31.ポルタトーリ
平屋建ての南欧風洋館。スペイン瓦に白い塗り壁。
いつものビストロの店内。ホールでモラレスとテーブルで向かい合っている男がいた。白髪の老紳士だった。西洋人で面長、椅子に座った感じではモラレスより長身に感じられる。相変わらず派手なネクタイのモラレスに比べると、老紳士はシックなスーツに身を包んでいた。
昼時なのに客が二人しかいないのは、貸し切りにしているからだ。ここを訪れる時は常にそうしていた。もちろん、モラレスの息のかかった店である。
「(――お前にしては珍しいな。二度も煮え湯を飲まされるとは)」
老紳士の嫌味を隠さない露骨な口調。モラレスとは違い、見かけ通りのポッシュな英語を使っている。目の前にはホワイトソースのラビオリ。
「(うるさい。皮肉を吐かせる為に呼んだ訳じゃないぞ)」
モラレスは不愉快そうにしながらも、トマトソースのパスタを淡々と口に運んだ。チキンのソテーは既に平らげている。
老紳士は眉間に皺を寄せた。
「(そうかい。だが、あんな若造にどんな価値があるというのだ?)」
モラレスは鼻で笑う。
「(そんなことだから、うだつか上がらないまま隠居する羽目になるんだろう?)」
「(放っておいてくれ。老後をどうしようと、私の勝手だ)」
老紳士は目くじらを立てたが、モラレスは身を起こして語り口調になる。
「(奴の利用方法は幾らでもある。衛星の乗っ取りなんてケチなものじゃない。使い方によっては、途方もないことができるのだよ。それは力となって、莫大な富も生む。私なら、それを存分に生かせる)」
老紳士は怪訝な顔でモラレスを一瞥する。
「(サーバーを見付けたのだろう? そこにある、AIプログラムとやらで事は足りないのか?)」
呆れ顔のモラレス。
「(分かっちゃいないな。そんなものは奴の飾りに過ぎん。あの男の頭が無ければ、無用の長物だよ。世界中の諜報機関が血眼になって探していた獲物だぞ。それを見付けたのだ。こんな島国でな)」
意気揚々として言い放つモラレス。老紳士は少し黙考してから頷いた。
「(……まあ、いい。それで、私に何をさせたい?)」
「(もちろん、リサ・パーカーだよ)」
「(そうだろうな……始末するのに、手を貸せと?)」
「(その通りだ)」
ため息をつく老紳士。
「(捨て駒にしたのは、お前だ。自分のケツは自分で拭きな)」
上品な口調に不釣り合いな汚い言葉。モラレスは苦笑いする。
「(まあ、そう言うな。それなりの礼はするつもりだ。フィリピンから抜け出して、オーストラリアに住みたいのだろう? ゴールドコースト辺りがいいか?)」
「(良く知っているな……地獄耳か)」
そう言いつつも、まんざらでもない顔つきになった老紳士。
「(悪い話ではなかろう? 私は約束を守るし、金払いもいいぞ……なあ?)」
モラレスは後ろにいる体躯の良い男に目配せをした。男は肯定する感じで頷き目を伏せる。見た目は日本人だった。
モラレスは各国で行動するが、なるべくその国に合った容姿の手下や私兵を使っている。目立つことを避ける為だが、実際の国籍は様々だ。ここ日本でも同じ。たとえ流暢な日本語が使えたとしても、日本人とは限らない。
「(分かったよ……)」老紳士は口角を上げた。「(では、奴を燻り出して消すとするか)」
「(ああ。だが、少し問題もある)」
モラレスが片眉を上げてみせると、老紳士は目を細めた。
「(どんな?)」
「(どうも、奴が日本政府に肩入れしている気配がある。動いているのは内閣情報調査室だ。二度の失敗は、まさにそれだよ)」
「(ほう、スポンサーを変えたか。変わり身の早さもさすがというべきか。まあ、それも自然な流れかもしれないな)」
モラレスは少し苦い顔になる。
「(それに、“ラビットパンチ”の件が知られた可能性もある)」
「(では、急ぐ必要があるな)」
「(ああ。日本政府が真相を知ったところで、諜報機関も持たぬ連中が奴を利用できるとは思えん。マズイのは、奴を持て余して法の下で裁こうと公にされることだ。早急に手を打ちたい。その為にも、あの女が邪魔だ)」
老紳士は意味ありげに、再びため息を付いた。
「(……しかし、パーカーを使ったのは、ちと早まったかもな)」
「(何だと)」
