3.親友
車窓から見える景色はいつもと変わらない。毎日座る座席が決まっているからだ。
友子が乗るバスの停留所は路線の始まりに近い。空いているから何処にでも座れるのだが、なんとなく固定化している。他の常連さん達も同じだった。
固定化するのは人間行動学的に何か法則があるのだろうか、と疑問に思っている友子。だが、今のところ深くは追及していない。
暫くして、一人の少女が乗り込んで来た。
「おっはよーっ!」
友子を見付けると元気良く手を振りながら近づいて来る。
少女は友子と同じ制服を着ていた。今時の高校生っぽいというのか、ほんのりナチュラルメイクで、少し栗色に染めた髪は肩の辺りでカールしている。
二人が通う女子高は伝統と歴史を重んじる校風なのだが校則は厳しくない。今時なのだろう。規則ガチガチでもゆるゆるでもない、学校もそんなバランスを求められているのかもしれない。
一方、友子といえば最近やっと簡単なメイクを覚えたばかり。リップにちょっと個性を出す程度だから、ほとんどすっぴん。長い黒髪も対照的である。当然、少女の方が大人びて見えた。
しかし、少女はその容姿らしからぬ、いとけない仕草で微笑んでいる。
「あ、おはよう……」
挨拶を交わした友子だったが、その語尾はくぐもってしまった。少女は当然のように友子の隣に座ると顔を覗き込んでくる。くりんとしたまつ毛に大きな瞳。同性の友子から見ても可愛いと思う。里見香奈はそんな子だ。
「何よ……」
友子の表情を見て訝しむ香奈。
「いや、別になにも……」
問い掛けに、歯切れ悪く返した友子。お互い予想していたかのように、その場に漂う微妙な空気。沈黙が始まる。発車するバス。
二人は揃って前を向き、フロントガラス越しに流れる光景を暫らく見ていた。
「ねえ、香奈」たまらず切り出したのは友子だった。「あのね――」
「もう、大丈夫だから」
意を汲んだような言葉で遮られる。ゆっくりと振り向いた香奈の表情は、友子の予想に反して、いつもと変わらない感じだった。
少し神妙な顔で訊き返す友子。
「ほんとに?」
「ほんと」
そう言って微笑んで見せる香奈だったが、どことなくぎこちなかった。友子は昨夜のメールのやり取りを思い出す。百戦錬磨の香奈であっても、今回のダメージはかなり大きいはずだ。
「……」
思わず言葉に詰まる友子。それを見た香奈。友子の肩を軽く叩いてから、眉間に皺を寄せた。
「なんで友子が落ち込むのよ」
「いや、その……」
「だから。大丈夫だって言ってるじゃん」
香奈は背筋を伸ばすとガッツポーズのような身振りで、これでもかと明るい笑顔をつくって見せた。
「ほら、ほら、もう吹っ切れちゃったって感じ!」
「ほんとに?」
「ほんとにホント」
「……」
すると、半眼で香奈を見据えた友子。懐疑的とも取れる眼差しのまま、続けて自分の顔を香奈の顔にぐっと近づけた。お互いの鼻が触れそうなり、驚いて身を引いた香奈。しかし、友子は追うように距離を詰める。
香奈の大きな瞳をまじまじと見る友子。それを訝しむ香奈だったが、次第に顎を落として上目遣いではにかんだ。
「何よ……」
しかし、友子は眉間に皺を寄せ、考えたような仕草をしている。
「なるほど……」
いまいち噛み合わないような台詞を口にした友子。突然、躰を離すと自分の胸の前でポンと手を叩いた。
「そうか!」
その滑稽な動きに、香奈は目を丸くし頸を傾げる。
「何が、そうなの?」
香奈の問い掛けに答えず、険しい表情を崩さない友子。人差し指を顎に添え声のトーンを落した。そして、目を細める。
「やはり僕は大事なことを見過ごしていたようだよ、ワトソン君」
抑揚を抑えた言葉遣い。何かを演出しているらしい。
「何? わとそ……ん?」
不可解な言動に半眼状態になった香奈。だが、友子はじっと香奈の顔を見詰めたまま、口角を上げて不敵な笑みを浮かべた。
「観察から結論は導かれるのだよ。特別な事をしなくても、自ずと答えは出てくるものさ。つまり、こういうことだ。Kは既に次の恋を始めた……いいや、この場合、次の相手を見付けたという方が正しいだろう」
自分の言葉に納得するように、幾度も頷いて見せる友子。
「これで、謎は解けたよ。ワトソン君」
友子はパイプをくわえる仕草をし、感慨深く唸って見せた。要はスコットランドの名探偵ということらしい。
