36.繋がり
友子は現場から立ち去ろうとする、その腕を取っていた。おもむろに振り向いたリサに問い掛ける。それは前にも言った台詞だった。
「……あなたは誰ですか?」
それを聞かずに、彼女と別れることはできなかった。戦場のような無残な現場。消防や警察の車両でごった返す中、友子は堅い表情でリサを見据えた。
香奈は既に大神官房副長官とその場を後にしていた。友子としては香奈と話したいことがたくさんあったが、精密検査の為に病院ヘ行く必要があるという。香奈のことを考え、二人が乗ったヘリを見送った。船長の姿はとっくに無かった。案の定というか、元々そういう役回りとなっている。
そんな中、鷹野に身を預けられた友子だったが、越谷分析官の後に続き踵を返そうとしたリサを捕まえていた。
「……そうね」
離れていく越谷の後姿を一瞥したリサ。向き直すと、自分の腕に絡まった友子の手を取り両手を添えた。目が合いドキッとする友子。何度繰り返しても慣れない彼女の視線。人を魅了するような力があると思ってしまう。がんばって言葉を絞り出す。
「リサさんは……私と……何か繋がりがあるのですよね? ……そう感じます」
微笑むリサ。同じように何かを考えているようだ。
「そう……やはり、分かるのね」
瞠目する友子。微かに期待していた。自分が失ったと思っているものが、実は存在しているのではないかと。スーパーマーケットで初めて会った時はおぼろげだった。でも、学校の裏門で助けられた後は確かなものとなっていた。そして、今も胸に込み上げる懐かしくて暖かく切ないもの。それが証のはず。声が震える。
「……もしかして、リサさんは……私の……」
「――違うわ」
友子の感情は読まれていた。冷たく否定された言葉。口籠る友子。リサは吐息を吐いて、眉尻を落とした。
「私はエヴァ・メチニコフではないわ……つまり、あなたの母親ではない」
目を伏せた友子。肩を落とす。
「……ですよね」
でも、多分そう言われると思っていたから平気だった。淡い願望を確かめることができた。それだけで十分。
しかし、友子は続いた言葉に頭をもたげた。
「でも、そう感じるのは自然なことかもね。彼女と私は同じ血族にあたるから……つまり、あなたもってことだけど」
友子は眉間に皺を寄せた。意味が分からない。
「血族? ……私もって……親戚とかの意味ですか?」
「いいえ。もっと遠い血の繋がりよ。説明するには時間が必要。そして、全ては答えられない」
更に怪訝な表情になった友子だが、一拍して、はっとする。
「ち、ちょっと待って下さい。さっき、彼女って言いましたよね? リサさんは、母を知っているのですか?」
「ええ。良く知っている」
目を丸くした友子。リサの手を強く握り返した。
「どういうことですか!?」
一瞬目を伏せたリサ。その表情が曇る。
「エヴァは私の仲間だった……中でも特に親しい間柄」
「な、仲間って……大学の学友とか?」
リサは頸を横に振って苦笑する。
「いいえ……やっぱり、説明には時間が必要ね。今はその時間が無いわ」リサは友子の後ろにいた鷹野を一瞥する。「ごめんなさい。それ以上のことはクレアに訊いて。その方があなたも冷静に聞けるわ」
「えっ……」
リサは手を離すと踵を返した。友子はすがって腕を伸ばす。
「また、会えますか?」
「たぶんね……」
名残惜しむように、言葉を繋げる友子。
「あの。香奈を助けてくれて、ありがとう」
リサは苦笑する。
「お礼なら。クレアと船長にしてあげてね」
そう言い残すと、振り返らず立ち去って行った。その姿を見送る友子。モヤモヤしたものが、胸に残っている。その肩に、そっと手が置かれた。
「さあ、私たちもここから離れましょう。あなたは、病院に戻らないとね」
「はい……そうですね」
友子は鷹野の顔を一瞥した。
リサと越谷は内調から迎えに来たアンバーカラーのエルグランドに乗り込んでいた。後部座席で並ぶ二人。運転手は外で待機している。
「さて、私にも説明してもらおうか」
切り出したのは越谷だった。
「いいわ。でも、こちらとしても、その前に訊かせて欲しいわね。あなたの本当の目的を」
半眼になった越谷。眼光が増す。
「……その答え次第では、私を殺すのか?」
「そういうことね」
「なるほど。やはり、君が私に従った理由はそこにあるのだな……」
越谷は納得したように答えた。
「まあ、半分はね。でも、クレアのことに恩を感じているのは確かよ」
「分かった」
越谷は苦笑すると視線を外した。回想するように、フロントガラス越しに外を眺める。
「イゼル・メチニコフ博士。その生物学者を私は知っていた」
その名前に反応し、顔を曇らせたリサ。ストレートな言動だった。越谷は口角を上げてみせる。
「私は孤児として育った。恵まれない生い立ちでね、経済的な理由から公務員になった訳だが、生物学者を目指した時代もあるんだよ」
