと答えてきたリサ。エヴァはニヤリとする。多分そう答えると思っていたからだ。そう、彼女は特別。
「Ready……」
エヴァは、そう言ってM4を構えた。203グレネードを少し上に向け、岩陰から引き金を引いた。放たれたグレネードが敵の足元で爆発する。エヴァは立て続けにカートリッジをリロードし扇状にばら撒いた。その数、十発以上。激しく炸裂する榴弾。破片を食らい数人のタリバン兵が倒れた。
不意を突いた攻撃リズムの変化に敵の足が鈍る。
「GO!」
エヴァの叫びと連動してリサが飛び出した。
近くの岩をバリケードとして上手く使いながらの移動。ランニングしているみたいな軽い足取り。しかし、彼女の動きは緩急があり極めて不規則。攻撃に関しても同様。岩陰からのクイックピーク。一瞬で敵の位置を見定めては引き金を引いていく。
それは、実戦とは思えない光景。まるでタクティカルトレーニングでスチールターゲットを相手にしているかのよう。次々に倒されていくタリバン兵。たった一人の敵に翻弄される様は圧巻といってよかった。
AK47自動小銃のストックに頬を当て撃ちまくるリサ。その表情は冷淡なままだが、口元は微かに笑っていた。
『(――このまま押し切る)』
リサの言葉だった。やる気だった。ジェイコブスの確認を待たずして、エヴァは無線のスイッチを掴んだ。
「(ハンター各位。ブルゥームが中央突破する。援護を! 間違っても奴を打つなよ!)」
強い口調のエヴァ。独断専行だが、今はこうするしかない。
そのまま突き進んで行くリサ。前傾姿勢でAKを構え、バースト射撃を繰り返す。タイミングを見計らった弾倉のリロードも早い。それは洗練されたというよりは、プログラムされたマシーンの動き。
彼女のコードネームであるブルゥーム。ウィザードの相方としてはありきたりのネーミングだが、その価値は空を飛ぶのではなく本来の使い方に近い。そう、まるで掃除しているかのように、タリバン兵を蹴散らしていく。
威嚇射撃しながら目標に近付き盾にしている岩の裏に回り込むリサ。リロードを繰り返しながら、絶え間なく放たれる弾丸。敵の集団にあえて突入したのは、相打ちを恐れて引き金を引くのをためらうことを見透かした戦術。リサの動きは全く止まらない。時には腰から抜いた自動拳銃で敵を撃ち抜く。
必要に迫られた単純な戦闘行為。しかし、ともすれば、その行為を楽しんでいるかのようにも見えてしまう。味方であるはずのFASTの隊員までが、その光景に生唾を飲んだ。
あっという間に15人以上のタリバン兵がリサの餌食となった。敵の一画を完全に潰していた。唖然としていたFASTの隊員達だが、自ずと士気は高まる。
今こそ、反撃に転じる瞬間。そう思われた。だが、リサの様子に変化が。動きが一瞬止まったかと思うと、突然踵を返したのだ。
全速力でエヴァのもとに駆け戻るリサ。不可解な彼女の行動に片眉を上げだエヴァだったが、それを気にすることのないリサ。すれ違いざまに、エヴァのタクティカルベストの首根っこを掴んで引っ張った。
「(――後退する)」
「(どうして?)」
頸を傾げたエヴァだったが、FAST隊員の叫びが事態を物語っていた。
『RPG!!!』
リサに半分引き摺られながら退いたエヴァ。目の前で、今まで隠れていた岩が爆音と共に砕けた。風圧に眼を閉じたエヴァ。自らも全力で走り出す。
RPGは一発ではなかった。煮え湯を飲まされたタリバンが、次に転じたのは対戦車ロケットの一斉射撃。何発持ち込んでいるのだろう。ずらりと並んだ男達。その肩に担がれた発射機から容赦なくロケットが放たれる。連続して発射されたRPGが白煙の軌跡を引きながら飛来する。
まるで空爆のよう。爆風に吹き飛ばされるFASTの隊員。それを横目に走るリサとエヴァ。一発のRPGが、その鼻先を掠めた。間一髪。
しかし、この先には身を隠す場所がない。舌打ちしたリサだが、振り向いた途端に瞠目する。普段は冷静な彼女の頬が引き攣っていた。
視界に映ったのは、こちらに真直ぐ飛んでくるRPGの弾頭だった。
「(――エヴァ!)」