「こらっ!」
香奈は飛び上がるように躰を起こし、片方の眉尻を吊り上げた。そのマニアックなノリやワトソンが何者なのかはどうでも良かった。ただ、その結論とやらは聞き流せなかった。失恋少女は反論する。
「何、言ってんの! そんなわけないでしょ!」
香奈は自分の肩で友子の肩をぐいと押した。しかし、友子も鼻息荒くそれを同じように押し返す。自分の演出に満足したのか、素に戻って言い返す。
「いいじゃん、別に」
「良くない」
「吹っ切れたんでしょ? じゃ、次いきましょ!」
「はぁ? 簡単に言わないで」
押し合い圧し合いする二人。
「だって、恋愛のない女子高生なんて、女子高生にあらず、でしょ!」
胸を張って見せる友子。自らもそうであるかのような発言に絶句する香奈。
「なっ……」
得体の知れない外国人が登場したかと思えば、友子らしからぬ発言。その意図が掴めない香奈だったが、絡まれたら絡み返す、が二人の暗黙のルール。ノリで負ける訳にはいかない。
「よく言うよね。友子なんて恋愛から一番遠いポジションにいるくせに!」
お返しとばかりに悪態をつく。香奈の表情がパッと明るくなった。
「ひっどーい!」
口を尖らし突飛な表情で睨み返す友子。白い歯を見せ威嚇する香奈。しかし、これがいつものじゃれ合いで終わらなかった。唐突に、すっと背筋を伸ばした友子。
「私だってね、こっちの技よりもっ――」
口を真一文字に結ぶと、まっすぐ前を見た。不可解な挙動。まさか、と思った香奈だったが、既に遅かった。
友子は躊躇することなく、前の座席の背もたれに正拳突きを入れた。女子とは思えない鋭い突きに座席が揺れる。座っていた年配男性の薄い頭も揺れた。目を剥く香奈。
「ちょっと、何するのよ!」
男性が迷惑そうにして、怪訝な顔で後ろを振り返る。
「どうも、すみません」
必死に男性に頭を下げる香奈。しかし、お構いなしの友子は斜め後ろを振り向く。通路を挟んだ数列後ろの座席には、スーツを着た若い男が座っていた。
友子はじっと視線を送る。それに気付き自然と目を合わせた男。
先ほどに続き、嫌な予感に襲われる香奈。しかし、友子の行動が読めない。どうすればいいのか分からないうちに、友子は色っぽいベタな口調で言い放った。
「――最近は、こっちの技を磨いてるのよっ」
友子は男に視線を合わせたまま、指先でしなやかに長い黒髪をすっと耳に掛けた。そして、少し顎を引いて恥じらいを含んだような微笑をつくりながら、これでもかと潤ませた瞳で長いまつ毛をしばたたかせた。
目を瞠る男。突然の出来事にまごつくのは分かるが、思いのほか動揺したようで、目をぱちくりさせると赤面し視線を外してしまった。
その状況に、うろたえる香奈。友子の胸倉を掴んで引き戻す。友子が何をしでかしたかは判らなかったが、男の反応を見れば大体見当が付いた。
だが、一応、聞いてみる。
「今……何した?」
「えっと、ですね……現在、開発中の“女子高生誘惑スマイル”です」
悪びれた様子も無く、飄々と答える友子。しかも、何処か満足げな表情だ。自由過ぎるを通り越して、完全にアウトの領域を暴走する友子。香奈の当惑は次第に猛烈な怒りへと変わった。
「バカ!」
思わず素っ頓狂な声が出ていた。
これでもかと眉間に皺を寄せながら、顔を近づけた香奈。次に、友子の頸根っこを押さえ込み、上がった呼吸を整えてから耳元で囁いた。
「格闘技の次はそれって……意味わかんないでしょ! ……で、あれ、誰なのよ? ……知ってる人?」
「あー、よく知らない。毎日私より先に乗って来てる人だけど……あっ、前に一度、車内で定期を落として拾ってもらったことがあるかな」
「かなって……」
半眼半口のまま、一瞬気を失いそうになる香奈。頭を大きく振って我に返る。そして、これでもかと眉尻を吊り上げて、人差し指で友子の胸元を突いた。
「そんなことして、勘違いされたらどうすんのよっ!」
「勘違いって?」
「……」
そのずうずうしいまでの返答。開いた口が塞がらないとはこのことだ、と香奈は思った。「こいつはあかん」と湧き上がる心の呟き。それを何とか飲み込みつつ、まさかとは思うが、取り敢えず女子高生的興味の核心を尋ねてみる。
「じゃあ……もしかして、あの人のことが好き、とか?」
「んー、好きでも嫌いでもないよ」