「(確かに、濡れ衣を着せるなら有名どこの方がいい。本部へのインパクトも大きいからな。実際、思惑通り時間稼ぎにもなった訳だが……少々、分が悪い)」
「(何が言いたい?)」
「(お前、あの女のこと知らんだろう?)」
「(知っているさ。だが、あんたの方が詳しい。だから、わざわざセブ島から呼んだのだろうが)」
すると、老紳士は取り巻きの男達を見遣った。
「(……二人だけで話しをしたい)」
「(何?)」
モラレスは不可解そうな表情を浮かべたが、老紳士の様子を察して手を上げた。「(分かったよ)」と短く言って、取り巻きの者達を隣の部屋へと追いやる。ホールは二人だけとなった。
「(さあ、これでいいか。勿体ぶるだけの話なんだろうな)」
頷き無粋な笑みで返した老紳士。テーブルに並んだ空の皿を見遣る。
「(しかし、よく食べるな、お前。見ていると、こっちまで腹一杯になるよ)」
老紳士はラビオリに殆ど手を付けていなかった。モラレスは顔を顰める。
「(ほっとけ。パーカーの話はどうした?)」
「(お前、“ポルタトーリ”を知っているか?)」
老紳士は唐突に切り出した。
「(はあ? 何だ急に……ポルタトーリだと?)」
「(そうだ、“ポルタトーリ”だ)」
モラレスは仕方なしといった感じで話を合わせる。
「(……ああ、あれか。確かコレステロールを分解しやすい体質で、動脈硬化になり難いとかいう連中のことだろう? ……突然変異の遺伝子を代々受け継いでいるとか何とか……医学的にみても大きな発見で、えらく話題になってたな。イタリアだったか?)」
「(まあ、それもそうだ)」
「(私にしてみれば、羨ましい体質だよ……なんだ、今度は嫌味を吐くつもりか?)」
老紳士は鼻で笑う。
「(違うよ。それは別の意味も持っているだろう。仲間内で隠語になっていたのを覚えていないか? 随分、前の話だがな)」
こだわる老紳士。呆れ顔のモラレスが面倒そうに考えを巡らす。
「(ポルタトーリね……そういや……)」
少し間をおいて、失笑したモラレス。持っていたフォークの先を老紳士に向けた。
「(どれだけ、昔の話をしているんだよ……冷戦時代の遺物などに興味はない)」
「(思い出したか?)」
「(ああ。東側のプロパガンダだろ。ルーマニアの独裁政権時に行われた遺伝子研究……だったか?)」
「(そうだ、“ポルタトーリ”と呼んでいただろう? 当時、本当の名称が分からないから、世界中で話題になったイタリアのポルタトーリになぞらえて呼ばれた。もちろん、うちらのような業界だけの話だ。ポルタトーリは担ぎ手や運び手の意味だ。要は遺伝子を運ぶ者ということだ)」
モラレスは更に高笑いする。
「(それが、どうした? 当時の西側に対して心理的な効果を狙ったデマだよ。同じルーマニアのドラキュラ伯爵と同じ、ただの噂話さ)」
老紳士はニヤリとしてみせるが、表情は冷淡なままだ。
「(いいや……実際にあったのだよ)」
「(馬鹿言え。遺伝子技術で屈強な兵士を量産するなどというのは、途方もない絵空事だよ。まあ、あの独裁者なら考えかねんがね。それも含めてのプロパガンダだよ。社会主義システムが崩壊する前の悪あがきだったのさ。その後、何事もなく話は消えていったじゃないか)」
モラレスは憤慨するも、老紳士は表情を崩さない。
「(尾ひれが付いて、そのような話になったのだよ。やっていたことはもっと単純だ……では、“ヘリックスファーム計画”というのを知っているか?)」
「(ヘリックスファーム?)」
モラレスは渋い顔で頸を傾げた。
「(そうか……それなら、ビクター・ヒルは知っているだろう?)」
急に表情を曇らせたモラレス。
「(何故、その名前が出てくる? 悪名高きビクター・ヒル。若い頃、“MKウルトラ計画”にも参加したといわれている、組織の中でも闇が多い男だろ。随分前に表舞台から姿を消した……いや、死んでいるな。確か殺されたはずだ)」
老紳士はモラレスの答えに相槌を打つ。
「(ああ、確かにあの世に逝っている。だが、現役を退いていた訳ではなかったのだよ。その“ヘリックスファーム計画”の中心人物だった)」
「(何だと? それは、いつの話だ?)」
モラレスが怪訝な表情で返す。
「(計画が始まったのが1990年代。本格的になったのは911テロ後だ)」
「(あん? そんな計画、俺は耳にしたことないぞ)」