珍しくリサが瞠目する。眉尻も上がった。
「それは、初耳ね。あなたが役人以外の仕事なんて、想像がつかないわ」
「……そうかもしれないな」目尻に皺を寄せる越谷。「彼女。イゼル・メチニコフの論文を始めて読んだのは大学生の時だ。実際にはメチニコフ夫妻の共同執筆なのだがね。当時、ルーマニアが独裁政権下だったこともあり公開される情報は少なかったが、必死で探してむさぼるように読んだよ」
「そう……」
リサは怪訝な表情を崩さない。半信半疑なのが見て取れた。
「主に運動機能障害の治療についての研究論文だったが、当時としては画期的な内容だった。特に遺伝子レベルの地道な研究は評価が高かった。世界中の遺伝子データを集めた論文は非常に興味を惹かれたものだ」
淡々と話す越谷。話の始まりからすると、二人の間に緊張が無いのが異質だが、お互いの立場を尊重しているのだろう。
「それから、ずっと注目していた。だから、彼女の死は非常に残念に思った。君とイラクで出会う数年前のことだよ」
「そうね」
リサも認識があるようだ。
「私はすぐに知り合いのFBI職員に連絡を取った。それは単なる事実確認の為だったのだが、話は意外な方向へ進んだ……相手からオフレコで面白いことを聞かされたからだ」
反応したリサの片眉が上がる。
「イゼル・メチニコフの自殺について、娘のエヴァ・メチニコフからFBIに陳情が上がっていたらしい。再調査のね。ルーマニアの独裁政権が倒れた後、イゼル・メチニコフは研究の実績を買われ、半ばアメリカ政府に呼ばれるかたちで渡米して来ていた。まあ、政府に顔が効く関係者が、悲しみに打ちひしがれる娘の気持ちを汲んだのだろう」
「その連邦捜査官も温いわね。あなたに、そんな情報を漏らすなんて」
越谷は苦笑してみせる。
「日米の警察機関の交流は意外と深い。私のコネクションとしては一番古いものだよ。単なるギブアンドテイク。君もよく使う手だろ?」
リサは鼻で笑ったが、越谷は表情を硬くする。
「しかし、結局再捜査は行われなかった。元々疑わしいところがあった訳ではなかったから、陳情の扱いは慎重だった。しかし、それにもかかわらずFBI内での判断を待たずして、政府筋から取り下げの圧力があったという……過敏な反応だよな」
顔色を窺った越谷だが、リサは何も答えなかった。
「私はその話に非常に興味を持った。当然、思いつくところだが、イゼル・メチニコフ博士はアメリカで何をしていたのだろうか、だ」
「それで? ……あなたはどこまで知っているの?」
リサが話を割愛するかのように口を挟んだ。
「君に詳細は必要ないか……」苦笑する越谷。「知っている事か……そうだな……まずは、ビクター・ヒルが関係していたこと。彼は有名人だからな、良くも悪くも目立つ。背景から見てCIA絡みであることは明確だ」
リサは微かに睨んだが、越谷は表情を変えなかった。
「加えてイゼル・メチニコフ博士だ……となれば、人体に関わる何かの計画であることは、自ずと推測される。冷戦時代のルーマニアでの噂話もある……そして、後に起こるビクター・ヒルの死。その後、計画は頓挫したようだ」
「……やはり、そういうところは長けているのね」
呆れているのか嫌味なのか分からないが、不気味な微笑みのリサ。
「かもしれない」一瞬ニヤリとする越谷。「……だが、所詮興味本位のものだ。それも、そこまでの話しだ」
「……だけど、私に出会ったのね」
リサは目を細める。
「そうだ」越谷は大きく頷いた。「会った時、その人間離れした能力に唖然としたよ。そして、直感した。だが、それがすぐに繋がった訳ではない。最初は君という存在に興味があっただけだ。しかし、調べていくうちに、少しずつ分かってきたよ。自分の直感が正しいと思えるまでになった……最終的にはルーマニアに出向いて、イゼル・メチニコフ博士の元同僚に会ったりもしたよ」
「ヒマね。税金の無駄遣い……で、事の次第を確信したのは?」
「つい先日だ。篠崎友子がイゼル・メチニコフの孫であり、エヴァ・メチニコフの娘だと知った時にね」
リサは肩をすぼめた。
「なるほどね……それでか……で、やはり私をスカウトしたのは特殊な能力あってのことなのかしら」
「まあ、結果的にはそうなってしまうね」
「ふむ……」
黙考したリサだが、越谷の言葉に不満はないようだ。
「では、君の番だ」越谷が唐突に口を開く。「……君はあの娘を守るために日本に来たのだろう?」
ふっとリサは笑った。答えを訊くまでもなかった。
「教えてくれ。それで、君とメチニコフ親子との間にはどんな関係がある?」
リサは越谷を見据えると両目を開いた。
「守るため、か……そうね。じゃあ、聞かせてあげるわ。彼女達と私の関係。そして、ヘリックスファーム計画について」