「……やっぱり」
大きなため息とともに、全身の力が抜けそうになる香奈。既に、怒りすら無くなってしまっていた。バカに付ける薬は無いかもしれないが、友達としての助言はするべきだと考えた。
「いい、友子。そんなことしたらダメだって!」
「……ちょっと試してみただけだよ……ダメなの?」
「ダメです! 当たり前でしょ!」
珍しく真剣な眼差しで咎める香奈。友子は叱られた子犬のようにしゅんとなった。
「……だってさ、香奈いつも私のこと恋愛オンチみたく言うからさ」
「いや、だから……それとこれは違うんだけど……」
寂しげな瞳で訴える友子。香奈は吐息を漏らすと、一旦天を仰いだ。そして、友子に諭すように言った。というか説明した。
「ごめん……だけど、友子は……自分では分かってないかもしれないけど、結構かわいい方だと思うし、外見は……だから……なんちゃらスマイルとやらは結構効果があると思うわけで……だから、むやみに使うのはよろしくない」
友子に自分のような派手さはない。だが、サラサラで艶のある長い黒髪は男性なら触ってみたい欲求を感じるだろうし、品のある顔立ちは黙っておとなしくしていれば何処かのお嬢様にも見える。それに、言われなければ判らないが、欧州系のハーフという要素も完全にプラス方向に出ている。全て香奈の見立てではあるが、間違っていない自信はあった。
友子が納得したとは思えないが、それはさておき、後ろの様子を窺ってみる香奈。
しかし、振り向いた途端、若い男と目が合ってしまった。慌てて前に向き直した香奈。既に、こちらを意識しているようだ。
「マズイ……効いちゃったのかな、なんちゃらスマイル……だけど、ちょっといい男じやん……って、それはどうでもいいか……」
渋い顔で呟いた香奈だったが、時を同じにしていつもの停留所が近づいたことを知らせるアナウンスが流れた。これは幸いとばかりに、降車ボタンを叩く香奈。
「さっ、降りるよ!」
香奈は逃げるが勝ちとばかりに、友子の腕を取ってバスの先頭に向かう。もう一度振り返って確認したが、やはり男はこちらをチラ見していた。
「やっぱ、効いちゃってる……」
香奈は友子を引きずるようにしてバスを降りた。
発車し遠ざかるバス。香奈は友子と向かい合うと、自分の両腕を友子の両肩にのせた。
友子の顔をまじまじと見る香奈。
「あんた、やっぱ、バカでないの?」
そう言った香奈は、ため息を漏らす。その顔は怒っているようにも、笑っているようにも見えた。黙っていた友子は何か思いついたように、自分の両肩から香奈の腕をゆっくりと下ろした。そして、じっと香奈を見据える。その様子に戸惑う香奈。
友子はゆっくりとした動作で自分の両手を左右から自分の顎と額に着け、両膝を横にパコっと開いて見せた。
「ばっか、で~す! ウキッ!」
おさるのポーズということらしい。「こいつは……」と呆れる香奈だったが、そのポーズがやけにはまっていて思わず噴き出した。その瞬間、香奈の心の中でほっこりしたものが溢れた。
「まさに、猿芝居? ……てか」
やっと、友子の行動が理解できた。笑うしかない香奈は友子を指差す。
「ばっかじゃないの?」
「ばっか、で~す」
再びおさるのポーズ。舌も出して見せる。呆れ顔の香奈。
「しかし、何で普通に慰めるとかできないの?」
頸を傾げて見せる友子。
「……なんでだろうね」
何処まで狙ってやっているのか測れないけど、その気持ちは十分汲み取れた香奈。いつも落ち込んだ時、何かしらの方法で元気をくれるのは友子だった。掴み所がなく自由過ぎることも多々あるが、その裏にある洞察力と行動力は良くも悪くも頼もしく感じていた。
「友子ってさ、やっぱ、面白いわ」
「そう? たいしたことないと思うけど」
言葉とは裏腹に背筋を伸ばし誇らしげな友子。
「ありがとね。なんか元気出てきた」
清々しい香奈の微笑みに、友子も満面の笑みで返した。
「そう? よかった! じゃ、ガッコー行きますか!」
香奈の腕にしがみ付く友子。二人は腕を組んだまま歩き出す。
今はお互い二年生になったばかりだ。入学時から通学のバスは一緒だったのだが、仲良くなったのは少し後になってからのことだった。
「そう言えば、さっき私のこと、問題ないのは外見だけ的なこと言ってなかったっけ?」
「さあ? ……言ってないと思うよ」