「(そうだろう。知っているのは極限られたメンバーだけだった。私もそうだった)」
「(ほう……)」
モラレスが目を細める。
「(本部は“MKウルトラ計画”で行った洗脳実験の汚点を掘り起こされることを今でも恐れている。50年以上も経つのにな……まあ、ビクター・ヒルも含めて、その手の話はデリケートになるんだよ)」
「(ビクター・ヒル、MKウルトラ……懲りんな、また薬物とかの人体実験か?)」
モラレスの要点を押さえた物言い。
「(まさか、時代が違う。もっと科学的なものだ)」
「(何だ……早く言えよ)」
急かすモラレスに応えるように、老紳士は身を乗り出した。
「(まあ、慌てるな。簡単に言ってしまえば、優れた素質を持った人間を選び出し育てる計画だ。CIAもオフィサーの採用においては間口を広げ、様々な適性判断を用いているが、優秀な人材を揃えるのは容易ではない。人を育てるには骨が折れるし金も掛かる。それでも、使い物になるかどうかは未知数。だが、ビクター・ヒルが打ち出した“ヘリックスファーム計画”は、それを人の遺伝子配列から的確に見極めてしまおうというものだ)」
モラレスはあからさまに鼻を鳴らす。
「(なるほど。それで、遺伝子構造のヘリックスか……しかし、サラブレッドの血統じゃないんだぞ。そんなもので簡単に分かったら世話はない)」
老紳士は何故か感嘆したように頷く。
「(確かにな……だが、競走馬はいい例だ。まさに、それをやろうとしていたのだよ。ある意味、良い血統を集める行為だ。ただ、重要なのはどんな遺伝子を持ったものが、良い血統といえるのかだ。この場合はスパイ向きの血統、とでも言うべきかな……それで、その為に必要なのは?)」半眼のモラレス。老紳士は間をおいて言った。「(……血統を示す遺伝子情報だろ?)」
懐疑的だったモラレスの顔に変化があった。何かを理解したらしい。老紳士の表情を窺いながら訊く。
「(……それが、“ポルタトーリ”と関係していると?)」
老紳士は大きく頷いた。
「(ああ、そうだ。ビクター・ヒルだ。やつが冷戦時代の遺物を掘り起こした。出処は、イゼル・メチニコフ博士。ルーマニアからアメリカに移住して来た女の生物学者だ。彼女から手に入れたのは、優れた素質を持つ人間の遺伝子配列を示したテンプレート。もちろん、学術的にも公にされたことは一度もない)」
「(……ルーマニアの独裁者が使っていたものなのか?)」
「(多分、そうだろうが詳しいことは分からん。イゼル・メチニコフ博士は計画が始まってすぐに自殺している。過去の闇を口にすることは無かったよ)」
「(自殺?)」
「(……何だ? 勘ぐるなよ)」
モラレスが意味ありげに口角を上げる。
「(まあ、いい……それで?)」
「(イタリアのポルタトーリと同じたよ。世の中には突然変異の遺伝子を持ち、受け継いでいる者が他にもいる。内容は随分と異なるがな。博士のテンプレートが示す素質は、まさにCIAが望む人材だった)」
「(……しかし、そんな眉唾な計画をよく本部が採用したな)」
解せないモラレスだが、老紳士は冷静に返す。
「(911テロだよ。あの影響は大きかった。平時なら採用されることは無かった“ヘリックスファーム計画”。だが、その時の状況は違った。テロを未然に防げなかったCIAは、汚名返上に躍起になっていた。更にカウンターテロリズムの必要性も増し、優秀な人材確保も急務だった。予備研究に留まっていた“ヘリックスファーム計画”が日の目を見たのはその為だ。本部は藁にも縋りたかったのだろう)」
「(なるほど……)」
モラレスは息を吐き、椅子に深く掛け直した。老紳士は続ける。
「(意外かもしれないが、最初の成果は本部の期待以上だったのだよ。“ヘリックスファーム計画”によって集められた希少な人材は適性者と呼ばれた。それらは密かに訓練された後、世界中に送られ特殊な作戦で大いに活躍した。“ヘリックスファーム計画”は、その力を示した訳だ。ビクター・ヒルは意気揚々としていたよ。自らが背負った、“MKウルトラ計画”の汚点を払拭できるとね……)」
老紳士はテーブルに肘を付くと、声のトーンを落とした。そこまで聞いたモラレス。腑に落ちたように代わって言葉を繋いだ。
「(だが、計画は頓挫した、だろ? ……ビクター・ヒルが殺されて)」
「(そうだ……察しがいいな。しかも、計画に必要な遺伝子のテンプレートまでもが消えてしまった)」
「(誰の仕業だ?)」
「(分からんよ。だが、殺られたのはビクター・ヒルだけに留まらなかった。最終的には計画の主要メンバーがほとんど消された。私は最後の一人と言っていい。だから、祖国を離れて身を隠したのだよ)」
モラレスは納得したように頷いた。
「(なるほど。俺意外と連絡を取ろうとしないのは、その為か……それで、“ヘリックスファーム計画”は消滅したのか?)」
「(ああ)」
「(本部は一切干渉せずか?)」
「(ああ。いつものことだがな、奴らは面倒になったら切り捨てる)」
老紳士は自棄気味に両手を広げてみせた。
「(それは、そうだが……)」
モラレスは暫く黙考してから口を開いた。
「(本部のマズイところにでも触れたか? 手口としては、身内の掃除屋の仕事だ。何か訳あって密かに処理された……とは思わんか)」
「(分からん。でも、その可能性はある。確かに成果は上げたが、それは限定したものだったからな)」
「(限定?)」
「(そう。イゼル・メチニコフ博士の遺伝子情報には、いくつかのテンプレートがあった。だが、明確に適性者に特異性が認められたテンプレートはひとつだけだった。つまり、成果があたのは、それだけだ)」
「(たった、ひとつだけか?)」
「(そうだ。それは当初の目論見を大きく外れていた。本部がそれを知ると、態度がガラッと変わったよ)」
老紳士はため息を付く。
「(成果があった、ひとつとは?)」
「(黒海周辺を起原とする、極少数だけが持つ特異な遺伝子だ。IQや身体能力も高く、適応性もある。申し分のない素質)」
「(ほう。それだけでも価値はあるのじゃないか?)」
「(いや。その血統には特徴があった。どういう訳か、特異な遺伝子を引き継ぐのは女性だけなのだ。女系のみで伝わる遺伝子とでも言うのか……確かに女の諜報員や工作員も必要だが、それほど需要があるわけではない。最初の成果としては上出来だったが、それ以上無かった)」
「(なるほどな……とはいえ、それが本部に切られた理由とも思えん……)」眉根を寄せたモラレスだったが、次に含み笑いをする。「(しかし、面白いね。黒海周辺を起原とする女だけに伝わる特異な遺伝子か……しかも、優れた血統だと? ……まるで、ギリシャ神話のアマゾネスだな)」
「(……案外、そうかもしれんな)」
老紳士は冗談半分の愛想笑いをすると、区切りを付けるようにモラレスを見据えた。
「(話は長くなってしまったが、そこまで話せばもう分かるだろ? 私が何を言いたいのか)」
モラレスは大きく頷いた。
「(ああ、もちろん……それで、“ヘリックスファーム計画”で産み落とされたアマゾネス達は何人だ?)」
「(5人)」
老紳士は淡々と言った。
「(……そのうちの一人が、リサ・パーカーということだな)」
「(そうだ。手ごわいぞ……中でも特にな)」
モラレスは黙って不敵な笑みを浮かべた。臆する様子はない。その表情を確かめると、老紳士は躰を起こした。
「(それから、もう一つ話しておくことがある。記憶の片隅に追いやっていたものが、今回の件を聞いて思い起こされた。気になって調べてみたのだが、驚いたよ)」
「……」
モラレスは怪訝な表情で言葉を待った。
「(イゼル・メチニコフ博士には娘がいた。名はエヴァだ。彼女は博士の死後、アメリカで結婚して子供を産んでいた。自身はペンタゴンで起きた911テロで亡くなっている)」
モラレスの眼が開いた。
「(911か……因縁めいたものを感じるが……その娘は国防総省に勤めていたのか?)」
「(いいや。当時は大学生でインターンシップ研修中だったらしい)」
「(ほう。学生で結婚、出産ということか……それにしても、運の悪い奴だ)」
二人は合わせたようにほくそ笑む。
「(まあな。問題はその娘の子供だ……興味深いぞ)」
「(勿体ぶるなよ)」
顎を突き出すモラレスに、老紳士は半眼で返した。
「(ハッカーの若造の餌に使った少女がいただろう。最初に取り逃がした時の話だ)」
「(ああ、いたな。それがどうした?)」
「(あれは、エヴァの娘だよ。そして、イゼル・メチニコフ博士の孫にあたる)」
「(なんだと!)」
さすがにモラレスも驚きを隠さなかった。
「(トモコ・シノザキはエヴァの娘。その父親であるナオヤ・シノザキはエヴァの夫ということだ)」老紳士は口角を上げた。「(そして、そこに現れたパーカー……これは偶然だと思うか? 私は思わないね。何かあると考えるのが普通だろ?)」
押し黙るモラレス。思考を巡らしている。
「(それに、先ほどはああ言ったが、あのパーカーが簡単に日本政府に鞍替えというのも解せんだろう? お前への報復だとしても、おかしいとは思わないか?)」
モラレスは老紳士を見据える。その眼には不気味な光が浮かんでいた。
「(良く分かった……あんたを呼んでよかったよ)」
「(そうだろう。今後、奴を燻り出す方法も自ずと決まったな)」
念を押すような老紳士。モラレスは頷いた。
「(ああ)」
話を終えたモラレスと老紳士が、店の中から玄関に現れた。
モラレスは恰幅が良く背も高い。しかし、やはり老紳士の方がもっと高身長であった。周りを厳つい人相の男達が囲んでいる。
少し離れた駐車場には2台の車。シルバーのゲレンデヴァーゲンとブルーメタリックのBMW3シリーズ。駐車場へ繋がるテラコッタのアプローチに歩み出ると、二人は立ち止まった。老紳士がモラレスに何か話し掛けている。
その二人を遠くから見据える視線があった。モラレスの姿を十字のレクティルが捉えている。その距離、約600メートル。だが、スコープ内にモラレスと並んだ老紳士を確認すると、射手はターゲットの選定に迷いを生じた。二人を交互に捉えながら、十字のレクティルが揺れる。
老紳士は予期していなかった人物だったようだ。だが、次の瞬間に決定する。十字のレクティルは老紳士に定められた。
鼓膜を圧迫する籠った音が狭い空間に響く。手元の衝撃から僅かな遅れの後に着弾した。.300ウインチェスターマグナム。HPBT弾が、胸の中心を貫いた。血を噴き上げ、仰け反り崩れ落ちる老紳士。
スコープの中。慌てふためくモラレスと取り巻きの男達。護衛がモラレスを庇いながら店の中に戻ろうとする。続け様にボルトを引き次弾を装填。血相を変えたモラレスを捉えて引き金を引いた。
しかし、弾はモラレスの盾になった護衛の背中に命中する。モラレスは他の護衛に引き摺られるようにして店中に消えた。
ショッピングモールの屋上。ガラガラの駐車場の端に止まっている、カバンサイトブルーのV-クラス。スリーポイントスターのエンブレムにフルスモーク。どことなく近寄りがたい雰囲気の為か、リアのガラスハッチが開いていることに気付く者はいなかった。
その車内で舌打ちする。大型のスコープから目を離したのはリサ・パーカーだった。外された二列目のシートの位置に片膝を立てて床に座っている。構えているのはMK13Mod5ボルトアクションライフル。レミントン700ロングアクションをカスタムし、ナイツアーマメント社のサプレッサーを付けたSOCOM仕様。バイポットを畳んだ三列目のシートに乗せ、銃身はリアのガラスハッチから飛び出さない程度にして外に向けられていた。
ガラスハッチが閉められる。リサは無表情のまま周囲を確認し撤収に取り掛かる。硝煙が広がった車内。足元に転がった薬莢を拾い、MK13Mod5をケースに手際よく入れた。
ビストロの店内に倒れ込んだモラレスと取り巻きの男達。護衛は持ち出したSMGや拳銃を構え、全ての出入り口や窓に張り付いて周囲を警戒していた。
床に伏せていたモラレス。暫くしてスーツの埃を払いながら立ち上がった。その顔は青ざめていた。ネクタイを整えながら呟く。
「(……パーカー……か)」
上がった息が徐々に整えられると、表情が怒りに変化していく。厳しい形相。
「(私を殺り損ねるとは……大きなミスを犯したな……)」だが、はっとして気付く。合点したような表情に変わった。「(いや、違うな……)」
不気味な笑みを浮かべるモラレス。
「(なるほど。“ヘリックスファーム計画”を壊滅に追いやったのはお前か……そこまでしなければならない理由があるのだな……やはり、大きなミスだよ。パーカー)」
独り言のように呟くと、取り巻きの一人を見咎めた。既に表情は落ち着いていた。
「(死体の後始末をしておけ……それから、全てのユニットに通達しろ……行動開始だ)」




